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黒羽 夜刀


「――(かえで)ちゃん、本当に一人で帰れる? あたしたちに気を遣ってやせ我慢してない?」

「言ってくれれば送って行く。私たちはマブダチだから」

「大丈夫ですよ。杉石(すぎいし)さんたちのおかげでだいぶ体調も良くなったので、十分一人で帰れます。ほら、こんなに元気満々ですし」


 心配そうに尋ねてくる(らん)柘榴(ざくろ)へ、慎士(しんじ)はにっこり笑いかけながら答える。

 しばらく藍の膝枕で休みある程度体調が回復した慎士は、夕暮れ時のネオンの出入り口で彼女たちに別れを告げていた。

 正直な所吐き気は未だに残っているものの、少なくとも笑顔の仮面を張り付けて普段通りに振舞える程度には抑えられている。三人に送ってもらうなどそれこそ耐えられなくなりそうなので、精一杯に活力をアピールして一人で帰路に就こうとしていた。


「そっか。まだちょっと心配だけど、元気になってくれたなら良かったよ」

「ん。でも無茶は厳禁。ちゃんと身体を労わって」


 幸い二人は騙されてくれたらしい。藍は胸を撫で下ろして安堵の微笑みを零し、柘榴はいつもの無表情へと戻る。

 心から心配してくれている二人を騙した事にまた酷く胸が痛んだが、この様子だと一人で帰れそうなので何とか堪える事が出来た。


「………………」


 しかし唯一不安なのは夜刀(やと)の事。無言の仏頂面で佇み、じっと慎士を睨んできている。まるで親の仇でも見るような憎々し気な目付きで。

 正直かなり落ち着かないが、この様子なら夜刀が送ってくれる事など絶対にあり得ない。なので胃が痛みながらも同時に安堵を覚える事が出来た。


「では、申し訳ありませんが僕はこれで。皆さん、今日はとても楽しかったです。良ければまたいつか誘ってくださると嬉しいです」

「もちろん! 次に来た時は楓ちゃんのエッチな姿を見せて貰うからね!」

「ドチャクソエロいランジェリー着せる」

「あ、あはは……それでは、また。さようなら、皆さん」

「うん! またね、楓ちゃん!」

「また学校で」


 ぺこりと頭を下げると、藍たちはぶんぶんと手を振り思い思いの言葉を口にして慎士を見送ってくれた。


「………………」


 しかし、夜刀だけは何も口にしない。手を振る二人の傍らで、相変わらず慎士に険しい視線を向けてくるのみ。最早それを疑問に思うどころか有難く感じてしまう辺り、恐らく精神的に相当参っているのだろう。

 三人と別れ帰路に就いた慎士は、夕暮れ時の街を歩いて人気の無い公園へと寄り道した。寂れたベンチに座り、亜緒に帰宅する旨を伝えるために携帯を取り出そうとすると、指に小さく固い物が触れる。引っ張り出してみれば、それはつい数時間前に携帯に取り付けたストラップ。

 二等身のプリムローズが無表情でこちらを見つめるその姿が、何の警戒もせず好意を向けてくる柘榴の姿に見えて――


「――っ!」


 込み上げる罪の意識と共に吐き気を催し、堪えきれなくなった慎士はすぐさまトイレに駆け込んだ。

 今の自分は女装しているのだから女子トイレに入るべきだったかもしれないが、迷っている暇が無かったために男子トイレへと入る。幸いにして利用している者は誰もいなかったため、そのまま一番手前の個室へと飛び込む。


「ぐ、ごぼっ、おえぇ――!」


 そして、堪らず全てを便器に吐き出す。罪悪感と自己嫌悪を含む全ての悪感情を吐き出すように。

 逆流する胃酸がもたらす酸味と苦しみに涙が込み上げてくるものの、一度や二度では吐き気は収まらなかった。すでに吐くものが無くなろうと何度もえずき、軽い呼吸困難に陥る所まで行ってからようやく吐き気は落ち着いた。


「はあっ……はあっ……」


 いつまでも男子トイレにはいられないため、慎士は便器の水を流して個室を出る。そうして女子トイレの方の洗面台に移動すると、カバンから出したペットボトル入りのお茶を口に含み何度もうがいを重ねる。

