第3話 お祭りは空からやってくる(上)
人間は面白い。
難題を出せば、それを越えようと抗い、越えてくる。
諦める者が大半でも、一握りの諦めない者達が道を切り開く。
そろそろつまらなくなってきたし、宝もたまってきた。
ならば始めよう。
ドラゴンフェスティバルを。
1
「ん~! あっちの石もいいなぁ、こっちの赤い石も捨て難い…!」
真剣な眼差しで、色とりどりの宝石を見比べるマリン。
道具屋のオヤジは、朝一番の上客のその様子を、自慢の髭を撫でながらニコニコと眺めていた。
「マリンちゃん、たまには宝石以外の物を見ておくれよ。うちの商品は他にもいっぱい良い物があるんだよ?」
精いっぱいの笑顔で貴重な魔術書をちらつかせながらアピールするも、しかしマリンは聞いちゃいなかった。
「よしっ、きーめたっ! この赤いのと白いの、あとあっちの緑のくださいなっ!」
「ほいほい、全部で一〇〇〇ルートだよ」
「はいはーいっ」
マリンは何を迷うことなく、世間一般の一か月分の給料と同じだけの大金をカウンターにドンと置く。
「きゃーっ! やっぱりお給料日のお買い物って素敵っ!!」
ゆるゆるの顔で、新たに手に入れた宝石、――もとい魔石をポーチの中にしまうマリン。
「こんなに使っちまっていいのかい?」
いくら超がつくお得意様とはいえ、毎度お金をどんと持ってきて宝石を買うマリンを気にかけるオヤジ。
「うん、大丈夫よ。最近依頼もたくさんこなしてるし。それに、魔石がないと仕事にならないし」
「そうだったな、マリンちゃんはレンジャーだったっけな」
マリンの上着についている金のバッチを見ながら、オヤジはつぶやく。
ドラゴンマウンテンの麓の町、チーク。
その危険な山を知り尽くす存在が、チークの町のレンジャー達だ。レンジャー達は、山に挑戦する者の案内から護衛まで、幅広い仕事をこなす。
命を懸けた仕事だけあって、収入は一般人よりはるかに良い。だが、その分武器やら道具やら色々な物が必要になるので、結局の所、生活レベルは一般人とそこまで変わらなかったりもするのだが。
マリンもそんなレンジャーの一人だった。
「そういや、この前町を救ってくれたのは、マリンちゃんとガントだったっけな」
オヤジが思い出したように呟く。
マリンは『ガント』という単語にビクッと反応し、動きが止まる。そしてマリンの頭には、次々に『あの時』の光景がよぎっていく。
「いやー! ヴァンパイア相手に、よく守ってくれたよ! そうだ、いつも贔屓にしてくれてるお礼込みで、この宝石をマリンちゃんにプレゼントしよう!」
オヤジの掌には、上等な水色の石。
さぞ喜んでくれるだろうと思い、振り返るとマリンの姿が無い。
「マリンちゃん!?」
あわててカウンターから身を乗り出してみると、真っ赤になってしゃがみこむマリンの姿があった。耳まで真っ赤になって、ぷるぷる震えている。
「どうしたんだい?! 大丈夫かい?」
「だだだだだ、大丈夫ですっ! あああ、ありがとうございます! あう、い、急ぐんで、し、失礼します~~!!」
両手で魔石を受け取り頭を下げると、わき目もふらず走り出すマリン。
「お、おう、また来てね!」
オヤジは訳が分からないながらも、手を振り小さくなるマリンの後姿を見送った。
「う~、う~!!」
マリンは真っ赤になりながら商店街を疾走し、『今昔亭』を目指す。
「あら? あれは?」
『今昔亭』から出てきた金髪の美女が、遠くからこちらに向かって走ってくる少女に気付き立ち止まる。
長い黒髪のポニーテールにピンクの革の服を羽織り、ヘソだしで町を疾走するなんて、
「マリンね」
そう、彼女くらいしかいない。
「マリーーーーーーーン!」
柔らかい優しい声で、マリンを呼ぶ。だが聞こえないのか彼女は止まらない。
