楓の正体
「……ふうっ」
暴れていた怪物が真っ二つになり動かなくなったのを確認してから、楓は<魔装>を消して一息ついた。
こんな恐ろしい化物と命を賭けて戦うのが、魔法少女たちの役目。楓が実戦に参加するのはまだ二度目という事もあり、慣れる事も怯えが消える事も無かった。トドメを刺しておきながら何だが、今も微かに手が震えている。
先輩魔法少女である藍たちは、すでに幾度もこんな恐怖と戦い怪物たちを捻じ伏せてきたのだ。女の子でありながらあまりにも勇ましい三人が何だかとても眩しくて、楓は心からの憧れを抱いていた。
「――やったね! 友情パワーの勝利だよ!」
「ぶい」
静寂が戻ってきた所で、空から藍と柘榴が降りてきて勝利の喜びを表現する。片や満面の笑みで飛び跳ね、片や無表情でピースサインを繰り出して。
二人のその可愛らしい様子に、楓は自分の心の中に燻っていた恐怖の余韻が拭い去られるのを感じた。
「友情パワーねぇ? 一人あぶれてる奴がいるけどな」
「すみません。協調性が無くて……」
「……チッ!」
とはいえ夜刀が口にした台詞に居心地の悪さを覚え、それに従って頭を下げる。何が不愉快なのか、夜刀はまたしても舌打ちを零した。
助けてあげたのだからお礼の一つくらい欲しいとまでは思わないものの、ここまで嫌われているといっそ清々しい気持ちになってくる楓だった。
「もうっ、またそんな風に酷い事言う……<共有>に入れないのも仕方ないでしょ? 何でカンパニュラちゃんはそんなにヘリオトロープちゃんのこと苛めるの?」
「きっと可愛い子は苛めたいとかそういうアレ。小学生男子」
「ああっ!? んだとこのぉ!?」
頬を膨らませて噛みつく藍と、無表情で煽る柘榴、そして怒りを露わにしながらも楓に対するものよりは柔らかい反応をする夜刀。
魔法少女としての衣装に身を包んでいても、その様子はとても仲の良い普通の少女たち。あまりにも微笑ましい光景を前にして、普通なら自然と笑みが零れる事だろう。実際楓も笑みを零していた。
ただしそれは、胸の内の苦悩を隠すための張りつけた笑み。何故なら自分は三人と絆を結ぶ事は絶対にできないから。自分にそんな資格は存在しないから。
「あははっ。皆さん、仲良しですね?」
だから楓は、張り付けた笑みで笑いかけるだけだった。心の距離を表すように、一線を引いた距離を取った場所で、ただ孤独に。自分にはそれが相応しいと自戒しながら。
魔物の討伐を終えた楓たちは学校へと帰り、シェルターから出て各々の教室に戻る生徒たちに紛れて自らの教室へと戻った。避難した人々がシェルターの外に出られるのは魔物が討伐されてから十分後な辺り、きっとこれも魔法少女が正体を隠すための配慮の一つなのだろう。
そこからは特に問題も無く、普通の学校生活を送り放課後となった。今は部活の勧誘期間であるものの、楓は特に部活に所属するつもりは無い。そのため夕焼けの中で勧誘を頑張る先輩たちの間を縫うように歩き、時に頭を下げたり笑いかけたりしながら下校した。
「ここか……」
そうして楓が向かったのは、学校の近くにある寂れた小さな公園。周囲は木で囲まれており、公園の中央に壊れた滑り台があるだけで、打ち捨てられた空き地と言っても差し支えない場所だった。
事実、ここには全く人気が無い。楓が足を踏み入れても聞こえてくるのはカラスの不吉な鳴き声くらいで、夕焼けに照らされ全てがオレンジ色に染まっている事もあり、まるで異世界のような妖しい雰囲気すら感じられた。
「ひゃっ!?」
近くの木の幹に背を預け待っていると、不意に風が吹いて楓のスカートが捲れ上がりそうになった。周囲に人気が無い事は分かっていたが、それでも捲れないように咄嗟に裾を押さえて抗う。
