◯特別な等価交換
「いつも貰ってばかりだから、たまにはあげる側になりたいわ」
アネモネはそう言って、マスターに両手を差し出します。ですがアネモネの掌の上には何も乗っていません。マスターは表情を作らず、その手を見つめます。
「それは、なにか物をねだるときの仕草では?」
「物を手に入れるためには、等しい価値のお金と交換しなきゃいけないんでしょう! なのに私ってばプレゼント代、一切持ってないんだわ。だから欲しいの」
「お小遣いの要求ですか」
マスターはため息をつきます。たしかに、彼女にお小遣いをあげたことはなかったと振り返ります。渡すだけなら簡単ですが、迷いました。
「ロアのほうがそういう話は適任ですよ。駆け出しとはいえ商人。通貨を十分に持っているはずです」
「そうなの?」
迷った末にマスターは、両手を差し出したままのアネモネを無視して、店の外まで出かけていってしまいました。アネモネは出鼻をくじかれたようで、ぽかんと口を開けてマスターの後ろ姿を見送ることしかできませんでした。
「ロアからお金をもらうには、どうしたらいいのかしら。マスターからなら、なにかお手伝いをいつも以上に頑張ればいいってわかってたんだけど……駄目みたいね」
一人きりの喫茶店の中、腕を組んで考えるしかできないアネモネは静けさに耐えかね、たたんっとステップを踏んで足音を響かせました。そして独り言を呟きます。
「まあ、直接聞いてみればいいわね。今日はちょうどロアが来るはずの日だし。それまでの間、私に出来ることと言ったら……」
アネモネはキッチンまで移動し、片手鍋の中に森で採ってきた木苺を入れ、火にかけました。
「いつものジャムを作るくらいなのよね。火を使うことを許してもらえたのはいいけど、そろそろこれもワンパターンになってきたわ」
フルーツに砂糖を入れて煮込むだけの簡単なものでしたが、アネモネは以前よりもずっと上手に、そして様々な種類のジャムを作ることができるようになっていました。最初の頃は焦がしてばかりだったものも、今は加減がわかるようになってきたのです。
「とびきり美味しいのを作ったら、皆にお裾分けしなきゃ。昨日、一昨日の私が作るものよりもきっと美味しいはずだもの」
そうして彼女は一人、じっくりと時間をかけてとろりとしたジャムを作りました。ロアがまだやって来ないので、アネモネは冷める前にと急いでジャムを瓶に詰めていきます。
「そうだ」
途中でアネモネは思いつき、瓶に詰めたジャムを棚ではなくずらりとカウンターに並べていきました。
「幾らで買って貰えるかしら!」
それはロアへの提案でした。アネモネは自分が作ったジャムを、商品としてロアに取り扱ってもらうことでお金を手に入れようと考えたのです。
「ふむ……」
アネモネは値段をつけるだけの簡単な話だと思っていましたが、店までやってきたロアの顔は難しさを極めたものでした。値段をつけるほどの商品価値がないのだろうか、とアネモネはうろたえますが、事はもっと手前の問題のようです。
「食品であるからには、流通させるにはそれなりの審査や許可がいるんだ。アネモネにはまだ難しいことも多かろう」
「……そ、それは」
アネモネは途端に目をぐるぐるとさせ、戸惑いました。
「だ、だって、カフェアリーヌはそんなことしてなかったわ。いつも自分で作ったお菓子やお茶を街に卸しているのよ。けどそんなことしてる素振り、全然」
「客に見せるものでもないだろう。彼女なら、見えないところでしっかり書類ごとも踏んでいるであろう」
カフェアリーヌのお店――それはこの店の本店でもあるのですが――での動きを見ている限りではそのようなことをしているとは想像できず、アネモネは更に戸惑いました。よく知っているはずのお店のことでも、全く知らなかったことがあるのです。
「ただの等価交換とはいかないのね、悔しい」
「それはそのはず。ただ、そのジャムは私が友人として一つぐらいなら買うことができる」
「えっ?」
「知人同士の物々交換なら、まだ大目に見てもらえるだろう」
ロアはジャムの瓶をひとつ手に取り、顔の近くまで掲げました。それを貰う、というサインです。アネモネは嬉しくなり、ぶんぶんと首を縦に勢いよく振りますが、途中ではっと我に返ります。
「よくよく考えたら、友達からお金をもらって物を押し付けるなんて、あっていいものかしら……」
「特別な等価交換なのだから、問題ない」
「本当に本当? ロアってば無理してないかしら」
「してない」
ロアはリュックから大きなコインケースを取り出し、その中の一枚をアネモネの手の上に乗せてくれました。そうやってアネモネはなんとか初めて、自分の力でコインを手に入れたのです。ぎゅっと握ってから、もう一度開いてじっとコインを見つめます。彼女にとってそれは、ただのコインよりもピカピカに輝いて見えるようでした。
「何が買えるかしら」
ぽつり、呟きます。特別なコインで買うものですから、特別でなくてはならないと思ったのです。
「街に行けば色々あるだろう。だが少ししか無いコインだから、小さなものしか買えない」
小さなクッキーやケーキ程度であれば買えるでしょうか。ですが、今の彼女はそれでは物足りないといった様子です。
「そうよね。貯めて、大きな金額にしないと。でも大きな金額にするためには、やっぱりロアにジャム買ってもらうだけじゃ駄目よね……ただ書類ごとのお勉強、難しそうよ」
「嫌がっているばかりではたどり着けない世界があるのは、たしか」
「そうなのよね。知ってるつもりだけど、大変なんだわ」
財布を持っていないアネモネは、特別なコインを大切そうにポシェットのポケットに入れました。そしてポシェットをしっかりと確かめるように肩から下げて、眉をキリリとあげます。
「カフェアリーヌのお店に行ってくるわ。ロア、お留守番は一人でも大丈夫?」
「私は構わないが」
「カフェアリーヌに審査や許可の受け方、聞いてくるの! 絶対詳しいはずよ。私の知らない所であれだけの商品を取り扱っていたんだもの。私も同じくらい詳しくなって、それでジャム売れるようになったら、ロアに街まで届けてもらうの! 私の新しい夢だわ!」
「良い夢だ。……楽しみに待っているよ」
「ありがとう!」
アネモネは元気よくでかけていきました。店に残ったロアは、キッチンでトーストを焼いて、アネモネから貰ったジャムを塗って口に運びました。甘酸っぱいその味はきっと将来、街の人々をも虜にするはずです。そんな未来を想像して、ロアは穏やかに笑むのでした。