止まらないマリンは、そのまま勢いよく金髪の美女に突っ込んでいく。
美女は満面の笑顔で両手を広げ、疾走するマリンを受け止める。
「へぷっ!!?」
何かやわらいかい物にぶつかり、ようやくマリンは止まった。
「んうっ、むぅっ!!」
やわらかいものに埋もれ、もごもごするマリンに、美女はやさしく微笑みかける。
「やん、暴走列車ね」
「ぷっは、メディ!?」
マリンが埋もれていたのは、メディのおっきな胸だった。
「ご、ごめんメディ、気付かなくって、えと……!」
「あらあら、真っ赤になって。またガントの事でも思い出してたの?」
「#$&!%!?」
「言葉になってないわよ? 図星なのね~」
さらに真っ赤になって慌てふためくマリンを、メディはさらにぎゅっと抱きしめる。
メディにとってマリンは、可愛い妹の様な存在なのだ。その妹分が、恋に悩み、悶えているのだ。愛おしくっていじりたくって仕方が無い。
「うぅ、可愛いんだから~。そろそろ何があったか、お姉さんに話してみてくれない?お姉さん、色々経験豊富だから、助けになってあげられるわよ。」
「……、誰にも言わない??」
涙目でじっと見つめてくるマリンに、メディの心がきゅんとなる。
「はいはい、言いませんよ? そうね、とっても美味しいケーキ買って来てあるから、私のお部屋でお茶でも飲みながらお話ししましょ?」
マリンの潤む目を細い白い指でそっと拭い、頭を撫でる。
「え、でも、メディ、今から出かけるところなんじゃ……!?」
「いいのよ、私の用事なんて。それに……。ふふ、さぁ、お部屋に行きましょ?」
メディは輝くような笑顔でマリンの手をとり、『今昔亭』の扉を開ける。心の中で『こっちの方が面白いからよ~。』と歌われていたのだが、そんな事、マリンは知る良しもない。
「ちょ、メディ!? メディーーーー??!」
ちょっと強引な優しいお姉さんに引きずられ、マリンは『今昔亭』に消えていった。
2
「なるほど、そんな事があったのね?」
『今昔亭』の三階の一番奥-つまりマリンの部屋の一つ上にメディの部屋がある。
部屋は綺麗に片付けられていて、所々に花が飾られている。部屋の隅に立てかけられた大きな石のついた金属のロッドだけが、メディがレンジャーである事を物語っていた。
「う…うん……」
部屋の窓際に置かれたテーブルの上には、上等なティーカップに注がれた紅茶と、高そうなケーキ。マリンは小さな金箔で飾られたチョコケーキを小さく切って口に運ぶが、緊張と恥ずかしさのせいで、味がよく分からなくなっていた。
「うん、ついにマリンにも春が来たのね~」
「ちょ! 春とかそんなんじゃ…!!」
「大声はだーめ、他のレンジャーに聞こえちゃうわよ?」
メディは人差し指をマリンの口にぴっと当てる。慌てて静かにするマリンを見て、メディは微笑む。
「そっかー、ガント、獣人だったのねー」
「絶対……秘密だよ?!」
真剣なマリンに、メディは頷く。
「わかってるって。でもそんなに気にしなくても大丈夫よ」
「?」
「だって、別に人間社会で人間と混じって暮らす獣人、結構多いわけだし」
「うん、まぁそうだけど……」
それでもマリンは、ガントがあれだけ気にしていた事をメディに喋ってしまった事が、どうしても気になって伏目がちになってしまう。
もっとも、ガント本人は『マリン』に悟られたくなかっただけなのだが…。
「それに……」
メディは紅茶を一口飲んで、ふぅ、と目を閉じる。
「クロフォードあたりはもう気付いてるわよ。そりゃあんな怪力ですもの」
「まさか、メディも!?」
「うん、なんとなくは、ね」
気付いてなかったのは自分だけなのかと、少し涙するマリン。
「で……」
「……で?」
見つめ合う、マリンとメディ。穏やかな秋風がカーテンを揺らす。
