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ライン際のひまわり  作者: ふじみやなつ
【第一章】決断
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甲子園、連れて行ってね!

 久しぶりの学校は思いのほか時間が早く過ぎ、気づけば帰りのホームルームも終わり、和葵たちのような部活のない生徒は下校時間となっていた。



 なんだかんだ言って学校は楽しいと和葵は感じていた。

 友達としょうもないことで笑いあっている時間は和葵にとっていい息抜きだった。


 夏休みの後半には少しだけ早く学校が始まってほしいと思ってさえいた程だ。といっても、本当にそうなられたら溜まった宿題という悪夢に拍車をかけることになって大変なことになっていただろうが…。



「帰ろうぜ、和葵」

 今話題のジャンボくんが帰ろうとしていた和葵に言った。

「あぁ」とだけ言って和葵たちは学校を出て帰路についた。



 和葵たちの通う七種中学はゆるやかな丘の上に位置しており東西南北どの方角から来ても行き道は坂を上らないといけない。

 とんでもなく暑い日や雨の激しい日は頗る迷惑なのだが、総じて和葵はそういった立地も含めてこの七種中学が好きだ。

 いや、もっと言うとこの七種の町が好きだ。


 七種町は滋賀県の南部にある町で、全然都会なんかじゃないし、むしろのどかな田舎だ。

 しかし春になると様々な花や草木が町を彩り、近くを流れる川の水の心地よいせせらぎが町との美しい調和を生み出す。

 夕暮れ時になると部活を終えた学生たちと買い物をする主婦たちで七種商店街が賑わいを見せる。



 そうやって自分の生まれ育った場所を思いながら和葵は考える。


 ―やはり、自分の好きな町で中学や小学校からの仲間と共に甲子園を目指して練習に励む高校生活の方が俺には合っているのかもしれない……、と。



「やっぱこの時間にこの坂下んのは変な感じするなぁ……」春輝がぼーっとしながら言う。

「確かにな。この時間は前までは部室で着替えながらその日の練習メニュー見て一喜一憂してたくらいかな。ランメニューがあるのを見た時のお前の落ち込み具合は傑作やったわ」

「そりゃ、ランメニュー見て喜ぶやつがどこにおんねん。まぁ、なんやかんや言うてー」春輝が続ける。「やっぱ野球ないと毎日がしまらんよなぁ……」



 確かにその通りだ。ここ最近はもちろん楽しいこともあるがどこか物足りない。


「そや!」春輝がなにかを閃いたかのように言う。

「和葵、お前グローブ持っとるやろ?ちょっとコイツでキャッチボールしようや。」と言ってカバンをごそごそと漁り、あったあったと言って一球の硬球を和葵の前に差し出した。



「そろそろ俺らもコイツに慣れなあかんやろ」



 時刻は四時半を回ったくらいだったが日は長く、まだまだ残暑厳しい気温だった。


 和葵と春輝は下校途中にある公園に立ち寄っていた。


 軽く準備運動をした和葵はグラブをはめて春輝との間に一定の距離を作った。


「ほな始めよか。」と言いながら春輝がボールをこちらによこした。

 軟球とは全く違うずっしりとした重みをグラブに感じた。

「硬球を使うのは初めてか?」春輝が問う。

「いや、夏休みの間、何回かこれを使って練習してたから。お前は?」和葵が投げ返す。

「俺も同じ感じや。ほやけどやっぱ全然ちゃうなぁ~」

「そやな。重さも音も全然ちゃう」


 距離をとっていくにつれて会話が減り、それに反比例するようにグラブにボールが収まる時のパシっという乾いた音が大きくなって公園に木霊した。



 十五分程経った頃、誰かがこちらに手を振りながらやってくるのが見えた。―穂奈実だ。

 こちらが気付いたと分かり、駆け足で近寄ってきた。

 和葵と春輝は一度キャッチボールを中断した。


「やめんくてもよかったのに」と穂奈実。

「いや別に―」

「全然ええよ!穂奈実ちゃん!俺らもちょうど疲れて休憩しよう思うてたとこやし。なぁ、和葵。」

 春輝が和葵の声をかき消すようにこちらへやって来ながら言った。

「ほんまに?ならよかった。横を通りかかった時にキャッチボールする音聞こえたから誰やろう思うて見たら二人やったから、声かけようかなぁ~って」ちなみにと言って穂奈実が続けた。


