迷宮発生
『迷宮が発生しました』
スマホに緊急迷宮速報と表示され、アラーム音と同時にその規模と発生源地を知らせてくる。
控えめに騒めき立つ教室は、存外落ち着いたものだった。
日本人は迷宮慣れしているので、今更騒ぎ立てる奴は少ない。俺も慣れたもので、避難訓練の要領で鞄に荷物をまとめ、教師からの指示を待っていた。
昼休みの最中なの出来事あり、教師が不在のため勝手な行動は慎んでいるのだ。
しかし、例外は必ずしもいるもので、留学生のレイレイさんは大いに狼狽えていた。
「ちょっと、早く逃げなきゃ死んじゃうのよ! 貴方達、何でそんな平然としていられるのよ!」
「まあまあ、レイレイちゃん。落ち着いて」
「ばかああああ! 落ち着けるわけないでしょう!!」
教室の中央を陣取り、喚き散らすレイレイさんを宥める委員長。
俺は心の中で「頑張れ委員長」とエールを送る。
かく言う俺は副委員長なのだが、面倒だから関わりたくない。なので俺は他人事の様に眺めながら、食べかけの焼きそばパンを口に運ぶ。そして、我関せずを貫く者がもう一人、
「委員長は大変そうだね」
俺の向かいに座る早乙女 星が、同情の眼差しを向ける。
彼、星は俺の幼馴染で、小学校から何となく友達をフワフワと続けている。
小柄で身長は150㎝をようやく超えた程度。体の線も細く、よく女児に間違われる。性別ばかりか高校生の身で、小学生と勘違いされて色々と苦労しているらしい。
原因は彼の右腕、機械仕掛と呼ばれる義手である。
無骨な鋼の装甲で覆われた義手。それは、腕だけでなく人体の臓器の一部である心臓まで機械仕掛化し、彼の生命維持のため稼働している。
右腕全損、心肺停止。
それらを補う機械仕掛手術には大量のナノマシンを投与された。その結果、ホルモンバランスが崩れてしまい、髪が白くなり、性別があやふやになってしまったらしい。
「海外では迷宮は珍しいと聞くけど、レイレイさんの反応を見ると僕たちが異常なのかな?」
「確か、生まれてから死ぬまで迷宮を経験していない人もいるらしいぞ」
俺達日本人はレベル3程度の迷宮を、一年に数回は経験するんだけどね。
星が右腕を失った10年前の大迷宮以降は、更に避難訓練が強化され、ご覧のように日本人は少々の迷宮では取り乱さなくなっていた。
「あ、今震えたね」
星の言う通り、空気が弾けるように振動した。ライブ会場で味わうような体の芯まで響くような振動が、教室内を駆け巡る。
「きゃあああああ! 何っ!? 何なのよおおお! 委員長、助けてええぇ!」
「落ち着いてレイレイちゃん、少し強いくらいの迷宮だから大丈夫」
レイレイさんが委員長に抱き着き、泣き出してしまった。この程度でその様なら、日本では生活できないぞ。
「ねぇねぇ、黒太郎。今の感じだと、レベル3ぐらいかな?」
「いいや、レベル4.2だとさ。結構デカいな。規模は半径25キロ前後か」
俺はスマホに表示された迷宮レベルを読み上げた。
これでは余裕で教室に待機とはいかない。マニュアルにそって、迷宮から脱出する必要が出てきた。
「委員長、レベル4以上の迷宮だ。外部と隔絶されて教師が来れないのかもしれない。避難誘導を頼めるか?」
「あ、はい。皆さん聞きましたか? 校内の迷宮化が予想されます。緊急冒険者セットを装備してたら、廊下に出て出席番号順に並んでください」
委員長の呼びかけで、我がクラスはダラダラと避難準備を始める。
俺もロッカーに常備されてある救命胴衣を袋から取り出し訓練通りに装備し、ヘルメットを被る。サバイバルナイフと杖はすぐ取り出せるように、ホルスターごと腰に吊す。バックパックに水と非常食、サバイバルセットなどが入っているかを確認。バックパックを担ぎ、名簿を片手に廊下へと出る……前にレイレイさんに視線をやる。
