【探偵#33】信念とは
僕の名前は白武信也。
白武財閥の未来を担う、高校2年生。
体育館へ向かう廊下を、僕はミゼを担いだまま走っていた。
足音だけが、やけに遠くで鳴っているように感じる。
腕の中のミゼは、ボロボロ、両足はなんとか再生しているが…ここまでやられるなんて初めてだ。
金花探偵事務所…ここまでとは想定外だ。
「……ほんと、君はやりすぎだよ、ミゼ」
自嘲気味にこぼれた本音は、もちろん彼女には届いていない。
彼女は意識を手放している。
それでも、僕が抱き上げると、どこか安心したように身体から力が抜けた気がした。
“僕は、信念のもとに”
何度も父に刷り込まれてきた言葉を、頭の中で反芻する。
白武財閥の嫡男、女好きで、ボンボンで、けれど成績は常に学年二位。
一位には、いつも決まって“星都風香”の名前。
「“一番”を獲れ。生徒会長になれ。異界から地球を取り戻せ。それが、お前に与えられた役目だ」
物心ついた頃から、父はそれしか言わなかった。
気づけば僕自身も、それを“自分の信念”だと思い込んで生きてきた。
ただ勝つこと。
ただ一番になること。
ただ異界を排除して、人間の世界を取り戻すこと。
そのために、ミゼがいて、白虎がいて。
瀬礼文学園中から“使える戦力”をかき集めて、人間派の牙を揃えた。
彼らは皆、僕のためだと言って、平気で血を流す。
白虎は故郷のために。
ミゼは救われた恩のために。
けど。
ここまでやって、本当に“このまま”進んでいっていいのか。
廊下の向こうに、体育館の扉が見えてくる。
その瞬間、頭の中に、さっきまでの光景がよぎった。
瀬礼神社での激突。
瀬礼市の裏路地での戦い。
そして、また人間派をぶち壊しにかかってきた、金花探偵事務所。
「……あいつらの先に、何があるのかな?」
僕が突き進むこのレールの先に。
異界を否定して、人間だけの世界を築いた先に。
ミゼも白虎もボロボロになって、その先に、一体何が残るんだ。
そんな問いが、心のどこかで燻っていた。
だからだろう。
体育館の扉に手をかけた、その瞬間。
(もし、みんなが“間違っていない”世界も、どこかにあるとしたら?)
ほんの一秒、指先に力が入らなかった。
だが、結局、僕は扉を押し開ける。
押し開けた、その瞬間。
もう“終わっていた”。
__________
私の名前は星都風香。
瀬礼文学園史上、最も物騒な生徒総会の真っ只中にいる、金花探偵事務所の探偵だ。
ちょうど今、人間派の“時間切れ”が決まったところだった。
「――以上をもちまして、人間派の発表時間は終了とします」
生徒会役員の冷静な声が、マイクを通して体育館中に響き渡る。
ジルガ率いる異界派の発表が終わり、続いて行われるはずだった人間派のプレゼン。
そのためのステージには、誰も立っていない。
チクタクと刻まれていたタイマーが、無慈悲にゼロを指していた。
「な、なんだよこれ……信也さんは……」
「どういうことだ、人間派は棄権したのか?」
「ありえないだろ、そんなの……!」
人間派の生徒たちがざわつく中、私はゴーレムの映像から目を離し、ステージ上の空気を読む。
生徒総会は何があっても一度きり。
海王瑠香から見せられた規約の一文が、頭の中で蘇る。
たとえ、どんな妨害やハプニングが起ころうと。
“この場での評価”が全て。
やり直しも、再試行もない。
だから私は、白武を攫うという、正直ちょっと頭のネジが飛んでる作戦にゴーサインを出した。
時間さえ潰せれば、人間派は発表そのものができない。
その時点でこの“賭け”は、ほぼ決まり。
「星都さん……」
隣で、不安と期待が混じったような表情でこちらを見上げるのは、平等派のリーダー、海王瑠香。
「本当に……これで、人間派は……」
「少なくとも、“今回の賭け”に関してはね」
私は淡々と言いながら、体育館入り口の方へ視線を移した。
ちょうどその時だった。
重たい扉が、バン、と音を立てて開く。
「……信也様!」
「ミゼさん!? あの姿……!」
人間派の列から、悲鳴に近い声が上がった。
扉の向こうから現れたのは、ボロボロのメイド服に血を滲ませたミゼ・レムナント。
そして、その身体を迷いなく抱きかかえた、白武信也。
「ギリギリ、間に合いましたね」
白武は、いつものような余裕の笑みを浮かべようとして、ほんの一瞬だけ、それを失敗した。
マイクの前には誰もいない。
タイマーはゼロ。
生徒会役員の手元には、すでに“時間切れ”を告げる紙。
「白武信也」
御影帝一の低い声が、体育館の空気をさらに冷たくする。
「規約に則り、人間派の発表は“未実施”と判断する。
よって本日の賛同投票において、人間派の評価は“最低値”とする」
ざわっ、と空気が波打つ。
「ちょ、ちょっと待ってください会長! ミゼさんと信也様は、その、襲撃に……!」
「事情は後で聞く。だが“生徒総会は一度きり”その規則を作ったのは、我が校の優秀な先輩方だ」
帝一は表情一つ変えずに言い放つ。
「今ここでそれを無視すれば、この学園の生徒会選挙そのものが茶番になる。俺はそれを許さない」
(御影帝一……完全に“ルール”を盾にしたわけね)
人間派を勝たせたいはずの現生徒会長ですら、ここで手は貸さない。
貸した瞬間、生徒会そのものの正当性が吹き飛ぶから。
つまり。
「……これで、人間派は」
私の隣で、瑠香が小さく呟く。
「生徒会長選から、一歩後ろに下がった。少なくとも“正面”から出てくることはできない」
まだ完全に退場したとは言い切れない。
白武信也が、この程度で諦める性格じゃないことぐらい、よくわかっている。
でも、“この賭け”だけを切り取るなら。
「平等派と金花探偵事務所の勝利……ってことになるわね」
そう口にした瞬間、白武の視線がこっちを射抜いた。
彼は何も言わない。
ただ、腕の中で微かに動いたミゼの体を、少しだけ抱き締める。
このまま“信念”のレールを進むのか。
それとも、別の道に気づくのか。
その答えは、まだ彼自身にも出ていないのかもしれない。
人間派が時間切れで沈んだ瞬間。
瀬礼文学園の生徒会戦争は、ようやく“三つ巴”から、少しだけ形を変え始めたのだった。




