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女商人は幕末から歴史を変える  作者: ネムノキ
女商人は明治でも歴史を変える
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 日本に帰った1876(明治九)年の暮れ。投資、研究していたイワナやニジマスの養殖技術が確立したという報告があった。イワナの燻製はおいしかったです。……新鮮なのを焼いて食べたかったなあ。

 そのまま年は明け、1877(明治十)年三月、『帯刀許可制令』が発せられた。これで、ちょっと面倒なことに。

 これまで、士族が刀を持つのは無条件に許されていた。それを利用して、海外や日本各地の研究所や『農園』、養殖場の警備をしていた。これが、『帯刀許可制令』によって、国からの許可を得た組織や人物以外刀や銃を保有出来なくなったのだ。

 奥州屋、でその許可を取ろうとしたら許可が下りなかったので、仕方なく、奥州屋の警備部門を『奥州警備保障』という子会社として独立させた。

 ついでに、色々煩雑になっていた組織を整理する。


 流通担当で盟主の『奥州屋』。

 『農園』や実験農場を中心とした『奥州農園』。

 ワイナリーや果樹園を担当する『奥州果実』

 沖縄やアラスカなどの畜産業を担当する『奥州畜産』。

 カキやホタテにイワナ、海ブドウやテングサなど、魚介類の養殖担当の『奥州養殖』。

 おもにオホーツク海の漁業を担当する『奥州漁業』。

 足尾銅山などの鉱山や、将来的に工業部門も担当する『奥州工業』。

 そして、警備部門の『奥州警備保障』。


 旧奥州屋の中で部門ごとに分かれていたものをとりあえずそのまま分割して様子を見ることにする。ちょっかいかけてくる商会あるかなあ、と思って警戒していたら、海援隊の坂本龍馬から『三菱商会』を中心としてグループ化したから一緒に頑張ろう、という挨拶があった。お互い頑張ろう。

 とか言ってたら、西郷隆盛から手紙が来て、何人かを『奥州警備保障』で雇って欲しい、と頼まれた。ちょっと東南アジアの人員が足りないから大歓迎、戦える人なら千人は欲しい、と冗談交じりの手紙を返すと、本当に千人仙台まで寄こしてきた。しかも家族連れなのでもっと多い。

 とりあえず仮採用として教育しつつ、様子を見ることにする。優秀な人も結構いるので、国内の『警備保障』の人員から東南アジア行きの希望を募って東南アジアに送り、空いた穴を隆盛が送ってきた人員で埋める。

 隆盛にはお礼の手紙と、他にどんな人員がいるか、何故このような頼みをしてきたのか尋ねると、どうやら武士の誇りである刀を捨てたくなかった士族が大勢いる模様。また、薩摩は貧乏なので、誇りである刀まで捨てると生きていけないそうな。

「はあ……」

 仕方ないなあ、とため息をつき、薩摩行きの船を用意。同時に政府に薩摩で『農園』と『畜産』の農場を整備して良いか確認を取る。早くやってくれ、と政府から許可が出た後、薩摩へ急行。

「すまぬ……」

 薩摩に着いたら、そう隆盛に頭を下げられた。

 これくらいいいよ隆盛さん、夢を語り合った仲でしょう?

「そいがこないなって、おいは申し訳なかと!」

 良いから良いから。ま、私が薩摩で出来るのは、農場の整備だけだけどね。

「そいは!?」

 何も泣かんでも。ほら、農場で働いても良いって人紹介して? あと、やっぱり刀を捨てたくない、って侍も五百人は欲しいかなあ?

「ほんに!! ……ほんに!!」

 あーあーお供の人ももらい泣きしちゃって。仕方ないんだから。

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