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刺客のこだわり  作者: 実茂 譲
ヒュンガの清趣
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 ひどい雨が降った次の夜。辻斬りに襲われた。

 飾りのある剣が折れた。おれはそいつの心臓を止め、そいつの剣を奪った。

 柄はなめした革を細く裂き、隙間なく巻いていた。

 軽く握っただけなのに、手が吸いつかれるように恐ろしく馴染んだ。

 剣に憑きものがいるようだった。


 その夜、おれは血に酔った。

 おれは仕事をする夜、昼を食べない。

 殺した後、必ず血に酔うからだ。

 胃袋と血がどう関係するのかわからないが、血に酔うと、自分が分からなくなる気がした。

 おれはいつ、どんなときも、おれのことをしっかりわかっておきたかった。

 だから、人を殺す日、おれは昼を食べない。


 辻斬りは高級武官の息子だった。辻斬りについては有耶無耶になった。武官の息子が縊り殺された上に剣を奪われるのは恥とされた。郎党たちが血眼になって犯人を捜し始めた。

 おれは剣を捨てることにして、都の外れに行った。荒れ地に掘っ立て小屋が散っていた。池に捨てたかったが、乞食や巡礼たちが池畔に群がっていた。女の死体が浮いていた。女は紐で子どもを自分の胴に結び付けていた。

 しばらくして、おれは崩れた壁の陰に穴を掘った。剣を捨てると硬い音がした。少し土を除くと、別の剣があらわれた。短い剣だった。辻斬りの剣を埋め、その剣を持ち帰った。

 翌朝、日の光の下で、剣を念入りに水で洗った。それは青銅の剣だった。緑青が浮いていて、ひどく古い。使い物にならない剣だった。


 木の釘を二本、壁に打ち込んで、剣を乗せた。

「古だ」

 後ろから声がした。薄青い顎鬚の老人が立っていた。硯の衝立を買ったときに俗と言ってきた老人だ。

 まったく気配をさせなかった。

 芭蕉の葉で青銅の剣を指して、古雅がある、と言った。

 おれは名前と氏族の名乗りをきいたが、こたえずに去っていった。

 追って戸口を出たが、そいつは消えていた。


 正義のために殺す刺客たちがいることを知っている。そいつは表向きは文官だ。

「僕は、あの辻斬りを討ったのはあなただと思っている」

 その文官は若かった。ひょっとすると、おれよりも。名はトエク。氏族の名乗りはネー。

 おれが否定も肯定もしないとひとりで話を続けた。

「あなたの行ったことは紛れもなく正義だ。だから、手を貸してほしい」

 正義。ガキの考えだ。おれはこいつが馬鹿なんじゃないかと思った。さらに話をきき、それは確信に変わった。

 トエクが狙っているのはバーヒンだ。盗賊団の頭で、河原を根城にしていた。

 河原には都じゅうの人殺し、強盗どもが集まっていて、町を作っていた。バーヒンは馬鹿じゃないから、仕事をする以外に河原を出ることはない。トエクの考えは河原であれば、こちらも手出しができないと油断しているということだ。

「そして、河原へ潜入するため、少数精鋭でかかりたい。だが、僕だけでは足りない。あとひとり、腕のあるものが必要だ」

「囲んで河原ごと焼けばいい」

「駄目だ。罪のないものを巻き込むことになる」

「河原に罪のないものなんていない」

「無駄に命を奪いたくないのだ」

 椀の茶を少し飲んだ。茶館では小鳥の品評会があった。籠のなかで鳴く鳥たちに優越をつける鳥飼いたちが集まっていた。

 おれはトエクの仕事を受けた。この数年、手引きをした裏切者を探しているが、はかどらない。そして、座と事を起こすことになるかもしれない。トエクのような連中は調べることを欠かさない。そこに裏切者が引っかかるかもしれない。いまのおれには思いもよらないつながりが必要だった。それでもたったふたりで河原に忍び込んで、バーヒンを斬るのは馬鹿のしでかすことだ。それは変わらなかった。

 おれは受けるとこたえた。報酬はもらうと言った。

 トエクは喜び、おれを正義の徒と呼んだ。

 あの老人に、古、と言われたときほど、いい気分にはなれなかった。


 河原の南に廃墟の群れがあった。三年前に火を出し、一帯が焼けた。そこが待ち合わせだった。

 日が落ちたばかりの暗がりでトエクが待っていた。細い鎖帷子をはいて、膝のところを布で縛っていた。トエクは短弓と矢が三本、裏に隠された笠を渡し、それから黒い布を顔に巻いた。それでトエクがふたりだけで本気で斬り込むのだと分かった。おれはもう少し賢いやり方を選ぶのかと思ったのだが。

