第一部 稀代のテロリスト 5
「終わったぞ」
そう教えてやると、ルミの部屋を映した映像に彼女の姿が現れた。流石に慣れているとはいえ、妹に人殺しの現場を見させるのは些か抵抗がある。彼女自体もこういった血生臭いものは嫌いだし、見ないに越したことはない。
『はぁ。仕方ないとはいえ、殺しはなぁ……おにーちゃんもイヤでしょ?』
俺はカーボンナイフを腰の鞘にしまいながら、殺人に罪悪感を覚えているのか考えてみた。少し脳内で思考してみて、やっぱり痛む良心など残っていないことに気が付く。
人間の一番優秀な能力は、その適応力である。どんな過酷な状況でも、“慣れ”と呼ばれるもので適応できてしまうのだ。しかし人を殺すことに慣れてしまうことは、決して良いことではないのだろう。人の屍を見ても、何も感じない。目の前で人が殺されても、何も思わない。昔の日本――例えるのならば小康状態を保っていた時期のこの国では、人が大量に殺されるというのは全く考えられない出来事だった。しかし、今の日本では、生命の価値が恐ろしく安い。特に移民に対しては人権の類も保障されているのか怪しいし、場合によっては、コンビニに並んでいるスニッカーズより安い値段で扱われていた。この国は変わってしまったのだ。未成年の子供が自衛隊の基地でテロを行うような社会である。それが平和的な体制を維持しているとは、お世辞にも言えないだろう。
「そうだね。できる限り殺したくはないけど、今回は仕方ない。あんまり従順でもなかったからな」
取り敢えず良心の呵責が起きているように見せかけて、俺はこの話題を打ち切った。実の妹から、自分が殺人鬼のように人殺しに対して何ら罪悪感を抱いていないとは思われたくなかったからだ。
男の死体を引きずって物陰に隠して、俺は今後使うかもしれないからと、男の身ぐるみを剥いだ。元々来ていた普段着は、携行用の圧縮袋に詰めてウエストバッグに詰めた。エイディング・スーツの上に作業服を着なければいけないので、ダボッと着ていた普段着よりはかさばるが、贅沢は言っていられない。俺は血濡れた作業服を着こんで、あることを思いついた。
「なぁ。武器庫だけど、もしかして生体認証の類があるんじゃないか?」
ルミに尋ねてみると、彼女はうーんと唸って腕を組んだ。
『可能性としてはあり得るね。流石に兵器に該当するし、あんまりチェックは緩くないんじゃないの?』
「そうすると、やっぱ“顔”をいただいた方が良いか」
独り言ちて、僕はウエストバッグから一枚のパッケージを取り出す。
『使うの? “仮面”?』
尋ねてくるルミに対して、頷きを返しておく。
俺は男の近くにしゃがみ込んで、持ち出したパッケージの封を切った。中からは生理食塩水に浸された一枚の紙切れが出てくる。
それは紙切れとは言ったが、どちらかと言うと女性がよく使うようなフェイスパックのような形状を模していた。俺はそのパックを広げると、男の顔面にそれを貼り付ける。本物のパックと少し違うのは、その紙切れ自体がすぐさま硬化する点か。
少しだけ待機すると、その肌色のパックは次第に固まっていって、男の顔面の構造を模倣した。
俺はパックが固まったことを見計らって、それを男の顔から剥がす。そしてそのパックを自分の顔面に貼り付けた。
「あとは目と指か」
俺は男の閉じられた眼球を開いて、その網膜データをコンタクトレンズに記憶させた。ついでに特殊なセロファンで指先の指紋を記録して、男から離れる。
『あたしが作っておいてなんだけど、やっぱり悪趣味だよねぇ。生体コードをコピーして、その人になりきるなんてさ』
今行ったのは、この男の生体コードを模倣する行為だ。現在のような高度に情報化した社会では、生体認証を網膜、指紋、顔の形などで行う。網膜と指紋は一般的によく使われているが、顔の輪郭などの認証も場所によってはある。まぁ網膜と指紋以外は大して使わないだろうが、一応いただいておく。もしこの駐屯地内の人間と遭遇した際に、“仮面”をつけていると、もしかしたら誤魔化しが効くかもしれない。認証だけでなくても仮面は有用であるので、持っておいて損はないはずだ。しかし難点なのは使用コストであり、このように未知の認証システムが利用されている可能性がなければ、このパックは高コストなのであまり使いたくない。テロリストと言えど、結局は資金がなければ身動きは取れないのだ。
「ま、死んでも役に立ってるってことで」
適当に誤魔化しておいて、俺は立ち上がり、この場所から移動することにした。
ここは荷物搬入専用の駐車場であるらしいが、前方に外へ出られそうな場所があることに気が付く。どうやらここは地下のようで、上階に戻る必要がありそうだ。
俺は駐車場内の監視カメラの位置を頭に入れながら、迅速に移動を開始する。男の口を封じたとはいえ、あまり長い時間はかけられない。男の帰りが遅いと確認に来た人間が、彼の死に気が付く可能性があるのだ。そうなれば侵入者の情報は拡散されるだろうし、その頃には基地から脱出しているのが理想である。もし駐屯地内でサイレンでも鳴らされようものなら、出口を封鎖されて、脱出が不可能になってしまうことも考えられた。
