吸精の黒花
⋇柘榴視点
「楓、凄く心配……」
魔法少女プリムローズへと変身した柘榴は、他の二人と共に魔物の出現した地域を目指して宙を駆けていた。
しかし頭の中にあるのは街の人々の安否ではなく、親友である楓の事。何か途轍もなく大きな悩みを抱えて苦しんでおり、それによって心と身体が壊れかけている事を夜刀から教えられ、以来柘榴は楓の事が心配で夜も眠れなかった。
自分は楓と一緒にいると安らげてとても幸せだったというのに、向こうはその間もずっと苦しみを抱えていたのだ。それに気付いてあげられなかった良心の呵責が、容赦なく柘榴の胸を締め上げていた。果たして楓は一体何に苦しんでいるのだろうか。
「大丈夫かな、楓ちゃん……」
隣を軽やかに飛んでいる藍も、楓の事を案じているのだろう。目に見えて罪の意識を感じさせる暗い表情を浮かべている。
無理も無い。自分たちは一緒にいると楽しくて幸せだったのに、楓は全くそうではなかったのだから。独りよがりの幸せを感じていた自分を許せず、柘榴も同じく自責の念に駆られていた。
「……今はアイツの事を心配してもしょうがねぇよ。とりあえず、魔物をぶっ飛ばしてから考えようぜ」
先頭を飛ぶ夜刀が冷たくそう吐き捨てるが、他ならぬ当人も楓を心配しているのは明白だった。感情を押し殺したその声から考えて、柘榴たちと同等かそれ以上に気を揉んでいるに違いない。
楓の苦悩に真っ先に気が付いたとはいえ、嘘の笑顔に対して警戒を抱き辛く当たっていたのは紛れも無い事実なのだから。
「……そうだね。今は街の平和が先決、だよね」
「ん……」
全員楓の事が気にかかっているものの、今だけはそれを脇に置く事にした。
これから命を賭けて魔物と戦い、人々を守らなければいけないのだ。目の前の戦いに集中しなければ、楓と話し合いをする前に魔物に殺されてしまいかねない。
故に柘榴も今だけは目の前を見据え、黒煙の立ち昇る街並みを目指して宙を駆けた。
「……変だな。魔物がいねぇぞ?」
そうして魔物が暴れていると思しき地域の中心へと来たものの、肝心の魔物が見つからず夜刀が首を傾げる。
燃え上がる建物や乗用車という爪痕は存在するものの、それ以外は驚くほどに静かで何の気配も痕跡も無かった。魔物が暴れているのならどこかから破壊音が聞こえるはずだというのに、燃え上がる炎が爆ぜる音以外は一切何も聞こえない。
今まで現れた魔物は本能や破壊衝動のままに暴れ回る存在だったので、これは明らかに異常事態。柘榴たちは注意して周辺を飛び回り、魔物の姿を探し回った。
「――っ!? 二人とも、あれっ!」
「な、何、あれ……?」
そうして、柘榴は見つけた。眼下の道路に広がる明らかな異常を。
柘榴の示す先に視線を向けた藍は、冷や汗を流して表情を歪めていた。まるで途轍もなく強大で恐ろしい何かを前にしたかのように。
眼下で存在を主張していたのは――花だった。小さな花が寄り集まって大輪を形成する、さながら紫陽花のような美しい作りの花。
しかし眼下で咲き誇るそれは美しいとは思えなかった。何故ならその色合いが黒いコンクリートの道路に咲き誇ってなお目立つ、闇よりも深い漆黒の花だったからだ。
加えてその大きさも異常だ。高空から見下ろしているにも拘わらず、大輪を形成する花々の一輪一輪がはっきりと見て取れる。三階建ての建造物を優に超える高さを持ち、片側二車線の道路全体を塞ぎかねないほど幅広い。
あまりにも巨大な、どこまでも深い漆黒の花。それはまるで全てを飲み込むブラックホールのように思えて、柘榴たちは一瞬恐怖と忌避感に後退ってしまった。
「クソが……!」
しかし夜刀だけは違った。怒りの滲んだ呟きを吐き捨てたかと思えば、勢い良く地上へと降りていく。新手の魔物にしか思えない漆黒の花が咲き誇る地上へと。
「か、カンパニュラちゃん!? ちょっと待って、危ないよ!」
「ん。近付くのは危険かも」
慌てて柘榴たちも夜刀を追いかけて地上に降り立つ。
上からは花しか見えなかったが、横から見ると茎の部分が良く見える。複雑に絡み合った茨が束となり、幹と言っても差し支えないほど太い茎を形作っている。当然茨も全て漆黒であり、上から下まで黒一色の禍々しい花であった。
「えっ……」
「嘘っ、あそこにいるのって……!?」
しかし柘榴も藍も、花の禍々しさよりも別の物に目を引かれ愕然とする。
茨が形作る茎の中に、一人の人間が取り込まれていたのだ。まるで磔にされた咎人のような恰好で全身を茨に巻きつかれ、瞑目しているぴくりとも動かない一人の人物。見間違える事などあり得ない。それは藍たちと同じ、華やかな衣装に身を包んだ金髪の少女。魔法少女に変身した楓が、囚われの身となっていた。
「ヘリオトロープちゃん!? 魔物に捕まってるの!?」
「大変。すぐ助けないと――」
「――やめろ! 絶対に近付くんじゃねぇ!!」
「っ!?」
邪悪な花の中に取り込まれている楓を見つけ走り出した直後、柘榴も藍も気迫のこもった一喝を受け足を止めた。
思わず振り向いてみれば、何故か夜刀は酷く青い顔をして立っていた。あれほど怒気のこもった一喝をしたのに反して、不思議なほど怯えているように見える。