 こうして吐き戻すのは初めてではないため、対応は慣れたものだった。むしろかなり頻繁に戻しているので、慎士の身体が極端に痩せてきている理由の一つと言えるだろう。


「何で、こんな事になったんだろう……」


 汚れた口元とえぐみの残る咥内は掃除できたものの、死にたくなるような罪の意識と自己嫌悪が渦巻く胸の中はどうしようもない。

 今日の出来事を思い出し、慎士は深く俯きそれらを絞り出すようにぽつりと呟いた。


「ボクが死ねばそれで解決するなら、命なんて喜んで差し出すのに……」


 亜緒(あお)を救う事が出来て、藍たちを売り渡す事もしなくて良いのなら、自分の命など惜しくは無かった。大切な妹であり幼馴染である亜緒の事が無くとも、藍たちのために命を捧げる事すら厭わない。

 何故なら彼女たちは人々のために戦う高潔な精神を持っているというのに、その正体はどこまでも優しい普通の少女たちだからだ。慎士を嫌っている夜刀でさえ、ランジェリーショップで具合が悪くなった時には大いに体調を気遣ってくれた。

 それに比べて、慎士はどこまでも価値が無い。大切な妹を救うために非情になり切る事も出来ず、かといって魔法少女たちを売り渡す事を諦めたわけでも無い。その癖友人面して彼女たちと接し、日々彼女たちの気持ちを騙し弄んでいるゲス野郎。

 挙句の果てに女装をして女子高に通っているのだから、性別も目的も信念も何もかもあやふやで優柔不断。あっちへこっちへふらふらと飛ぶコウモリ野郎。それが慎士の正体だった。

 考えてみれば、そんなゴミ屑の命一つで運命が変わるわけも無い。結局何かができる訳もなく、最後の最後まで悩み苦しみ抜くしか道は無かった。尤も人類の裏切り者であり最低最悪のゲス野郎である慎士にとっては、それこそ正にお似合いの末路かもしれないが


「こんな酷い顔じゃあ、家には帰れないな。亜緒に何て言われるか――っ!?」


 顔を上げ、洗面台の鏡に映った自分の顔を見た瞬間。慎士は驚愕のあまり息を飲んだ。正確には鏡の端に写り込んでいる、この場にいてはいけない人物の姿を目の当たりにして。

 固く尖った銀髪と、モデルのようにすらりとした体形。そして意志の強さを感じる鋭い黒の瞳。思わず振り向き確かめるも、見間違えるはずも無い。ほんのついさっき別れたはずの黒羽(くろば)夜刀が、夕日に照らされどこか儚さを感じる冷たい表情で立っていた。


「……黒羽さん、もしかしてこっそり見送りに来てくれたんですか? 心配させてしまってすみません。でももう大丈夫ですから、気にしなくても大丈夫ですよ」


 努めて柔和な笑顔を張りつけ、そう口にする。

 しかしその内心は焦りと動揺で満ちており、どこから聞かれていたのか不安で堪らなかった。十分近くもえずいていた所からか、それともあまりにも意味深な呟きからか、あるいは今来たばかりで何も聞いていないのか。慎士は動揺を押し殺し、平静を装いながら夜刀の返答を待った。


「……それで誤魔化されるとでも思ってんのか? 死人みてぇな顔しやがってよ」

「ええっ? 嫌ですね。ボク、そんな顔してますか? ほら、こんなに明るい笑顔をしてますよ?」


 返って来たのは吐き捨てるような冷たい言葉。どのタイミングから聞いていたのか判別が付かず、とりあえず笑って活力をアピールする。

 だが夜刀には通用しなかったらしい。深いため息を零したかと思えば、先ほどまでとは打って変わって哀れみすら感じる視線を向けてきた。


「もういい加減やめろよ。その嘘くせぇ張り付けたような笑顔。見てるとイライラしてくるぜ。本心からの笑顔じゃねぇって事くらい、俺には見りゃ分かるし、感じるんだよ。テメェはいつも純粋な気持ちで笑っていやがらねぇ」


 その言葉に、慎士は頭の中が急速に冷えていくのを感じた。

 今の作り笑いを見抜かれただけならまだ良い。しかしこれまでの作り笑いも全て見抜かれていたとあっては、看過できるものでは無かった。

 仲間面をしておきながらその笑顔が全て作り笑いなどという人物がいれば、警戒するのは当然の事。事ここに至ってようやく理解出来た。自分は今まで夜刀に嫌われていたのではなく、警戒されていたのだと。