駐車場内に設置されているカメラは定点タイプではなく、昔で言う扇風機のように首を振るタイプだったので、むしろ都合が良い。今回は大丈夫だが、もし定点カメラだった場合、出入口に設置されていると無変装の場合は身動きが取れないからだ。稼働タイプの監視カメラは監視範囲に秀でてはいるが、本来であれば定点の方が侵入者警戒の面では優秀だ。まぁ、敢えて稼働カメラを使ってくれていることに感謝するべきか。
カメラの首の振り方とタイミングを覚えながら、ゆっくりと、しかし着実に歩を進めていく。佐倉重工の倉庫と同様に、パターンさえ覚えてしまえば、躱すのは簡単だ。まぁ先ほどの男の顔をコピーしているから、カメラに映っても基本的には問題ないのだが、作業服に血痕が付着しているので、もしかしたら怪しまれる可能性があったから、隠れながら進むことにしていた。
しばらく進んでいると、駐車場の出口らしき場所の前まで来られる。道が上に向かって傾斜しているので、ここから上階に上がれそうだ。
俺はカメラの向きに気をつけながら、素早い動きで地下駐車場を出る。今のところ、俺の侵入は発覚していないようだった。あの男を殺害したことがバレないうちに、早いところここから脱出したいところである。
駐車場から出てみると、確かに目の前は演習場と言う名前が付きそうな、だだっ広い空間が広がっていた。背後を振り返ってみると、そこは予想した通り、自衛隊の訓練(かどうかは厳密にはわからないが)施設のようであった。意外と大きな建物で、屋内訓練所でもあるのだろうか。
取り敢えず目下の目的は、演習場を抜けて武器庫まで行くことだ。演習場はかなり広域に渡ってはいるが、目的の武器庫らしきものはここからでも確認できる。屋外であるので監視カメラの類は少ないであろうが、自衛隊の施設であるので、用心する必要があった。
「ま、演習場をぐるっと回って武器庫まで行くか」
『見つからないようにね。流石に警備の人たちはいても小数だろうけど』
ルミの忠告を耳に入れながら、俺はまず演習場の縁の方に向かった。
周りを見渡しながら歩いているものの、人影は一切ない。時間的にもう消灯前であろうから当たり前かもしれないが、やはりだだっ広い場所に一人でいるからか、空間的な恐怖心を拭えない。こんなに開けた場所だと、いつ、どこから見られているのか把握が難しい。いきなり不審人物だと通報されて、侵入が発覚してしまうなど考えたくもない未来だ。
しかし二つほどの監視カメラを抜けたところで、演習場の端まで到着していた。ここから真っ直ぐ進めば、目的の武器庫に到達することができる。
『今のところ順調だね』
「ああ。問題は武器庫の管理システムか」
流石にルミとは言え、自衛隊の格納庫の管理状況を調べ上げることはできなかった。当然と言えば当然だが、可能性の一つとして、武器庫の管理システムが厳重で内部に入れないということも考えられる。
俺が持ってきた爆薬の量と性能を考えると、やはり内部に設置して起爆するのが望ましい。本当に武器庫の内部に侵入できない場合は致し方ないが、できるだけ内部に設置するべきだ。もし起爆しても倉庫の壁が予想上に堅牢だった場合、内部の兵器を破壊しつくせない場合が考えられた。そうなると任務は失敗になるわけなので、やはり注意が必要だ。
演習場の真横を真っ直ぐ進んでいき、俺はしばらくして武器庫の前に到着した。倉庫の外観を見た限り、侵入できそうな箇所は一つだけ。電子ロックが施されたドアのみだ。
俺はそのドアにゆっくりと近づいて、ロックの方式を確認する。ドアの部分には大きなモニターらしきものが設置されていて、ロックが生体認証に依るものだと教えてくれた。
「顔、貰っといて正解だったな」
『武器の格納庫となると流石に厳重だね。ナイスだよ、おにーちゃん』
俺はモニターの前に立って、ドアを起動させた。見た限りサーバーに繋がっているタイプではなさそうなので、ロックの解除がどこかに伝わってしまうこともなさそうだ。
ドアは顔による生体認証を求めてきた。俺はコンタクトレンズの表層に先ほどコピーした男の網膜情報を投影して、モニターに向けてまっすぐ立つ。
程なくして、認証が完了したのかロックが解除された。ロックされているということは、内部に人はいないということだ。俺は一人でにやけながら、ドアを開けて内部に入っていく。
当然ながら電気をつけることはできないので、コンタクトレンズに集光を行い、視界を確保する。段々と見えてきた視界の中、この倉庫が迫撃砲、銃座、そして小銃の類の格納庫だと判明した。戦車も数台あるが、破壊するのは難しいだろう。しかし、これだけの装備品を破壊できれば、任務としては成功だと言っても問題はなさそうだ。