ビッグディッパー
「うわあああっ!」
「きゃあああっ!」
辺りで爆発が何度も起こり、瓦礫が雨の如く降り注ぐ。
炎と煙が町中で逆巻き、逃げ惑う人々でパニックは最高潮に達していた。
俺もその中の一人だ。
三代続いた実家の工務店も、今や灰塵と帰した。
だが、そんな事は構っていられねえ。
今は命が大事。命あっての物種だ。
ギョオオオオンッ!
気味の悪い鳴き声が町中に響き渡る。
振り返れば巨大な化け物が天を仰いで咆哮している。
くそったれ! この地獄絵図の元凶は見ての通りあの化け物野郎の仕業だ。
まるで怪獣映画そのままの状況だが、感心している場合じゃねえ。
家族を先に車で逃がし、近所の爺さん婆さんの安否を確認し、今やっと自分が逃げてる最中って訳だ。
キイイイイイインッ!
突然、耳をつんざく轟音がした。
俺は顔をしかめて空を見上げた。
キイイイイイインッ!
爆音の正体が空中で弧を描き、再びこっちに戻って来やがる。
「来たぞ! あれ、ニュースでやってた!」
野次馬から声が上がる。
ニュースでやってたってえと、防衛省がナンたらカンたらって言う戦闘機の事か。
確か数年前から計画してた兵器がこの程完成したとか何とか。
詳しい事は知らねえが、守ってくれるんならありがてえ。
その戦闘機が巨大な化け物目掛けて攻撃を開始した。
相手は見るからに怪獣って感じだ。
肉食恐竜をもっと巨大化して機械とゴッチャにした感じとでも言えば良いのか。
戦闘機は旋回を繰り返しながらミサイルと機銃で攻撃を試みる。
ドガアアアン!
ダダダダダダッ!
戦時中かと錯覚する様な爆発が連続して起こる。
だが見た目の派手さとは異なり、今一つ効いている様に見えないのは気のせいか。
ギャアアオオオオンッ!
嘶く様に怪獣が叫ぶ。
ビイイイイイイッ!
昭和の風情たっぷりな音と共に、化け物の頭頂部から生えた角がビームを放った。
俺も含めた野次馬どもも、声を発する暇も無い。
短く息を呑むのが精一杯だった。
グワアアアアアンッ!
放たれたビームが戦闘機のコックピット部分に命中して爆発した。
そのまま高度を保てずに、戦闘機は民家を辛うじて避ける様に近くの大通りに不時着した。
乗り捨てられた沢山の車を薙ぎ倒し、数百メートル滑ってやっと止まった。
だがパイロットが無事かどうかは甚だ疑問だ。
「ああ……!」
野次馬どもから落胆の声が漏れる。
これで事態は最悪となった。
もう走って逃げるのにも限界がある。
とても逃げ切れる様な状況では無い。
人々は観念したかの如くその場に立ち尽くした。
近所のババアが手を合わせて読経を始めやがった。
縁起でもねえが、この状況では仕方がねえのかも知れねえ。
泣く子供を母親が抱きしめている。
俺も無事に逃げたかどうか、家族の事が頭に過った。
ギャアアオオオオンッ!
怪獣が勝利の雄叫びとも取れる声を上げる。
その声が町中に響き渡り、恐怖と絶望が人々を包んだ。
恐え。
とんでもなく恐ろしい。
人生に色んな死に方はあるだろうが、これほど恐ろしい最後があるだろうか。
怪獣に食われるのか。
踏み潰されるのか。
はたまた訳の解らないビームか何かで焼き払われるのか。
立ち向かう事は愚か逃げる事さえ出来ない状況に、俺は震えた。
「……くそっ!」
俺はそう呟くと小走りに駆け出した。
逃げるつもりでは無い。
この辺りの連中は顔馴染みも多い。
一人逃げ出した所で、みんな殺られちゃどのみち寝覚めだって悪い。
何か考えがあった訳じゃねえが、とにかくあの落っこちた戦闘機に向かって俺は走っていた。
救出したいのか。
ぶん殴ってしっかりしろと渇を入れたいのか。
俺にも全く解らねえ。
ただじっとしているのは恐ろしかったし、もう何か有るとしたらあれしか無い様な気がしていた。
交番前にお巡りの自転車があった。
俺は緊急事態だ悪く思わんでくれよと躊躇無くその自転車を拝借した。
窃盗? 馬鹿言っちゃいけねえ。
緊急的措置って奴よ。
俺は力の限りペダルを漕いだ。
もういい歳だってのに立ち漕ぎで全力走行だ。
例の戦闘機がみるみる近くになってくる。
トラックとバスに突っ込んで止まっていた。
戦闘機と呼んで良いのかどうか、とにかく巨大だ。
コックピットには到底よじ登れそうも無い。
俺はトラックの荷台に上がると、そこからバスの屋根へと飛び移り、さらに戦闘機の鼻っ柱に飛び付いた。
「くっ、この……!」
俺は必死によじ登ると、コックピットを覗きこむ。
フロントガラスの様な物は見当たらない。
全部金属で覆われている。
俺は更に上へと上り、屋根に立った。
「パイロットはどこでえ……」
俺が二、三歩歩いた時、突然ハッチの様な部分がスライドして内部へ入れそうな空間が現れた。
俺はそこに近付くと中を覗きこむ。
「済まない、重傷者が居る。手を貸してくれ」
中には何名かが座席に座っていたが、その中の一名が俺にそう声を掛けてきた。
見ればメインパイロットと思しき人物が、先頭のシートでぐったりしている。
「……運び出せるか?」
俺が尋ねると、自力では無理だと別の人物が答えた。
俺は狭いコックピット内に入ると、メインパイロットに声を掛けた。
「おい、大丈夫か。しっかりしろ」
