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愛してるを歌にして  作者: 柚月 ぱど
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第一部 稀代のテロリスト 2

 俺は視線を路地裏の出口の方に向けて、静かに歩き始める。第一目標である佐倉重工まで殆ど距離はなかったが、せっかく用意してくれたのでナビを横目で見ながら歩いた。路地裏を出てしばらく進んだところにその佐倉重工はある。そもそもそんなに近くなら隠れる意味などないのではないかという意見もあるが、それは大きな間違いだ。作戦行動というものは実にデリケートなもので、細心の注意を払うものである。先ほどにも例を出したように、この日本と言うのは情報化が進んでいた。街を歩くだけで誰がどこをいつ通ったのか記録される社会なのだ。つまりバカ正直に時間ぴったりで目的地に到着することは、自分がここにいたよと社会に直接教えているも同義である。だからなるべく個人識別されないルートを選んで、監視のない場所で待機して時間をずらす。そのように個人の行動情報を攪乱することが自分の身を守ることに繋がるのだ。

 何日前から放置されているのかわからないごみ袋に接触しないように歩を進めて、俺は路地裏を出た。ここから先は少しだけ注意して進まないといけない。俺は少し意識を集中させて、街道の通りに出た。

 時刻は午後八時頃。街は眠気を吹き飛ばすネオンと吐き気を催す人だかりに沈んでいる。

 天には暗黒が満ちているものの、地表にはそれに迎合する意思はないようだった。華美な蛍光色のネオンがそこら中に蔓延っていて、俺の自意識をちょっぴり酩酊させる(酒は飲んだことないが、まぁそんな感じだ)。街を歩く人々は、みな自己の感覚に酔っているようで、どこか現実味がない。この時間帯特有の浮遊感が身体を浮かせる中、俺はネオンの付近に設置されている“目”を注視した。

 それはゆっくりと首を回しながら、周囲の状況をリアルタイムで記録している。人の顔のデータから個人を識別し、認証を行う監視カメラ。隠密行動を行う俺にとっては天敵であり、絶対に姿を晒してはいけない相手だった。

 視界の端に設置していたナビゲーションアプリが読み込みを行い、その画面に複雑な進行経路を表示する。僕はそれを瞬時に把握して、ゆったりと、かつ迅速な動きでナビゲーションの進行線をなぞった。

『うひゃあ。この辺、ちょっと前はあんまりカメラなかったのに、すごい増えてるね』

 ルミがおどけたような声色で呟いた。俺はそこまでこの辺りに詳しくないが(ルミもオンライン上のデータだけを参照しているのだろうが)、やはりカメラの数は比較的多いように思える。

 かつて、いや七、八年前まで、この日本は現在のような監視社会ではなかった。しかしある一連の事件がきっかけで、このように情報監視社会に変貌してしまったのだ。

 それはとある一人の“賞金稼ぎ”による。現在ではほぼ絶滅しているが、過去にはそう呼ばれる人々がいた。民警と同じ系列で、しかし単独で依頼をこなす何でも屋が。彼らの中に、一際異彩を放つ男がいた。

 今では伝説となっているが、“一匹狼ローン・ウルフ”と呼ばれた賞金稼ぎがいた。かなり歳の若い男ではあったが彼は非常に優秀で、名前付き(ネームド)と呼ばれる賞金稼ぎの中でも有名な人物であった。彼は単独で数多くの暗殺任務に従事し、多くの人間を屠ってきた。他にも、今から俺がやろうとしている自衛隊の基地への単独潜入を記録上最初に成功させた人物であり、噂によると国連の秘密組織へ侵入し、重要なデータを盗み取ったとも言われている。まぁ俺がちょっとした目標にしている人物であるわけだが、この一匹狼が、この高度情報化社会を生み出す原因になってしまったのだ。