「――ククッ。まるで生娘のような反応をするな? 楓慎士。人類の裏切り者よ」
「っ……!」
直後、背を預けていた木の背後から声をかけられる。色気に満ちており、それでいて覇気に溢れた聞くだけで魅了されそうな声音で。
即座にその場から飛び退き振り返った楓が見たのは、ゆっくりと木の陰から姿を現す一人の女性。
それはモデルもかくやというほどの長身と抜群のスタイルを誇り、褐色の肌を惜しげもなく見せつける煽情的な衣装を纏った女性だった。腰元まで伸びる黒髪は激しく乱れ、野性的な美を醸し出している。黄昏の中でなお目立つ黄金の瞳は妖しい魅力を孕んでおり、一度直視すれば吸い込まれてしまいそうなほど。男女問わず目が釘付けになりそうな見目麗しい女性であるが、楓は欠片も劣情を抱く事は無かった。
何故ならその女性の背には蝙蝠を思わせる巨大な翼が生えており、側頭部からは禍々しい捻じくれた角が天を突く様にそびえていたから。
端的に言って人間ではない。むしろこの女は人間と敵対している存在。魔物たちと同じく魔界から来た存在であり、世界の破滅を目論む組織<エルダー>を創り上げた張本人。
「魔王、ラムス……!」
魔法少女の最大の敵と言っても良い存在である、<エルダー>の首領たる魔王。そんな邪悪極まる存在を前にして、新参者とはいえ魔法少女であるにも拘わらず、楓は歯を噛みしめながら睨みつける他に無かった。この女には絶対に逆らう事が出来ないから。
「女装して女学院に通う日々は楽しいか? 少女と見紛う貴様の外見ならば、溶け込む事は容易だっただろう。役得とも取れる場面もあったのではないか? ククッ、これでは正体がバレてしまった時には、貴様への非難はさぞ燃え上がるだろうな」
「……っ!」
向こうもそれが分かっているからこそ、そして楓が無力な存在だと思っているからこそ、怒りと屈辱を煽る事をさも傑作と言いた気に口にしてくる。クラスメイト達が聞けば耳を疑うようなセリフを。
そう、楓は女ではない。見た目こそどう見ても少女だが、性別は紛れもなく男性なのだ。楓という名も偽名であり、本名は楓慎士。高校一年生であるものの、年齢は十八歳。名前と年齢と性別を偽り女装してまで撫子女学院に通っているのは、ラムスにそうするよう命じられたからだった。そんな狂った理不尽な命令に従わなければならない理由が、楓――もとい慎士にはあるのだ。
「それで、奴らの正体を突き止める事は出来たのか? ヘリオトロープなどという新たな魔法少女まで現れたわけだが?」
「……いいや、まだだ」
「フッ、まあそうだろうな。所詮は低能な猿。たかが半月で突き止める事が出来る訳も無いか……まあいい。貴様に任せたのは単なる気まぐれと遊びで、元々期待などしていない」
憎しみを込めた答えを返すと、特に気を悪くした様子もなく頷くラムス。
実際期待などはなからしていないのだろう。むしろこの女は男でありながら正体を隠して女学院に通い、いつ秘密がバレるか戦々恐々としている慎士の事を考えて楽しんでいる節があった。
「期限はあと半月だ。次に会うのは貴様が無事に使命を果たした時か、あるいは――終わりの時か。大切な物を失いたくないのなら、精々死に物狂いで使命を果たすのだな。魔法少女たちの正体を探り我に差し出す、人類の裏切り者になるという使命を、な? ククク、ハハハハハハッ、アハハハハハハハハッ!」
不愉快な笑いを残し、ラムスは再び木の陰へと消える。薄れ行くように消えていく姿と笑い声を前に、慎士はただ唇を噛んで怒りと屈辱、そして無力感を堪えるしかなかった。
