彼女に振られた。それだけ。
ほとんど実話、誰かに言える状況でもないけど、どこかにこの気持ちを出さないとしんどいので……よければお付き合いください。初めてこう言った文章を書きましたという保険だけ貼らせていただく……!
誰かを殺してやりたいだなんて思ったのは随分久しぶりのことだった。
気分の悪い夢を見て、じめじめとした雰囲気を漂わせる起き抜けの私は、昨晩から活躍の機会を与えられなかった胃袋に仕事をさせてやろうとしていた。
最近は食パンを1枚だけ焼いて食べるのがルーティーンで、どちらかといえばごはん派閥だった私としてはそれだけで少し非日常を感じられた。やはりごはんが好きだったが、それだけ彼女の影のしみつく日常から離れたかった。
あまりの熱さに文句をこぼしながらトースターから取り出したパンに、ナイフでバターを塗り始める。きれいなキツネ色にこんがりと焼きあがった表面は、私が少し力加減を間違えた、たったそれだけのことで静かにひび割れてしまった。思えばその程度のことだったのだろう。
バターが女々しく縋り付いているナイフに見当違いの恨みを覚えながら、私は何度目かもわからない思考を繰り返していた。私はつい先日2年間ともに過ごしてきた恋人と別れたのだ。いってしまえばこれだけのことで、随分とありふれたことだ。ただどんなふうに考えても今はただの強がりにしかならない。
うまくいかなかった理由はいろいろあっただろう。
彼女はお世辞にも良い恋人だったとは言い難かったのだと思う。それは本人もきっと認めることだろう、少し不機嫌になりながら。
まず彼女はとにかく気遣いのできない人だった。いつもどこかに不満の残るコミュニケーションを取るタイプで、私を心配にさせたり不安にさせないための嘘だって付けない、素直で純朴な人だった。
それに謝るのもへたくそだった。私とは生きる速度が合っていないこともあって彼女の謝罪はいつも私が機会を与えてからだ。それに謝るときもごめんのたった一言だけ、その後はどうにも笑ってしまって有耶無耶になることが多くて、けれど彼女は謝罪の原因をなおす精いっぱいの努力をする言葉足らずで不器用なやさしさのある人だった。
まだまだある。きっと言い尽くせないくらいだ。2年も一緒にいたのだから。
さっきから彼女のことを責めてばかりだが、私自身、正直彼女のためにいろいろしてやっているという勘違いも甚だしい意識は少なからずあった。
私が彼女を救う側で、彼女が救われる側だと思っている節があった。ふたりは対等だ、そうあらねばならないと思って努力もしながら歩んできたがそういった側面は少なからずあっただろう。彼女の家庭環境や様々な要因が私たちの間の力関係を不健全なものにしようとしていた。実際彼女もそれを感じて苦しんでいたはずだ。
しかし実はそんな力関係は本当に勘違いだったんじゃないかと思い始めたのは、古今東西の歌のように彼女を失ってからだ。
私は彼女を失ってから、久しぶりに誰かの不幸を願った。懐かしい感覚だ。最悪の気分。私は元来性格の歪んでいる人間だったし、彼女と会う前からそういう発言をする人間であると周囲の人たちからも認識されていたように思う。
ただ、ここ最近の私はいわゆる人格者として周囲に評価されていることが多かった。私はこのことを自身の成長によるものだとのんきに考えていたが、残念なことにこれは覆ってしまった。
私がこの2年間だれかのふしあわせを願わなかったのは、単純にその間の私が、しあわせであったからだ。皮肉なことだとおもう。このままでは幸せになれないと思って違う道にそれることを選んで、初めてその道にいるすべての時間が幸せなことだったのだと気づいた。性格の悪いことだ、仮にその道を歩き続けることを選んでも自身の幸せにはきづけない。後悔は避けられない。
私がこれ以上なくへこんでいることに拍車をかけた要素の一つに、別れた彼女にもう恋人ができていそうだということがある。
まぁ確定はしていないし、私の勘でしかないがおそらく確実だ。これはとてもショックだ。なんて女なんだ。薄情にもほどがある。俺との2年間はなんだったんだろうか。あの時に私にかけた言葉はなんだったんだろうか。そもそも私と交際している時からの交流があったんじゃないのか。
