第一部 稀代のテロリスト 4
ふと、視界の中に滑らかな金色が入り込んだ気がした。俺は心臓が跳ねるのを感じて、顔を上げる。しかしそこには誰もいない。あの金色は、忘れるはずもない。俺は彼女が傍にいるのかと悟って、周囲を見渡した。
『お兄ちゃん?』
イヤーチップから響く声に、俺は我を取り戻す。俺の視界をルミにも共有しているから、こちらの首の動かし方に違和感を覚えたのだろう。俺は額から汗が伝うのを感じて、荷台の壁に背を預けた。
「いや――何でもない。それで、何の話だっけ?」
そう尋ねてみるが、ルミは何も答えなかった。何かあったのかと思って視界の端にあるルミのライブ映像に視線をやるが、彼女は少しだけ俯いていて、なんだか悲しそうに見える。
「――どうした? 何かあったか?」
不思議に思ってそう聞いてみる。ルミは少し顔を上げて、辛そうな視線をこちらに向けてきた。
『また、“見えた”の――?』
その言葉に胸が跳ねるのを感じる。俺はどう返そうか迷って、そして静かに唇を噛んだ。
『見えた、んだね――』
否定しようかと思って、しかし俺の口は言葉を紡ぐことはなかった。
俺とルミの間に、気まずい沈黙が流れた。お互いに、何か言葉を発することはない。しばらく無言の時間が過ぎたが、ルミの方が先に口を開いた。
『お兄ちゃん。何度も言ってるけど、もうあの人は――いないんだよ』
違う。生きている。だって、俺の前に何度も姿を現すんだ。だから、彼女は絶対に生きている。絶対、絶対だ――。
そう言い返そうと思ったが、やっぱり俺は言葉を紡ぐことができなかった。
わかってる。わかっている。ルミの言葉が正しいことくらい。だけど、どんなにそれが正しいことであっても、認めがたいことはある。人は見たくない事実から目を背ける生き物だ。それと同様に、俺にだって決して受け入れたくないことだってあるのだ。
『お兄ちゃん。気を確かに持って。今は任務中だよ? 下手なことすれば、本当に殺されちゃうんだから』
ルミが諭すようにそう静かに告げる。妹に世話になっているようでは、まだまだ俺も大人になり切れていないということか。
「――ああ、わかってる。済まない。本当に何でもないんだ」
そう返して、溜息を吐く。ルミはしばらく心配そうにこちらを見つめていたが、諦めたように視線を逸らした。そして、タイミングが良いのか悪いのか、荷台が細かく振動を始めた。どうやら、トラックにエンジンがかかったようだ。
それと同時に、荷台の搬入口の方で物音がした。もしかして内検が行われるのかと思って素早く立ち上がる。しかし、その実は荷台のロックが外れているのを見つけたのか、作業員か機械がそれを閉めただけだったようだ。ガチャリと扉が固定される音を聞いて、俺は崩れ落ちるように座り込んで安堵する。
『結局、バレなかったね』
「ああ。だけど、これからが正念場だ」
これから、直に自衛隊の練馬駐屯地に乗り込むのだ。これまでとは警備が比べものにならないだろう。過去に自衛隊の施設に潜入したことはあったが、実際の隊員がいる駐屯地に侵入するのは初めてだ。だから未知の出来事が予想以上に待っていることを想定して、余裕を持って行動する必要がある。
荷台に背を預けると、慣性の法則が俺の身体を静かに傾けた。どうやら俺の存在に気が付かないまま、輸送トラックは倉庫から出立したようだ。
取り敢えず、駐屯地に到着するまでは、荷台の中で待機していなければならなかった。港区から練馬区への都内移動なので、県を跨ぐような長時間はかからない。少しだけ荷台に待機しているだけで良かったが、その間も暇なのでルミと会話を続けていた。
ルミは普通の高校生とは違う(俺はそう思っている)ので、他の同年代の人間と会話するより断然面白い。ルミの方はそもそも普段から会話する相手が俺だけなので、いつもと変わらず退屈かもしれないが、こちらとしては任務の緊張感を緩和することができるので、彼女の存在は重宝する。それ以外にも俺が今装備しているエイディング・スーツやイヤーチップ、コンタクトレンズの類も製作してくれているので、殆ど彼女の力がなければ戦えていないと言えるだろう。見方によっては、俺は世界で一番優秀な装備を持つ兵士だとも捉えられるのだから。
