【探偵#32】主人の護衛とその覚悟
私の名前は星都風香。
瀬礼文学園本校舎三階、監視用ゴーレムの映像越しに、私は“昼なのに夜になった廊下”を見つめていた。
吸血鬼は夜が本領。
なら、あの闇はミゼ・レムナントが自分の力を最大まで引き出すための“フィールド”ってわけね。
「……やる気、出してきたわね」
モニターの中で、ミゼの細いシルエットが、闇の中に赤黒く浮かび上がる。
彼女の両手のナイフには、まるで血と闇を混ぜたようなオーラが乱れ纏い、灯る。
「あなたの血も、信也様の糧に」
「物騒なナイフだな、おい」
次の瞬間、その“血の刃”が、暴風雨みたいな連撃となって練斗に襲いかかる。
金属の悲鳴が、ゴーレム越しにも耳を刺した。
「くっそ、速ぇな!」
これまでなら、練斗は斬り合いでミゼを押し返していた。
けれど今は違う。
押されている。はっきりと。
血を吸って傷を癒やし、夜の闇で全身をブーストさせている今のミゼは、さっきまでの“メイド兼護衛”なんて生易しい存在じゃない。
完全に、白武信也専属、吸血鬼の必殺護衛モード。
「どうしました?さっきまでの余裕は、」
「悪ぃな……俺、女と本気でやり合う趣味ねぇんだよ!」
練斗の言葉とは裏腹に、煉獄刀は容赦なく火花を散らしている。
けれど手数で勝っているはずの練斗が、斬り負けている。
正確に言えば、“一手ごとにミゼの刃が僅かに上回っている”。
「封印者、煉城練斗。あなたは強い。けれど」
一閃一閃の隙間で、ミゼの視線が一瞬だけ、遠くを見た気がした。
__________
夜風ミヤ。
それが、彼女の“本来の名前”だった。
白武財閥に代々仕える従者の家系に生まれた少女。
礼儀作法も、護衛の基礎も、幼いころから叩き込まれた“優等生”。
けれど、全てはある夜、あっけなく終わった。
異界災害。
突然開いたゲートから溢れた吸血鬼に襲われ、一族は壊滅。
最後まで生き残ったミヤも、血を吸われ、“眷属”に変えられた。
燃える屋敷、崩れる廊下。
意識を失い、次に目を覚ましたときには…
「私は……どうして……」
そこにいたのは、人だったのか、もう分からない。血に飢え、理性を無くし、与えられるものを貪るだけの怪物。
叫び声。
泣き声。
助けを乞う声。
全て、“餌”の匂いにしかならなかった。
そんなとき。
「夜風ミヤ。僕の側に来るなら、全部引き取ってあげる」
崩れかけた玄関の先に、血の海の中に、たった一人だけ立っていた少年。
まだ幼いのに、周囲の惨状を前に眉一つ動かさない冷たい瞳。
白武信也。
「吸血鬼だろうと、眷属だろうと、構わない。君が僕の盾になるなら、僕は君の居場所になる」
その言葉と同時に、彼の手が、怪物になりかけたミヤの頭にそっと触れる。
「そんな化け物でも要るって言うの?」
「当たり前だろう。君の“力”は、僕の役に立つ」
その一言で、暴走していた血が、嘘のように静まった。
ミヤは“ミゼ・レムナント”という名を与えられ、彼の盾として生まれ変わった。
「私は、信也様の盾。信也様のために戦い、信也様のために刃を振るう」
だから今も、刃が軋むたびに、その誓いが胸の奥で燃え続けている。
__________
「信也様の選んだ道を、私は貫くだけです!」
ミゼの血刃が一際大きく唸り、その余波が横薙ぎに走った。
「おいおい!」
その紅い軌跡が、廊下の端のメリーが抱えていたキャリーケースの側面をかすめる。
ガキィィンッ!!
明らかに嫌な音、頑丈さだけは取り柄だった特殊ケースに、まるで蜘蛛の巣みたいなヒビが走る。
「ちょっと!? 今の音いやな予感しかしないんだけど!!」
柱の影からメリーの悲鳴が響いた。
この短時間で、銃弾に、爆風に、斬撃に散々巻き込まれてきたキャリーケース。
さすがに限界が近い。
「お前、主人守る気あんのかよ! ケースごと真っ二つにする気か!」
「信也様なら、これくらいでは死にません」
ミゼの目は本気だ。
“主人を救うためなら、主人ごとぶった斬る”くらい平気でやるタイプ。
「……っし、そろそろテコ入れすっか」
煉斗の口元に、いつもの悪い笑いが戻る。
完全に押されているはずなのに、戦闘のど真ん中で、この男はまだ“遊び”を見つける余裕がある。
「何を」
「用心棒ナメんなよ。俺一人の戦いじゃねぇんだよ、これは」
次の瞬間、練斗の足が廊下の片側の棚を思い切り蹴り飛ばした。
「はぁあっ!」
バキィンッ、と木製の棚が派手な音を立ててひしゃげる。
その中から、ぷよぷよとした半透明の球が、凄まじい勢いで雪崩のように転がり落ちてきた。
「なっ……スライム……?」
床一面に転がる、野球ボールサイズのスライムボール。
しかも、一つ二つじゃない。ざっと見ても数百個。
「ふふん! どう!? ちゃんと仕掛けておいたのだ!」
柱の影から、メリーが誇らしげに親指を立てる。
足は引きずり気味だが、目は生き生きしている。
そういえば会場に来る前、メリーが言っていた。
『なんかあった時のために、お邪魔スライムボール”をもらっておこう!』
ゴーレムと話していたのは、そういう事。
まさかここまで役に立つとは。やっぱり馬鹿みたいなことを全力でやる子は、嫌いじゃない。
「くっ……!」
ミゼの足が、無数のスライムボールに取られた。
夜の闇が広がる廊下なのに、その足元だけ、ぐにぐにと妙に間抜けな音がする。
「暗殺者サマは足場崩されるの、苦手なんじゃねぇの?」
「こんな子どもじみた罠で、吹き飛ばせば…」
「子どもじみた罠でも、決まれば致命傷なんだよ」
スライムで足を取られた瞬間、ミゼの身体がほんの僅かに揺らいだ。
それは、練斗にとって“十分すぎる隙”だった。
「これが――」
スライムごと床を踏み抜く勢いで、練斗が踏み込む。
こののフィールドを自由に駆け抜けるのなんて、“スライム”だけが可能。
そう、うちの用心棒なら…!
