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女商人は幕末から歴史を変える  作者: ネムノキ
女商人は明治でも歴史を変える
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 1878(明治十一)年十月十二日。『国会開設の詔』が発せられ、十年後を最終期限に国会を開くことが決定された。これは、自由民権運動が活発になっているから、というよりも、いい加減憲法を定めて法治国家にならないと、交易などに支障が出かねないから、という判断からだ。

 で、『奥州グループ』の社員達の反応がこちら。


「国会って何? 憲法って何かつよそう」


 至急『奥州グループ』と懇意の弁護士と話し合い、これらを分かりやすく説明する本を作ることに。

 で、ついでに遊んでみた。


 解説の本を漫画にしてみたのだ。


 いや一応普通の本も用意したから。石投げないで。

 漫画を書かせた浅井忠という画家は「これは芸術と文学の革命だ!」と狂喜乱舞していた。

 こうして、翌年の四月には全社員に配布し終わり、懇意としている築地活版所にお願いして、解説の漫画を売りに出した。

 そしたら売れる売れる。築地活版所はこの機会に拡大するそうなので、ちょっと資金援助した。

 そんな援護射撃(?)のお陰か、日本国民達は『自分達は日本という国の国民である』ことを自覚し、仕事終わりなどに酒場で日本をどんな国にしたいのか話し合うのが流行となった。

 同時に政治団体も活動を活発化させ、大阪で行われた『国会期成有志公会』の結成大会では、二百人を超える人が会議に加わり、街頭で行われた結成宣言の際には、道路が人で溢れたそうだ。

 そして、自由民権運動の嵐は仙台でも活発化していた。というより、むしろ仙台を始めとする奥州こそ本拠地だった。

 というのも、奥州では『自由民権運動の理想』『社会主義の未来』とまで言われる『奥州グループ』の影響力が強く、おまけに教育が隅々まで行き届いていることから、いわゆる知識階級の幅が広く、文字通り誰もが議論を行えるのだ。

 流石に暴徒化するとまずいので、『警備保障』の教育中の薩摩出身者に『奥州グループ』の施設や要請のあった施設を守らせつつ、同時にこんな企画を私のポケットマネーでしてみた。


『寺子屋会議』


 東北地方の子供達に、日本をどんな国にするために、どんな憲法が必要なのか考えさせるのだ。

 交通費や食費は私負担で各地域で討論を行わせ、県代表になった子には砂糖一キログラムを進呈。そして、県代表の子達で討論を重ねて憲法案を制定。そして、県代表のうち希望者は奥州代表として、私と一緒に京都まで行き、政府にその憲法案を提出するという企画だ。

 各地の元藩主な社長や『奥州グループ』と関わりのある商人や豪農の助けも得て、1880(明治十三)年四月、『寺子屋会議』は奥州各地の寺子屋から始まった。

砂糖一キロは現代価格で千円程度と思って貰えるとだいたい合ってます。なので、『寺子屋会議』のメインの景品は京都観光(?)です。

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