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アネモネが華やかに舞いましょう  作者: komado(六種銘菓BOOKS)
アネモネが華やかに舞いましょう
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▽イゴーロータランにコンポートを添えて

▽イゴーロータランにコンポートを添えて


彼は「お久しぶり」と言ってカフェアリーヌの店を訪れた。

確かに久しぶりな気がしたのだが、彼にもそんな『時間』の概念があっただろうかと、彼にまつわる数多くの記憶を一度に手元に手繰り寄せていた。そしてその一言はつい最近も小さな少女から聞いた気がして、ああ、結局は似た者同士なのかもしれない、とも思ったのだった。

青いマントとフードを被った小柄な少年。目をパチパチとさせる彼女の様子に気づき、彼はどうしたものかと若干狼狽しながらも、平静を装ってカウンターに紙袋を置いた。ずっと彼が手から下げていた、小さな背丈の紙袋。渡された彼女は中をそっと覗き込み、並んだ瓶を手に取る。

「それ、手土産」

「綺麗なコンポートね。これはお客様に出すんじゃなくて自分で楽しまなきゃ」

「練習のためにたくさん作ってしまったんだよ。アネモネが世話になるみたいだから。まずお礼をしなきゃと思ってたんだ。これが代わりになればってね」

「……そう、そういうことね。聞きたかったのよ、アネモネちゃんのこと」

彼が此処を訪れるときもまた、アネモネが訪れるとき同様に、扉の向こうはぴたりと風が止んで別世界に繋がったような気配がした。それが何か嫌な予感に繋がらないかと、密かに焦っていた。

だが久しぶりの彼の来訪の意味を知り、緊張がわずかにほどけた。余裕が生まれると、笑みが生まれる。彼をかつての定位置であるテーブル席に案内し、彼女はキッチンで紅茶を入れることにした。

昔の彼なら、森を抜けてこの広い草原を自分の足で歩いてここまでたどり着いていた。そして疲労困憊な様を隠さずに、この店の扉を開くのだ。

杞憂だった。けど、なんだかスマートになっちゃって。彼女はそんなわずかな変化に目を細めた。

「今は僕が出掛けるって言ったから、素直に店番をしてくれてるよ。そういう意味では助けられてる。けど、我が儘なところもあるから」

彼はアネモネの話を始めた。彼の店の小さな従業員。それがアネモネという少女。彼もこの店のように、小さくて誰も来ないような、けれど特別な意味を持つ店を持っている。アネモネはウェイトレスだ。

「仲が悪いってほど悪い訳じゃなさそうね。けどね、なんであの子が店を飛び出してくるのかを知りたいんじゃないの。もっと根本的なところを私は知りたいの」

紅茶のポットとカップをトレーの上に乗せ、少年の元に運ぶ。運びながら、そう告げていた。真剣な顔つきだった。それは心配事を内に秘めている議題だからかもしれない。


「だってアネモネって、この世界の名前でしょう?」


それを聞いて、嘘をつけない彼の目は正直に驚いていた。そして物知りな彼女には隠し事ができないことを改めて実感し、フードの裾をぐいと手で引っ張って目元を隠した。ただ、口元は笑っていた。

「そう、アネモネはこの世界そのものだよ。あれは白い場所。そこで彼女が、世界が問いかけてきたんだ」

彼は言う。紅茶のカップを目の前に、ぽつりぽつりと。

「私も貴方と同じように冒険がしたい、と」

冒険がしたい。

カフェアリーヌには、無邪気なアネモネの姿が思い浮かんだ。そしてきっと、その頃のアネモネの姿はその想像とは異なる姿をしていたのだろうことも、同時に想像した。

「僕がやっていることは、他の誰かの冒険を外から見ているだけだというのにね」

少年は自虐的に笑う。彼はこの世界における旅人の一人であり、初めから定住していた訳ではない。今もまだふらりと何処かに旅立つことくらいはあるだろう。そのことにアネモネは憧れたのかもしれない。だが、彼はそれを否定した。自分が冒険しているのではなく、あくまで誰かの冒険を見ているだけ。それが彼の役目だった。

「アネモネっていうのは、あくまで僕が仮に付けた名前だよ。ワールドの、この世界の本質を示すのには不十分」

「でも貴方はそういうの得意でしょう。シテンという名前を付けたのだって貴方だもの。取り決めることが役目みたいになっているのよね、きっと」

「シテンはいいんだけど」

シテンとは彼のこと。ただ、個人の名ではない。この世界を旅する者の名前だった。彼は神の視点。物語を第三人称で語る、物語を全知する存在。それがヒトになり、旅をするようになったもの。それをシテンと彼は呼んだ。だから彼は「見る」ことしかできない。冒険者そのものではないのだ。けれど、アネモネから見ればその生き方は十分憧れるに値するものだったようだ。

