プロローグ~異世界転生~
「また、今日も同じ一日か…」
レインはそう呟きながら、薄暗いアパートの部屋で目を覚ました。カーテンの隙間から差し込む朝の光が、埃を舞い上げ、静かな部屋の中を照らしている。彼はベッドの上で体を起こし、ぼんやりとした頭を振り払うように、目を擦った。
毎日同じように始まる、変わり映えのない日常。彼は会社員として働いていたが、その仕事に対しては何の情熱も抱いていなかった。朝早くに起き、満員電車に揺られて職場に向かい、定型業務をこなし、帰ってきてはまた眠る。ただそれだけの日々が続いていた。
「俺の人生、こんなんでいいのか…」
レインはふと、そう思い始めることが最近増えていた。若い頃には、もっと大きな夢や希望を抱いていたはずだった。しかし、現実は彼の期待を裏切り、平凡な日常が彼の情熱を徐々に蝕んでいったのだ。
彼は社会に適応するために、自分の感情を抑え込み、周囲に合わせることを選んできた。特に目立つこともなく、誰とも深く関わらない。そんな生き方が楽だと思っていた。しかし、それが彼を深い孤独へと追いやる結果になったことに、最近になってようやく気づき始めたのだ。
その日も、いつものように出勤し、書類に目を通し、淡々とした作業をこなしていた。時計の針が進む音だけが、静かなオフィスの中に響いている。周りの同僚たちも同じように、自分の業務に没頭していた。誰一人、彼に声をかける者はいない。
「こんな生活、いつまで続けるつもりなんだろう…」
昼休み、レインはいつものように社員食堂で一人ランチを取っていた。無味乾燥なメニューにさえ、もはや何の期待も持っていない。スマートフォンを手に取り、無意識にニュースをスクロールする。その内容も、彼にとっては無関心なものばかりだった。
そんな時、不意に目に留まったのは、ネット上で話題になっていた「異世界転生」をテーマにした小説だった。元々、彼はファンタジーや異世界ものの物語が好きで、学生時代にはよく読んでいた。しかし、社会人になってからは、そうした趣味も次第に疎遠になってしまっていた。
「異世界…か」
レインはそのタイトルに興味を引かれ、しばらくその物語に没頭した。異世界での冒険や、未知の力を手にする主人公――そのすべてが、今の自分とは対極にある世界のように感じられた。もしも自分がそんな世界に行けるのなら、どれほどの刺激と興奮が待っているのだろうか。そう考えるだけで、心が躍るような気がした。
だが、それはあくまで夢物語に過ぎない。彼はそれを理解していた。現実に戻り、また退屈な日常に埋もれていく。
仕事を終えてアパートに戻ると、疲れた身体をベッドに投げ出した。いつものように、無気力にスマートフォンをいじり、SNSを眺める。そこには、自分とはまるで違う、楽しげな日常を送る人々の姿があった。それを見るたびに、自分がどれだけ取り残されているのかを痛感する。
「もう、こんな生活には耐えられない…」
そう思った瞬間、胸の奥に強い違和感を覚えた。心臓が激しく鼓動し、呼吸が乱れる。身体が重く、視界がぼやけていく。何かがおかしい。だが、何も考える余裕はなかった。意識が急速に遠のいていく中で、レインは最後に自分の名前を呼ぼうとしたが、その声は虚しくも闇に吸い込まれた。
そして、次に目を覚ました時――そこは、全く異なる世界だった。
冷たい地面に横たわり、レインはゆっくりと目を開けた。頭はまだぼんやりとしているが、身体の感覚が戻ってきた。重い身体を無理やり起こし、周囲を見回す。そこには、自分が知っているはずのない、見知らぬ風景が広がっていた。
「ここは…どこだ?」
あたりは深い森に囲まれ、月明かりが木々の間から僅かに差し込んでいる。何かが確実に違っている。冷たい風が頬を撫で、彼は自分の手を見つめた。だが、その手は以前のものとは全く異なっていた。灰色の肌、細く長い指。まるで影そのものが形を持ったかのような、異質な感触だった。
「俺は…何になったんだ?」
恐怖と混乱が彼の心を襲う。すぐに、自分が人間ではなくなっていることに気づいた。彼は小川の方へと歩み寄り、その水面に映る自分の顔を確認した。そこに映っていたのは、見慣れた顔ではなく、まるで異世界の生物のような姿だった。
「シャドウフォーク…影に潜む者たち…」
頭の中に、突如として未知の知識が流れ込んできた。自分が今、何者であるかを理解した瞬間、レインは全てを悟った。自分は確かに、この異世界に転生し、そしてシャドウフォークとして生まれ変わったのだ。
「なんで、俺が…」
彼の心には絶望が広がる。しかし、この新たな世界での運命は、まだ彼自身の手に握られていることを、彼はこの時まだ知らなかった。