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刺客のこだわり  作者: 実茂 譲
サキの滋味
28/51

梅イワシの餡かけ麺

 その日の宿は食事なしの宿にした。

 ヒュンガ専属調理人の腕の見せ所。

 小さな綴じ本を取り出して、開く。

 それは料理の作り方の本。

 二年くらい前、行の帰り道で拾った本だ。

 売るために書いたのではなく、誰かの備忘録のようなものだった。

 最初の頁には『食に貧ずれば、命運もまた窮す』と書いてある。

 わたしはこの本の綴じを抜いて、白紙を三十枚ほど加えて、また綴じた。

 生きていて出会った料理でこれはと思ったものの作り方を簡単に書き足している。

 さっきの『鶏の丸焦げ煮』もざっと記録しておいた。

 行のための毒殺に使うことがあったけど、いまは絶対使わない。

 それは冒涜だから。


 都から近い宿場町となると、店は夕暮れぎりぎりまで開いている。

 食事なしの宿屋で自炊する旅人が多いからだ。

 そういう町では売っている材料を見て何をつくるか決めるのではなく、何をつくるか決めてから材料を見繕う贅沢が許される。

 ただ、ヒュンガには何が食べたいとはきいていない。

 どうせ、葱の羹だ。

 もちろん、葱の羹もおいしいし、こだわりの伸びしろがある料理だけど、放っておくと三食、これを食べかねない。

 ただ、いまは羹の気分ではある。

 すると、太った男が目についた。

 太った男は極めて細い麺を切っている。

 そうか、餡かけ麺だ。

 すると、今度は乾物屋の干した魚屑が目につく。魚屋から出た頭や骨を打ち砕いて干したもので、これを目の細かい網に入れて、出汁を取る。

「この魚屑、内臓は入ってないですよね?」

「嬢ちゃん、通だね。うちは内臓は入れないよ。脂っこくなるからね。出汁を脂っこくしたいなら、初めから豚の骨でも煮てりゃあいい。魚で出汁を取るなら、あっさりで透き通っていて、きちんと濃くなきゃいけない」

 同じ店で干しイワシがあるので、これを焼いてどんぶりに入れれば、具の主体になる。

 イワシの餡かけ麺。

 悪くない。

 悪くないけど、もうひとつ、拳になるものがほしい。

 葱がいいのだろうけど、葱の羹にはしないというわたしの誇りがある。

 くだらないこだわりかもしれないけど、誇りがないと、おいしいものは作れない。

 とろみのための米の粉と里芋を買って、しばらく店屋街をうろつく。

 日は沈み、暗い赤い空が西にこずんでいる。

 それは梅の色。塩に漬けた梅肉の色だ。


 水を入れた鍋を釜にかけて、控えめに薪を燃やして、魚屑の袋を入れておく。弱く煮立たせるのがコツだ。

 土間で小さな火を起こして、イワシの干物を三匹焼いて、そのあいだに鍋の出汁から灰汁を取って、ときどきイワシが焦げていないかを確認する。

 鍋は軽く煮立たせて、里芋の皮を剥いてすりながら、心のなかで四百二十数える。

 こういうとき、線香を焚いたり、経文の短いものを読んだりして、時間を調整するのだろうけど、わたしは何かしながら、数を数えることができる。少し集中力がないときは小声で小さな唄を歌う。

 四百二十数えたら、魚屑の袋を取り出す。

 甘めの酒と薄味のひしお、塩、山椒で味を煮汁の味を調える。

 イワシを焼くのに使った火で麺を茹で、灰汁をあらかじめ煮出して、その麺を本命の煮汁鍋へ。

 少し煮立ったら、すった里芋に米の粉を混ぜて、煮汁をとろとろに。

 それを器に盛って、刻んだ葱を散らして、こんがり焼けたイワシを乗せて出来上がり。

 濃く赤い、塩漬けの梅肉を小皿に持って、そっとどんぶりに添える。


 ヒュンガは焼いたイワシを箸で突き崩して、餡のなかに馴染ませたが、梅肉はどうしたものか、分からない様子だった。

 そこでわたしがお手本を見せた。

 少し箸でつまんで、口に入れ、麺をたぐる。

 すると、口のなかで餡と梅が、まさにいい塩梅で味を完成させる。

「うん。うまい」

 それは当然。

 これは麺じゃなくて、ちぎった麦でもいけるだろう。

 旅は長い。ヒュンガに腕をふるう機会はまだまだある。

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