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アネモネが華やかに舞いましょう  作者: komado(六種銘菓BOOKS)
アネモネが華やかに舞いましょう
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▽ジャムの試食会

▽ジャムの試食会


「このマーマレードは苦すぎるわ」

久しぶりにテレビの中から出てきたアネモネは、この喫茶店のマスターが仕入れてきたジャムの試食をしていた。舌鼓を打っている、と言いたいところだが、彼女の舌は厳しいようで、良い評価は今のところ返ってこない。マーマレードを買ってきた当人であるマスターは苦い顔をするしかなかった。

「きっと下処理が雑なの。皮の白い部分が多いのも減点ね。こっちのりんごジャムはゼリー質が多すぎる。シナモンで誤魔化してあるけど、果肉をケチった混ぜものばっかりな証拠。まだマスターが煮たりんごの方が美味しい。こっちの黒い実はブルーベリーとは違うのね。でもこのジャムは……そう、焦げたパンになら合うんじゃないかしら」

「手厳しい」

「素直な感想だわ。こんなのお客様に出しちゃだめ」

カウンターの内と外。そして間に挟まれる、机に並べられたジャム達。つぎつぎとジャムの瓶の封をあけては、マスターがスプーンを入れ、アネモネがそれをさらっていく。アネモネがスプーンを抜いた後の瓶は、またマスターが蓋を閉めていく。口直しの紅茶が冷めても、その作業は続いた。これだけの量、一度開けたからには使い切るのは大変だろうが、このジャム好きな動く人形がいるからには特に心配はいらない。すぐに食べきってくれるはずだ。だが、口に合わないとワガママを言う可能性は高い。

「いいものを口にしすぎているのでは、アネモネ。悪いことではないが、少々わがままじゃありませんか」

「まあ失礼しちゃう。そんなこと言ってるマスターには、歌も踊りも見せてあげないんだから」

「それは困る。貴女は仮にもアンシスタ・アネモネなんですから。テレビ箱の中とはいえ、ステージの中央で輝くのが仕事」

マスターのその言葉には返事をしなかった。アネモネは既に別のことを考えているようだった。今のところ、この二人の仲はあまりよいものではない。それが場に静寂を生み、またアネモネを更に自由奔放にするのだった。マスターは額に手を当て、深くため息をつく。

全部を味見し終わった後、彼女は腕を組んで少し前の出来事を思い出す。

「コンフィチュールっていうのよ、前に教えて貰ったわ。あれならコンポートと同じように、果実感があってとっても美味しいの。マスターは作れないものかしら?」

アネモネはポシェットに手を伸ばし、その中にある今はキャンディ入れにしてある小瓶を撫でる。その小瓶にはもともとジャム――否、コンフィチュールが入っていた。

「コンポートとジャムは厳密には違うもの。コンフィチュールだってそうでしょう。手癖で作ることはできない」

「マスターってば頭が固いわ。やりもせずに決めつけるなんて。本当、困っちゃう」

目を閉じ、カウンターとは真逆の方へそっぽを向く。背の高い椅子から彼女が自力で降りるには、専用の踏み台が必要だった。それを使ってゆっくりと降りていく。踏み台は丁寧に定位置に戻して、アネモネは閉められたカーテンの向こう側を想像し、扉の方まで駆けていった。

「私は未だに怒っているのよ。貴方が嫌いだわ、マスター」

「嫌いで結構。それでもこの店をやっていかなきゃいけない事実は変わらない」

「ふーんだ。私はちょっとおでかけするだけよ!」

勢いよく扉を開けて、勢いよく閉めるアネモネ。バタン、と強い音が店内に響いた。マスターはやれやれとため息をつくばかりで、広げられた色とりどりのジャムの輝きは目に入っていない様子。客が訪れる気配のないこの店には、埃っぽい空気が充満している。窓を開ける余裕は、今のところないらしい。憂鬱で重い空気は、アネモネが嫌っても仕方のないものだった。


「と言っても、今の私はどこにでもいけるわけじゃないわ。つまんない」

相変わらず、喫茶店の外は真っ白以外に何もない。白という色以外に何もない世界は、歩けど歩けど彼女にとってつまらないばかりで、新しいものを発見することも、誰かに出会うこともない。ただ元いた喫茶店から遠のくだけ。

彼女はマスターの監視下で生活している以上、何もかも自分の思い通りにできるというわけではなかった。多少の自由は認められているものの、遠出は駄目、人前に出ることも駄目。窮屈な生活だった。ただ、そんな彼女にも行くことが許されている一軒の店があった。

「焦らなくたっていいわ。行こうと思えば、自分が思いさえすれば、世界にはいつだって羽ばたいていくことが出来るのよ。だからこそ、ここじゃない喫茶店にだって私、行けるもの。マスターが淹れた味とは全く違う味の紅茶を飲んで、美味しいジャムとスコーンで昼下がりを過ごす。それってとっても幸せで、しかも自分が手を伸ばせばちゃんと届く距離にあるのよ。自分が手を伸ばすかどうかだけ」

歩き疲れたところで、アネモネはぴたりと歩みを止めた。ポシェットの中からパスケースを取り出し、いつものように何もない空間にかざす。すると不思議なことに、どこからともなく扉が現れる。この扉が、アネモネの手の届く距離にある扉。行ける場所。彼女は知っている場所であればどこにでも行ける不思議なパスポートケースを持っていた。

「誰かこの扉から誰かやってくるのであれば面白いことが起きそうなのに、それはないのよね。私がノックするしかこの扉を開くことはできない。私がおもてなしをする機会は、今度はいつやってくるのかしら。楽しみだけど、それが遠い未来――いえ、来ないかもしれない未来であるなら、ちょっと悲しいわ。だからこそ、私はマスターみたいに店で待つんじゃない。自分から行くのよ」

アネモネは扉をコンコンとノックし、それから扉のノブをきゅっと握った。ただ、それを回す前にぽつりと呟く。

「……でも、帰ったらマスターのジンジャージャムを食べてあげてもいいわ。私には作れないあれが格別なのは、否定しようがないものね」


自由奔放なアネモネの昼下がりは、一体どこで何をすることになるのか。それは彼女と、扉の向こうにいる人々にしかわからない。

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