「……何の事、ですか?」

「しらばっくれようったってそうはいかねぇぞ。俺は人の悪意に敏感なんだ。テメェの小せぇ身体から溢れ出る気持ち悪いくらいの悪感情、気付かないはずがねぇだろうが」

「………………」


 斬りつけるような鋭さを以て投げかけられる言葉に、ますます慎士の頭は冷えていく。

 確かに夜刀の<魔法>の性質上、悪意を感じ取る事に長けていても不思議ではない。そしてそれが事実なら、慎士が夜刀たち魔法少女に対して害意を持っていた事も気付かれている可能性がある。何せ魔王に売り渡そうとしているのだから、どう考えても友好的な感情など漏れはしない。


「……そこまで悟られていては、誤魔化す事は無理みたいですね。それで、ボクにどうして欲しいんですか?」


 言い訳は無理だと判断し、作り笑いを消して静かに問いを投げかけた。場合によってはこの場で夜刀と戦い、口を塞ぐ事すら視野に入れながら。

 自分がそんな非道な真似を考えている事実と、あまりの罪の意識に気が狂いそうになる。しかし亜緒のために退くわけにもいかず、慎士は自らの心を壊しながらも夜刀と対峙した。


「ハッ、んなもん決まってんだろうが」


 無防備に歩み寄り、慎士の胸倉を掴み上げてくる夜刀。

 両手で慎士の身体を持ち上げているが故、今ならこちらの攻撃を防ぐ方法が無い。故に慎士はこの隙を狙い、<魔装>を顕現させようとして――


「――一人で抱えきれない悩みがあるなら、俺らに全部ぶちまけろよ!」

「……えっ」


 夜刀が放ったその言葉に、怒りに満ちた酷く真剣な眼差しに、不意打ちを仕掛けようとした手が止まる。

 一瞬、何を言われたのか分からなかった。敵と認定されているはずの自分に、藍たちに対して明確な悪感情を持つ自分に、思いやりに満ちた言葉を投げかけられるとは夢にも思っていなかったから。


「俺らはダチだろ!? 命を賭けて一緒に戦う仲間だろ!? 一人で抱えきれないなら、俺らに頼るのが筋ってもんだろ!?」


 困惑する慎士の眼前で、夜刀はただ真っすぐに言葉を投げかけてくる。

 こちらの動揺を誘い不意打ちをしようとしている――そう考える事など出来ないほど、苛烈な真心を見せながら。


「なのにテメェは、会う度に痩せこけて馬鹿みてぇに悪感情を深めてやがる! 何なんだよ、この軽さ……枯れ木みたいに痩せ細りやがって……!」


 ギリっと歯を噛みしめ今にも泣きそうに表情を歪めたかと思えば、胸倉を掴んでいた手を離す夜刀。

 慎士は今更ながらに理解した。夜刀はきっと、誰よりも慎士の事を見ていたのだ。その鋭い観察眼で、慎士が徐々にやつれて行っている事にも気付いていたのだ。にも拘らず慎士が笑顔を張りつけ気丈に振舞うその姿が、あまりにももどかしく腹が立ったのだろう。今まで妙に当たりが強く感じたのは、そういう事だったのだ。


「俺らを信じ切れないってのも分かる。まだお互いの事はそこまで知らねぇし、俺はお前に対して当たりが強かったからな。今にも叫び出したいくらい辛いはずなのに、何でも無いみてぇに嘘臭い笑顔を振りまくお前が気に入らなくてよ……」


 その証拠と言うべきか、慎士の両肩に手を置く夜刀は普段とは全く異なる表情をしていた。

 まるで我が事のように苦渋に顔を歪め、今にも涙を零しそうなほどに瞳を揺らしている。そんな人情に溢れた目で真っすぐ見つめられ、慎士は衝撃のあまり呼吸すら忘れてしまった。


「だから、俺達じゃなくても良い。お前が信じられる誰かに、苦しみを打ち明けろ。話を聞いて貰え。じゃなきゃお前、壊れちまうぞ……!」


 どこまでも真っすぐで、誠意に満ちたその言葉。罪の意識に苛まれ苦悩する慎士にとって、その慈愛と優しさに満ちた言葉はどんな刃物よりも深く胸を抉った。

 こんな裏切り者の畜生のために涙を零してくれる少女を、苦しみを分かち合う事を求める誠実な少女を、自分は魔王に売り渡そうとしている。あまつさえついさっきまでは、口を塞ぐために始末する事すら考えていた。