「初めてのキスのお味は、どんなだったの?」
「!?」
突然の質問に、固まるマリン。
近づく唇、触れ合う瞬間は一瞬のような、無限のような不思議な時間の流れで。
メディのせいで改めてそのシーンを思い出し固まるマリンに、メディは目を細める。
「そんなに素敵なキスだったの? やるわねぇ、ガント」
「ちっ、違うのっ!!」
マリンは激しく首を振る。
「あ…あれは、契約のためのキスだからって……」
マリンは真っ赤になったまま俯き、小声で呟く。
「なるほどねぇ」
メディは、空になったマリンのティーカップに紅茶を注ぎ、お砂糖を一つ落とす。
「うんうん。マリンは、ちゃんと『ちゅう』して欲しかったんだ」
「!!!!!!」
あうあうして椅子から落ちそうになるマリンを見て、メディは微笑む。
「じゃぁ、ちゃんとちゅうしなおしてもらえば良いじゃない?」
「!? メディ!!」
そんなの無理だと目で訴えるマリン。
そんなマリンを見て、何かを思い出したかのようにメディは手をぽんと叩く。
「あ、そっか。今、ガント依頼でいないんだっけ。そりゃ今は無理よねぇ」
「うん…三日前から……、て、そうじゃなくってぇ!!」
最早マリンは、メディの楽しいおもちゃであった。
「そうね、次してもらうんなら、ちゃんと人間の姿の時がいいわね」
「もうっ、メディのばかぁ! 別に私っ、キスしたくなんかっ!」
涙目で立ち上がるマリンをそっと抱き寄せ、メディはやさしくなでなでする。
「大丈夫よ、マリンはこんなに可愛くて、素敵なんだから。ガントもきっと、またちゅうしたくなっちゃうわよ」
「そ…、そうかなぁ……」
「ふふ、やっぱりマリン、ちゅうしたいんだ」
「うぅっ、メディの意地悪!」
マリンが両手を振り上げたそのときだった。
「マリン! いるかっ?」
下から聞こえてくる大きくて低い声。
「あらあら、愛しのダーリンがお呼びよ?」
ニヤニヤするメディに、マリンは真っ赤になって悶える。
「なな、なんか呼ばれてるみたいだから行かなきゃっ、じゃね、メディ!! ケーキ、ごちそうさまっ!」
マリンはこけそうになりながら、慌ててメディの部屋から出て行く。
「依頼から帰ってきて、即、マリンを呼びだすなんて。んふふ、面白いったら」
メディは満面の笑みで紅茶を飲みほす。
「さぁて、どうなるか見に行こ~」
そういって部屋を後にするメディは、どこまでも楽しそうなのであった。
メディの部屋を出て左を向くと5つ扉が並んでいて、その先に階段がある。
『今昔亭』は三階建てのつくりになっていて、二階と三階はレンジャー達が暮らす部屋
となっている。一つの扉の向こうにはメインルームとベットルームがあり、荷物の多いレンジャーにとってかなりありがたい間取りになっている。
一階には女将さん達の住居スペース他、共用の浴場、食堂、そして普段皆が集まるロビーがある。
「ふぎゅ!?」
階段を駆け下りるマリンが二階に着いた所で、不意に大きな塊にぶつかる。
「なんだ居たのか。居るのなら返事をしろ」
銀色の髪に、深い紺色の瞳。色黒の肌に分厚い体。
深い赤の革の服に、背中には使い込んだ大きなバックパック。
その場に立っていたのは、ガントだった。
「ガ、ガント!? ご、ごめんなさい、さっきまでメディの部屋に居て……」
「そうか。ちょっと荷物を置いてくる、待っていてくれるか」
「うん、あ、あの……」
部屋に行こうとするガントを呼びとめ、少し照れるマリン。
「なんだ?」
マリンは少し赤くなって、改めてガントに笑顔を向ける。
「お帰りなさい!」
「おう」
ガントは片手を挙げて返事をし、二階の自分の部屋に入っていく。
(どどど、どうしよう! お帰りなさいとか、いっちゃったぁああ!!)
