思考の共有
無数の光の矢という援護を受けながら、慎士は素早く大地を駆けた。風よりも速く疾走し、敵を斬り裂かんと鏡の剣を振るう。
「――粋がるなよ、人間風情がっ!」
「ぐぼっ……!?」
しかし光の矢は素早く躱され、一閃は巧みに受け流され、お返しとばかりに鋭い蹴りを腹部に叩き込まれる。
魔法少女に変身している事で身体も頑強になっているというのに、腹の中で爆弾が炸裂したような常軌を逸した衝撃と激痛が走る。内臓が弾けたのかと思うほどの血液が口から盛大に零れ落ちるが、しかし決して倒れず吹き飛びはしない。
「ご、ああぁぁああぁっ!」
「な、にぃ!?」
むしろ前に吹き飛び、その勢いを加えて鏡の剣を振るう。
後ろに吹き飛ぶように蹴った相手が、逆にその勢いで飛び掛かって来るという異常事態。しかも大量に吐血し苦しみながら。さすがに度肝を抜かれたのかラムスも反応が遅れて避け切れなかったようで、慎士の一刀はその捻じくれた角の先端を斬り裂いた。
物理法則を無視したその動きの秘密は、慎士の<魔装>による捨て身の攻め。腹部に蹴りを受けた瞬間、自身の背面に鏡を具現したのだ。反射の性質を持つ鏡に身体がぶち当たった瞬間、吹き飛ぶ方向は真逆となる。それを利用して強引にカウンターを決めたのだ。
しかしその代償はあまりにも大きい。吹き飛ぶベクトルが瞬間的に真逆に変化した事で、内臓に叩き込まれた衝撃は緩和されるどころかむしろ大きく増している。腹を開けばあらゆる内臓が弾けグチャグチャになっているであろう事は明白であり、そんな状態で自分の脚で立っていられるはずも無かった。
故にラムスに飛び掛かり角を斬り飛ばした瞬間、慎士は着地出来ずにそのまま倒れ伏す――
「――届け、癒しの光っ!」
「はあああぁあぁっ!!」
その前に、藍が放った癒しの矢が背中に届く。暖かい光が全身に広がり瞬く間に負傷が完治した慎士は、軽やかに着地して追撃の一閃を見舞った。
だがさすがに二撃も叩き込めるほど甘くは無かったらしい。ラムスは即座に背後へと飛び退き、自らの斬り飛ばされた角に手を当て不快気に眉を歪めた。
「そういう事か……仲間の回復能力を頼りに自らの身を犠牲にし、常に乾坤一擲の攻撃を繰り出す。魔法少女とは思えんほど泥臭い戦法だな? 幾ら我を相手に時間稼ぎをするためとはいえ、このような苦痛に満ちた戦法を強いられるとは……貴様、仲間たちに嫌われているのではないか?」
捨て身の特攻を何度でも繰り返せるこの戦法を相手にするのが面倒なようで、ラムスは言葉による精神攻撃を仕掛けてきた。
実際生と死の境を彷徨いながら戦うこの戦法は、どう考えてもまともではない。苦痛は尋常な物では無いし、一歩間違えば本当に死んでしまう。こんな戦法を他人に提案するなど、それこそ酷く憎む相手くらいしかいないだろう。
「勘違いするな。これは皆の反対を押し切ってボクが望んだ事だ。お前を倒せるなら手段なんて選ばないし、どんな苦痛だって耐えてやる」
「このような戦法を自ら、だと……? 貴様、狂っているのか?」
けれど、これは慎士が自ら考案した作戦だった。ある種狂気とも取れる戦法を駆使しなければ、ラムスには勝てないと分かっていたのだ。
何故なら、今の慎士は<魔法>が使えない。正確には自分の最も強い渇望が分からなくなっており、一度<魔法>を発動すると何が起こるか分からないのだ。亜緒の首輪自体は消滅したものの、最大の障害である魔王ラムスは依然として健在のため、下手をすると再び闇の世界に落ちてしまう<魔法>が発動する恐れもある。藍たちが救い出してくれたものの、二度目も同じように戻って来られるとは限らない。故に<魔法>は封印するしか無かった。
そのハンデを覆すための、藍の<魔法>を主軸にした捨て身の特攻を繰り返す神風戦法。もちろん仲間たちには強く反対されたが、絶対に折れる気は無かったので無理やり認めさせたのだ。傷つくのは自分だけで十分だから。
「ボクが狂っているかどうか――その身で確かめてみると良いさ!」
啖呵を放ち、再び慎士は肉薄する。しかしその前に藍が放った光の矢が慎士を追い抜き、ラムスへと一直線に走る。
「馬鹿め、何の工夫も無い矢など食らう訳が――何っ!?」
それを最小限の動作で躱したラムスは、突如として驚愕の声を零し今度は大きく飛び退く。
とはいえ回避し見送ったはずの光の矢が一瞬で方向転換し、自らの頭部を貫かんと迫ってくれば当然の反応だった。
「クソッ! これは……!?」
慌てて回避した後にも、矢は執拗に方向を変えてラムスを付け狙う。宙に幾筋もの光の軌跡を描きながら、まるで跳弾を繰り返す銃弾のように。
これぞ二つの<魔装>による合わせ技。矢の軌道上に慎士の<魔装>を具現させ、角度を付けて反射させる事により軌道の変化を実現しているのだ。その結果生まれたのは、砕け散る硝子の欠片と光の軌跡が織りなす幻想的な牢獄だった。