「……クソォッ!!」
再びカラスの鳴き声のみが聞こえる黄昏時の公園が戻ってきた時、慎士は鬱屈した思いを拳に乗せて木の幹を殴りつけた。何度も、何度も、執拗に。他ならぬ罪深く無力な自分への怒りを強く乗せて。
ラムスの言う通り、慎士は大罪人だ。その使命は魔法少女たちの正体を突き止め、魔王に報告する事。幾ら弱みを握られ逆らえないが故の物だとしても、決して許されるはずの無い悪の所業。正に人類の裏切り者である。
初めの頃はそれほど悩まなかった。自分の大切なものに比べれば、顔も分からない魔法少女たちを売り渡すなど取るに足らない事。だから素直に魔法少女たちの正体を突き止め、それをラムスに報告しようと決めていた。
けれどその調査の途中で、慎士は魔法少女としてスカウトされてしまった。何の因果か、男なのに魔法少女になってしまったのだ。大いに混乱したし戸惑ったが、これは魔法少女たちの正体に迫るチャンスと割り切り、利用する事にした。そして実際、その目論見は適った。変身していない状態の魔法少女たちと顔合わせをして、正体を知る事が出来たのだ。これで後はラムスを呼び出し報告するだけで済む。そう安堵したのは、彼女たちと話をするまでだった。
魔法少女たち――杉石藍、詩桜柘榴、黒羽夜刀――三人はとても、とても普通の女の子だったのだ。超常の力を持つ特別な存在であるにも拘わらず、驕るわけでも無ければ傲慢さも無い。とても善良な心を持った無垢で清らかな女の子たち。そんな彼女たちが命を賭けて戦っている事を考えて、慎士は分からなくなってしまったのだ。本当に三人をこのまま売り渡してしまって良いのか、と。
「……できないっ! ボクには、そんな事出来ないっ……!」
何度も木の幹を殴打した事で皮膚が擦り切れ血が滲む手で、自らの顔を覆いその場に崩れ落ちる。自らの不幸を嘆くように、あるいは何かに祈るように。
ラムスに売り渡せば、三人はきっとこの世の地獄を見せられた上で無残な死を与えられる。それを考えると良心の呵責に苛まれ、どうしても突き止めた正体をラムスに報告する事が出来なかったのだ。
そうしてずるずると先延ばしする内に彼女たちと更に親交が深まり、余計に躊躇いと罪悪感を覚えて報告できなくなってしまう始末。諦める事も出来ず、さりとて報告も出来ない八方塞がりのこの状況。
こんな事情を抱えながら、彼女たちと絆を深める事など出来る訳も無い。絆を深めれば余計に苦しみが増えるだけだし、仲間面をして魔物と戦っている事すら恥晒しの畜生にも劣る下劣な行為だ。学院では笑顔を張り付けて過ごしているが、本当は常に叫びそうになるほどの焦燥と罪悪感に見舞われていた。
「僕が死ぬ事で片付くのなら、こんなクズの命、喜んで捧げるのに……!」
自分だけの命で済むなら、躊躇いなく犠牲になるつもりだった。
けれど現実はそこまで甘くない。自分が魔法少女になってしまった以上、話はより複雑になっている。誰かに助けを求めようにも、それは予めラムスの手により封じられている。堂々巡りする身動きの取れない絶望的な状況に、最早ただただ苦悩するしか無かった。
「うううぅ……あああぁあぁっ……!」
夜の帳が降り始めた寂れた公園で、慎士は様々な感情にひたすら嗚咽と涙を零した。
男でありながら、魔法少女という超常の力を持った存在でありながら、驚くほど無能で無力な自分。そんな生きる価値の無い自分に、吐き気を催す程の自己嫌悪を覚えながら。
あらすじでネタバレしてましたが主人公は本当は男の子。更に蒼伊楓は偽名で、本名は楓慎士です。更には魔法少女でありながら魔法少女の正体を探って報告するのが目的。何もかも嘘ばっかりじゃん君ぃ……。