「ここの公園は硬球の使用は禁止ですよ、お二人さんっ」

 ウインクをしながら強調するように言った。

「あれそうなん?知らんかったわ。ありがとう穂奈実ちゃん!」春輝が嬉しそうに答えた。


 実はこの公園で硬球を使ってはいけないということを和葵は知っていたのだが、キャッチボールくらいいいだろうと思って何も言わないでいた。


 そもそもここ七種の町に硬球を使ってもいいと規定している公共の公園は一つもない。


 しかしこういった事例はなにも七種だけに特別なものではなく、近年、硬球はおろか軟球の使用までも危険だという理由で使用禁止になっている公園は全国にたくさんある。

 それがここ数年の子供の野球離れと運動能力の低下に繋がっていると先日テレビのニュースで見た。


 まぁ確かに硬球は人に当たれば死を招くかもしれないという危険を否定できないので、受け入れられないこともないのだが…。




 穂奈美の来訪により、キャッチボールを一時中断した和葵たちは、春輝の提案で公園のベンチに腰をかけた。


「いやぁ、それにしても暑いな~。もう夕方やのにちっとも涼しくならへん。いつになったら秋らしい天気になるんやろうなぁ」春輝が手をパタパタさせながら言った。

「そうやね。そういえばこの前天気予報で言ってたんやけど今年は涼しくなるのが例年より遅いらしいよ」と穂奈実。


 その後も何気ない会話が続いた。

「まぁ、でもなんだかんだ言って秋が来るのもすぐやろうな。ほんですぐ冬も過ぎて卒業ってなるんやろうな。早いもんやわ、ほんま…」

「確かに。そうなったら私たちもいよいよ高校生やね!高校生ってどんなんなんやろ…。楽しみやなぁ」和葵のふぃとした発言に対して、穂奈実が空想をするように言う。


「まぁ、俺と和葵は部活漬けの毎日になるやろうし普通の高校生活なんて送れそうにないやろうけどな。」と春輝が笑いながら言う。

「でも野球漬けになったとしてもそれはそれで立派な高校生活やと私は思うよ。それにまた二人の応援できるって思ったらワクワクしてきた」

「おおぉ!穂奈実ちゃんにそう言われたらどんなことでも乗り越えられる気がするわ。」

 鼻の下が伸びている春輝は眩しい笑顔で話す穂奈美の発言にメロメロだ。


 本当に分かりやすい奴だと思った。これでよくキャッチャーが務まるものだ。


「そういえば穂奈実ちゃんは高校行っても部活続けるん?」春輝がそう続けた。


 穂奈実は小学校に入る前から柔道をやっている。というのも家が道場なので当たり前なのだが…。

 穂奈実はうちの中学の柔道部で部長を務めていた。実績もあり、最後の県の総合体育大会では県ベスト4の成績を残している。


「私は…柔道は、やるつもりないんよ。」

「えっ⁉」

 穂奈美の予想外の発言に対して、頭で考えるよりも先に和葵の口が動いた。

「なんでや?お前この前まで柔道やる言うてたのに―」

「別に柔道が嫌いになったとかそんなんじゃないんよ。」穂奈実がどこか恥ずかし気な口調で続けた。

「……他にやりたいことできたから。」

「っていうのは…?」


 ここまできて、そしてこの流れでそれを聞かないなんて選択肢はあり得ない。

 和葵は柔道に励む穂奈美の姿を小さいころから見てきており、それを高校では続けないという発言が理解できないでいたのだ。


 そんな怪訝そうな顔で自分の顔を見る和葵に向かって穂奈美は、

「野球部のマネージャー…やってみたいなぁって。」と少し恥ずかし気に答えた。


 その瞬間春輝が突然声を上げた。

「―っ!ほんまか、ほんまなんか?やったで和葵!俺らの高校野球生活絶対バラ色やで。よし、やろう穂奈実ちゃん。穂奈実ちゃんならきっと他校の間でも話題になるようなマネージャーになれるわ!」

「いや別にそんなんじゃなくて…」ははと笑いながら穂奈実が言う。


「この前の試合、スタンドで見てて、和葵も春輝くんもめっちゃかっこよくて、もちろん負けて悔しかったけどもっと近くで応援できたらなぁって。大変なのは想像できるし、毎日部活になるから遊んだりもできひんくなるのも知ってる。でもきっとマネージャーしたら、私の高校生活は最高なものになる気がするねん。だから……」穂奈実がベンチから腰を上げて振り向きながらこう言った。




「――甲子園、連れて行ってね!」




 陽が沈みかけてオレンジがかった公園に差し込む夕焼けの光が穂奈実の茶色がかった髪に反射してキラキラ光っているように見えた。


 和葵はまたもやその姿に見とれてしまっていた。


 そう言った穂奈実は、恥ずかしかったのだろうか、もうそろそろ帰るねと言って駆け足で帰って行った。


 今の発言で春輝の鼻の下が極限まで伸びきったことは言うまでもなかった。

 そして和葵の高校選択も大きく決断に近づいたそんな気がした。


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