魔装と魔法
「――皆さん、こちらへ! 早くシェルターへ避難してください!」
オルトロスがいる方を警戒しつつ、逃げ遅れた人々を誘導していく。意識の無い人は怪我をしていない人に任せ、道を塞ぐ瓦礫を魔法少女の強化された膂力で退かしながら。
自身の何倍もの質量を軽々と持ち上げられる秘密は、身体の奥底から湧き上がる魔力という力にある。心が折れない限り無限に沸き上がるこの力は正しく意志の力。魔法少女に変身するとこの魔力が全身に満ち溢れ、あらゆる身体能力が向上するのだ。
「た、助かった……!」
「ありがとう! 本当にありがとうっ!」
巨大な瓦礫を軽々と持ち上げる姿に本来なら恐怖を覚えそうなものだが、極限状態という事もあって人々はむしろ畏敬の念すら感じる視線を向けてくる。それに歯痒い感情を覚えつつも、楓は人々をシェルターへと誘う。
『ガルルルルッ!』
しかし野生動物は背を向けて逃げる者を見逃しはしない。目敏くこちらの様子を認識したオルトロスが、進路上の全てを弾き飛ばしながら物凄い勢いでこちらに駆けてくる。
これには人々も恐怖に腰を抜かしかけるが――
「オラッ、どこ見てやがる! こっち向けやぁ!!」
『グルオオォォォォッ!?』
横合いから飛び出してきた夜刀が鋭い回し蹴りを繰り出し、その巨体の胴に猛烈な一撃を見舞う。オルトロスは再び吹き飛び無事だった高層ビルに突っ込んで倒壊させてしまうが、人命には代えられない。
そもそも魔物は周囲の被害を考えて戦えるような甘い相手ではないのだ。尤もそれが分かっていても、夜刀ほど思い切り良く戦う事は出来そうも無いが。
「――ホワイトリリィさん! 避難完了しました!」
やがて人々の避難を完了させた楓は、即座に宙を舞い藍の下へと戻る。
後は魔物を倒すだけだと分かってはいるが、新人の自分が出しゃばって良い場面ではない。そのため戦いに慣れている藍に指示を仰ぎに来たというわけである。
「ありがとう! それじゃあヘリオトロープちゃんもやっちゃって! 相手が早すぎてあたし達じゃ上手くカンパニュラをサポート出来ないから!」
「無念……」
どうやら敵と相性が悪かったらしく、藍もその隣にいる柘榴も少々悔しそうな表情をしていた。
実際藍が放つ光の矢は狙いこそ正確なものの、オルトロスは素早く回避行動を取るため掠りもしていなかった。頭が二つあるおかげで、夜刀と戦いながらも他に注意を払う事が出来るのだろう。柘榴も書物型の<魔装>を用いて紙片を飛ばしサポートを試みていたが、紙片の飛ぶ速度がそもそもオルトロスに追いつけない。
二人は接近戦には不向きな魔法少女であるため、ここは楓が頑張るしかないらしい。命を賭けた戦いは恐ろしいが、ほとんど一人でオルトロスと戦っている夜刀を見捨てる事など、出来るわけもなかった。
「分かりました! では――<強く大きく輝く自分へ>!」
故にこそ、楓は叫んだ。右手を高々と天に掲げ、狂おしく願う何かを掴み取るように。
求めるのは特殊な力を秘めた<魔装>ではなく、自らが奇跡を行使する<魔法>。魔法少女に授けられる超常の力の片割れ。
瞬間、楓の身を眩い光が包み込む。その光の中で自身の身体が創り替わって行くのをはっきりと感じる。衣装が変化し髪や手足が伸び、それに伴い身体も大きくなっていく。まるで急激に大人へ成長していくかのように。
それもそのはず、これが楓の<魔法>なのだ。<魔装>と共に魔法少女が授けられる超常の力。胸に秘めた狂おしい願い――渇望を満たす術である<魔法>。藍のそれが癒しの力という利他的な物であるのに対し、楓の渇望はどこまで利己的だ。『早く大人になりたい。もっと大きく強い存在になりたい』という、自らの外見から来るコンプレックスを癒す、どこまでも自分本位の願いだった。
「……やっぱり、この姿は慣れませんね」
変身を終えて感想を口に零すと、自分のモノとは思えないほど蠱惑的な声が耳に届く。普段の楓の声質は少女のような高く可愛らしいものだが、今は男性とも女性とも取れる中性的な物と化していた。
何より様変わりしているのはその姿。手足がスラリと伸び、滑らかな金髪は腰元まで流れ、百七十センチに届こうかという長身痩躯の容姿へと変化している。
衣装も色合いはそのままにファンシーなドレスから女騎士風の衣装へと変化しており、機能性と美しさを兼ね備えている。スカートからショートパンツに変化している事も実に嬉しかった。とはいえ相変わらず太腿は剥き出しであったが。
「うわぁ、相変わらず美人さんだぁ……」
「濡れた」