これもよくある感情かもしれないけど、私と彼女は本当に2年間苦労をして対話をしてきた。そのなかで彼女の中で大きく変わってきたことも多い。愛情をしっかりと言葉と行動に表す大切さ、ささやかな気遣い…ほかにもいろいろあると思うけど、私と彼女の積み上げてきたものの上に、他の男が何も知らず、ずかずかと土足で踏み入りその成果だけをかすめ取られていくような感覚。もちろんそれは彼女自身が努力して得たものなのだから私にこんな風に思われるいわれはないのだが、それでもうらみがましい気持ちは止まらない。だってこんな事態は、こんなことは、あまりにも、あまりにもグロテスクじゃないか……。
と彼女を呪う一方で、なぜそれを祝ってやれないのかという自分がいる。私は彼女のことを誰よりも愛した自信がある。彼女自身もきっとそれに答えてくれたとも思う。私は、彼女とともに愛を知ることができたのだと、人を好きになるということを一緒に学ぶことができたと思っている。
愛はきっと与える行為だ。見返りを求めない。きっと相手の幸せを純朴に願うものだ。だから私との2年間は、彼女にとってだれかと一緒に歩むための土台になったのだ。価値のあるものだったのだ。それに彼女の置かれている環境はたいへんなものだから。彼女を支えてくれる人物が現れて本当によかった。彼女が孤独の苦しさを味わうことにならなくてよかった……そう思うべきだし、そう思っている。
私は常に自らのなかに争いが起こっている。いわゆる天使と悪魔の戦いである。
今回もそうだった。後悔があれば呪いがあるのが世の常で、しかし私はかつて愛した人を呪うだけで終わるには中途半端に賢しさを身に着けてしまっていた。
どちらも本心だ。心の底から私は常に引き裂かれてきた。醜い自身の生まれ持った性格と、この世に育んでもらえた清く正しく優しくあろうとする性格。どちらも本当の私だ。
今思えば彼女はこの矛盾から私を救ってくれていた。彼女といた時は心の底から正しさを信じ、優しさをだれかに手渡すことができていた。私は、私のことを誰かを救うことができる人間であると思うことができていた。それはきっと、彼女が私をあいしてくれていたからだ。私を幸せにしてくれていたからだ。
そう、結局私は、彼女に救われていたのだ。彼女自身にそんなつもりはなくとも、見えない形で。だからこそこうやって引きずっている。
私の中ではまた天使と悪魔が殴り合いを始めてしまった。もう人を見て純粋に幸せを願えるような人格者ではなくなってしまったと思う。もう待ちゆく人々を見てにこにこと微笑む変質者ではなくなってしまったのだ。
心がつらい、弱さに直面したのは久しぶりだ。それにいくら理屈をこねても、実際のところはこう思ってへこむ。いくらなんでも恋人を作るのが早すぎる……。三度目の正直とはよく言ったもので、今朝で3回目の登場となる夢の中の彼女……あぁ、いや元カノと今この世で最も幸運なその男は、理論武装を引き剥がして私の心を正直にさせるのに十分な威力を持っていた。
今だってこうして彼女のことを考えて、どこか捜し求めてしまっている。ちなみに手っ取り早く彼女のかけらを見つけて傷つくことができるのはSNSだ。
やめておけばいいのにインスタグラムを開いてしまう。私も偉大な先人たちに倣って過ちを繰り返すようだった
ノートに何か更新されている。歌だった。失恋の歌。別れは必然だったけど、それでもなお、もしもを想像するような歌。
もしかすると彼女も少しは同じ気持ちだったのかもしれない。元カノがインスタのノートに失恋の歌を挙げていた。たったそれだけのことだったけど私は、私たちの2年間がとても価値のあるものだったと、お互いにそう思えている気がして何となくうれしくなってしまった。
結局はまた彼女のおかげで、私の心の中の戦いにも決着がついたようだった。
私は自分の度を越えた女々しさに思わず笑みをこぼし、すっかり冷えたパンを手に取った。
そうして少しずつ、ひび割れたパンを平らげてやった。
頑張って生きていきましょうねぇ……