しばらくの間ルミと会話を続けていたが、不意にトラックが停止した。普通に交差点で停止しただけかと思ったが、どうやら違うようだ。停止して少しするとエンジンも切れたらしいので、恐らく練馬駐屯地に到着したのだろう。時間的にも、恐らく目的地に到着したことを示唆していた。
「着いたみたいだ」
『気を付けてね。もう射殺されても文句は言えないよ?』
わかってると返して、俺は荷台の搬入口の方を監視する。しばらく待っていると、扉の施錠が解除されて、荷台の中に光が入り込んだ。
コンタクトが機能して、光量を調節する。今まで暗闇の中にいたから、レンズは俺の目を灼かないように徐々に光量を上げてくれた。本当に便利な機能だなと思っていると、荷物を下ろすのであろう自動制御の機械が顔を覗かせる。見た限り“目”の類は装備されていないようなので、本当に荷物を昇降させるだけの機械なのだろう。下手に遠隔操縦型のロボットだと、荷台から出るのに難儀しそうだったから、少しだけ安心する。
『ありゃりゃ。意外と旧式を使ってるんだねぇ』
ルミが俺のコンタクトに付加されたカメラから昇降装置を見たのか、そう答えた。そこまでAIの普及率に関しては詳しくないが、彼女にして旧式ならば、自衛隊も内戦続きで資金難だということか。
「目は付いてないだろ?」
『うん。個人の識別はできないから大丈夫。だけど外に人がいるかもだから気を付けて』
昇降装置に接触しないように荷台の先の方に移動する。そして荷台からちょっとだけ顔を出して周囲の確認を行うが、恐らく現場の監督が一人いるだけで、他に人間はいないようだった。
この様子なら、あの一人の視線にだけ注意すれば問題はなさそうだ。
俺は現場監督らしき男が視線を外すタイミングで、荷物に紛れて荷台から降りる。そのまま荷物の積まれた一角に中腰で歩み寄って、一旦落ち着くことにした。
「ここは基地内のどこだろうな?」
周りの視覚情報をルミに転送しながら聞いてみる。
『うーん。荷台の貨物自体が大型の電子機器だったから、武器庫に直接出れたってわけじゃなさそうだけど。外じゃないんだよね?』
「ああ。一応屋内みたいだ。周りの状況的に、もしかしたら隊員用の居住施設かもしれないな。電子機器もシミュレーターの類だったみたいだし」
『もしそうだと、訓練施設の一角なのかもしれないね。流石に駐屯地内の地図は盗み出せなかったから、現場判断で動いてもらうしかないけど』
ハッカーとしての適性にも秀でるルミであったが、国防に関するデータとも言える駐屯地の設備案内図は入手できなかったようだ。まぁそもそも俺たちは基本的には一般人であるわけだし、自衛隊基地の構造を把握していたら、それ自体がおかしいのだが。
「とにかく、下手に動くのも危険か。今回ばっかしは、誰かに“聞いた”方が良さそうかもな」
素早くルミと情報を整理して、今後の行動を決定する。取り敢えず最初は武器庫の位置を確認する必要がありそうだ。
俺は物陰から顔を出して、先ほどのトラックの方へ顔を向ける。
まだ作業は続いているようで、現場監督一人と機械たちが荷物の搬入を行っていた。
「あいつに聞くか」
『まぁ悪くないと思うけど、隠す場所ある? 監視カメラは大丈夫?』
そう言われて、俺はもう一度周囲の状況をチェックした。
屋内搬入口のようで、人間は現場監督一人しかいない。しかし監視カメラは存在しているようで、下手に動けば侵入が発覚してしまう。ルミの警告通り少し慎重に動いた方が良さそうだ。
今のところ、俺が隠れている場所を監視しているカメラはない。だから“聞く”とすれば、物陰もあるこの場所が良いだろう。
「やってみる。目、閉じとけよ?」
『うん。あんまりそういうのは見たくないし』
ルミの返事に薄く笑いながら、俺は拳で荷物の端を強めに叩いた。
この現場にしては異音と思える響き。この音にあの男が気付いたかは確認できないが、とにかく待つしかない。
緊張感から分泌されたアドレナリンの苦さを味わいながら、俺は息を潜めて待機をする。しかし幸いなことに、現場監督は異音に違和感を覚えたようで、こちらの方に確認に来ているようだった。迫る足音からそのことがわかる。
「釣れた」
『あとよろしく』
映像のルミが目を逸らしたのを確認して、俺は現場監督がこちらに姿を晒すのを待つ。