この世界、アネモネという名の世界においては彼もただのヒト。普通の生活を送る一人の人間。カフェアリーヌもその点は変わらない。彼女は少年の前の席に腰掛け、尋ねる。

「この世界そのものと言われてもね、ちょっと想像がつかない。アネモネちゃんは、このワールド・アネモネとどう関係しているのかしら。アンシスタ・アネモネという名前で、あの子がこの世界と関係していることを明示させたのは確かでしょう?」

少年はフードを一瞬脱いで、頭を人差し指でかいた。複雑な表情をしながらだった。フードを被り直してから彼はぼやく。

「でもアンシスタ・アネモネは、ちょっと難しいと言われてしまってね。僕が未熟だからか、色々足りていない」

「あら、そんなのは当たり前じゃない。貴方って小難しくするのも得意だもの。それを知った上で聞いているのよ」

「特技は多い方がいいとはいうけど、ちょっとそれはなあ……」

彼はようやく紅茶のカップに手をつけた。ゆっくりと息を吹き掛け、わずかに口に含む。微かなため息がもれる。

「アンシスタ。これは、僕が旅していた世界にいる電子人形の名前だったんだ」

電子人形と聞き、カフェアリーヌは「ああ」と思い出したように言う。彼からその話を聞いた覚えがあった。

「じゃああの人形の身体は」

「いや、あの世界から連れてきたわけじゃないよ。そんなことは僕らがシテンである以上できない。貴女が言うように、あくまで取り決めをするのが僕の此処での仕事」

カップを持ったまま、少年はもう片方の手を顎にやった。カフェアリーヌから視線をずらし、紡ぐ言葉を考えていた。静かな時間だった。二人が交わす会話だけが何もない場で粒となって辺りに転がるような、無では生まれ得ない静寂があった。少年はカップの中身をくっと傾け、飲み干す。

「アネモネという名前を付けたのも、アンシスタという名前を借りたのも、取り決めのひとつ。深い意味がない訳はない。だってそうしないと――」

言葉を区切ってから、少年は更に考えこむ。そうしないと、何が起きていただろうかと。眉間にシワがよっていた。あのときはとにかく必死で、無理に足掻いた結果が今だから、と。彼の想像力は、現実にならなかった世界、例えの世界では発揮されにくい。特に自分事はなおそうだった。だからだろうか。代わりに、カフェアリーヌが言葉を引き継いだ。

「そうしなかったら、あのお人形さんの我が儘が全て通ってしまうのかしらね。この世界を、ワールド・アネモネをヒトと同じように行き交いたいという願い事……いえ、それ以上の何かかしら」

「よくわかるね」

「これでも、貴方と似たような存在だったんだもの。過去形だけどね。それでも、わからないことは沢山」

空のカップにおかわりの紅茶を注ぐのは、決まって彼女の仕事だった。いつものように、ポットから黄金色の紅茶を注ぎ入れる。今度は自分の分も用意した。そしてそのカップに作り出された水面を見つめながら、憂い気に言う。

「私の飲み込みが人より少し早いのは、私がこの世界のオブザーバーだったから。知っていることが人より多いから。でもそれだけよ。特に、アネモネちゃんのことはわからない」

オブザーバー。この世界を、この世界ではない場所から傍観する者。彼女がそれを口で明確に言うことは、非常に稀だった。少年はそれを知っている。であるから、その意味合いを正確にくみ取ろうと彼女の目をしっかと見つめた。それは彼にとっても貴重なことだった。稀な行為を稀な行為で返す。カフェアリーヌはそれに気づき、誠意に安堵したというべきか、些細なところに滲む真面目さに逆に呆れてしまったというべきか、とにかく柔らかな笑みだけで返事をした。心配のし過ぎだと言わんばかりに。

少年は息をついてからこう話した。彼女であっても「わからない」と言わしめる、アネモネについて。

「アネモネを入れ込む器が必要だな、と思ったときに、咄嗟に思い付いたのが人形――アンシスタだったんだ。ヒトではあまりにも危ない。無邪気すぎて、何をしでかすか。あれは僕みたいなシテンでもなく、貴女のようなオブザーバーでもなく、この世界そのものだよ。恐ろしいったらありゃしない。子供だからいいものを」

