10.うそつき
夏休みも、もう残り少なくなってきた。
コウタは朝からずっと自分の部屋にいたが、今日はなぜかミルクが来ない。
チャイムも鳴らず、ベランダにもだれも姿を見せなかった。
「ミルク……何かあったのかな」
ベランダに出て上を見ても、屋上の様子はわからない。
外を見るともう夕方で、コウタはだんだん不安になってきた。
部屋からキャットフードのかんづめを持ち出して、玄関を出る。
足はひとりでに屋上に向かっていた。
屋上の扉は、今日もカギがかかっていない。
扉を開けて屋上に出ると、コウタはじっと目をこらしてあたりを見回す。
一瞬、何かがきらりと光った。
夕日をあびて、透明な宇宙船が光っているのが見える。コウタはほっとした。
「あ、コウタさん。……ちょうどよかった」
屋上に気まずそうな声がひびく。いつのまにかすぐそばにシルバーが経っていた。今まで姿を消していたらしい。
「今、お部屋にうかがおうと思ってたんです。ええと、あのですね……」
シルバーが用件を言い出す前に、コウタが聞いた。
「ミルクは?」
答えにくそうにしているシルバーの肩をつかむ。
「ねえ、ミルクはどこにいるの?」
「宇宙船にいる。もう外には出せない」
低い声がした。
シルバーが後ろを振り返る。
コウタが宇宙船のほうを見ると、ゴールドがこちらに歩いてきていた。
「どういうこと……病気なの?」
弱々しい声でそう聞くコウタの顔を、シルバーはもうしわけなさそうに見る。
「そうじゃないんです。ただ、猫と人間の成長のしかたには違いがあってですね――」
ミルクの体が猫と同じように成長していて、もうすぐ大人になってしまうこと。
成長が早すぎて、もしコウタの家族や学校の子供たちに見られたら、ミルクがふつうの人間でないのがばれてしまうこと。
それらをシルバーは、コウタにわかるようにていねいに説明した。
「コウタさんなら、わかりますよね? だから、ミルクさんは外に出せないんです」
「……わからない」
「じゃ、じゃあ、もういちど説明しますね、あの……」
シルバーはうつむいて首をふるコウタに、また長い話をしようとしている。
「その必要はない。こいつは理解してるはずだ」
ゴールドが冷たい声でそう言って止めると、コウタはうつむいたままぽつりと言った。
「ぼくにはもう、ミルクしかいないのに」
顔を上げて、ゴールドをにらむ。
「ひどいよ。もういっしょにいられないなんて」
小さな声が少しずつ大きくなっていく。
目からは涙がどんどんあふれてきた。
「外に出られないなら、ぼくが宇宙船に会いに行けばいいんだろ。会わせてよ」
コウタはシルバーの手を取った。
しかし、シルバーは首をふって悲しそうに言う。
「それが、ミルクさん、ショックで部屋にとじこもっているんです」
コウタは力がぬけて、シルバーの手をはなした。
何も言えずに、ただ涙がぼろぼろこぼれている。
「あきらめろ。ミルクはもう子供じゃないんだ。そのうち、おまえとも遊ばなくなる」
ゴールドの静かな声が聞こえた。
コウタはゴールドのほうをちらりと見たが、ゴールドはコウタと目を合わせず、どこか遠くを見ていた。
「ミルクは猫だ。友達のかわりにはなれない。ミルクはそう言い聞かせたらちゃんと理解したぞ。あれはもうおまえより大人だからな」
コウタは下を向いて、手で涙をぬぐった。
「おまえのせいで、ぼくはひとりぼっちじゃないか」
そう言いながらゴールドの上着につかみかかる。
「おまえのせいで、ぼくは友達がいなくなったんだ!」
顔を上げ、まっすぐゴールドを見て、叫んだ。
「宇宙人なんか……宇宙人なんか、大嫌いだ!」
コウタはゴールドの上着から手をはなし、後ろを向いた。
そのままもう何も言わず、屋上の出口へ歩いていく。
「あの、ミルクさんが猫に戻れば、お返しできますので。それまでほんの少しの間、待っててほしいんです。いつになるかはわかりませんけど……」
シルバーがあわてて追いかけながら、コウタに話しかける。
コウタはだまったまま、持っていたかんづめをシルバーにわたした。
「ありがとうございます、コウタさん。ミルクさんは責任を持って育てますから。それで、その……ミルクさんのトイレも、お借りしていっていいですか」
帰っていくコウタの後ろ姿にシルバーがおずおずとたずねると、小さな声が聞こえた。
「勝手に持って行けば」
コウタが行ってしまったあとも、ゴールドとシルバーはしばらくその場に立っていた。
屋上には、ふたつの長い影が伸びている。
「コウタさん、わたしたちを警察に通報したりしませんよね?」
「そんなことをしても、あいつの気持ちはおさまらないだろうな」
シルバーは不安そうにゴールドのほうを見た。
ゴールドはぼんやり遠くを見ている。夕日の光がまぶしくて、シルバーにはその顔はよく見えなかった。
コウタを探して初めてここに来た日のように、マンションの屋上には夕日がさしこんでいる。
ただ、もう夏も終わりに近づいていて、日が短くなったせいか、すぐにうす暗くなっていった。
* * *
姿を消したシルバーが、窓からコウタの部屋に入る。
ゴールドはベランダから中をうかがっていたが、コウタがいないとわかるとそっとシルバーのあとを追った。
「コウタさん、どこかに出かけたみたいですね」
「早くミルクのトイレを探して、持って行くぞ」
だれもいない部屋の中を、ふたりはあちこち探し回る。
「そもそも、猫のトイレってどんなものだ?」
「た、たぶん小さいものだと思うんですが。あ、この下にあるかも……」
シルバーはコウタのベッドの下にもぐりこんで、中をさぐってみた。
奥のほうで何か固いものを見つけて、取り出してみる。
それは1冊の厚い本だった。
さらに奥のほうを探すと、何冊も何冊も、同じような本が出てくる。
「本ばっかりです。なんでこんなところにしまってるんでしょうね」
シルバーはあきらめてほかの場所を探し始めた。
「早く見つけろ。コウタが帰ってくる前にだ」
そう言いながらゴールドはベッドに腰かける。出てきた本をなにげなく1冊手に取った。
「だったら博士もまじめに探してくださいよ」
シルバーがあきれてゴールドのほうを見る。
ゴールドは手に取った本をじっと見たまま、動かない。
「何の本ですか?」
シルバーも1冊の本を開いてみた。
「……博士、これって」
ベッドの下の本を全部広げてみる。それは全部、UFOや宇宙人の本だった。
「なあシルバー、コウタは、いまどき宇宙人なんてだれも興味ないって、言ってたよな?」
ゴールドがうつむきながらつぶやく。
「あいつは、宇宙人なんか、嫌いなんだよな?」
シルバーは壁を指差して、答えた。
「……嫌いな人が、あんな絵を描けると思いますか?」
そこには、コウタの描いた交通安全のポスターが貼ってあった。
ゴールドはゆっくり立ち上がって、帽子を深くかぶり直す。
「やっぱりあいつは、うそつきだな」
ひとりごとのようにそう言うと、ベランダから部屋を出て行った。




