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刺客のこだわり  作者: 実茂 譲
ヒュンガの清趣
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椅子寝台 二

 里がおれに殺しの技を仕込もうと決めたのは、おれが六つか七つのときだ。過去は無知で、事情は後から知ったものばかりだ。

 いまから二十年くらい前、騎馬民族の侵攻があって、ギの州都には村や町を追われた難民が溢れていた。そのなかにはおれのような氏族の名乗りのない子どもが大勢いた。親を殺されたやつ、親に捨てられたやつ、そもそも親なんて一度もいたことがなかったやつ。おれは三番目だ。

 大人がやってきては、おれたちをさらっていった。おれたちが消えても、誰も気にしなかった。女衒、徴兵官、芸人の一座。いかれた変態ども。貴人に供する肝を欲しさにさらう料理人もいた。おれは最後に残った。

 エンと初めて会ったのはそのときだ。斬った料理人の血を懐紙で拭いながら、エンはおれにきいた。

「小僧」

「なに?」

「生きたいか?」

「死にたい」

「じゃあ、なぜ生きている?」

「死んでないから。ねえ、おばさん」

「なんだ?」

「ここには馬で来たの?」

「そうだ。なぜ、そんなことをきく?」

「馬に乗った大人が来るたびに、おれたちの誰かが消えたんだ」

「お前は消えなかったんだな」

「そうだね」

「なぜかわかるか?」

「わからない。おばさんはおれのことつれていくつもり?」

「そうだな。考えてもいい」

「連れていかれたらどうなるの?」

「人を殺させてやる。約束しよう」

 エンは里で一、二を争う刺客だった。里ではひとりきりで暮らしていた。エンは変わりものだった。エンがおれを連れてきたことは里で評判になった。理由が分からなかったからだ。

 エンは試練と言って、おれを何度も死なせかけた。だが、死にかけるたびに、人殺しの技が確実に自分のものになったことがわかった。そうやって、何度も死にかけるうちに、里のものはなぜエンがおれを連れて帰ったかがわかった。おれには素質があったのだ。

 十三歳のとき、里長に呼ばれた。堂には主な刺客たちが集まっていた。エンもいたが、一番下手に座り、ひとり酒を飲んでいた。

「ヒュンガ。お前に行を授ける」里長が言った。行とは、いまでいうところの仕事だ。

 それからは里の大人たちは十三歳で行を授けられることは異例だとか、里の誇りがかかっているとか、殺す相手は貴族で無垢な子どもの肝を食べると寿命を延ばすと信じているとか、いろいろ言っていたが、おれは頭に入っていなかった。おれはエンにどう思われているかだけが知りたかった。だが、エンは黙って杯を重ねるだけでおれを見もしなかった。

 十三歳で行を果たしたおれは一人前の刺客として扱われたが、おれが殺せば殺すほど、エンは遠くなっていく気がした。エンの酒もだんだん過ごしすぎるようになっていった。

 十五歳のとき、おれは里長からエンとは違う家に住むように言われた。理由は言わなかったが、鈍いおれでもなんとなく分かった。エンは少し前から、一日のほとんどを眠って過ごすようになった。眠っているあいだは横になり、物音にも鈍感になり始めていた。そして、目を覚ましているときは酒を飲んだ。

「おれはエンと離れたくない」

「里長の命令だ。それは絶対だ」

「エン。おれのことが嫌いか?」

「わたしは生まれてから、誰のことも好いたことがない」

 その翌日だ。里が焼かれたのは。



 リンイは近づきの記念に椅子寝台をくれると言ってきかなかった。

「おれには不要だ」

「長椅子にもなる。剣を抱いて壁によりかかって寝たいなら、この上でよりかかればいい」

「床が抜けるかもしれない」

「物は試しだ。カイ。寝台を持っていけ」

「はい、先生」

 カイは椅子寝台を傷つけないよう、絹の綱を使って体に結びつけ、竹林からおれが暮らす破れ町まで背負った。椅子は長さが七尺、幅は三尺を超えるが、辛そうなところは見せないようにしていたようだった。

 寝台は三方に高さ一尺三寸のせもたれがあり、浅黄の花梨材に笹が描かれ、奇妙な動物が描かれていた。熊に似ているが、色が白と黒だけだった。座ってみると、床が軋んだ。それ以外には音はしなかった。寝床板はひんやりとしていて、着物を通して、それが感じられた。

「また、先生に会いに来てください」

「なぜだ?」

「先生はあなたと会うのを楽しみにしていました。そして、あなたは先生を失望させなかった。それどころか心を軽やかに跳ねさせた。僕にはできません。それに先生は意識の底では刺客です。よい刺客との交流が先生を楽しませます」

「お前はどうなんだ?」

「僕は全てにおいて、未熟です」

「少なくとも茶の淹れ方は極めている」

 おれはカイのような子どもを昔、見たことがあった。みなもっと幼く、馬でやってくる大人たちの前になすすべもなく、連れ去られた。

 飯をおごる、とは言わなかった。ただ、この近くでうまい蒸し魚を食わせる店があるから、リンイへおみやげに持っていけと言った。寝台の礼だと。カイは何も疑わず店まで来た。おれが先に代金を払い、魚を食っていけとカイに言った。カイは首を縦に振らなかったが、腹は正直に鳴いた。蒸した魚。切った葱と生姜の香り。カイがきちんと食べると、おれは魚を一尾、葱と一緒にルナンの葉に包んで、カイに持ち帰らせ、その姿を見送った。


 水で濡らした木綿で体を拭って、替えの黒衣を着て、椅子寝台に座った。剣を引き寄せ、膝の上に置いた。

 誰かが裏切った。里へ手引きしたものがいる。座の刺客たちはその案内で里を襲い、焼いた。里の報復こそがおれの生きる意味だ。

 硯だの香炉だのにこだわっている暇はない。そのはずだ。

 剣を取り、胸にかき抱いた。無駄な装飾のない剣だ。左の脇腹を下にして寝台に横になった。

 酒は前後不覚になるほど飲んでいない。だが、こうしていれば、エンの気持ちが分かるだろうか。もし、知ることができるなら知りたかった。

 目を閉じた。だが、いつまで経っても眠りが来ることはなかった。

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