第一部 稀代のテロリスト 1
『エイディング・スーツ、作動を確認。電力供給に異常なし。生体電気受容率九十六パーセントを維持。筋収縮、規定値マイナス二で安定。酵素伝達経路、正常。――HUDはどう? おにーちゃん?』
聞くものを惑わすような甘ったるい声色が、耳孔内に貼り付けられた小型イヤーチップから響いてくる。真面目な作動確認だというのに、彼女の声のせいで真剣さというものに欠いてしまう。俺は仕方ないと思いつつも溜息を吐いて、言われた通りHUDを起動させる。
視界の中に、まるで宙に浮いているかのようなホップアップが浮かび上がり、現在時刻や気温、湿度、自分の体温や心拍数、その他諸々の情報が表示された。宙に浮いているというのはあながち間違いでもなく、このHUDは僕の眼球に貼り付いているシリコン製のコンタクトレンズに直接投影させている。このようにコンタクトレンズにHUDを描写させるシステムは非常に便利であり、他にも拳銃の銃口にHUDをリンクさせて正確な照準を支援したり、光量調節によって暗所でもナイトビジョンを装備したかのようなクリアな視界を確保できる。昔はなくても大丈夫だったが、いざ使ってみるともう無いときには戻れない。それほどまでに便利なシステムだった。
俺はHUDの表示や描写、あらかたの機能チェックを行い、不具合がないかどうかを確認する。そもそもこの装備は世界で一番優秀な開発者が作っているものだから、そもそも誤動作の類だって一度も起きていない。だから作動確認も殆ど保険みたいなものだが、やはり作戦前は同じようなルーチンを繰り返すことで、高ぶった心を静めることができる。野球の投手なども、登板前は同じ動作を繰り返し行って心の安定を図るという。そのように、この確認作業は一種の儀式めいた魔力を保持していて、俺を普段の自分から一人の戦士へと変えてくれる。
電子的な操作を伴う装備品の動作確認を終えて、俺は溜息を吐いた。その音がマイクに乗ったのか、彼女が悪戯っぽく笑う。
『緊張してる?』
緊張してるかどうかと聞かれたら、それは少し緊張していると言えるだろう。だって俺がこれからやろうとしていることは、一般的に犯罪に該当することだ。そりゃ逮捕される危険性だってあったし、もしくは見つかってその場で射殺されてしまう可能性だってあった。だから緊張してるかしてないかと言われればもちろん緊張していたが、それを素直に告げるのはなんだかむず痒い。
「いつもと同じことだ。緊張なんてしない」
そう返すと、彼女はクスクスと笑い始めた。
「何が可笑しい?」
『だってそれ、噓でしょ? あたし、妹だからわかるもん。おにーちゃんと何年一緒に暮らしてると思ってるの?』
彼女――俺の妹であるルミは、やっぱりどこか可笑しそうに笑い続けた。俺はなんだか見透かされたような気分になって、言い返したくなる。
「というかお前、俺のことをおにーちゃんって呼ぶなよ。俺はお前のことを信頼しているけど、もしかしたら奴らに傍受されてる可能性だってあるだろ?」
言い返すと、俺の視界に一つの大きなホップアップが浮かび上がった。それはリアルタイムのライブ映像のようで、暗い部屋の一室が映し出されている。もちろんそこにいるのはパソコンに向かっているルミというわけで、彼女は自信満々げにあまりない胸を張っていた。
『おにーちゃん。あたしを誰だと思ってるの? おにーちゃんも言ってたよね、ル――ロジィが、世界最高の科学者だって。そのあたしを信用してないの?』
守秘回線ではあるものの、ネットワーク上で実名を言いかけた自称天才科学者(まぁ、俺も天才だとは思っているが)の妹に若干辟易するが、やっぱりどこか微笑ましくて、作戦の緊張感からか、少しだけ頬を緩めてしまう。彼女が俺の緊張感を察知して、わざとそのように道化を演じてくれているのかどうかは、俺には判別がつかなかった。
俺はルミの表示されているホップアップをHUDの描写区画の端に配置して、脳を状況に切り替える。HUDの情報を作戦時に必要なものだけに選別して、静かに目を開いた。
そこは薄汚い路地裏で、カラスのたかっているごみ袋や、誰かが吐き捨てた吐瀉物、いつ付着したのかわからない血痕らしきもののオンパレードだ。僕は周りの臭気に少しだけ眉をひそめて、HUD上で現在時刻を確認する。
