ゆらゆらクラゲ生活
――水の流れに身をゆだね、ゆらゆら揺れる。
いつもと変わらない日常だが、オレは特に退屈はしていなかった。
というのも、透明な壁の向こう側には、いつも「ニンゲン」とかいう妙ちきりんな生き物が忙しなく出入りしているから、観察しているだけでもけっこう愉快なのだ。
「やっほー、おはよー。ズーくん」
「あぁ、おはよう。ミィ」
「今日はニンゲンがいっぱい来る日だねー」
言われてみるとたしかに、今日はニンゲンの出入りがやけに多い。はっきりとした理由は分からないが、何やら小さいニンゲンがたくさんいて、時おり「ナツヤスミ」「オボン」という言葉が聞こえてくる。ニンゲンの繁殖期か何かのことだろうか。
「ニンゲンって面白いよねー」
「そうだな。見ていて飽きない」
「いっつも忙しそうだもんねー」
ミィと共に水中をゆらゆらと揺れながら、ニンゲンたちを眺める。これまでの観察の結果から考えても、ニンゲンはなかなかに愉快な生態をしているのだ。
ニンゲンは、何にでも名前をつける習性がある。例えば、オレたちのことは「ミズクラゲ」と呼んでいて、頭の上に見える胃を「クローバーみたい」と言っていつも喜んでいるのである。うーむ、クローバーって何だろう。
何はともあれ、これは面白そうだなと思ったので、オレはいつも一緒にいるメスに「ミィ」と名付けた。すると彼女はオレを「ズーくん」と呼ぶようになった。やってみるとなかなか愉快なんだが、他のミズクラゲは興味なさげにゆらゆらしているだけだから、今ではオレとミィだけの遊びになっている。
「あー。あのニンゲン、いつも来る子かなー?」
「あぁ、たぶん。ニンゲンを見分けるのは難しいが」
「そうだよねー。ニンゲンって体の模様がころころ変わるし、たまに脱皮もするから……でもあの子はなんとなく分かるよ。小さいし、のんびりしてるし、ずーっとアタシたちのこと見てるんだよねー」
立ち替わり入れ替わり、忙しそうに出入りするニンゲンたちの中で、その小さなニンゲンはオレたちのことをいつもジーッと見ている珍しい個体だった。
もしかすると、自分をニンゲンではなくミズクラゲの仲間だと勘違いしているのかもしれない。俺は最近、そんな風に考えている。
「ニンゲンたちの会話を聞いたんだが。自分をミズクラゲだと勘違いするニンゲンには、体内に特殊な器官が備わっているらしいんだ」
「へー、どんなやつー?」
「詳細は分からないが、ニンゲンが『ネンカンパスポート』と呼んでいる器官だ。頻繁にオレたちの前に現れるニンゲンは、どうもそういうのを持ってるみたいなんだ」
果たしてネンカンパスポートとはどんな形状の器官なんだろうか。
ニンゲンの身体は不透明だから、体内の様子がイマイチ分からないのが不便な点だなと思う。例えば、ミィの保育嚢にはオレと彼女の受精卵があって、子どもの様子がいつでも分かる。でもニンゲンの保育嚢は外からは見えず、子どもが育っていることを体が膨らむことでしか判別できないのである。
まぁ、そんな不思議な身体をしているのも、ニンゲンの面白さではあるんだが。
「ズーくん、そういえばさー」
「うん。どうした?」
「なんかニンゲンって、子どもを育ててなくても、体が膨らんじゃうことがあるらしいよ」
おっと、それは新しい知見だぞ。
体内に小さなニンゲンを抱えているから膨らむ、というのはなんとなく理解できるが……そうでなくてもニンゲンは膨らむのか。これは意味が分からないな。
「なんかねー、オスっぽいのに体が膨らんでる個体がいたからさー、気になって話を聞いてたんだよー」
「ふむふむ」
「そうしたら、ダイエットって器官がないと体が膨らんじゃうんだって話しててさー」
なるほど、ニンゲンの謎は深まるばかりだ。
水の流れにゆらゆらと身をゆだねながら、何かと騒がしいニンゲンたちを眺める。
そうしていると、自分のことをミズクラゲだと勘違いしているらしい小さなニンゲンは、オレたちを眺めて一緒に体を揺らしながら、ポツリと呟いた。
『いいなぁ、私も水の中でゆらゆらしたい』
すればいいのに、と思うんだが。
この小さなニンゲンのようにゆったりしているニンゲンは、他の忙しないニンゲンたちに揉まれて、いつも窮屈そうにしている。きっと、壁の向こう側にあるニンゲンの世界には水がないから、いつまでもミズクラゲになりきれないでいるのだ。
――壁のこっち側においで。
そう呼びかけてはみるが。オレがどんなに傘を揺らしても、ニンゲンはそれを聞くことができない。
ただ、そんなオレの姿を見て、小さなニンゲンの身体から少し力が抜けたようなので、何かしらの気持ちが伝わっていればいいなと思う。
ミズクラゲになって、ゆらゆら揺れて。
そうして、面倒くさいことは忘れてしまえ。
「こっちに来ればいいのにねー」
「そうだな。ニンゲンはなかなか大変そうだ」
オレたちは今日も水の中でゆらゆらと揺れる。
特に退屈はしていない。ただただ、ニンゲンはいつも大変そうで愉快だなと、のんびり眺めながら過ごしているのだ。