▽アネモネとビーズの旅人
▽アネモネとビーズの旅人
とある元旅人の青年が、カフェアリーヌの喫茶店を訪れてきました。彼はこういいます。
「ビーズを作る工場を建てたいんです」
寒い季節だというのに、彼はシャーベットを注文していました。遠い街からこの店まで歩いてやってきたので、身体がぽかぽかと温まっていたのかもしれません。店内はそれなりに温かいですが、冷たい氷菓子を口に含んでしまえば一気に凍えてしまいそうな気温です。側で見ていたアネモネは少しだけ身を震わせました。
「この世界でビーズは高級品だってことは知っているでしょう」
青年は青いシャーベットに匙を刺しながら、オーナーさんに声をかけます。
「ええ、お金持ちが趣味で集めているイメージよ」
話を聞くため、オーナーさんは彼の向かいの席に座ります。アネモネもそれに倣って、彼女の隣の席に腰掛けました。背が少しだけ足りないので、クッションをひとつ多く重ねて座高を高くしてから青年の顔を見つめます。
「理由は簡単。すべて手でひとつひとつ作られる精工品だからです。大量に作ることができない」
「あの小さな粒をいっこいっこ手で作っているの?」
気になったアネモネはつい二人の会話に割って入り込んでしまいました。ぱっと口元を押さえますが、青年やオーナーさんは気にしないという風ににっこりと笑っていました。質問には青年が答えます。
「そう。ガラスを熱して溶かして、成形する。大きい粒なら個人のアトリエで作っているものもあるけれど、魔法を使える者でなくては今の所小さなものは生成できない。この世界では技術が追いついていないんだ」
「見たことあるわ、キラキラしててキレイなの。あれは作るの大変なのね」
アネモネは自分の知っているビーズのイメージを頭に思い浮かべていました。様々な色があって砂粒のようにさらさらとしているのに、一つ一つに糸を通すための穴があいているのです。それをつなぎ合わせて作られたブローチは、街でも評判の品でした。
この世界にビーズを持ってきたのは一体誰だったのでしょう。少なくともこの青年ではないようです。ですがビーズへの熱意は強く、彼はアネモネにこの世界のビーズの話を教えてくれました。どこのアトリエで作られたものが美しいだとか、こんな魔法を使って作られているんだとか、アネモネにとって知らないことが沢山でした。ですがいずれも高級品で、彼も実際に所有している品は少ないのだそうです。僅かなコレクションの中からとびきりのものを、アネモネに見せてくれました。掌にすっぽりと収まってしまうようなサイズの小瓶の中に、色鮮やかで透き通ったビーズが入っており、それがずらりと並ぶと、雨上がりに虹がかかったような感動を覚えました。
「だからビーズの『工場』なのかしら」
二人の話を聞いていたオーナーさんが、頬に手を当てながら視線を外してそう呟きます。独り言のようでした。青年は「ビーズを作る工場を建てたい」と言いました。この世界にはビーズを大量生産する工場はなく、魔法のような技術のある者が一人で作るばかりなのです。それを誰の手でも作れるようにしたいというのが、彼の願いです。
「ガラスを溶かして加工するのだから、高温に耐えられる設備――炉が必要ね。そういうツテがある人のところに行ってみてはいかがかしら。製鉄技術ならこの世界でも発達した街があるはずよ」
「そういうことを聞きたいんじゃないですよ、オーナー」
供されたシャーベットは、解ける間を待つことなく青年が平らげていました。今は温かい紅茶を口に含んでいます。
「もっと安価で市場に流通しやすいようなものが作りたいんです。あの小さな輝きをもっとこの世界の人々に見せたい。この理念自体をどう思われるのか、聞きたかったのです」
青年の話を聞いたオーナーさんは真面目な表情で答えます。
「良いとは思うけれど……ビーズですから。それそのものだけでなく、それを『素材』に作品を作る『誰か』のことを考えないと。ビーズそのものの輝きは美しくても、少々小さすぎるわ。連なって形を成してやっと人の目に留まるようになる。だからその形を作ってくれる『誰か』に、視点を移したほうがいいのかもしれない」
青年は思うところがあったようで、一瞬目をつむりました。『誰か』のことを想像さえしてしまえば、彼はこの世界の旅人だったわけですから、その『誰か』が見聞きするところや思うところについては誰よりも深く知れるはずなのです。
彼のような旅人を、この世界では『シテン』と呼びました。シテンは物を作る者に寄り添って暮らしている存在でもあるのです。しかし彼にはそれができないようでした。この世界の中心部から広がる街々で暮らしている人々というのは、皆そういうシテンなのではないかとも言われています。
「私のヤドリギは、そういう人でした。もはや懐かしい」
ヤドリギというのは、シテンが寄り添う創作者のことです。物を作る者ならどんな人であっても側にシテンが寄り添っているのです。ヤドリギ自身が気づいていなくても、シテンは側にいて物が作られていく様子を見守り、そっとアドバイスをしたりしているのです。彼もそういう『誰か』の側にいた経験があるのです。