なんでもない普通の事なのに、赤くなって悶えるマリンは、完全に恋する乙女だった。
二階の階段に座って待っていると、ほどなくして、小袋を片手に部屋からガントが出てきた。
「待たせたな」
3日がかりの依頼から帰ってきた所だというのに、疲れ一つ見せないガント。その体力にマリンは感心してしまう。
「ううん、で、何の用?」
見上げるマリンに、ガントはチラッと周りを見渡して、そっと袋を手渡す。
「土産だ」
意外なガントの言葉に驚きつつも、差し出された袋を開ける。袋の中には魔石が三つ。
「わわわ、これ、アメジスト二つに……水晶じゃない!」
透き通った純度の高い魔石の登場に、慌てふためくマリン。
「今回の依頼は、前回の遺跡の再調査だったからな。一緒に行ったモースからコイツを確保するのは難儀だった」
眉間にしわを寄せ苦笑するガント。
レンジャーのモースは、お宝と名のつくものを遺跡から見つけて持って帰るのが趣味で、お宝に関しての嗅覚は異常だ。レンジャーなのかトレジャーハンターなのか、怪しいくらいだ。相当苦労したに違いない。
そう思うと、この魔石がとても貴重に思えて、胸がきゅんとなる。
「ありがとう! 大事にするね。そうだ! 道具屋のおじさんにアクセサリに加工してもらおっと!!」
マリンが喜んでいる様子にガントは満足したのか「好きにすると良い」と言って、下に降りていく。
「あ、まって、お昼ごはん食べに行くんでしょ? 私も下に行くっ!」
慌てて追いかけ、階段を駆け下りるマリン。
しばらくして、上の階から小さな笑い声が漏れてくる。
「やだもうっ、ガントってあんな優しかったかしら?!」
三階の階段の上では、メディが顔を真っ赤にして笑いを堪えていたのだった。
3
「ほらっ! 右! コレくらいかわして見せろっ!!」
昼下がりの『今昔亭』の裏庭で、繰り広げられる激しい組み手。
依頼から帰ってきたばかりのガントが、マリンに体術の稽古をつけていたのだった。三日分の遅れを取り返すといわんばかりの激しい稽古に、マリンは真剣に全力で向かう。
普段は朝食前に軽く訓練するのが日課だが、今日は何か予感がするのか、ガントの目つきがちょっと違う。なんだかわからないが、それに答えたくて、マリンも集中力を高める。
何より、稽古が嬉しかった。
「ふっ! やっ! はぁあっ!!」
汗を飛ばしながら真剣な眼差しで拳を繰り出すマリン。徐々に師匠を捕らえ始める弟子の拳を受け流しつつ、ガントは軽く反撃を加える。そしてそれを、時々食らいながらも懸命に回避するマリン。教えれば教えただけ、きっちり上達するマリンを見て、ガントは心躍るような気分だった。
そしていつも思う。今からでも遅くはない、格闘家一本に絞れ、と。
「えぁああああっ!!」
ガントの一瞬の隙を見て、マリンが鋭い蹴りを繰り出す。
「ちぃっ!!」
予想外のかわしきれない角度からの一撃に、つい本気で足を払い、マリンに重い拳をねじ込む。
「いうううううぅ!!!?」
突然の重いパンチにマリンは吹っ飛び、町の外周の壁に思いっきりぶつかる。
マリンの体が力なく芝生に崩れ落ち、そして、起き上がる気配が無い。
「マリン!?」
はっと我に返り慌てて駆け寄る。気を失っている。だが大きな怪我をしていない事を確認し、ほっと胸をなでおろす。
(良かった)
(……ん、良かった?)