時刻は午後八時前。作戦開始時刻だった。
俺は小さく息を吐いて、意識を完全に任務にシフトさせる。ここからは失敗など許されない。俺は一人の戦士として、戦場に出る。だから小さなミスが命取りになるし、ゲームみたいにやり直しなど効かない。俺は生命を賭けた戦いに出かけるのだ。
俺の変調を感じ取ったのか、ルミがHUD上にナビゲーションアプリを表示した。それは俺が今から潜入する施設に向けたナビであったが、もちろんHUDが壊れた時のことを考えて地図は全て脳内に入っている。しかしあった方が便利ではあるので、俺は表示されたナビゲーションアプリを静かに見やった。
『まずは、アプリに表示されている佐倉重工の配送施設に侵入します。その後、第千九百八十四番の輸送トラックに同乗、陸上自衛隊の練馬駐屯地に潜入します。その後、打ち合わせ通り武器庫に侵入、爆薬を設置して起爆、そして同基地から脱出。目標は施設内の武装を破壊です。良いですね?』
打って変わって真面目な口調になったルミに苦笑いしながらも、俺は返事を返した。
そう、俺は今から、自衛隊の基地で盛大に爆弾テロを行うつもりなのだ。
陸上自衛隊の練馬駐屯地には、現在日本国内の反政府ゲリラを攻撃するための武装が大量に保管されている。それを全てとは言わないが破壊することで、陸上自衛隊の戦力を削ぐ。これが、今回俺たちに課せられた依頼人からの任務だった。
反政府ゲリラ、と言ったのは他でもない。現在日本では、反政府ゲリラによる国家転覆が画策されているのだ。
この話を遡ると、それは二千三十年代まで戻らなくてはならない。三十年代において、日本は海外からの無茶な難民受け入れを開始し、国内に外国人が溢れかえった。その結果日本は世界有数の犯罪大国となったわけだが、その事態に対応するため、政府は逮捕権の一部を民営化した。そして生まれたのが民間警備会社という組織であり、これが現在の日本を混沌の渦中に陥れた張本人である。
時は流れて二千四十年代中盤。その時期になって、ある民間警備会社、もとい民間軍事会社が設立された。
その名は忠犬部隊。しかしその民間軍事会社は、これまでの類型を逸脱した組織であった。
シェパーズは自らを私設部隊と表し、自衛権の民営化を政府に突きつけたのだ。
自衛権の民営化、と言うのは言葉通りだとわかりにくい。一言で表すると、日本の自衛隊の権限を全て国民が統帥するから政府は関わるな、ということである。海外で言うところの軍部の民営化に該当するだろう。
もちろん、そんな無茶苦茶な要求を政府が承諾するはずなかった。しかし政府が要求を棄却すると、シェパーズは日本国内の移民たちの支持を勝ち取って、政府と直接対決を始めたのだ。
当然ながら、シェパーズは民間警備会社の一つであるわけだし、単独で政府を渡り合うことなどできなかった。しかしこれまで他の民警(民間警備会社の略)による警察権の公に対する返還などの反対運動も相まって、シェパーズに迎合する組織や団体が爆発的に増加したのだ。
それによって日本は先の紛争以来の内戦状態に陥り、戦況は混迷を極めた。シェパーズを筆頭とする部隊は反政府ゲリラとなり、日本を混沌の最中に陥れたのだ――。
これが反政府ゲリラと言う、これまでの日本には似つかわしくない存在が生まれた経緯である。この話は深入りするとキリがないので、一旦この辺りで中断しておこう。まぁ、そんなこんなで俺たちはテロリストなわけだが、利害が一致しているので反政府ゲリラ――もといシェパーズの一派に肩入れしているというわけである。
話を戻すが、今回の任務は陸上自衛隊の練馬駐屯地に潜入して、その武器庫をできるだけ破壊する、という内容だ。ただの一般人にしてみれば自衛隊の駐屯地に潜入するなどありえない話だが、俺とルミにかかればそれが可能となってしまう。
俺はともかく、ルミは世界最高峰の技術者であり、作戦に必要な俺の装備品の殆どを開発してくれていた。まだ高校生だが、その手腕はそこらの技術者を優に上回る。彼女はいわゆる祝福者と言われる存在であり、特に機械系、他にも科学系の造詣が深い。ルミに任せれば、未だ開発されていない軍事的優位性を誇る装備を量産することができるのだ。俺はその世界最高水準の装備品を余すことなく使わせてもらっているわけで、こういったリスキーな任務には欠かせない道具になっていた。