「……そんなに怖い?」

彼女は少年の様子にそんな疑問を持った。彼女の眼には、彼がおびえているような様が映っていた。

「怖い、のかな。恐ろしくはあるけれど」

わからない、と彼は首を横に振った。

カフェアリーヌは、少ないながらもアネモネと共有した時間の記憶を辿り、思うところを伝える。

「気持ちはわかるけれど、杞憂も含まれてるのではなくて? そこまで心配しなくてもあの子なら大事には至らないと思うけど。話してみればわかるわ。それでもまだ子供だからというなら、育てる周りの手が必要。もっとヒトの手に触れさせてあげれば、物事の加減も理もわかる。そうは思わない?」

彼女も自分のカップを傾けてからそう言いきった。この店を訪れる小さなお客様が「また来るわね」と去っていった後ろ姿を思い出しながらだった。

アネモネが冒険に憧れる姿勢は、カフェアリーヌにとってかつての自分自身を想起させた。感情移入してしまうのはそれだけが理由ではないかもしれないが、自分がして欲しかったことをしてあげたいという気持ちは、誰にも共通するものかもしれない。そう自身を俯瞰して見ていた。禁じられるだけではなく、ヒトの手の中で自由に世界を歩かせて貰えれば、アネモネにもまた新しく見つけるものがあるだろう。それはそれで良いものになるのでは、と思うのだ。

カフェアリーヌは少年が何も言わない状況をしばし見つめていたが、彼の様子から「ああ、なるほど」と、ニヤリとした。何故こんな簡単なことをすぐ思い出さなかったのかと、自分を笑いたくなるほどのことだった。

「貴方、子供のこと嫌いだったわね」

「思い出した?」

苦虫を噛んだような顔とはまさにこのことかと、カフェアリーヌは思わず吹き出し、カラカラと笑った。彼の顔は、子供同士のけんかで怒られたときのような、どことなく気まずい顔にも似ているのだ。小さい子供が苦手な彼にとって、無邪気なアネモネは手に負えないらしいことがわかり、やっと何かつかえがとれたというように、スッキリとした心地が彼女の中に広がった。

わかったからこそできることを、と彼女は彼に助言した。

「貴方も、素直に周りの手を借りていい点は変わらないのよ。ましてやこれは子育てとは似て非なるものだし、気負わずとも」

少年は下唇を噛んで目をそらしたままだったが、その助言には自分なりに返答する。

「貴女は懐が深い。そう言えてしまえる人は貴重だよ。ただ遊びたい盛りであるなら、遊ばせればいいという簡単な話にできるのなら、それに越したことはない。僕だってそのために人形という入れ子を用意したようなものだからね」

「不思議よねえ、アネモネちゃんが貴方に頼んだってところ。お人好しなこと知ってやっているなら策士だわ」

「知ってやってると思うよ、彼女のことだからね」

彼はポットの中身をお茶請けの皿を綺麗にしてから、この店を立ち去ることにした。素朴なビスケットを一枚かじり、残りの紅茶にミルクを注いでから、しばらく彼はそれに口は付けず、ぼーっと店の天井を見上げていた。カフェアリーヌはそれを穏やかに見つめていた。

「彼女には冒険をさせてあげましょう。それでいいじゃない」

「……手を借りていいなら、あの子の願いも叶うかもしれない。大丈夫?」

「今更何を言うのよ。大丈夫よ、ちゃんと私が見守ってあげるわ」

その言葉を聞いてから、彼はカップの中身を飲み干した。カフェアリーヌは、それで満足だった。


「――しかし、マスターはコーヒー淹れるのが上手、なんて、あの子言ったのかい」

疲れきった様子でテーブルの上に左頬を当て、少年はげんなりとした。

「……あれは僕が淹れたんじゃなくて、既製品を出しただけだよ」

「あら、なんだか話が変だと思ったら、なるほどね」

カフェアリーヌは少年の体を起こすでもなく、頬杖をついて様子を観察していた。

「つゆ草さんがそんなこと出来たかしら――って不思議だったのよ。私が教えたのは紅茶のことだけだし。でも、これをお客様用にしたら怒るわよ」

この日の彼女は手土産のお返しに、お気に入りのブレンドティーをお裾分けしていた。

「当たり前じゃないか。本当ならここでしか楽しめない味だもの。ここに帰りたいのに帰れないときに、ひっそりと楽しむよ。まあ近いうちにまた」

そういって、つゆ草と呼ばれたシテンの少年は軽く手を振り、元の世界へ帰っていったのだった。

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