マリンのガードの未熟さをおもうより先に、素直に安心する自分に気付き、少しだけ自分に驚く。
マリンに稽古をつけ始めた時は、『レンジャーとしての最低限の体力を』とだけ思い稽古をつけていたのに、いつの間にか『死なないように』とか『もっと強くなって欲しい』と強く思い稽古する様になっていた。 そして、今は。なんだか、それともまた違う気がする。
「少し欲が出てしまったか」
苦笑いを浮かべながら泥で汚れたマリンの頬を手で拭う。ガントはマリンを抱き上げ、『今昔亭』の裏口の扉を開ける。
「……軽いな」
片手でマリンを抱えなおし、『今昔亭』の奥に、ガントは向かった。
「……、!?」
マリンが気がつくとそこは、知っているようで知らない天井だった。
周りを見渡すと、ベッドのほかには箪笥と大きな箱が一つあるだけで、後は何もない。
布団からは男の人の匂いがする。
頭の方にある窓と足の方にある扉で、ここがレンジャー用の部屋の奥の方の部屋だという事が分かる。
「寝室……、なのは分かったけど、ここはドコ?」
起き上がろうとするとお腹がずきずき痛み、また布団に倒れこんでしまう。
「うぅ、ガント、一瞬本気出したなっ?!」
痛みに悶えうずくまっていた時、扉ががちゃりと開いた。
「気がついたか」
手に大きなマグカップをもち、現れたのはガントだった。
「う、うん、……って、ここ、ガントの部屋!?」
大きな声を出すも、それがお腹に響き、再び悶えるマリン。
「ほら、静かにしてろ。起きられるか?」
ガントに支えられ、体を起こす。
「お前の部屋を、勝手に開けるわけにはいかんだろう。ほら、のめ」
不器用に差し出された大きなマグカップの中には、薬草で作ったミントティーが半分位入っている。
「あ、ありがとう」
そっと口をつけミントティーを飲む。ミントの香りと薬草の風味が体にしみる。適温に冷ましてあって飲みやすいせいか、ぐっと一気に飲み干してしまう。
「ふぅ、おいしかった。それにしてもでっかいマグね」
両手でやっと持てるサイズの白いマグカップを手に、マリンは眉間にしわを寄せる。
「あぁ、俺用のマグだからな」
そう答えて、空になったのマグを受け取るガント。
「そっか、だからでっかいのか……って、!?」
ガントのマグだと分かった瞬間、急激に上がるマリンの体温。
顔がどんどん熱くなっていく。
「なんだ? 熱があるのか?」
顔を近づけ、手をおでこにあてるガントに、さらに赤くなるマリン。
深い紺色の瞳がマリンを覗き込む。心臓がばくばくと激しく暴れ、くらくらする。
「少し熱があるな。落ち着くまで、しばらくここで休んでろ。今、女将さんも誰もいなくてな。こんな時に限って……」
マリンが気を失ってから、ガントは女将さんに見てもらおうと『今昔亭』の中をうろついた。だが、みんな買い物にでも行ってしまったのか、人の気配が無い。
ロビーには、『旦那の所を手伝いに行ってくるから、後はよろしく』とガントとマリンに向けた置手紙が一枚。
ガントとマリンは知らぬ間に留守番役にされていたのだった。
「まぁ、本気を出してしまった俺が悪いのだが」
ガントが申し訳なさそうに頭をかく。
「しばらく休んでろ。俺は隣の部屋にいるから、なにかあったら呼べ」
そういって、ガントは部屋を出て行き、マリンは一人、部屋に残される。
「……、ふはぁ」
少し経って、マリンはようやく落ち着きを取り戻し、大きくため息をつく。まだ少し痛むお腹に手を当てつつ、枕にうずくまる。ふんわりした大きな枕が気持ち良い。
(……って、ここがガントの寝室って事は、いつもこの枕でガントが…!?)