そんな大人の姿に変貌した楓に対し、藍は一瞬状況も忘れて頬を染めていた。無表情なので本気なのか冗談なのか分からないが、柘榴に至ってはあまりにも直球のヤバい台詞を口にしている。
楓としてはそういう評価よりも『凛々しい』とか『カッコいい』という評価が欲しいのだが、どう足掻こうとも女の子らしい容姿は消せないらしい。そういう姿を望む渇望を元にした<魔法>だというのに、むしろ魅力に磨きがかかってしまうくらいに。
もうそういうものだと半ば諦めて気持ちを切り替え、楓は眼下で暴れるオルトロスに視線を向けた。
「向かって右の頭が炎を、左が氷のブレスを吐く。注意」
「頑張って! あたしたちも出来る限り援護するから!」
「ありがとうございます。では――行きます!」
二人に背中を押され、楓は宙を蹴るようにして飛び出す。空気の壁を突き破り、過ぎ去って行く周囲の光景が伸びて見えるほどの速度で。
楓の<魔法>は変身を伴うものだが、その実態はどちらかと言えば身体能力の強化に近い。恐らくは楓が『強さ』や『カッコ良さ』に固執しているせいもあるのだろう。そのため凛々しく美しい今の姿に反し、この状態の楓は<魔装>を手にした夜刀以上に力が漲る、生粋のパワーファイターであった。
『グルルルルゥゥ……!!』
夜刀と戦っていたオルトロスの向かって左の顔がこちらを向き、周囲の空気を貪るような挙動を取る。ならば放たれるのは氷のブレス。それを理解していながら、あえて楓は一直線に突撃した。
『――ゴオオォォォォォォォッ!!』
そして放たれる極低温のブレス。寒々しい蒼白の冷気が進路上の全てを氷結させながら、怒涛の勢いで迫りくる。
幾ら変身した魔法少女が人間よりも遥かに丈夫で力強い存在とはいえ、瞬く間に全てを氷結させる冷気の中で生存できるほどではない。直撃すれば間違いなく即座に氷像と化し、命を散らすだろう。
故に楓は迫る氷結の白煙に右手を向け――
「<魔装顕現>――<幸福と不幸を映す鏡>!」
己が超常である<魔装>を具現した。
盾のようにそこに現れたのは、仄かな緑色をした六角形の鏡。身体を隠せるほどの大きさとはいえ、剥き身で装飾などは一切無い、吹けば飛びそうなほどに厚みの無い頼りない鏡だ。コンクリートの道路や瓦礫を瞬時に凍り付かせるブレスの盾として扱うには、その見た目はあまりにも脆弱に過ぎた。
『――ギャウウゥウゥゥゥッ!?』
だがその鏡は氷のブレスを跳ね返し、逆にオルトロスに直撃。その右半身を瞬く間に凍り付かせ、地面に縫い付けた。
楓の<魔装>は見た目こそ頼りない鏡であるが、攻撃を反射するという強力な能力を持っている。敵は鏡に映った自分に攻撃を仕掛けるかの如く、自らの攻撃を味わう事となるのだ。
接近戦に特化した<魔法>と、護りに特化した<魔装>。魔法少女ヘリオトロープの矛と盾。男らしさに憧れながらも、見た目はただの少女である楓らしいと言えばらしいスタイルであった。
「オラッ、トドメだ! 食らいやがれっ!」
夜刀が高く飛び上がり、その右拳に輝かしい青い光を集中させながら突撃する。右半身を氷結させられ地面に縫い付けられたその巨体は動く事が出来ず、それを避ける術は無い。
『ゴオオオォォォォォォッ!!』
代わりに行ったのは迎撃。凍っていないもう一つの方の頭部が、その凶悪な牙の立ち並ぶ口腔から真っ赤な炎を噴き出す。さながら噴火のような勢いで弾けた火炎が夜刀を襲い、その身体を蒸発させる――
「――させないっ!!」
その前に、新たに生成した<幸福と不幸を映す鏡>を操り夜刀の盾として割り込ませる。
楓の<魔装>の利点は反射能力だけではない。役目を終えて<魔装>が崩れても、リソースが残っていればすぐに再生成できるのだ。合計面積・厚さの上限はあるが、その範囲内ならば幾らでも生成できる。
一度崩れると数分間そのリソースは復活しないものの、それでも防御能力と小回りに優れた素晴らしい<魔装>であった。
『ギャオオオオォォォォッ!?』
「この野郎、礼は言わねぇぞ!」
自らが放った火炎を浴びて悲鳴を上げるオルトロスと、相変わらず不機嫌そうに叫び拳を振り被る夜刀。その青白く輝く拳が叩き込まれた瞬間、巨体が鈍い音を立てて吹き飛んだ。氷に覆われ地面に縫い付けられていたオルトロスの右半身はその衝撃によって解き放たれたものの、尋常でない威力の一撃を受けた事で明らかに致命傷を負っていた。
『グルオオオォォォォォォッ……!』
数十メートル以上吹き飛び地面を転がった所で、オルトロスは黒い血反吐を吐きふらつきながらも身体を起こす。