その上で不可解に過ぎる軌道を取る光の矢が二本、三本と新たに追加されていく。すでにラムスは回避に専念する他に無いようで、下手な踊りにも似た動きで必死に数々の矢を避けていた。
「どうした? 余裕が崩れてるぞ、魔王ラムス」
「調子に乗るなよ、人間風情がっ! 煩わしい光を放つ攻撃だからこそ躱しているだけで、この程度まともに食らおうとも響かんわ!」
「そうか。だったらやっぱり――ボクの手で斬り捨てないとな!」
「なっ……!?」
ラムスが信じられないものを見たかのように目を見張る。
無理も無い。慎士は幾本もの光の矢が織りなす結界の中へ、自ら飛び込んで行ったのだから。
この光の矢による結界は、最初に矢を放つのが藍である事以外は全て慎士が制御している。矢が角度を付けて反射するよう最適な位置に鏡を具現化させ続けるのだから、必要になる反応速度と情報処理能力は常軌を逸した域だ。常識的に考えて自分には矢が当たらないように制御しつつ接近戦も同時に行うなど、それこそオルトロスのように頭が複数個でも無い限り不可能な行為である。
「はああああぁぁっ!!」
「くっ、馬鹿な!? 何故この状況下で当然のように戦える!?」
しかし、慎士はその不可能を可能にする。絶えず瞬間的に鏡を具現化して光の矢による結界を維持しつつ、魔王の命を断ち切らんと二振りの鏡の剣を振るう。
常に行動を阻害される状況では碌に防御も受け流しも出来ないようで、ラムスは苦し紛れに剣を翳して盾とする。貧弱に過ぎるその防御は慎士の一閃により、刀身が袈裟に両断され潰えた。
「お前には分からないだろう! これが絆の力だ!」
「くあっ!?」
裂帛の気合と共に繰り出した二の太刀は、必死に回避行動を取るラムスの首筋を浅く斬り裂いた。それこそ甘皮を裂いたような微かな一刀であったが、紛れも無く命に迫った一撃。それを示すように血が滲み赤い線が浮かび上がる。
慎士が異常な情報処理能力と反応速度によってマルチタスクをこなしながら戦えている理由は、今まで加わる事が出来なかった<共有>による恩恵だ。最早隠す事など無くなった今の慎士は、柘榴の<魔法>によって彼女たちと思考を繋げ共有しているのだ。
厳密には情報処理能力と反応速度が上がったわけではない。しかし繋がった四人分の思考能力が疑似的にその状態を引き起こしている。思考を繋げるなど自らの頭の中を覗かれるのとほぼ同義であるが、その恥じらいを補って余りある凄まじいメリットだった。
信頼できる仲間たちに自分の全てを曝け出す事によって得られる力。正にこれぞ絆の力である。
「おのれぇ! 低能な猿どもがぁ!!」
「くっ……!?」
憤怒に端正な表情を歪めたラムスが、全身から爆発的に魔力を放出する。周囲に展開されている鏡に反射される事も構わず、広範囲に。
衝撃波のように広がる魔力が光の矢と鏡による結界を消し飛ばしてしまい、慎士もその余波を受け吹き飛ばされて宙を舞う。その勢いを攻撃に乗せるため、即座に背後に鏡を具現させようとするが――
「燃え上がれ、地獄の炎! 全てを灰燼と化し、死へと誘う黒き炎を今ここに!」
「――ホワイトリリィさん!」
「うん! ごめんね!」
急激に高まっていくラムスの魔力を感じ、藍の思考からその狙いが自分ではなく藍に向いている事を察し、即座に行動を変更。宙に具現させた鏡を上下さかさまに足場として用い、藍の目の前へと跳んだ。
何をするつもりなのか口にする必要は無い。すでに繋がった思考でやり取りは済んでいるため、本当は声をかける必要すらも無いほどだ。
柘榴本人は自身の<魔法>を戦闘に向かないと卑下していたが、そんな事はありえない。彼女の<魔法>は連携の要であり、絆の力を体現する何よりも美しい魔法だった。
「焼け死ぬが良いっ! <冥き地獄の業火>!!」
呪文が締めくくられた瞬間、ラムスの背後に邪悪な光を帯びた魔法陣が現れる。六芒星を描くように六つ現れたそれは、まるで地獄へ誘う扉のようで酷く不気味であった。背筋に鳥肌が立つほどに。
そしてその感覚は間違いではなかった。次の瞬間には全ての魔法陣が一層不気味に輝き、あらゆるものを塗り潰す黒き炎の奔流が放たれた。藍の前に立ち盾となる慎士に向かって。
「彼女を護れ! <幸福と不幸を映す鏡>!!」
六条の暗黒の炎を前に、慎士は<魔装>を盾として顕現させる。しかしその全ては背後の藍を護るために用い、自身の防御には使わない。リソースは全て彼女のために残し、自らは迫る黒炎をその身で受ける。
きっと途轍もない苦痛に見舞われる事だろう。けれどそれで構わなかった。大切な人を護るためなら、どんな苦痛にも立ち向かえるから。