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『日露技術提携条約』と題された条約がバンクーバーにて締結されたのは、1874(明治七)年二月十日のことだ。これは、岩倉具視が不平等条約を解消した後の、日本が結んだ国際条約の第一号であり、同時に名実共に不平等条約が解消された証明として日本国内では騒がれている。
私は、この条約を待っていた。
奥州屋が樺太で大々的に活動するのに、商業的な根拠は山ほどあったものの、政治的な根拠は無かったのだ。それが変わった。
条約の内容としては、日本からは漁業や農業の技術を輸出する代わりに、ロシアから各種資源を輸入するという経済協定の部分と、樺太と千島列島を日本領とすること、ロシアが満州を占領した場合、その権利を認めることという領土問題を解決する部分と、李氏朝鮮を協力して清から解放するという名目の軍事同盟という部分の三つからなる。
オブザーバーとして派遣していた部下の報告によれば、当会議に協力してくれたカナダもこの条約に加盟したいらしいが、宗主国であるイギリスがこの条約にどう対応するのか決めかねているため動けないらしい。
イギリスが文句を言ってこないうちに、ガンガン投資して『農園』をシベリア各地に造り、サケ、マスの人工ふ化及び放流のための施設を造り、森林を整備して日本国内で不足する木材を買って売り。アラスカでエスキモーを雇ってトナカイの牧畜を細々とやっていたのを大規模にし、ゴールドラッシュの人口増加に悩むアラスカの食料事情を改善させ。
文句を言おうがどうしようも出来ない、やれば問題の出る状態まで持って行くのに五カ月程かかった。
が、それだけお金と人手と時間をかけた甲斐はあった。
『技術提携条約』にフランスも加盟したいと手を挙げたのだ。
東南アジアでカキや海ブドウの養殖場造りまくった成果が出たよ。
こうなると、アジアでのパワーバランスに問題が出る。そのため、シャムのバンコクにて国際会議が行われることとなった。
色々根回しはした。あとは、明治政府に任せよう。