決戦
「……よし、ここだ」
街の外れにある湖の畔へと辿り着いた慎士は、緊張に固唾を飲んで更に歩みを進めていく。
藍たちとの作戦会議を終えた後、魔王に連絡を入れ呼び出したのがこの場所。綺麗な湖とその畔にある野原、後は周囲の樹木くらいしか目を引くものは何も無い簡素な場所だ。月が出ていれば水面に黄金色の光が煌めく美しい光景を目の当たりに出来ただろうが、生憎と空は一面曇っており薄闇が周囲に広がるばかり。
それがまた自分の未来に暗雲が立ち込めているのを暗示しているように思えて、慎士としてはかなり不安になる状況だった。
「アイツはまだ来ていないか――うぐっ!?」
魔王の姿を探して周囲を見回した直後、謎の重圧に襲われ地面に引きずり倒される。
魔法少女に変身している状態ならともかく、今の慎士は素の状態。しかもやつれ衰弱した悲しいほどに非力な状態。その力に抗えるような筋力も無く、顔面を強かに地面へとぶつけてしまう。
けれど慎士としては大いに喜ばしい状況だった。何故ならこれは魔王が呼び出しに応じてくれた証なのだから。
「――この我を呼び出しておきながら遅刻するとは、貴様随分と偉くなったものだな?」
その声と共に地面から滲むように姿を現すのは、禍々しい角と巨大な翼を持つ褐色肌の美女――魔王ラムス。目の前に現れた<エルダー>の首領は、倒れ伏した慎士を金色の瞳で冷たく見下ろしている。
そんな彼女の嗜虐心を煽るように、慎士は鋭く睨みつけながら身体を起こした。
「それは悪かったね。誰かさんのせいで辛い日々を過ごしてるせいで、もう歩くのもおぼつかないくらい身体にガタがきてるんだよ」
「クク、確かにそのようだ。一月前とはまるで別人だな? 心労によって屍人の如く痩せ細りやつれたその姿。あえて貴様を手先として潜入させた甲斐があるというものだ。実に愉快だぞ」
「それはどうも。言った通り、直接見に来た方が良かっただろ?」
「うむ。故に我を呼び出すという不敬は不問にしてやろう」
心労による慎士のやつれ具合を目の当たりにして、ご満悦といった様子で夜色の髪を掻き上げるラムス。
こんな枯れ木よりも細く脆そうな男、警戒するに値しないと思っているのだろう。慎士の呼び出しに対して疑念を見せるでもなく、ただただ冷たい嘲笑を浮かべて愉悦に浸っている。
その反応こそ正に慎士の計算通り。これで作戦実行に支障は無い。裏で着々と仕込みを行いつつも、時間を稼ぐため本題に入る前に別の話題を提供する事にした。
「……大体どうして<エルダー>の首領のお前が直々にこんな事をしてるんだ? 使える部下はいないのか? ちょっと人望が無いんじゃないか?」
「フン、こちらの世界に来る事が出来ていないだけだ。この世界に張られた結界を破り入り込むには、我が部下の大半は力不足でな。仮にそれが出来ても頭の方が残念では役に立たん。故に我が自ら動くしかないという事だ。全く、どいつもこいつも出来が悪い……」
肩を竦め、翼を揺らして呆れを示すラムス。とても絵になる光景ではあるが、その本性と所業を知っている身としては欠片も惹かれはしなかった。そんな事よりも貴重な情報を手に入れる事が出来た事実の方に、よっぽど心が躍っていた。
「まさか<エルダー>っていうのは、お前以外はこの世界の人間で構成された組織なのか?」
「その通り。犯罪者、身寄りのない者、そしてお前のような人質で縛られた者。そういった奴らで構成した寄せ集めの集団だ。そんなクズ共に大切な仕事を任せられるはずもあるまい?」
ニヤリと笑い、慎士に悍ましい視線を向けてくるラムス。
どうやら<エルダー>とは名前負けしているならず者の集団だったらしい。ならば魔王が直々に動いているのも納得だ。人間を低能な猿と見下す魔王が重要な仕事を任せるはずもない。与えているのは精々下働きや雑用、活動資金の徴収くらいなのだろう。
「さて、それでは報告を聞こうか。期日も近いこの時分、自らの哀れな姿を晒すためだけに我を呼び出したのではあるまい?」
「その通りだ。一人だけだが、ようやく魔法少女の正体を突き止めたよ」
「ほう? 低能な猿にしては随分と努力したではないか。正直期待はほとんどしていなかった故驚いたぞ」
慎士の言葉に目を見開き、僅かながらに高揚した様子を見せるラムス。
実際慎士を女学院に送り込み探らせたのは遊びのような物であり、正体を突き止められなければ学院ごと灰にしてでも炙り出すつもりだったのだろう。それをやりかねない奴だからこそ、慎士は余計に苦しんだのだ。学院の無関係な人々まで巻き込むのはあまりにも気が咎めたから。
「それで? 貴様は一体どの魔法少女の正体を突き止めたのだ?」
さも愉快とでも言いた気にニヤリと笑い、ラムスはご機嫌に続きを促してくる。
憎き魔法少女の正体をようやく突き止め、今までの報復をする事が出来るのだ。まして目の前にいるのは無力で低能な猿一匹。警戒など考えもせず、これでもかと隙を晒すのも当然の成り行き。
「新入りの魔法少女、ヘリオトロープ――ボクの事だ!」
「――っ!?」
