第31話 歳月不待人
今日はひどい目にあった……
さんざん先輩たちに身体を弄ばれた……
たいして稽古もできなかったが、もう下校の時間なので、今日もいつものように三人で下校する。
いつもと違うのは制服が白く明るく見えること。
それと、この時間でもまだ日が昇っていて明るいこと。
今日もご機嫌で歩く秋芳部長が話しかけてくる。
「夏服もいいけど、学ランの時の春山くんも、かっこよくて好きだよ」
そんな、かっこいいとか、好きとか…… 僕に似合わない言葉を。
「あんまり僕は好きじゃないですね」
「好きじゃないの?」
「中学の時は、ブレザーの制服だったんで」
「そうなんだ」
子どもの頃、ネクタイにはあこがれていた。
父親が毎日絞めて出勤していくのを見ていたからなのか、ネクタイをすれば自分もなんだか大人になった気分がして。
中学に入りたての頃は、背伸びしたい時期で、制服として毎日ネクタイ締めるのがうれしかった。
それが、まさか高校で学ランになるとは。
学ランは、いかにも学生ですって感じがして、なんだかあまり好きじゃないかな。
「春山くんがネクタイしてるとこ、見て見たいなー」
「まあ、あと6年くらいすれば社会人になって、嫌ってほどするでしょうけど」
「今してみる?」
「いま?」
そう言うと部長は自分のセーラー服のスカーフを、スーッと巻き取る。
そして歩いている僕の正面にやってきて、
「ちょっと、じっとしててね」
と言って、少し背伸びをして、僕の首にスカーフを巻き付けようとする。
……か、顔が、近い……
まるでキスするみたいな立ち位置……
思わず身体を後ろに反らしてしまう。
僕たちは、道端でなにやってるんだろ……
部長は手際よくスカーフを僕の首に巻いて締めていく。
「はい、できた!」
スカーフをネクタイに見立てた即席の……
って、ネクタイの結び方じゃなくて、蝶結びみたいにリボンになってる!
「かわいいよ、春山くん」
「部長!」
もー なにしてるんだよ。
恥ずかしくて僕は、急いでスカーフを抜き取り、部長に返す。
「かわいかったのに……」
「やめてくださいよ、道の真ん中で」
部長は自分の襟にスカーフを、手慣れた感じで巻きつける。
「でも今の夏服の春山くんも好きだよ」
「そうですか」
あくまでも、僕のことが好きなのではなく、学ランや夏服が、ですね。
分かっていますよ。
「私は、このセーラー服、好きだよ」
「まあ、かわいいですよね」
そう言うと部長はスキップしながら、先を進む。
そのたびに黒い髪が上下にたなびく。
「そんなにはしゃいだら、危ないですよ、部長」
「春山くん?」
「はい?」
部長は立ち止まって、僕を下から覗き込む。
「これは、私たちの特権なんだよ」
「特権?」
「そう、特権」
そんな部長の笑顔と仕草に、一瞬ドキッとする。
「特別なんだよ」
「とく……べつ?」
「セーラー服も学ランも、今しか着れないでしょ」
「まあ……」
「大人になったら着れないんだよ。たった三年間の、学生の時にしか着れない服」
「……」
「青春時代を生きている、今、まさに私たちしか着れない、私たちだけの特権だよ」
「そう、ですね……」
そう言われればそうだけど……
僕は別に、制服を着れる喜びとかは、あまり感じてはいない。
そして青春時代と言われても、ドラマとか漫画の世界の出来事で、リアルな世界では何もない日が、ただずーと続いているだけのイメージしかない。
「これも、一期一会というのですか?」
「んー ちょっと違うかなー」
「違う?」
「どちらかというと、歳月人を待たず、かな?」
さいげつ? 人を待たず?