「お兄さんはヤドリギのところには帰らないの?」
気になったアネモネが尋ねます。少し寂しそうな顔をしていました。
「彼女は忙しくてね。ビーズはオーナーが言うように小さい。より大きな輝きを持つものに魅了されてしまえば、負けてしまうことだってある。彼女はそうだった。ビーズ手芸よりも面白い仕事を見つけて、今もそちらを楽しんでいる。もう入り込む隙間はなかったんだよ」
青年は机の上に並ぶビーズの小瓶のひとつを、人差し指で撫でていました。愛おしそうでありながら、作り手である『彼女』のことを思い出しているのか、懐かしくも寂しげな表情です。アネモネの表情につられたのかもしれません。
「こだわっているのは私だけかもしれません。けれど、あの輝きが頭から離れないのです。だからこの世界でも流通させたい。とてもシンプルな理由でしょう」
「そうね、志としてとても立派なのではないかしら。ただ、先程も言ったように『誰か』のことを二の次にしているようじゃあ、うまくいかない可能性もある。そこは目をそらしてはいけないのではなくて?」
オーナーさんが青年の方を見つめながら答えます。青年のティーカップにおかわりの紅茶を注ぎましたが、彼はそれに手を付けませんでした。それどころか、机の上に広げていたビーズの瓶たちを、静かに自分の鞄に順番に戻していっているのです。それは帰り支度に違いありませんでした。
「ねっ、ねえ」
アネモネが慌てて、場の空気を変えようと声を上げました。
「貴方は『入り込む隙間はない』っていったけれど、そのヤドリギはいつかまたビーズに触れてくれると思うわ。なんだかそんな気がするの。だってヤドリギの人生は長いでしょう? ずっと大きな輝きだけ追いかけていたら、疲れちゃうわ。疲れちゃったときに貴方がヤドリギの側にいなかったら、その人疲れたままよ。ビーズっていう小さな輝きがあることを本当に忘れてしまう。思い出させてあげるために、貴方ヤドリギのところに帰らないと。だってビーズ、こんなに小さいんだもの。ちょっとした隙間にだって入っちゃえるわ」
青年は手を止め、アネモネの話を聞いていました。彼女が慌てていることもそうですし、彼女が言っていることもそうなのですが、彼にはそれが久しぶりに触れる感覚だったのです。思わず苦笑いをしました。
「ドールのお嬢さん。君はとてもピュアなんだね、それこそガラスビーズのように透き通っている。そんな風に考えることは、私にはできなかったよ」
ふう、とため息をついてオーナーさんはアネモネの頭をふいに撫でました。青年同様の苦笑いで、大人げない空気を作ってしまったことを少し恥じていた様子でした。わずかにくしゃりとなった髪を、アネモネはぽかんとしながら見上げていました。
「ねえ、カフェアリーヌ。お兄さんも森に向かえば、ヤドリギのところに帰るくらい訳ないわよね?」
「……ビーズを作るために工場まで作ろうとしている熱意があるんだもの。ガラス細工に必要な熱量があれば、ヤドリギのところに帰るくらいはできるでしょうけど、まあ、ヤドリギと熱量の足並みをそろえられないのがもどかしいところでしょうね」
「わかりますか、オーナー」
一変、共感者を得たような心地で青年はぱっと顔を上げ、オーナーさんの方を見つめました。ただしオーナーさんの方は呆れ気味といいますか、少々疲れた顔をしていました。髪の毛の先を指でくるくるといじっています。
「そういう人をよく見てきたもの」
シテンに作りたいものがあっても、ヤドリギがそのとおりに作ってくれるとは限りません。シテンは寄り添うことが仕事ですから、自分で物を作ってしまえば、それはシテンではないのです。ですから、この世界に住んでいる人々の中に紛れている元旅人たちは、作りたいものを作るために自らがヤドリギの真似事をしているのです。あくまでも真似事。ですから順調にことは運びません。苦難の連続ですが、それを乗り越えているのはいつだってその熱量がヤドリギと同じか、それ以上のものだったからに違いありません。
「だからこそ、この世界が発達したんだわ。熱量・熱意が有り余っている貴方のような旅人がここで腕をふるって、少し落ち着いたときにそっとヤドリギの元に戻る。そのぐらいで丁度いいような旅人っているのよ。だからビーズ工場、作ればよいのではないかしら。個人アトリエから始めたって構わないわ。あなたの熱量なら、ビーズを作りながらヤドリギに寄り添うことだってできるわよ」
「自信はありませんが、オーナーにそう言っていただけるのであれば、できる気がしてきます」
「お兄さん、本当にちゃんとヤドリギのところに戻ってくれる? ちゃんとヤドリギが良い物作れるように支えてあげなきゃダメよ?」
「もちろん戻るよ。だって、彼女に聞いてみたいことがたくさんあるからね」
こうして青年は元の街に帰っていきました。アネモネとオーナーさんが確認するまでもなく、彼はヤドリギの森に立ち寄ってから街に帰っていったのです。ビーズの煌めきは一粒一粒の小ささから、作り手であるヤドリギの手で一気に大きな輝きになっていくのです。彼はもう一度、それを目に焼き付けるために森へ向かったのでした。