 その詳細は明らかではないが、彼、一匹狼は“知りすぎた”ようであった。彼の活躍は本当に一時期のものであり、ある日社会からその存在を消失させてしまったのだ。国際問題に発展する“何か”を知ってしまったのではないかという意見が今のところ主流ではあったが、単純に身を潜めたという話もある。結局、彼は表舞台から姿を消してしまった。しかし一匹狼が残した爪痕は非常に大きかったのだ。

 賞金稼ぎと言っても、公式には警察から逮捕権の一部を委託された一般人に過ぎない。しかし一匹狼はただの一般人にありながら、その身分に有り余る戦績を残した。彼の伝説を知った人々は自らの可能性を信じ、荒唐無稽な挑戦を始めたのだ。つまり先に述べた自衛権の民営化という寝言をほざくようになり、社会は混迷の一途を辿ることになった。行き過ぎた力は人々を惑わせ、正常な判断力というものを攫っていく。彼の功績が、大衆という大きな力の源泉を刺激したのだ。その結果、政府は国民の監視を余儀なくされ、このような監視社会が生まれてしまった。

 俺はナビゲーションの表記に従いながら、カメラの死角を縫うように歩いていく。多くの情報を即座に処理して表示できるルミ製のナビアプリは便利ではあったが、自分の感覚というものも中々無下にはできない。ナビは便利ではあるが、カメラの監視方向と首の回転を意識して、回避しながら進むのは俺自身だ。だからナビは最低限の支援情報を提示して、僕にかみ砕かれたインテリジェンスを提供する。それを俺が独自に処理して、自身の行動に上書きするのだ。情報化が進むと言っても、情報を扱うのは人間である。だから情報はその受け手が存在しなければただの電子データであり、極めて無為なものだ。真に情報を扱う者と言うのは、情報の使い方をよく理解している者を指す。情報リテラシーという言葉が過去から存在するように、過度に電子化した今でも、その言葉は警句として社会に刻まれているのだ。

 ナビが監視カメラの行動予測を表示して、俺はその情報から進路を変更する。基本的にはナビに従うが、不測の事態に際しては独自の判断を下す。高度に情報化した今、機械ばかりに頼るようでは生きていけない。機械にはなくて人間に存在するものは独自性だ。過去の将棋において人間の閃きでコンピューターの戦況予測を覆した例があるように、人間の感覚というのは広義でいう経験則に従っている。0と1の集合体にはわからないフィーリングというのが、人間の感覚には存在していた。ちょっとした直感が、コンピューターの演算をすっ飛ばして結果をもたらすことだってあるのだ。

『はぁ、参っちゃうね。あたしのナビがあるからいいけど、またちょっと改良しないとな』

 溜息を吐くルミに微笑ましさを感じながら、僕は幾重にも張り巡らされた監視という名の電子網をかいくぐっていく。こういう群衆に紛れた隠密行動というのは、人の動きが最も不確実性の高い要素だと言えた。酔っ払いに絡まれ、突き飛ばされてカメラに映ってしまう。そういう未知の可能性だって、確率論の世界には確かに存在している。だから俺はカメラ以上に人の動きというものを脳内で計算しながら、目的地に向けて進んでいた。

 ねちっこい監視網を抜けていくと、ネオン街がその身を潜め始める。つまり街の終わりが近づいてきたわけで、俺から見て右手側に、大きな倉庫らしき影が映り始めた。コンタクトレンズに搭載された光量調節機能が働き、光源の少ない環境でも集光を行って、俺に鮮明な視界を提供してくれる。

 巨大な倉庫群は暗闇のもとでも確かな存在感を放っていて、俺の緊張感を少しだけ高めた。あの倉庫が佐倉重工の配送施設であり、今回の初期目標地点である。

 俺はただの通りすがりを装いながら、何食わぬ顔で倉庫前の道を歩いていく。外観を見た限り、大手通販業者の国内配送施設と大差ない構造に思えた。一応事前にルミが内部の構造地図を入手してくれているが、電子データだけではわからないものもある。だから俺はいつも、電子データ情報以上に自分の感覚というものを信じていた。

