わけがわからないよ
1881(明治十四)年は、ロシアの日本(『奥州グループ』)への要望から始まった。
『ユダヤ人をどうにかして欲しい』
……地雷臭がプンプンするなあ。
詳しく話を聞くと、ヨーロッパ各地でユダヤ人への弾圧が酷くなっており、ロシアとしてはこの機会に金持ちの多いユダヤ人に恩を売っておきたいのだそうだ。
お手軽なのは領地あげてユダヤ人の国を創るとか? 日本だと台湾とか? 投票あるから止めといた方がいいけど。え? ヒノキ採れるから駄目? そっちの理由ですか……。
そんな話を日本政府としていたら、ロシアは『カムチャツカ半島をユダヤ人の国とする!』と宣言。ユダヤ人がカムチャツカ半島へ大移動を始めた。
『奥州グループ』は、ロシアと日本の要請を受けて、カムチャツカ半島でトナカイの牧畜を開始。同時にわらわらと集まりつつあるユダヤ人向けに食料品を売りつつ、『試験農園』を建設。何か農業が出来ないか探ることになる。
一方、半分存在を忘れていた朝鮮から『米をユダヤ人に売ってくれ』と要請を受け。日本国内だけではカムチャツカの需要を満たすのは不可能だったので、とても助かった。
とほっとひと息ついていたら、フランスからこんな呼びかけが来た。
『一緒に清ぶっ潰そうぜ!』
えっと、どういうこと?
……調べてみたところ、1877(明治十)年からインドシナ半島の北部でフランスと清がドンパチやっていたのが、まだ終わっていなかった模様。どころか、フランスはこれから本気を出すようだ。
日本はどうするよ? 食料でも売ってお茶濁しておく? と悩んでいる間に、ロシアが清に宣戦布告。で、清はロシアとフランスだけでなく、日本も敵だ、と宣言。……ロシアと仲良いからね仕方ないね(死んだ目)。これに何故かキレたカムチャツカ半島の『イスラエル』が清に宣戦布告し、ユダヤロビーが根回ししたのか、アメリカも清に宣戦布告。
こうして、後世で『獅子殺し戦争』と呼ばれる戦争の幕が開けた。
のだけれど、この時の私は仙台でカムチャツカへの食料輸送計画で頭が一杯で、余裕が出来れば史実との違いに頭を悩ませるというポンコツぶりを発揮していた。
史実では、清仏戦争の際フランスはヨーロッパ各国に、清へ出兵しないか、と持ちかけていますが、全て断られていることに注意。
歴史の変わった理由は後の話で語られる予定です。