マリンははっとなって、あわてて上を向きなおす。
(じゃぁ、この布団からする匂いも……!?)
軽くパニックになり、汗がたらたらと流れる。休もうにも休めず、マリンはくらくらす
る。だが、じんわりと薬草が効いてきたのか、少しずつ、マリンは眠りに落ちていく。
(うぅ…がんとぉ……)
十分後、様子を見に来たガントが見たのは、すやすや眠るマリンの姿だった。
「ただいま、って、おや? 誰もいない?」
夕方になって女将さんが『今昔亭』に戻ってくると、いつもにぎやかなあの二人がいない。なにかあったのかと心配するが、上から人の気配がする。
「おや? 部屋かい?」
たんたんと階段を上がる女将。
「ガント? 部屋にいるのかい?」
ノックをするが、返事は無い。
「女将権限で入るよ?」
鍵がかかっていない事を確認し扉を開けると、ソファで眠るガントの姿があった。
「おーい、ガント?」
突然の女将の声に、跳ね上がる。
「マリン、知らないかい?」
「マ、マリンなら、隣に!」
奥の部屋で、穏やかな寝息の音が聞こえる。女将の表情がニヤリと変わる。
「やだよガント、こんなトコでそんな事しちゃあ」
何を勘違いしたのかニヤける女将に、ガントは必死に事の次第を説明する。
マリンの気を失わせてしまった事、女将さんがいなくて仕方なく自室に運んだ事、薬草の効果で今は眠っている事。
「はいはい、そんな事だとは思ってたよ。ガントがそんな事する勇気なんて、ないだろうしねぇ」
そんな事を言われ、少しカチンとするガントをよそに、女将は機嫌よさそうに隣の部屋に行き、眠るマリンを背負う。
「マリンは私が部屋に戻しておくよ。ガント、お前さんも少しお休み、依頼調査明けなんだろうに無茶はいけないよ。晩御飯はとっておくから。あとで下に来てお食べ?」
そういうと女将はマリンを背負いなおし、ガントの部屋を後にする。
「……、俺も寝てしまっていたのか」
普段、依頼から帰ってきたら真っ先に寝ていた事を思い出し、今日の自分はなんだったのかと考える。いつもより、テンションが高かった事だけは分かる。
何かが起こる予感はする。祭りの前のようなテンション。それとも、マリンの……。
「いやいや。まさかな」
マリンの寝顔を思い出し、首を振るガント。
女将に言われた事だし、少し休もうと寝室にはいると、そこには少し乱れたシーツとまくら。
一人残ったガントの部屋に残るのは、いつもとは違う、少し甘い香り。
「……、これじゃ眠れん」
ガントは少し赤くなり、頭をかいた。
4
『今昔亭』の朝は早い。
山に向かうレンジャー達は五時には起きて支度を始めるし、それにあわせて朝食を作る女将さんの朝はもっと早い。
非番のレンジャーでも、大体六時か七時には起きてきて、朝食を食べる。
例外として、ご飯をいっぱい食べるためだけに朝早く起きてくる者もいるのだが。
女将さんにとって、朝は戦争なのだ。
「おはよーございます! 女将さん!!」
食堂に響く明るい声。時刻は六時ちょうど。
元気に揺れるポニーテールが、Tシャツ&スパッツの姿に良くあっている。
「あぁ、おはよう。今日の朝一番はマリンかい、お腹はもう痛くないのかい?」
焼きたてのパンのカゴを片手に、女将のカンナが台所から顔を出す。
「はい、昨日は心配をかけました。でも、もう大丈夫、すっごくおなか空いてるの!」
マリンは、女将さんの料理を台所から運ぶのをすすんで手伝う。
手伝えば、早く食べられるからだ。
「うぅ、おいしそうなハムエッグ…!」
マリンが皿に盛られた料理にうっとりしていると、急に前が暗くなる。
