一
1881(明治十四)年十二月四日、ロシアはフランスの要請に答えて清に宣戦布告し、満州、新疆、モンゴルなど全国境線で進行を開始。
翌十二月五日。清の皇帝『光緒帝』は、『西洋列強は我が国を脅かす害虫である』から始まる演説を紫禁城にて行い、国民の団結を訴える。この中で、『日本は西洋列強の手先と成り果てた』と言い、既に交戦状態だったフランスとロシア以外に、日本にも宣戦布告。
これに対する日本の反応は少し遅れ、十二月十日に清に宣戦布告。艦隊を台北、琉球に派遣したが、清の狙いはそこでは無かった。
十二月十四日、清は突如として朝鮮に侵攻。近代化の遅れている朝鮮は略奪を繰り広げる清に対しゲリラ戦で対抗しようとするも、圧倒的兵力差で連敗を重ねる。これにロシアと日本は慌てて軍隊を派遣を決定。東部の山脈地帯は何とか持ちこたえたものの、朝鮮半島西部を中心に侵攻する清は漢江まで侵攻し(十二月二十日)、日本、朝鮮連合軍と睨みあうこととなった。
ここまで新聞情報。
……さて、情報を整理しよう。
現在、極東ロシアやアラスカ、カムチャツカ半島では人口が急激に増加しており、『奥州グループ』が大量の食料を生産しても、採れた端から売れて行く状態で、それでも人々を満たすことは出来ず、カナダやアメリカから高い食料を買ってきている状態だった。
それを変えたのは、朝鮮だ。
安価な米やキムチ、メンタイなどの保存食を全国的に生産し、それを『奥州グループ』が運ぶことで多額の利益を出しつつ、極東地域の人々を飢えから救った。
つまり、朝鮮半島が極東の食料事情を支えていたのだ。
朝鮮半島西部の平野地帯を主戦線とする清の狙いは明らかで、朝鮮半島を占領することで極東地域を『兵糧攻め』にするつもりなのだ。
まあ、それは春先どころか夏までは無駄な行為なんだけど。
というのも、極東北部地域はこの時期流氷や雪に覆われているのだ。放っておいても、この時期は雪と氷で、春先は溶けた地面の影響で兵糧攻め状態なのだ。……お陰で砕氷船とかあんまり使い道無い船建造して運用する羽目になるとは思わなかったけれど。
ともかく、『奥州グループ』が二隻保有する砕氷船でひいこら言いながら食料などの生活必需品をカムチャツカ半島やノーム(アラスカで一番大きな金鉱山がある場所)に運んでいる状態で、大自然からの兵糧攻めに負けそうなのに、清は無駄なことをしているなあ、というのが私の感想だ。
そして実際に無駄になった。
十二月十八日、イスラエルが清に宣戦布告。
十二月二十日、アメリカ合衆国が清に宣戦布告。
ここに、『獅子殺し戦争』の役者は出揃った。