いいひと、わるいひと
黒い馬車が揺れる。
今朝がた三人で乗った馬車よりも小さくて、窒息しそうなほどの重厚感がある馬車だ。
隣にいる男がハリィ君やバーニー君であれば、きっと楽しい空間になっていたに違いないのだけど。
「お嬢さん」
眠たげな調子で男が話しかけてきた。
「我々が何処へ向かっているか分かりますか」
「はぁ……刑務所ですか」
私の知る限りでは犯罪者が行き着く所は一つしかない。
刑務所で彼らに会えるのだろうか。独房みたいなところだったら嫌だなぁ。
「先ほど持ち物をチェックさせて頂きましたが……あなたは犯罪を犯していません。なので刑務所へ行く必要はありません」
丁寧というか慇懃無礼というか、全く感情の読み取れない調子で話す警官。本当に眠いだけかもしれないけど。
「じゃあ何処へ行くんですか」
「救貧院です。一銭も持っていないあなたには最善です。戸籍はなくとも、警察の推薦であれば迎え入れてもらえます」
救貧院。確か、あんまり良く無い場所だって言われてたような……。
「まず飢え死ぬ事は無いと思います。それから奉公に出されるまで、そこで働かれるのが良いでしょう」
「あの、拒否権とかは……?」
「あります。しかし元手がないまま都市をうろつけば、あなたはすぐにその闇へと堕ちる事になります。本官もそんな未来が約束された報告書を書くわけにはいきません」
ほとんど声色に抑揚が無いので真意が読み取れない。
でも私をどうにかするつもりなら、私の問い掛けを無視すればいいだけなのだから、律儀な人だとは思う。
「あなたは故買屋の魔窟に滞在していたのだと本官は察します」
「二人に聞いたんですか」
「いいえ。彼らは自分以外の事は話しません」
個人の集まりのような家族。仕事仲間のような友人たち。そんな奇妙な繋がりの場所は、私が考える以上に彼らにとっての聖域なのかもしれない。
「それなら私も話しません」
きっぱり言ってやった。
「ああ……。いえ、尋問をするつもりはないのです。その、愛想が悪くてすみません」
そう言うと彼は、元々それほど開いていなかった目を半分ほど開いたまま垂れ、頰が無理矢理吊り上げられて口の中から白い歯が表れた。笑顔のつもりらしい。
「ひっ!? あ、あはは……」
愛想笑いを返そうとしたけどちょっと自信が無い。私はちゃんと笑顔になっていただろうか。彼の顔は見た者が笑顔がどんなものかを忘れてしまうくらいの破壊力があった。一体どんな筋肉の動かし方をすればあんな悪魔的な顔になるのか。例えば何か恐怖体験をするたびに、彼の薄く開いた目から覗く瞳とを比べて、うん、それほど怖くはないな、などと他全ての恐怖ランクをひとつ下げてしまうくらいの衝撃である。
「ありがとうございます」
彼の顔は一瞬にして元の表情に戻っていた。何がありがとうなのか分からないけど、心の底からホッとした。こちらこそありがとうございます。
微妙な間が空いたあと、彼は話を続けた。
「ともかく、あなたはあの魔窟においても善人でした。悪に屈する事なく――」
「いえ。あそこには善も悪もありませんでしたよ」
話を遮ってしまう。しかし。
「皆生きる為に必死でした。生きようと、溺れ死ぬまいと、もがいて、もがいて……。その結果なんです」
言葉が止まらない。堰を切ったように胸の内に留めていた感情が溢れ出す。視界がぼやける。
「死ぬか悪かって……どちらかを選べって……そう言われたらおまわりさんだって……そうするしかないでしょう?」
警官は話を遮られたにもかかわらず、私のたどたどしい話をじっくりと聞いていた。
「はい、あなたの言う通りです。彼らは生きるすべを他に知りませんでした。あなたはどうでしたか」
「私……私は……」
今話したことは殆どハリィ君の受け売りだ。あの時、私は彼の主張を聞いて何を思ったんだっけ。
「別の方法を探そうとしたのではありませんか」
そうだ。追い詰められた状況に無性に腹が立って、何とかしてやろうと心に決めたんだった。
「私は新しい選択肢を……」
「はい。あなたが導いてください。別の方法で生きる事が出来ると、彼らへ示してください」
馬のいななきと共に馬車の揺れが止まった。
「到着しました。セントルカ救貧院です」
警官の手を借りて馬車から降りる。数十分ぶりの異世界の地面は、今までよりもしっかりとした感触を足裏へ伝えてきた。
広大な城壁のような背の高い煉瓦造りの門を入り、中庭を抜けた先の戸を叩く。
「こんにちは。警察です。お願いがあって参りました」
しばらくすると戸が開けられ、細身で目のつり上がった男が現れた。
「ようこそ」
言葉少なに客間へ通される。清潔で、美しい調度品や絵画がいくつも飾ってある部屋だ。
「すみません。マスターは何処に?」
「私がマスターです。三日ほど前に交代がありました」
「ああ。それは失礼しました。アッシュさんはどちらにいらっしゃいますか?」
「アッシュ委員は本部へ出かけています」
「そうですか……。では、この手紙をアッシュさんへお願い出来ませんか? 内容は彼女の職業訓練について書かれてあります。第一棟へお願いしたいのです」
「わかりました」
吊り目の男は短く返事をすると、さっさと手紙を胸にしまい込んだ。
「ではお引取りください。その娘は私が預かります」
何だか嫌な感じのする男だと思った。目を合わせるとすぐに何かを言ってきそうな、神経質な雰囲気を漂わせている。
「オリビアさん」
「なんでしょうか?」
警官が男を無視するようにこちら向き直った。
「あなたは道を切り拓く事の出来る人です。決して諦めないで下さい」
さっきの続きだろうか。落ち着いたトーンで熱い事を言うこの警官はどこまでも真面目な人なのだと、ここにきてようやく分かった気がした。
「あはは。はい、分かりました。おまわりさん、最後に笑って下さい」
私は警官とマスターとの間でそれをお願いすると、速やかに横にずれて視線を斜め下に向けた。
「ニッ」
「ひっ……!?」
マスターから漏れ出た小さな悲鳴を私は聞き逃さなかった。
「では。ごきげんよう」
私の笑顔を見て真面目な警官は安心したのか、お辞儀をして踵を返した。
そして去り際に私へ見せてくれた彼の笑顔は、とても穏やかなものだった。
ここまでお読み頂きありがとうございます。
次回から二章になります。
話の骨組みは出来ていますが、まだ鋭意肉付け中であります。
なのでここから不定期更新になります。