「料理によだれを落とすなよ?」
大きな体にシャツにズボンのラフな服装、そして低い聞きなれた声。ガントだ。
「しっつれいね、んな事しないわよ!」
膨れるマリンをよそに、ガントは女将と挨拶をかわす。
「おや? ガント、眠そうだねぇ?」
「え、ガント寝足りないの?」
振り返ると、ガントの目の下にうっすらと見えるクマ。
「大丈夫? 悪い夢でも見たの?」
「るせぇ」
不機嫌にしてみせるガントを見て、女将は笑いがとまらない。
「いっただっきまーすっ!!」
マリンは一番に席に着き、パンにハムエッグをのせて食べ始める。
料理を並べ終えたら、席に着いたものから食べ始めるルールなのだ。
勢いよく食べるマリンに、女将さんは嬉しそうな困った顔をする。
「やれやれ、毎日良く食べるねぇ。……二人とも」
マリンの前で、さらに勢いよく食べるのはガントだ。二人は『今昔亭』でも一、二を争う食欲の持ち主だ。女将さんの料理が美味しいのもあるが、二人はどんどん料理を平らげていってしまうので、女将さんもすぐ台所に戻って料理を作り足さなければならない。
女将さんにとっては、それは嬉しい悩みであった。
「むぐぅ、ガント、それ私が食べる予定のなの! おいといて!」
「ばかやろ、早いモン勝ちだ」
「うー!」
毎朝繰り返される朝の光景。
「ごちそうさまー!」
「ごちそうさま」
流し台にきっちり積まれる、使用後の食器たち。
「いくぞ」
「了解っ!!」
そして二人は、日課の体術の訓練に裏庭に出かける。
食堂に訪れる沈黙。
「やれやれ、今日も無事、嵐が過ぎ去ったね」
10人掛けの長い食堂のテーブルに乗っていた料理の、三分の一が消えている。
「げ、またあいつら早起きして食っていったな?!」
起きてきたクロフォードが、減ってしまった料理を見て嫌な顔をする。
「こら、ハンサムが変な顔するんじゃないよ。さて、もう少し料理を作ってくるかね」
鼻歌を歌いながら、台所に消えていく女将さん。
「よくも朝からこんだけ食えるよ、あいつらは」
小食のクロフォードは、パンを一切れだけ手に取り、スープを片手に椅子に座る。廊下
側の窓を見ると、すでに稽古に入っている二人が見える。
「非常時でもないのに、あんだけ食ってすぐ動けるあいつらはおかしい。化けモンだ」
クロフォードはあきれた顔で、スープを口にするのだった。
「よし、今日はココまでだ」
「おわったー!!」
朝食をとって30分後、二人の稽古が終了する。
「だいぶ良い動きになってきたな」
「ホント!? やったー!」
「だが油断するなよ。お前は……」
ガントが忠告しようとした、その時だった。
急に空が暗くなり、強い風が吹き付ける。
「何!?」
マリンは慌てて上を見上げる。
上空には大きな大きな翼。
初めて目の当たりにする、巨大で偉大な存在。
この街を見下ろす山の象徴。
「ドラゴン……!!!!」
銀に輝く大きな翼。小さな町の半分はあろうかという大きな体。
金色の瞳は人一人分ありそうだし、宝石のように美しい。
「あれは……!」
ガントも驚いた顔をして同じように上空を見上げる。
「時は満ちた」
町に響く、ドラゴンの大きく低い声。
「しゃ、喋った!?」
「お前は初めてだったな」
ガントの言葉の意味が分からず、目を丸くするマリン。
「町の人間よ。恒例の祭りの宣言を、ここに告げる。参加したい者は、森にて参加証を捕らえよ。今回は、五合目の洞窟にてお前たちの挑戦をまっている。そうだな、今回は二人一組での参加を条件としよう。日時は次の満月が期限だ」
そう告げると、銀色のドラゴンは翼を大きく一回動かし、山へと帰っていった。