どこかで聞いたことあるような、ないような……
「厳密にはもっと長い漢詩なのよ」
と、解説してくれる深谷先輩。
「一番最後の言葉が有名で、茶道でも使われるようになってるわ」
「はあ」
「最後の四文まで、よく知られているわね」
「そうなんですか」
「盛年重ねて来らず、一日再び晨なり難し、時に及んで当に勉励すべし、歳月人を待たず」
んー まったくよく分からない。
いったい何を意味してるのか……
「青春時代は二度とやってこないから、その時できることを精一杯やりましょう。時間は人を待ってくれないよ、って意味だよ」
部長が優しく分かりやすく説明してくれた。
「なるほど」
深い。深いけど……
あんまり自分にはピンと来ないし、実感もしない。
まあ確かに楽しい時間はすぐ終わってしまうけど。
時間は待ってくれないのも分からなくはないけど……
試験の時とか。
時間がー とかなるけど。
でも、青春時代とか、いまいち実感できないし。
たまたま、青春時代といわれる年齢にいるだけで、特に何が変わったわけでもないし。
なんだか、こんな時間が永遠に続くような錯覚さえ感じる。
きっと僕も大人になって、感じるんだろうけど。
ああ……あの時、もっとちゃんとしていれば……って。
今はまだ大人じゃないし。
「春山くん」
「はい」
「青春は待ってくれないよ」
「はぁ……」
「後悔しないように、やりたいこと、やらないと」
「……そうですね」
「春山くんは、やりたいことないの?」
「え?」
僕がやりたいこと?
高校生になって……
……特に何もない。
でも本当に何もなかったのか?
今まで特に考えたことはなかった。
けど……
それは、ただ諦めていただけでは?
もっといっぱい、やってみたいことがあったのでは?
「春山くん、私、やってみたいこと、いっぱいあるんだ!」
「はい」
「だから私、この制服着てるとき、いろんなことしてみたいの」
「……」
「今しかできないことを、後悔したくないから」
「……」
「この制服で、たくさん思い出、作りたいんだ!」
そして部長は回りながら、僕の目の前に躍り出る。
長い髪が扇子のように広がり、そして滝のように流れ落ちる。
髪の毛一本、指先つま先から全てにおいて可憐で、女神のような姿を見せてくれる。
その汚れのない笑顔が、沈みゆく太陽の光さえも恥ずかしくさせ、赤く染まらせる。
あぁ…… なんて綺麗なんだ。
秋芳部長は、その時その瞬間を精一杯生きている、本当に素敵な人なんだ……
「だから、春山くんも一緒に付き合ってもらいたいんだ」
えっ! 付き合う!?
……ああ、協力するってこと、ですね……
「ええ、僕でよければ……」
僕がそう言うと、部長は笑顔で、
「ありがとう」
と言って、
僕たちは、また同じ歩調で歩き始めた。
なんとなく、僕は今まで生きてきただけで、この瞬間が永遠に続くと思っているところがあった。
けど、そんなのはあっという間に過ぎてしまうんだろう。
そして過ぎ去ってしまってから、大切なものを失ってしまってから、後悔するのだろう……
10年後、20年後、この時を思い出して、あの時こうしておけばとか思うようになるのだろうか?
だから部長は今を精一杯、悔いのないように生きているのだろうか?
じゃあ、僕は今、何をすべきのだろうか……
「春山君、あなた、海上自衛隊に入れば」
「え?」
考え事をしている僕に、突然、深谷先輩がそんな突拍子もないことを言い出した。
「海上自衛隊なら、制服で詰襟もセーラー服も着れるわよ」
「いや、それはちょっと、違うんじゃないですか?」
「それいいねー 春山くん入ろう!」
「なに、気軽に言ってるんですか。人の進路を勝手に決めないでくださいよ」
きっとこの何気ない日常、風景が大切なものになるのだろう。
毎日毎日を精一杯生きていき、悔いのないように……
その日が、一生に一度しかない日であるように……
青春時代は、僕たちを待ってはくれない。