煉獄刀が、闇の中で一閃、赤い軌跡を描く。
「金花探偵事務所なんだよ!!」
最速、かつ最短。
無駄なフェイントも、技名もない、ただ“勝つためだけの一刀”。
ミゼの血刃が反応するより、ほんのコンマ数秒早く、煉獄刀が、彼女の胴を斜めに深く切り裂いた。
「…っ、は……」
赤黒いオーラが霧散し、その場に血が細い線を引く。
ミゼ・レムナントの身体が、ゆっくりと崩れ落ちた。
「まだ……信也様の盾は……」
膝をつき、それでも前に倒れない。
その執念に、練斗が舌打ちした。
「もう充分だ。これ以上やったら、本当に死ぬぞ」
力を使いすぎたのか、闇が少しずつ晴れ始める。
昼の光が、廊下の窓から差し込み、その光の中で、ミゼはついに力尽きた。
「ミゼさん……」
柱の陰から、メリーがそっと顔を出す。
スライムまみれでぐちゃぐちゃな床と、血の匂い。
練斗は煉獄刀を肩に担ぎながら、ふぅっと息を吐いた。
「勝ち逃げさせてもらうぜ。用心棒は、ここで終わってくれたほうが楽なんだよ」
そう言って、踵を返した、その瞬間だった。
バキンッ!
大きな亀裂音が、静まりかけた廊下に響いた。
「……おい」
「え? ちょ、ちょっと待って今の嫌な音!」
二人の視線の先、キャリーケース。
さっき血刃にかすめられ、今の衝撃でとどめを刺されたのか、蓋のロックが悲鳴を上げるように歪んでいた。
「おいおいおいおいおい……」
練斗が全力で駆け出すより早く、
ケースの内側から、ふっと冷たい気配が漏れ出した。
カチャン。
乱暴に内側からロックがこじ開けられ、蓋が弾け飛ぶ。
「やっと、出れたよ」
制服の皺を軽く整えながら、白武信也がひょいと上体を起こした。
「お前……今までおとなしくしてろって、話分かってんのか?」
「僕はそんなこと、言われてないよ」
白武がポケットから取り出したのは、小さなガラス瓶。
中には、紫と黒が渦巻く異界魔力の濃縮液。
「やばいってそれ! 絶対ろくなもんじゃないでしょ!!」
メリーの叫びを無視して、白武は瓶を床に叩きつけた。
パリンッ!
「っ……!!」
瞬間、爆風というより“圧力の塊”が廊下全体に弾けた。
空気そのものが殴りつけてくるような衝撃。
「ぐっ……!」
「きゃああああ!!」
練斗とメリーの身体が、吹き飛ぶ。
壁に叩きつけられ、床を滑り、スライムボールを蹴散らしながら、数メートル先まで転がった。
「ちょ、これ、想像以上に、痛い……!」
「いってぇ……クソガキが……!」
視界がぐらつき、耳鳴りが鳴り止まない。
それでも、練斗は何とか顔を上げる。
だがその間に
「ミゼ!!起きて!!」
「……信也、様……!」
なんと…ミゼがスライムの沼から立ち上がり、そして…
「この程度で…!」
なんと、一切の躊躇なく両足を切ったのだ。
「ミゼ!」
白武信也は阿吽の呼吸でミゼの身体を抱き上げる。
片腕を彼女の肩に回し、まるでダンスの一場面みたいに軽々と。
「爆発でスライムは消し飛ばした、今なら…」
くるりと踵を返し、体育館の方向へ全力で駆け出す。
「待てよ、てめぇ!!」
床を抉りながら立ち上がろうとする練斗。
けれど、魔力の爆圧で身体が上手く動かない。
メリーも、足の傷が限界で、キャリーケースにしがみつくのがやっと。
「……風香ちゃんに、怒られるやつだ、これ」
「だな……」
私達、金花探偵事務所は白武の誘拐に失敗した…
でも、この依頼はここから急展開を迎える。




