上履き
さぁさぁと蛇口から水が流れている。昇降口の外に二つ並んだ足洗い場。その片方側で捻られたままになっている蛇口からは、水がこうこうと流れていた。その下、ぱらりと落っこちた右の上履きが、ひっくり返って転がっている。明日は雨か。いやそうじゃなくて。
蛇口を捻ってしめ、びちょびちょに濡れた靴を摘み上げる。ポタポタと雫が落ちて、制服の裾に跳ねた。タグにはマッキーでしっかりと、僕の名前が燦然と輝いていた。
最近は特にモノが壊れたり亡くなるような事がなかったので、その分の追い討ちというか、不意打ちというかで余計にこたえてしまった。水滴を垂らす上靴を片手にしばし、立ち尽くす。遠くから、救急車のサイレンが聞こえていた。
『いじめ』は卑怯だとよく言われる。狡猾に、多人数で一人を精神的に、肉体的に追い詰めるというのはよくないと、そういうのだ。そしてそれが弱者に対するものであること、声を上げられないことから、余計悪質であると、そういう所以なのだろう。
だからなんだと言いたい。そうやって、悪を悪であると認定したところでこの現実は変わらないし、僕に対する痛みは減ることがない。学校という世の中を円滑に動かすための必要な代償とでも言いたいのだろうか、そのための犠牲になれと。この中学校生活をそうやって埋められることができるほど、潔い人間性ではなかった。
リュックサックからビニール袋を取り出し、上履きを詰める。故意かどうかはわからないけれども度々汚れモノが発生していた僕には、ビニール袋が必需品だった。最近はコレを使う機会もあまりなかったのだけれども…。
いつもより重たい指定カバンを背負い、西日の差し込む通学路を歩く。公園からは小学生の歓声が聞こえてきて、それが一層、一人の僕を惨めにさせている気がしてならなかった。自分にも、ああいった時期があったのに。どうしてこうなったのか、原因をよく覚えていない。日常はいつだってそこに転がっているもので、その残酷さの具合なんて人によるのだ。
それにしても、他人の上履きを水浸しにして何が楽しいのだろう。必死に現実から目を逸らす。わかっているのだ。彼らの行動に深い理由なんてない。ストレスの捌け口として『僕』という人間がいるから使っている。それ以上でも、以下でもないのだった。
帰ったら早く洗わないと、明日までに乾かないな。
僕は少しだけ、足を早める。上履きはきちんとビニール袋に入れたはずなのに、水滴がぽたりと一粒、アスファルトに吸い込まれていった。