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春の彩りもたけなわな時節に、建物の中はわずかな萌しも感じられない。鮮やかな外の光は決して受け入れまいと、壁も床も意志のもとに暗澹とした影を抱いてるかのようだった。
おれは、ある部屋の前で立ち止まった。糸杉であつらえられた扉の向こうには、もう現世に半身がない、そんな人間が横たわっているのだ。
シャルは放心状態だった。今、倒れられても困る。
おれは彼の背に手を回し、真鍮の取っ手を押した。
窓際に置かれたベッドの上で、かすかに人の動く気配がした。
病室を訪れるのは、実はおれも初めてのことだった。年の瀬の入居の際、エーベルは同行しようとしたおれを制し、見舞いはいらないと言い張ったのだ。
あんまりだと思った。薄暗い個室でたった独り、寄る辺なく残された命を灯すしかない彼を、おれがどうして放っておけよう。
でも、そんなおれの苦悩をエーベルが見逃すわけがない。すべてを酌んで、なおもかたくなに拒んでいるのだった。そうした態度が病いの身に非常な負担を強いてることを遅ればせながらに悟ったおれは、またしても救いようのない自分の愚かさを呪うはめになった。うなだれるおれに、エーベルは1週間に1通の手紙を出すという約束をしてくれた。
ところがエーベルときたら、連日のように送ってくるじゃないか。人には約束を順守させ、自分はあっさりと反故にする。正気でいられなかった。
起きあがってペンをとることも辛い体でいったい何をやってるんだと、すぐさまホスピスに乗りこんで、怒りをぶちまけたい衝動にかられた。
でもすぐに思い直した。
エーベルの好きなようにやらせよう、それにおれもとことんつき合おう、と。
医師は彼の無茶をとがめたに違いなかった。おれからの叱責も期待してたはずだ。エーベルの身を誰よりも案じるおれであれば、当然に厳しい態度で彼に臨んでくれるだろうと。
だからこそおれは、何もエーベルに頼まなかった。
手紙の頻度を落とせとも、手紙はもう書くなとも。
あの一件で院内でのおれに対する心証はすこぶる悪くなっただろうが、そんなのはかまわなかった。胸をえぐられるような痛みをかかえながら、エーベルの手紙を受け取り続けた。黙って受け取り続けることで、おれだけは、きみの味方なんだと伝えるために。ただ、それだけを伝えるために。