程なくして、彼は荷物の端から顔を出して、こちらの様子を伺ってきた。俺の存在に気付いて人を呼ばれないように、彼の身体を、腕を使ってこちらに引き込む。
エイディング・スーツの筋力補助が働いて、思った以上に軽い力で彼の身体は物陰に引き込まれた。そのまま俺は腰から引き抜いたカーボンナイフを間髪入れずに首元に突きつける。いわゆるホールド・アップした状態になったわけで、流石に自衛隊の基地で働いている人間はこの状況に陥れば下手に抵抗はしてこないだろう。
首元に突きつけたカーボンナイフに、冗談でやっているわけじゃないとわからせるために、わざと少しだけ力を込める。その緊張感が彼に伝わったのか、彼は小さく身体を痙攣させて、身を縮こませた。
「状況はわかっているな? お前は今ホールド・アップされている。下手に動いたり叫んだりしたら迷わず殺す。俺が聞いた時だけ素直に答えれば生命は取らない、いいな?」
自分にしては低めの声色でそう尋ねると、俺に首を拘束されている男は小さく首を縦に振った。
「俺が聞きたいのは、武器庫――そうだな、小銃や戦車、その他兵器の類がしまってある場所だ。答えろ」
「な、なんでそんなことを聞くんだ……?」
男は俺の質問に答えることなく、こちらに質問を返してきた。まだ少し立場というものがわかっていないようなので、彼に現状を理解してもらうことにする。
俺は何ら迷いもなく、彼の首筋にカーボンナイフの刃を当てて、少しだけスライドさせる。金属製ではないにしろ、薄く研がれたカーボンナイフの切れ味は説明するまでもなく、首の表皮が少しだけ破けて、中から鮮血が覗いた。彼も首が切られそうになっていることに痛みで気が付いたのか、あからさまに慌て始める。
「や、やめてくれ! 何が目的なんだ?!」
「まだわかっていないようだから教えてやる。お前の生き死にを決めるのは俺であって、お前じゃない。気分によっては、大人しく答えたところで殺すかもしれないぞ? 機嫌を取っておいた方が身のためだと思うけどね?」
そう耳元で囁いてやると、男は震えるのをやめて静かになった。ようやく、大人しくこちらの言うことを聞く気になったようだ。俺は小さく溜息を吐いて、カーボンナイフを握る手のひらに力を込める。
「もう一度聞こう。――武器庫の位置はどこだ?」
そう尋ねると、男は観念したように口を開いた。
「――戦車は演習場に一番近い倉庫に殆どすべてが。迫撃砲、銃座、小銃。そういった類もそこにある。演習場はここから出てすぐ目の前にある開けた場所だ。出たら倉庫の位置も同時にわかるだろうよ」
依頼人から発注された任務内容には、破壊する兵器は小銃がメインだと書かれていたが、ピンポイントにそれだけ破壊するのは困難だろう。そう考えると、追加報酬も狙えるため、他の兵器も格納している倉庫ごと爆破した方が楽そうだ。
とにかく、武器庫の場所は判明した。これからはそこに移動して、爆薬を設置、その後脱出する。
俺は脳内でのシミュレーションを完了させて、目の前の男の処分を考えた。気絶させるという手もあったが、基本的に俺は素人だ。だから柔術の達人のように喉笛を突き上げて気絶させるといった高等技術は持っていない。首を絞めて気絶されるという手もあるが、それはそれで気絶と殺害のボーダーがわかりにくく、場合によっては普通に殺してしまう可能性もある。しかも気絶という手段は、対象が任務中に目を醒ましてしまうことも考えられたし、あまり良い手段とは言えなかった。
あまり時間もかけられないので、俺は非常に楽な手段を採ることにした。
俺は一切の逡巡もなく、男の首元に突きつけたカーボンナイフを薙いだ。研ぎ澄まされた切っ先は表皮を切り裂き、筋肉を分断し、血管を引きちぎる。大量の血液が切創から溢れ出して、現場監督の男は速やかな死を得た。
流出した体液に触れてしまわないように気をつけながら、俺は男を横たえて静かに立ち上がる。自分の存在を知ってしまった以上、殺すのが一番安全だと言えた。これまでの任務でも基本的にはそうしてきたし、最初は痛んでいたはずの心も、今となっては全く傷つかない。これは決して正しいことではないのだろうが、世の中正しさだけではまかり通らないこともある。だから間違っていたとしても、決して過ちではないのだ。