2.出会い
「あれからもう1年か……」
「ようやく見つかりましたね、博士」
マンションの屋上に、ふたつの人影がある。
ある夏の日の夕方のことだった。
「この下が、やつの部屋だな? シルバー」
背の高い男の影がたずねる。
「はい、15階の8号室、『イマゼキ・コウタ』の家です」
シルバーと呼ばれた背の低い影が答えた。
「では行きましょう、博士」
そう言うと背の低い影はうすくなり、ほとんど見えなくなった。体が透明になったのだ。
マンションの屋上の端から、ひょいとジャンプする。
そのまま空中に浮いて、すぐ下の階のベランダへゆっくり降りていった。
博士と呼ばれた背の高い男は、上着の内ポケットから小さなガラスびんを取り出した。
ふたを開けて、中に入っている粉を体に振りかける。すると、体が白い光に包まれて見えなくなった。
その白い光もまた空中に浮き、背の低い影を追うように下へと降りていった。
* * *
夕日がさしこむ部屋の中で、コウタは勉強机に向かっている。
夏休みはまだ半分以上残っていたが、宿題の算数ドリルはもう残り1ページになっていた。
後ろでは、白い猫がベッドに寝そべりながら、コウタの宿題が終わるのを待っている。
ガタン。
急に、何か小さなものが落ちたような音がした。
「待ってミルク、あと1ページで終わるから。遊ぶのはそのあとだよ」
コウタは机に向かったまま、ベッドの上の猫に言う。
その時、部屋の窓がひとりでに開いた。風が吹いて、レースのカーテンが大きく揺れている。
ミルクと呼ばれた猫が、びっくりして起きあがった。
「ミルク? 外に出たの?」
コウタは振り向いた。しかしミルクはベッドの上にいて、開いた窓を見ている。
(部屋には、ぼくとミルク以外だれもいないはずなのに、どうして窓が――)
コウタはごくりと息を飲んだ。
ゆっくりとイスの向きを変えて、窓のほうをじっと見る。
部屋の中に、ぼんやりとした灰色の影があった。
目をこらしてよく見ると、それはだんだんはっきりしていく。
灰色の影は、いつのまにか1メートルくらいの小さな人の形になっていた。
(なんだ、これ……。人間……?)
大きな頭に細い手足、つるつるした体の表面に、ガラスでできたような透き通った目。
それはどう見ても人間ではなかった。
コウタは驚いて声が出ない。ミルクは毛を逆立ててうなっている。
(こいつ、どこかで見たことがある……)
コウタの頭の中に、去年の夏休みにベランダで見た光景が浮かんだ。
「思い出した! おまえは、あの時の宇宙人!」
そう言うと、目の前にいる灰色の宇宙人は、少し驚いたようにコウタのほうを見る。
「あ、やっぱり、覚えてましたか」
それは、高いような低いような、不思議な声だった。
* * *
「覚えていた、だと? やれやれ、面倒だな……」
どこかから男の声が聞こえてきた。コウタも、ミルクも、きょろきょろと部屋の中を見回す。
突然、窓の外から大きな白い光が入ってきた。
コウタはまぶしくて思わず目を閉じる。
気がつくと、灰色の宇宙人のそばに見知らぬ男が立っていた。
「はじめまして、市立星森小学校5年2組、今関孝太くん?」
そう言った背の高い男は、シルクハットをかぶり、ステッキを持っていて、長い外套を着ている。いつかコウタが本で見た、昔のイギリスの紳士のような格好だった。
「子供なんてものは、1年も前のことは自然に忘れてしまうと思っていたんだがな」
男がコウタに向かってひとりごとのようにつぶやく。
灰色の宇宙人は男を見上げてそれに答えた。
「地球人って、記憶力がいいんですねえ」
コウタはイスの背もたれを手でぎゅっとにぎりながら、おそるおそる声を出す。
「おじさん、だれ……?」
そう言われてシルクハットがぴくりと動いた。
男はコウタに背を向け、宇宙人にこそこそと話しかける。
「おい、今、おじさん、とかいう言葉が聞こえたが、私のことじゃないよな?」
「どう考えても、博士のことだと思いますよ。おじさんって地球の言葉で、中年の男性のことをいうんです。知らないんですか?」
宇宙人がとくいげに答えると、男はステッキの先を床に打ちつけて叫んだ。
「そんなこと知ってる!」
「は、博士、落ち着いてください」
男はおびえる宇宙人から目をそらし、振り返ってまたコウタを見た。
シルクハットの影からのぞくその目は、金色に光っている。
「地球の子供は頭が悪いな。言葉を間違えたんだろう」
そう言いながら、コウタをおどすようにステッキを目の前に突きつけた。
「おじさんじゃない。お兄さんだ」
「……どうでもいいよ、そんなの」
コウタはイスから立ち上がって男に言い返した。
「なんでぼくの名前を知ってるんだ。おじさんも自分の名前を言えよ!」
「私はゴールド博士だ。おじさんって言うな!」
男はステッキをまた床に打ちつける。
しかし、コウタはおびえることもなく、またイスに座るとぼそりとつぶやいた。
「めんどくさいなあ……」