 そんなどうしようもないろくでなしの自分が慙愧に耐えず、あまりにも愚かで嘆かわしくて、気が狂いそうなほどの自己嫌悪が心を支配していく。


「――それが出来たら、苦労はしないっ!」


 気付けば慎士は夜刀の手を払い除け、迸る激情のままに声を荒げていた。


「ボクだって、誰かに聞いて貰いたい! この苦しみから解放されたい! でもそれは出来ない! こんな事は、誰にも話せない! まして君たちに話す事なんて絶対に!」

「何でだよ! 話せないようなヤベェ事なのか!? だったら俺にだけ話せ! 絶対に誰にも言わない! 墓まで持ってく秘密にするから!」


 乱暴に手を払い除け、言葉を荒げ、鋭く睨みつけているのに、夜刀は決してその優しさを崩さない。ただただ真摯に慎士の気持ちに寄り添い、苦しみを分かち合おうと迫ってくる。

 その姿があまりにも高潔で眩しくて、一瞬救いを求めて手を伸ばしそうになった。

 しかし、それは絶対に許されない。もしも魔法少女たちに自分の置かれた状況を話した事が、魔王ラムスに知られたら果たしてどうなるか。自分自身はどうなろうと構わない。ありとあらゆる苦痛を受けた末に地獄に落ちようとも望むところ。しかし亜緒だけは何としても助けたい慎士にとっては、その身を脅かす危険性がほんの僅かでもある限り、決して話す事など出来なかった。


「うるさい! 余計なお世話だ! もう……もう、ボクに近付くなっ!」

「ぐっ……!?」


 拒絶の言葉を投げかけ、慎士は夜刀を強く突き飛ばしてその場を走り去った。壁に背中か頭を打ったのか、去り際に苦し気な悲鳴が耳に届きずきりと胸が痛む。しかし決して足は止めず、妙にぼやけて見える黄昏時の公園を駆け抜けてひたすらに走る。

 痩せ細った身体に鞭打ち、足が悲鳴を上げるほどに走って走って走り続け、やがてどことも知れぬ薄汚れた裏路地に辿り着くまで。


「ううっ、ああぁぁぁぁぁっ……!」


 そこで膝から崩れ落ち、沸き上がる情動のまま両手で顔を覆って慟哭する。

 視界が滲んでいるのはどうやら涙を零していたからのようで、手の平には今も零れる熱い雫が広がっていた。


「もう嫌だ……! どうして、どうしてあの人たちはあんなにも良い人ばかりなんだ! 血も涙もない悪人なら良かったのにっ……!」


 魔法少女たちが悪人なら、その特別な立場と力に胡坐をかいた不誠実な少女たちなら、慎士はここまで苦悩しなかった。

 けれど彼女たちはとても優しく誠実であり、そしてごく普通の少女でもある。それこそ亜緒と何ら変わらない程に。何も知らないとはいえこんな畜生である自分と仲良くしてくれて、身を気遣ってくれる人たち。打算も計算も何も無く、善意と真心を向けてくる彼女たちを、一体どうして裏切る事が出来ようか。


「あの人たちを売り渡すなんて、出来るわけが無い……けれどそうしないと、亜緒が死んでしまう……!」


 亜緒を助けるためには、彼女たちを売り渡さなければならない。だがもう慎士には彼女たちを裏切り売り渡す事など出来なかった。

 けれどそれでは亜緒が死んでしまうし、逆に亜緒を選べば彼女たちは考えるも悍ましい結末を迎えてしまう。どちらも大切でかけがえのない存在なのに、片方を諦めなければいけない二律背反で八方塞がりのこの状況。

 自分の力ではどうする事も出来ず、ただ嘆く事しか出来ない。そんな無力で無能な自分自身に虫唾が走り、死にたくなるほどの嫌悪を感じて堪らなかった。


「誰か……助けて……!」


 子供の用に蹲り泣きじゃくりながら、誰にともなく助けを求める声を絞り出す。

 しかし現実はどこまでも無慈悲で残酷。そのすすり泣く声は街の喧騒に掻き消され、誰の耳に届く事も無く裏路地の暗闇へと消えて行った。まるでお前には救われる資格など無いと突きつけられているかのように。



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