「……、ドラゴンフェスティバル、五年ぶりの開催だな」
「な、なんなの?! あ、あれ! 銀色!!」
興奮するマリンに、ガントは落ち着いて話す。
「あのドラゴンは、ドラゴンの四天王の一人、シルバードラゴンのカヒュラだ。町のシンボルやレンジャーのバッジのモデルにもなっているアレだ。昔話に出てくる四つの竜の一つ。そして、ドラゴンマウンテンを統べる竜。あのドラゴンは人間好きで、何年かに一度、ああやって祭りを開く。今のはその祭りの開会宣言ってとこだ」
そう言うと、ガントの紺色の瞳が真剣な眼差しに変わる。
「ま、祭り…??」
「カヒュラの条件に従って、カヒュラの罠を超え、カヒュラの元に辿りつく。それが出来た者は、カヒュラから宝を分けてもらえる。その一連のイベントを、みな『ドラゴンフェスティバル』と呼んでいる」
「ドラゴンフェスティバル…」
ガントの話を、真剣に聞くマリン。
ここに初めて来た時にちらっとそんな話を聞いた気もしたが、レンジャーになって間もなかったせいか、そこまで話を詳しく覚えていなかった。しかし、宝と聞いて拳を握る。
「も、もしかして、宝に魔石とかあるのかな」
「その程度の宝なら、腐るほどあるだろうな」
「く、腐るほど!?」
マリンは未だ高位のドラゴンと遭遇した事はなく、ドラゴンの宝がどういったものか想像できずに、ただただ驚く。
「だが、アレはそんなに簡単じゃない」
ガントがとたんに厳しい表情になる。
「ど、どういうこと?」
「俺は前回参加して、脱落した」
「……!?」
衝撃的なガントの告白に、言葉を失うマリン。
「実際、カヒュラの所までいける挑戦者は、そういないらしい。毎回レンジャー込みで名のある戦士や冒険者が集まり何組か参加するんだが、この数十年でたった十三組行けただけだと聞く。五年前の前回は一組も辿り着けなかった」
「そ、そうなんだ……」
想像を絶する難易度に唖然とするマリン。
だがそれと同時に、なにかが体の奥から湧き上がってくる感覚がマリンを襲う。初めて見た偉大なドラゴンに、興奮していたのかもしれない。
「参加してみたいのか?」
マリンがそわそわしているのを見て、ガントが訊ねる。
「うん、してみたいと思う…。厳しいのは分かったよ? でも…。自分の力を試したいし、ドラゴンの罠とか興味あるし、魔石…欲しいし。……ガントは?」
「前回脱落したからな。今回はリベンジだ」
山を睨むガントの目は鋭い。
「だが、問題がある」
「何?」
「俺は前回、一人で参加したんだが、今回の条件は『二人一組』だと、さっきカヒュラが言っていた」
二人一組にビクンと反応するマリン。
「ガ、ガントは誰か一緒にやる人、決めたの?」
先制とばかりに尋ねると、ガントは戸惑ったような表情でマリンを見下ろす。
「いや、さすがにさっき聞いたばかりだから、まだだが。そういうお前は決めたのか?」
「ううん、まだ……」
二人の間に、しばし訪れる沈黙。そして同時に口を開く。
「お前は危なっかしいからな、一緒に行ってやる。」
「ガント、今回は攻略したいでしょ? 私、魔法使えるしきっと役に立つよ?!」
顔を見合わせ、思わず噴出す二人。
「よーし、覚悟しろよ!? 期限まで十五日、出発は八日後だ! それまで、徹底的に鍛えなおしてやるからな!」
「了解! 絶対にお宝、頂こうね!!」
良い笑顔で拳を付き合わせるガントとマリン。
ドラゴンの祭りの開催の宣言で、徐々に町が騒がしくなってくる。
数年に一度の『ドラゴンフェスティバル』が、たった今、幕を開けたのだった。
つづく