「ヒュンガさん」

「なんだ?」

「剣を携えていないようだが」

「辻斬りを殺ったときに折った。知っているんだろう?」

 トエクは腰に差していた二振りのうちの一振りを抜いて、おれに渡した。暗くて分からないが、柄に糸を巻いているようだった。

「これを使うといい」

「わかった」

「では、行こう」

 河原の住人を殺したことはあるが、みな、河原を出たところで仕留めた。河原に忍び込むのは初めてだった。

 夜の暗がりにかがり火が点々としていた。火と火のあいだには濃い暗闇があり、おれたちはそこを縫うように進んだ。草を踏んでも音がしないよう、靴の裏に厚い草履を結んでいた。

 誰もおれたちには気づかなかった。暗がりから女が斬り殺される音がした。トエクが、おのれ、とつぶやき、斬りかかろうとしたので止めた。おれたちの狙いはあくまでバーヒンだ。

 雑草を葺いた屋根が見えた。濃い木立、灌木の林もあった。引き取り手のない死体が集めて埋められている丘があり、そのふもとで大きな火が焚かれ、ガルマ教団が踊り狂っていた。連中は踊り疲れて死にかけるときに神と一体になれると信じていた。朝廷はガルマを禁教にしたが、河原では普通に信仰されていた。

 ハラワタを煮る油っぽいにおいがした。鉦を打つ音や歌もきこえてきた。大きな鍋のまわりに男たちが集まっていた。崩れた俵から銀の延べ棒がこぼれて、輝いていた。おれたちは鍋を煮る火の光が届かないギリギリまでにじり寄った。

 トエクが膝をついて剣を抜いて脇に置き、笠を脱ぎ、弓を取り出し始めた。おれも同じようにした。

 トエクが人差し指で首を掻くまねをして、鍋のそばにいる痩せた男を指差した。それがバーヒンだった。バーヒンは下級武官の服を着て、白髪交じりの髪を団子みたいに結んで青い布でくるんでいた。手下の盗賊たちはみな乱髪を荒縄で縛り、粗い衣に剣やこん棒を携えていた。

 弓を手に取り、つがえた矢を引いた。

 先にトエクが放った。矢がバーヒンの胸を刺した。おれの矢はバーヒンの首を貫いた。トエクが弓を捨てて剣を拾い、走った。賊が立ちはだかる。トエクの剣が横鬢をとらえ、血と骨片が舞い上がった。鍋がひっくり返った。おれは残りの矢を放って、ふたり射倒した。剣を拾った。トエクを追って走り込む。大刀をふりあげた男が立ちふさがった。切り上げて、顎を割った。噴き出す血をくぐって、すぐ後ろにいた賊に肩からぶつかった。倒れた賊の胸から槍の穂が飛び出した。

 賊たちが狂って、同士討ちを始めた。川にはまるやつもいた。何人かは散らばる銀の延べ棒を懐に掻き込み始めた。トエクの手が素早く閃き、何かを投げた。かがり火のひとつが破裂した。光と火が賊たちの顔に刺さり、悲鳴がした。

「こっちだ!」

 トエクが叫んだ。おれはトエクの後を追った。足元には顔を押さえてわめく賊が転がっていた。最後のひとりが立ち上がった。飛び抜きざまにその胴を斬って割った。骨はたやすく折れた。おれたちは闇に紛れて、その場を逃れた。


 待ち合わせた廃墟まで戻ると、顔の布を剥ぎ、冷たい空気を目いっぱい吸い込んだ。ずっと走ってきたので、息が上がりかけていた。

「ありがとう。あなたの助けで正義がなされた」

「金のためにしただけだ」

「その剣は持っていてほしい」

 おれは銀貨の袋を受け取らなかった。

「剣の代金で差し引く」

「だが、あなたは先ほど金のためにしたと……やはり、あなたは正義の徒だったか」

「そんなものじゃない。貸し借りを整理しただけだ。……おれの剣技を見たな?」

「ああ」

「どこで身につけたか分かるか?」

 トエクはうなずいた。

「サギリの技だ。全てを知っているわけではないが、抜きざまに相手の胴をかつぎ斬るあの一閃はまちがいない」

「おれは座の刺客たちを里に手引きした裏切者を探している。あんたたちが助力するなら、こっちもそちらの賊殺しを手伝う。金はいらない。どうする?」

 トエクは約束をした。


 辻斬りとおれにそれほど違いがあるのか、わからなくなることがある。

 血を吸った柄が、いま、この手と溶け合うように熱く馴染んでいくのがその証拠だ。

 里に拾われなければ、別の生き方をしていたか考えることがある。

 きっと、おれはまたどこかで人殺しを学び、刺客になっていただろう。

 銅の剣は影のなかで青く見える。

 その柄には白い木綿を巻いてある。

 壁から剣を外し、柄を握った。

 いにしえの剣はおれの刺客の本性を否定するように手の熱を取っていった。

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