1.5.2
《20XX年 とある戦史研究会の発表より抜粋・続き》
~中略~
『日露技術提携条約』は『四国技術提携条約』により発展解消されたものの、日本とロシアの間では『満州をロシアの、朝鮮半島を日本の領域にする』という密約が交わされていたとされるのが通説である。
この真偽は不明なものの、日本がロシアの南下を認めたことは事実であり、以後ロシアは日本からの食料供給だけではまかなえなくなったシベリアやアラスカの人口を支えるため、清への圧力を更に高めていく。
~中略~
こうして、日本と清の貿易摩擦とロシアの農地獲得、アメリカのアジア市場の獲得のために『獅子殺し戦争』が始まった訳であるが、主な戦場となった満州や朝鮮半島、山東半島は当時鉄道の整備が不十分であり、総力戦となった今戦争の前線を支えるだけの物資を前線に運ぶのは厳しいものがあった。
それを解決したのが、『三菱商会』と『奥州グループ』である。
~中略~
『奥州グループ』は蝦夷地の開拓に先立ち、多量の物資を十勝平野に運ぶ困難に気付いており、それを解決するために『大山牧場』を開園し、荷運びに適した馬の品種改良及び繁殖を行っていた。
~中略~
奥州グループは日本軍とアメリカ軍、朝鮮軍に各地の農場や養殖場から収穫、水揚げされた食品を売るだけでなく、大山牧場の馬と牧草を売ることで、南東部戦線を支えた。
~中略~
一方、ロシア軍とイスラエル軍は、満州まで南下した後は大山牧場の馬を使えたものの、シベリア鉄道の当時の東端であったイルクーツクから満州に至るまでの物資の運搬は不可能に近かった。
~中略~
ロシア軍の将軍の一人であったニコライ・リネウィッチはカムチャツカ半島からイスラエル軍が食用に持ち込んだトナカイに注目。トナカイで荷を運ぶことを発案し、ロシア軍は大規模なトナカイ牧場を経営していた奥州グループにトナカイを大量に注文した。
この案をリネウィッチが思い付いた日付から、トナカイ部隊は『サンタクロース師団』と呼ばれるようになり、トナカイ舞台が運んで来る荷は『サンタクロースからの贈り物』と呼ばれ北東戦線の兵士の士気を大いに盛り上げ、その勝利に貢献した。
寒さ、粗食に強く、大量の荷を運べる上にいざという時は食べることが出来るトナカイは北東戦線のロシア軍とイスラエル軍を支えたが、トナカイの餌や『サンタクロース師団』が前線に運んだ食料の約半分は奥州グループの農場や養殖場で生産されたものだということが明らかになっている。
~中略~
以上より、『獅子殺し戦争』の主戦場であった朝鮮、満州方面では、輸送手段と輸送する食品や嗜好品を奥州グループが用意していたことと、清と奥州グループの間で貿易摩擦が起きていたことから、我々は『獅子殺し戦争』を奥州グループと清の穀物商の代理戦争と位置付けた。
それは、戦後奥州グループが大陸に乗り出したことからも明らかである。
~後略~
こういう見方も出来るという話