そうなると俺はどうなのだという話だが、別段俺は何か優れているものを持っているわけではない。しかしルミが評するに、いわゆる“一人だけの軍隊”としての才能が恐ろしく高いらしいので、このように今までの危険な任務をこなせて来ていた(ようだ)。こういった任務を受ける以上、隠密行動は最低限の条件になる。戦力としては貧弱だが、隠密作戦において単独というのは圧倒的な優位性を誇っていた。そもそも敵地での戦闘を想定されていない以上、単独での行動は痕跡が残りにくく、その上見つかりにくいという相当なアドバンテージを有している。だから今までのような任務において、一人だけの軍隊というのは非常に扱いやすく、利便性に優れていた。
ルミが遠隔で支援を行い、俺が単独で敵地に潜入する。これが俺たちの戦い方であり、今までの戦績を挙げてきた最上のフォーマットであった。
まぁこんな経緯で、俺は今、依頼人からの指示で練馬駐屯地に潜入する足掛かりを得に来ている。先ほどルミが言ったように、まずは佐倉重工の配送施設に侵入し、目的地に向かう輸送車に同乗。その後駐屯地に乗り込んで爆薬を設置し、離れて起爆、という寸法だった。
言葉で言うのは簡単だが、そんなに容易く自衛隊の駐屯地に潜入できるか、という疑問は残るだろう。しかし俺たちは今までのこのような任務を全て成功させているし、今回もきっと同じような展開になるはずだ。緊張感はあるが、過度なこわばりはない。適度なプレッシャーだと言えた。
僕は待機場所から身体を起こして、うんと背伸びをする。こんな吐き溜めみたいな場所で長い時間待機するのは不快だったが、この時代、下手に“足”をつけるのは悪手である。
例えばネットカフェ。昔は殆ど匿名利用が可能(防犯カメラは存在するが)であったが、現在はそんな便利な場所も、顔を隠して利用できるわけではない。ネットカフェに限らず、ある一部を除いて殆どの施設というものは、個人識別が施されてしまう。つまり誰が何をどれくらいしたのかがサーバーに記録されてしまうわけで、こういった情報は俺がテロを行ったという事実に結び付けられて処理される可能性があった。要するに、下手に店などで待機するとその情報がネットワークに登録されてしまうわけで、今回のような犯罪行為を行う以上、証拠となりうる情報は全て遮断する必要があるのだ。
その上で、このように監視カメラの存在しない路地裏や、スラムの類は個人を識別して登録するシステムが備わっていないので、隠れて行動を起こすには最適なロケーションだと言えた。まぁそれは整備が行き届いていないということの裏返しであり、周りのように不快な要素で満ちているわけだが。
立ち上がった俺は、コンバットスーツの調子を確かめるために、その場で少し準備運動を行った。スーツの調子を確かめると言っても、ずっと待機して凝り固まった全身の筋肉をほぐすという意味も込めている。軽く身体を動かして、スーツの調子がいつも通りということを確認して、小さく鼻から息を吐いた。
このコンバットスーツ――ルミが言うには作戦行動継続戦闘服は、生体電気で駆動するバイオ戦闘服であり、人工筋肉による筋力増強、体温調整、衝撃吸収や、負傷時にその外傷部分を悪化させないように圧迫するコンプレッション機能、他にも薬物を用いた精神安定、痛覚遮断機能が備わっている。色々もりだくさんな装備ではあったが、この戦闘服はルミオリジナルというわけでもないらしい。なんでも、英国が試験的に開発した戦闘服をモチーフにしたものだという。なんでそんな戦闘服の情報をルミが知っているのかと言うと、どうもその試作戦闘服を製作資料ごと日本に持ち込んだコレクターがいたらしい。その物好きが資料をクラウドに保存していたから、ルミがハッキングでそれを奪い取ったということだ。どうも後ろめたい情報入手経路であったが、実際に役に立っているので文句は引っ込めることにする。ちなみに衆目のもとを戦闘服単品で歩くわけにはいかないので、上から普段着を着込んでいた。