 倉庫の前を通り過ぎて、俺は倉庫付近に警備の類が殆ど存在しないことを確認する。まぁゼロではないだろうが、一応民間企業ということも相まって、警備自体が少ないのだろう。そもそもこの佐倉重工は現在自衛隊や警察の装備品を開発しているのだから(もちろんこの会社だけが作っているわけではないが)ある程度テロや襲撃の警戒はするべきだと思えた。俺にしてみれば、警戒が薄い方が侵入しやすくて楽と言えばそれまでなのだが。

 俺は倉庫から一旦離れて、シャッターの下りた小さな商店の壁に寄りかかる。そしてもう一度冷静にナビを見直して、侵入経路を確認した。

『倉庫の職員入り口は流石に危険だろうから、監視の薄そうな裏口からね。一応ナビにも内部構造は読み込ませてあるから、迷うことはないと思うよ。流石に監視カメラとか人の位置や動きはわからないから、適宜対応ということで』

 まぁいつも通りということか。ルミが内部の地図を持っているから、それだけ施設内で迷子になるというヘマを起こさずには済むのだが。施設にどのくらいの監視カメラや人員が投入されているかはルミの予測を参考にするしかないが、あくまで予測であるので、最終的には自分の感覚を信じるしかない。

 俺はナビの表記に従って、まずは倉庫の真横に回り込み、裏口を目指すことにした。商店の壁から身を起こして、ごく自然な動作で歩いていく。倉庫自体がまぁまぁ大きいので、裏口に回り込むことだけでもちょっとばかり時間がかかる。移動している間、何台かの輸送トラックとすれ違ったが、その運転を行っていたのは全てAIだったので、そもそも誰も乗っていなかった。倉庫の周りにはトラックが整然と並べられていて、いつでも出発できるような体制になっている。しかし人員はかなり少なく、そもそもこの時間帯に輸送を行うこと自体が少ないのかもしれない。倉庫の外周には監視カメラもなく、自分の存在が露見することを過度に警戒する必要もなかった。

 倉庫の周囲をぐるりと回って、俺は倉庫の裏口に到着する。裏口は本当にごみ捨て口といった感じの粗末な通路であり、監視カメラの類も存在しない。侵入自体は容易そうであった。

『ずさんな警備だね。これでも政府御用達の製造会社なのかな?』

「楽に越したことはない。まぁ練馬の駐屯地ではそうも簡単にはいかないだろうからな」

 俺は息を吐くと、静かな、かつ素早い動きで裏口まで歩み寄った。監視などが別にあるわけではないのでそこまで焦る必要はなかったが、癖というやつだ、普段はここまでテキトウな管理の施設に侵入することはない。もっと管理が行き届いていて、危険度が高いところ。まぁ今後自衛隊の駐屯地に潜入することを考えると、今ぐらい楽した方が良いだろうが。

 裏口のドアに触れて、ゆっくりと開く、鍵自体もかかっていなかった。そもそも、侵入者が裏口の存在を知っていると想像していないのだろう。だから正規の入り口以外の警備がずさんなのだ。このようなパターンは、現在の監視情報社会と言えども意外と多かった。それは過去の政治家がよく多用したように、“予想外の出来事”であるからだ。政府に限らず企業の危機管理担当は、少なくとも想定外の出来事が起きてしまわないように、事前に多様な対策を講じる必要がある。予想外の出来事であった、で済むのであれば、そもそも危機管理など無為なものにすぎないのだから。

 やはり裏口はごみ捨て専用の出入り口のようで、普通の職員が利用する場所ではなかったようだ。その証拠に、裏口から中を盗み見ても誰もいなかった。そこは細い通路が続いていて、ナビ通りに進めば取り敢えず目標のトラックに紛れ込めそうだ。

「行きますか」

『気を付けてね。いくらガバガバとは言え、不意の接触はあり得るから』

 俺はルミの言葉に頷いて、慎重な動きでその細道を進んでいく。

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