記録
こんな女の子が欲しいですね。
今日は、君は窓辺にいなかった。
ここ数日、いつも窓辺にいる君の姿が見えない不安を抱えたまま、僕は月を眺めていた。
更待月。十六夜の月より、居待月より更に欠けた月。マンション街の人工光に負けず、変わらず美しい月を眺めて、僕はスマホを構えた。
小さな光点に合わせて、ズームした月は、僕の手の揺れで、輪郭を滲ませた。
ベランダの手摺に腕を置いて、手を固定して、僕は月と向き合う。何枚も連続でシャッターを切って、画像フォルダを見返しては、またシャッターを切った。
「写真?」
「あ……」
唐突に聞こえた君の声。僕は、窓辺を見た。
そこに、君はいた。いつものように、窓辺に手を置いて、静かに僕を見ていた。
ホッと一息ついて、僕はスマホに視線を落とした。
「うん。月が綺麗だったから……」
「ふうん」
君は首を傾げて、不思議そうな表情を浮かべた後、指を二本立てた。
「え?」
「撮って」
首を傾げたまま、ピースサインを作って、微笑んだ君。ようやく、僕は二本の指の意味を理解した。
僕は、手に持ったスマホを握り直して、君に向けて構えた。
透き通った瞳。暗い夜に浮かんだ白い肌。うねったミディアムショートの黒髪。昨日、君の髪型について、ネットで調べた。
クラスメイトの皆が霞んでしまう容姿を前に、震える僕の指。滲んだ手汗。僕は、窓辺の君とスマホの画面に写った君を交互に眺めて、震える指で、スマホのシャッターボタンを押した。
無機質な音を立てて、フォルダに一枚の画像が増える。
「あ」
「どうしたの?」
撮った写真のサムネイルを見て、僕は声を漏らした。
フラッシュを焚いていなかったことに気が付いたのだ。
「ごめん。もう一枚、撮っていい?」
光が足りず、暗めに撮れてしまった写真を確認しながら、僕は慌てて聞いた。
「うん。何枚でもいいよ」
嫌な顔ひとつ見せない君は、再びピースサインを作ってくれた。
僕は、スマホの設定から強制発光を選んで、スマホを構えた。
画面に映った君の微笑。僕は、君の目を見つめて、スマホのシャッターを切った。
眩しい光が、君の表情を明るく染める。その君の目を染めた蒼。見惚れてしまいそうな蒼。深い海の底のような蒼が、深く記憶に焼き付いた。
きっと、永遠に忘れられないのだろう。
「撮れたよ」
「ありがと」
立てた指を下げて、窓辺に手を置き直した君。
「月は見える?」
僕は、暗い空に浮かんだ更待月に視線を移した。
「見えるよ。君の右斜め後ろ側」
四分の一が影に隠れた月が、窓辺にいる君から見えない場所に浮かんでいた。
たまに隠れる雲間から覗く月を見て、僕は月が雲より遠い距離にあるのだと、改めて実感した。
「そっか」
いつものように、君は微笑んだ。
でも、何故だろう。その微笑からは、いつもと少し違った雰囲気を感じたんだ。何か不安を抱えた人の顔を見ているような気分だった。
「じゃあ、またね」
君は、いつも変わらない。ただ、ひとつだけ僕に違和感を与えて、君は暗闇に消えた。いつものように消えてしまった。
「またね」
そこには、もういない君に向かって、僕は呟いた。
蝉の声に耳を傾けた空蝉の午後。鼓膜が痛いのです。
七年間を暗い土の中で過ごして、巡り巡る輪廻を廻す歯車として二週間の短い命を散らす蝉は、いったい何を考えて居るのでしょうね。
社会の歯車として生きて散る人間と同じ感覚なんですかね。
余計な話は置いておいて、まだ続きます。
お付き合い下さい。