だからこそ、この不意打ちは確実に決まる。
発言で更に虚を突いた所で、慎士は上空に待機させていた<幸福と不幸を映す鏡>を一気に降下させラムスの周囲を囲んだ。逃げ場を塞ぐように隙間なく、ただし上だけは塞がず開いた状態で。
「――当たれええぇぇぇぇっ!!」
「ぐ、おおぉぉぉおおぉぉぉおぉっ!?」
間髪入れず、上空から荘厳な黄金の光が降り注ぐ。その正体は上空でタイミングを窺っていた藍が放った、渾身の魔力で練り上げた大砲の砲撃染みた一射。
頭上からラムスを捉え炸裂した魔力は、本来なら周囲に衝撃波を広げ土埃を巻き上げる。しかしラムスの周囲を覆っているのは、反射の性質を持つ慎士の<魔装>。拡散しようとした衝撃波は次の瞬間には鏡の<魔装>で反射され、全方位から再びラムスを襲った。
「やったね、ヘリオトロープちゃん! 作戦成功だよ!」
「いえ、まだです! 相手は魔王。油断は禁物です――<魔法少女化>!」
勝利を確信した笑みで隣に降りてくる藍に注意を促し、慎士も魔法少女の姿へと変貌する。
完璧に隙をついた死角からの強烈な一撃、おまけに炸裂した衝撃を反射させてもう一撃。あまりにも殺意の高い対応だったが、これで殺し切れるとは思っていなかった。何と言っても相手は魔王。恐ろしき魔物たちを統べる王が、この程度の攻撃で斃れるなどあり得ない。
「……ククク、ハハハハハハハハッ!」
予想通り、巻き上がる土煙の中からラムスが歩み出てきた。
さほどダメージを負ったようには見えず、むしろダイヤモンドダストの如く煌めく鏡の欠片が周囲に散っているせいで、とても神秘的で超越的な雰囲気すら醸し出している。まるで王たる自分にただの人間が敵うわけがないとでも言うように。
「これは傑作だ! 我が手先に選んだ男が、まさか魔法少女に成り下がっていたとは! その上、この我を騙し不意打ちを仕掛けてくるとは! ハハハハハハハハッ!!」
ひたすら狂ったように哄笑するその姿は、傍目から見れば隙だらけ。
けれど慎士も藍もそこを攻める気にはなれなかった。隙だらけに見えても震え上がりそうなほど研ぎ澄まされた殺意が迸っており、怒りを隠しきれていないのが手に取るように分かったから。
「どうやら妹の命はいらぬようだな? 奴の首に仕掛けた爆弾を忘れたか?」
「もちろん覚えてるさ。その首輪がついさっき、ボクの仲間の手で綺麗に消滅させられた事もね」
「何!? 馬鹿な、一体どうやって!?」
「あんな悪意の塊、カンパニュラが本気を出せば爆発する間もなく消し飛ばせるもんね!」
驚愕に目を見開くラムスは懐から小さな端末を取り出し、それに視線を向けた後に醜く表情を歪め舌打ちする。
どうやらあの端末が亜緒に取り付けられた首輪を制御するデバイスのようだ。とはいえすでに首輪は消滅したため、最早何の価値も機能も無い。その証拠にラムスは無用の長物と化した端末を放り捨てていた。
「なるほど。それを気取られても問題無きよう、同時に我を討ちに来たか。だが、たった二人で我を打倒出来るとでも思っているのか? 仲間がこの場に辿り着く前に、貴様らが無残な惨殺死体に成り果てる可能性は考えなかったのか?」
次いで虚空から取り出されたのは、闇を凝縮したような漆黒の長剣。光を一切反射しない、空間に開いた穴のようにも見えるそれを上段に構え、ラムスは臨戦態勢に入る。武術を修めているのか酷く堂に入った立ち姿であり、下手に動けば次の瞬間には首が斬り落とされていそうな迫力がある。
相手は数多の悪魔と魔物を統べる魔界の覇者。今まで相手にしていた魔物とは異なる、明確な知能と並外れた強さを持つ次元の異なる存在。二人ではもちろん、四人でも苦戦を強いられるのは明白だ。しかし慎士に恐怖は欠片も無かった。
「どうかな。お前は絆の力ってものを甘く見てる。ボク一人じゃあすぐに殺されるだろうけど、信頼できる仲間が後ろにいるなら――時間稼ぎくらいは出来るさ」
確信を込めて言い放ち、両手に鏡の剣を顕現させる。超極薄の透き通った刃を持つ美しい剣を握りしめ、更に藍の周囲に盾として幾つもの鏡を浮遊させる。
今までは仲間と言うには距離があった。精神的な壁もあった。何と言っても慎士は性別を偽り目的を隠し、笑顔の仮面を被って接していた人類の裏切り者なのだから。心の底から彼女たちと絆を結ぶ事など出来る訳も無かった。だが全てを明かし、受け入れて貰えた今は違う。
「その通りだよ。ヘリオトロープちゃんには、あたしたちがついてる。絆の力で繋がったあたしたちは、魔王なんかに負けたりしない!」
背後で勇ましく言い放つ藍に勇気を貰い、慎士もまた獲物を構える。
彼女たちは罪深い自分の全てを許し、受け入れてくれた。変わらず大切な仲間で、かけがえのない友達だと言ってくれた。その信頼と深い絆が、慎士に無限の活力と果てぬ勇気を与えていた。
「妹の平和な日常を守るためにも。今まで皆を騙し、傷つけたその罪を少しでも償うためにも。ボクはここで――お前を倒す!」
そうして、今ここに戦いの火蓋が切って落とされた。
ラストバトル開始!