頬をぺしぺしと軽く叩く。
「うあっ……! うう……!」
それだけでそいつは苦悶の表情と声を上げた。
「こりゃあ、骨が何本か折れてるな。たがこの状況では救出も望めんぞ」
俺は眉間にシワを寄せた。
結局ここでも状況は絶望的だ。
また別の絶望があるだけだった。
「あんたらだけでも脱出しろ」
俺は残りの面子にそう告げた。
「まさか! そんな事は出来ん! あんたこそ逃げろ!」
「そうしたいのは山々だがな。あっちには逃げ遅れた連中が、年寄りが居るんだよ。置いて行けるか」
「我々とて逃げるなど有り得ん!」
「勇ましいのは結構だがよ、あんたらがしっかりしてたら俺達だって逃げられただろうよ。格好つけてんじゃねえ」
俺はつい言わなくても良い事を口走った。
こいつらだって一所懸命にやっているのは解っている。
だが、やり場の無い怒りが八つ当たりさせてしまう。
「……おい。あんた」
かすれる声でパイロットが俺に声を掛けた。
「隊長!」
誰かがそう言った。
「済まないが……あんた、代わりにここへ……座ってくれないか」
隊長と呼ばれた人物が突然とんでもない事を言い出した。
「何だと?」
「隊長! それは……!」
俺とサブリーダーらしき人物は同時に声を出した。
「もう……これしか無い。変形するには五人同時に操作……する必要がある。私が欠けたら四人では無理だ」
「しかし……!?」
「責任は私が取る。頼む、もうこの方法しか無い」
隊長がそう言って俺とサブリーダーを交互に見た。
「……良いだろう。やってやろうじゃねえか」
「!? あんた! 何を勝手な!」
「勝手じゃねえ。隊長様直々に拝命したんだからよ。それに俺も何もしないで死にたかねえしよ、家族にも会わにゃあならねえ。ここは腹を括る所だぜ。あんたも男ならよ、根性見せて見ろよ」
俺はそう言うと隊長席の隣に陣取った。
サブリーダーは何か言いたそうだったが、他のメンバーに抑えられる様にして従った。
「隊長さんよ。どうすりゃ良い?」
「……基本的な事は自動だから、難しい事は無い。まずエンジンの再始動だ」
俺は言われるままに操作した。
腹にずんと響くような重々しい音と共にエンジンが始動すると、コックピット内の様々な計器類に明かりが点る。
ゴオオオオオオオオオオオオオッ!
機体が垂直に浮き上がる。
飛んでいる。
俺は年甲斐も無く興奮していた。
「よし! やってやるぜ! 次はどうすれば良い?」
「後は皆がやってくれる。今は何もしなくて良い」
「は?」
俺は肩透かしを食らった。
せっかく気合いを入れたのに見ているだけなのか。
「タイミングが来たら教える。そうしたら言う通りに操作してくれ……あんたの見せ場はそこからだ」
隊長は苦しそうにそう言った。
なるほど。役目はちゃんとあるって訳だ。
ミサイル発射のボタンでも押すのだろうが、俺達の町をこんなにしてくれた礼が出来るのかと思えば、その時が待ち遠しくて仕方が無い。
俺は周りにバレない様に、密かに発射ボタンを押す仕草を練習した。
コックピットには窓の類いは無く、肉眼で外を見る事は出来なかった。
代わりにバカでかいモニターが有り、それを見ながらの操縦だった。
割れたら危険だからそう言う物なのかも知れない。
最新鋭というのは伊達では無いらしい。
「隊長」
サブリーダーが隊長を呼ぶ。
「解っている。さっきの攻撃には気を付けろ。旋回して死角へ入れ。すぐにバトルモードだ」
『了解!』
隊長の指示に隊員達が返事をする。
いよいよか。
俺の親指にも緊張が走る。
俺は再びミサイル発射スイッチを押す仕草を繰り返した。
「良いか。私が今だと言ったら、そことそこのハンドルを両手で引いて回転させろ」
「これとこれか? 解った。引いて回すだな」
俺は思っていたのと発射スイッチが違う事に困惑したが、現実は映画や何かとは違うなと納得した。
「行くぞ! ビッグディッパー、バトルモード!」
戦闘機が旋回しながら怪獣の背後に向かう。
そこで隊長が号令を掛けた。
俺にも緊張が伝わる。
「3、2、1、今だッ!」
隊長が叫んだ。
俺は言われた通り、ハンドルを引いて回転させた。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……!
突然機体が振動を始める。
機械音がそこかしこから聞こえた。
「な、なんだ! ミサイルは!?」
俺はミサイルが発射されない事に慌てていた。
じゃあ一体、これは何だったのか。
サブモニターにCGで戦闘機が変形していく姿が描かれている。
俺以外の全員がそれをじっと見つめている。
あの戦闘機は、この戦闘機じゃねえか。
まさか……
俺は顔が引きつるのを感じていた。
いやいやいやいや。
いやまさか、流石にそんな馬鹿な事は……
俺は馬鹿げた妄想に頭を振った。
モニターのCGはやがて人形のロボットに変わった。
「完成! ビッグディッパーバトルモード!」
俺以外の全員が、声を揃えてそう叫んだ。
「……マジか。ロボ? ロボなのか?」
俺は腰砕けになった。
ミサイル発射とばかり思っていたのに、まさかロボットになるとは。
目の前には例の凶悪怪獣が立ち塞がっている。
俺は引きつる顔面を両手で挟んだ。