1.5.1
史実とかけ離れたこの世界の事情についてちょっと解説
《20XX年 とある戦史研究会の発表より抜粋》
1881年12月4日、ロシアが清に宣戦布告したことにより開始した『獅子殺し戦争』(1877年からの清仏戦争から始まったという説もあるが、ここでは通説を取り扱う)は、世界初の総力戦であり、またその経過から『第一次世界大戦の前哨戦』に位置付けられることもある。
そんな『獅子殺し戦争』であるが、ある連合軍の将官は後に『奥州グループが始め、奥州グループが支え、奥州グループが終わらせた』戦争と後述する程度に、連合軍は奥州グループに依存していた。その実態を解明するのが、今研究の目的である。
~中略~
戦争の背景として、『クリミア戦争』による実質的敗北を喫したロシア帝国は、資金難を解消すべく各地で産業を興そうとする。特に鉱山開発に力を入れ、1861年、アラスカのノームにて金を発見。翌年には金の鉱床を発見し、ここにアラスカのゴールドラッシュが始まる。
~中略~
当時、清との密貿易で多額の利益を上げていた奥州屋(奥州グループの前身)は、この『アラスカゴールドラッシュ』の影響でアラスカや極東ロシアにおいて食料品や嗜好品が不足しているのをいち早く気付き、ウラジオストクにジャガイモを始めとする食料品を輸出し、多額の利益とロシア帝国側からの『感状』を得る。
特にロシア人から好評だったのは『イクラ』であり、後に奥州屋のイクラはロシア皇帝アレクサンドル2世に献上され、『バロン』(男爵)の爵位を与えられた。
~中略~
今回、我々は『アラスカゴールドラッシュ』の時の食料品の動きに着目した。
当時のアラスカの主な食料品の輸入先は、カナダとアメリカであるのは知られているが、この時代シベリア全域で鉱山が開発され、シベリアの人口は大幅に増加していた。当時はまだシベリア鉄道はエカテリンブルクまでしか到達しておらず、当時のロシア皇帝の穀倉地帯であるウクライナからの小麦をシベリアに満足に送ることは不可能であった。
~中略~
以上の調査により、当時シベリアの人々を支えていた穀物は満州地域からのものであることが判明した。当時のシベリアの人々は満州の大豆や粟を食べていたのである。
しかし、ここで奥州屋がシベリアの食品市場に参戦する。奥州屋が販売する多量の質の良く美味な日本の作物や加工品はまたたく間にシベリアに広がり、満州産の作物は売れにくくなった。
しかし、当時の清の上層部では、奥州屋の帆立や牡蠣の干物が流行しており、この危機に気付く者はいなかったとされる。
~中略~