動きに弱々しさを感じるものの、その真っ赤に充血した瞳には決して油断できない鋭い光が宿っていた。生命の危機を前にしているからこその、死に物狂いの迫力である。
しかし、足を止めてしまったのは何よりも致命的。この場には夜刀と楓以外にも、隙を狙っている者がいるのだから。
『――ギャオオォォォッ!?』
「今だよ、二人とも! 一気に畳みかけて!」
光り輝く矢が天から降り注ぎ、オルトロスの両前足を貫き地面に縫い留めた。
藍によるサポートを受け、楓は夜刀に遅れて宙を駆ける。ここが正念場だと感じ、しかし手負いの獣に決して油断はせず。
『グルオォォォォォォ……!』
動きを封じられたオルトロスが最後に選択したのは、双頭の顎から同時に放つ氷炎のブレス。それを放つために大気を貪り取り込んでいく。
その姿を見て防御のための<魔装>の準備を始める楓だったが、空から降り注いでくる大量の物体を見てその必要は無いと判断した。
『――ング、ウウウゥゥゥゥ……!?』
「お口チャック」
ブレスを吐く寸前、オルトロスの顎に殺到し巻きついたのは大量の紙片。柘榴の<魔装>である書物のページが大量に放たれ、ブレスを放つために一瞬口が閉じられた瞬間を狙いそこを塞いだのだ。
先ほどまでならこの程度の拘束は無理やりに引き千切りブレスを放ったかもしれないが、そこまでの力が無いのはすでに明らか。故にブレスを放つ事も出来ず、オルトロスの双頭は大量の紙片に口を塞がれ唸り声を上げていた。
「テメェは右の頭をやれ! 俺は左をやる!」
「分かりましたっ!」
完全に無防備になった所へ夜刀と楓が突貫する。夜刀は右拳に輝く蒼光を集中させながら、楓は無手の右手を流すように後ろへ引きながら。
楓の<魔装>は防御能力の高い物であり、本来反射を除いて攻撃能力は無い。しかし何事も使いよう。特に<幸福と不幸を映す鏡>はそれなりに自由度の高い<魔装>だ。攻撃のための使い方を編み出すのは難しくなかった。
「くたばりやがれえええぇぇぇぇっ!!」
そして放たれる、夜刀の音を置き去りにした神速の右ストレート。向かって右の頭を真正面から粉砕する勢いで放たれたそれを前にして、動きを封じられ死に体の怪物に出来る事は何も無い。事ここに至り、楓もそう予想していた。
『――ッ!!』
「んなっ!?」
だが窮鼠猫を噛むという言葉があるように、追い詰められた獣は驚異の行動を取り一矢報いてくる。迫る夜刀の拳を前にあえて頭を上げ、右ストレートを自らアッパーカット気味に食らったのだ。同時になけなしの力を振り絞り、両の前足を跳ね上げる。
その威力で左の頭部は首の骨が砕けて折れ曲がるも、上方へのベクトルは消えない。そこに前足の力が加わった事で、光の矢に貫かれ縫い付けられていた両前足が大地を離れた。夜刀の一撃を回避できない事を理解したからこそ、戒めから脱するためにそれを利用したのだ。正に野生の獣の如き瞬時の判断。
『グウウウウゥゥゥゥゥゥッ!!』
そして鮮血の迸る左の前足を、身体ごと叩きつけるように振り下ろす。死を目前にし、片方の頭部を犠牲にした最後の足掻きだからこそ、その一撃は死に体とは思えないほど鋭かった。
渾身の一撃を放ち終え、なおかつ予想外の行動を取られて隙を晒す夜刀はこれを躱す事が出来ない。
「<幸福と不幸を映す鏡>――」
だからこそ、楓は夜刀の前へと自ら躍り出た。右手に薄緑色の長剣を握り、それを下から掬い上げるように走らせながら。
これぞ楓が自らの<魔装>を用いて創り上げた攻撃的な武器。脆くとも一度攻撃を反射するまでは壊れないという性質を逆手に取った工夫の極致。紙のように薄い長方形の六角鏡と、小さく厚みのある六角鏡を組み合わせて作った、美しく緑に輝く硝子細工の長剣。
「――六角鏡の硝子剣!!」
緑の剣閃が走り、オルトロスの動きがぴたりと停止する。
一拍置いてその巨体が斜めにずれ、上下に分かたれた肉体から血肉と臓腑を撒き散らしながら大地に落ち地響きを立てた。同時に残心する楓の手の中で、長剣の刀身が役目を終えたように儚く砕け散る。
反射するまで壊れないという事は、どこまで薄く顕現させても問題無いという事。故にこそ極限まで薄く顕現させた鏡を刀身として用いる事で、一刀に限って無限大の切れ味を持たせる。そして砕ければすぐに次なる刀身を生成する。それこそが<六角鏡の硝子剣>だった。
以下、それぞれの<魔装>と<魔法>
ヘリオトロープ:鏡(反射)、強化変身能力
ホワイトリリィ:弓(何でも矢として放てる)、治癒能力
プリムローズ:本(????)、????
カンパニュラ:手甲(身体能力強化)、????