「ホワイトリリィ、お前はここから癒しの光を飛ばしてヘリオトロープを癒し続けろ。訳はすぐ説明する」
「……分かったよ。<魔装顕現>――<純真無垢なる聖弓>!」
一転して静かな口調でそう求められ、ただ事ではないと判断したのだろう。藍は素直に自らの<魔装>を顕現させ、金色に輝く癒しの光を矢として打ち出し、楓を遠距離から癒し始めた。
しかし柘榴は到底納得出来ず、夜刀へと詰め寄り睨み上げる。
「それで、理由は? どうして近付いちゃいけない?」
「……アレを見ろ」
「アレ……?」
夜刀が指差す先を見ると、そこにあったのは白い棒状の物が積み重なった乗用車程度の大きさの小山。一瞬瓦礫か何かが積み重なった物に思えたが、瓦礫にしては一つ一つの破片が細すぎるし、妙に規則性のある形が多い。
それによく見ると小山の少し先には、まるで恐竜のようなフォルムの頭蓋骨が転がっている。ほぼ完璧な状態の頭蓋骨の化石だけが、こんな街中に存在するなどありえるはずもない。これは明らかに異常だ。
「崩れてっから分かりづれぇけど、ありゃデカい魔物の白骨死体だ。そんで地面を良く見ろ。あのキモイ花を中心に、黒い影がじわじわと広がってやがる。たぶんあの魔物はここに入った結果ああなったんだろうな。いいか、お前ら絶対あの影の中に入るんじゃねぇぞ?」
「っ!?」
言われてよくよく地面を見ると、確かに漆黒の花を中心として影のような領域が広がっていた。指摘されるまでは実際に影だと誤認していて気付けなかったのだろう。その範囲はおよそ半径十メートルで、じりじりと周囲に広がり続けている。踏み込んだものを白骨化させるような、恐ろしい効果を持った領域が。
夜刀に止められなければ、柘榴も藍も自らこの領域に踏み込んでいた。恐ろしくて震え上がりそうになる反面、こんな領域の中心で囚われている楓の事が気が気でなかった。
「それじゃあ、ヘリオトロープちゃんはどうなるの!?」
「さあな。とりあえず応急処置としてお前に治癒させ続けてるが、実際の所どんな効果のある領域なのかは分かんねぇ。だからここからはお前の番だ」
癒しの矢を放ちながら悲鳴染みた声を上げる藍に対し、夜刀は落ち着いた声で答えた。そして最後に柘榴へと視線を向ける。
そこまで言われれば、柘榴も自分が何をすべきか分かっていた。あの邪悪な花が何なのか、この領域は何なのか。それを調べる事が出来るのは柘榴しかいない。一刻も早く楓を助けたいという逸る気持ちを抑え込み、柘榴は右手を宙へ伸ばす。
「<魔装顕現>――<光輝と暗黒の書>」
そして魔法少女に与えられる超常の武器を呼び出す。身体から放たれた虹色の光が右手の先へと結集し、現れたのは一冊の書物。古紙にも似た黄色がかったページを、毒々しい紫色の装丁が覆った一抱えもある大きさの書物だ。
<魔装>にしては珍しく攻撃能力も防御能力も全く無いが、代わりにとても役立つ力を持っている。
「<解析>」
呟いた直後、手の中に浮かぶ<光輝と暗黒の書>が開き、何十枚ものページが引き千切れ強風に煽られたかのように宙を舞う。
しかしこれは柘榴が御している動きであり、正常な動作。その証拠に舞い上がったページの数々は邪悪な花を取り囲む形で展開・周回し始める。内側に存在する物の情報を解析し、本体である<光輝と暗黒の書>へと送るために。これこそが柘榴の<魔装>の力――解析能力であった。
「――出た。この花は魔物じゃない。これは……ヘリオトロープの<魔法>。自分自身を含む、領域内の全ての生き物から生命力を奪い、それによって領域を広げていく<魔法>」
「嘘っ!? ヘリオトロープの<魔法>は大人の姿になるやつだよね!?」
<光輝と暗黒の書>のページに綴られる情報を読み取り説明すると、藍が癒しの矢を絶えず放ちながらも驚愕の声を零す。
魔法少女の<魔法>とは、胸に抱く強き願いを満たすための奇跡の御業。故にこそ授けられる<魔法>は一つのみであり、それが全く別物に変化する事など考えられない。深き渇望を凌駕するほど、新たな狂おしいまでの願いを抱かない限り。
「この<魔法>を具現してる渇望は――『楽になりたい。苦悩から解放されたい』」
しかしその極めて珍しい事象が現実の物となっている事実が、凄惨な渇望と共にページに綴られていた。説明のために読み上げるも、柘榴は自身の声が震えてしまうのを抑えられなかった。
「な、何、それ……」
「クソッ! お前、そこまで思い詰めて……!」
楓の苦しみに気付いてあげられなかった、自分たちが巻き起こした悲劇。これには柘榴も、そして藍と夜刀も、悔しさと無力感に唇を噛むしか無かった。もっと早く気付いてあげられれば、力になる事が出来ていたら、<魔法>として顕現するほど楓が苦しむ事はなかったはずだから。
それぞれの<魔装>と<魔法>(更新)
ヘリオトロープ:鏡(反射)、広範囲生命力吸収
ホワイトリリィ:弓(何でも矢として放てる)、治癒能力
プリムローズ:本(解析)、????
カンパニュラ:手甲(身体能力強化)、????