案の定、レイレイさんはまったく避難準備ができていなかった。
委員長には別の確認事項があるし、仕方ない。声をかけてやるか。
「レイレイさん、早く救命胴衣を着けないと置いてかれるぞ」
「いやいやいやいや、コレ救命胴衣じゃないから! 防弾チョキだから! むしろ、アーマーだから!!」
レイレイさんが意味不明なことを言い出した。
「レイレイさんの国ではどうか知らないけど、日本ではこれが救命胴衣だから。それと防弾チョキより、防御力はあるから安心してくれ」
「そういう問題じゃなくて!」
耐久性意外に何を語れと。
「とにかくホルスターを腰にかけろ。ほら制服に吊るす所があるだろ。レイレイさんは右利きだから左腰に装備して」
「ねえ、なんで私がナイフなんかぶら下げないといけないのよ。なんに使うのよこれ」
「それりゃ、魔物が襲ってきた時に、反撃するためだろ。他に肉の解体、道具の加工なんかにも使える万能ナイフで」
「もういやああああ!! こんなものいらない! 私は高校生で一般人なのよ!」
「いや、俺らも一般人だし」
「あんた達、日本人と一緒にしないで!」
ひどい人種差別だ。
ゴネるレイレイさんに、如何に緊急冒険者セットが大切かを説明する。装備すれば生存率が跳ね上がることを実体験を交えて教えてやると、素直に装備してくれた。
「おつかれ、黒太郎」
一仕事終えた俺を、星が労ってくれる。
「お前、書記会計だろ。少しは手伝えよ」
「僕には僕の仕事があるの。ほら、点呼は終わったよ」
星から手渡された名簿をから、男子14名、女子15名のチェック欄を確認していく。
昼休みと言えど、授業が始まる5分前。幸いなことに一人を除き、全員教室にいた。その問題の一人なのだが、
「おい、宝条 桃姫がいないぞ」
「見かけないな、と思ってはいたけどね」
星からの報告に、俺は肩を落とす。
宝条 桃姫。一応は中学生からフワフワと続けている友達なのだが、コイツはいつも問題しか起こさないんだよな。
このタイミングで、桃姫がいないとなるとここでないどこかで、事件が起きている可能性がある。
悩んでも、仕方ないか。
「しょうがない、桃姫ならなんやかんやで生きているだろ。このまま、迷宮を脱出する。避難訓練通り、基本5人1組、6班で行動する。各班の班長は定期連絡の際に、人数確認を行い俺か委員長に連絡すること。何か問題が起きた場合も同じだ。
俺たちの班は、俺、星、委員長、レイレイさん、桃姫である。桃姫は不在のため4人組みとなるが、そこまで問題ではない。桃姫は道すがらに拾えたら拾うつもりでいく。
「……うぐ、重い」
緊急冒険者セットを装備したレイレイさんが、ポツリとこぼす。救命胴衣と合わすと15キロ前後になるから無理もない。
俺たちは幼少期から避難訓練を受けているから、慣れたものである。昔に比べたらだいぶ軽量化されているから、軽いとさえ感じられる。
まてよ。もしかしたらレイレイさんは、
「レイレイさん。ありえないと思うけど、『杖』の使い方知らなかったりする?」
「知るわけないでしょ!」
嫌な予感が的中してしまった。
「え、レイレイちゃん知らないんですか?」
「嘘でしょ。僕たちなんて小学生のうちには習うのに」
委員長と星が驚いて、レイレイに詰め寄る。
「なんであなた達日本人は、さも当然のように言うわけ!? 杖なんて銃と同じくらい危険なものでしょう!」
「はぁ? 銃とかないわぁ。あんな兵器と一緒にするなよ。ほら、レイレイさんも消化器ぐらい触ったことあるだろ」
「消化器と杖を並べないでくれる。杖とか炎や雷の魔法を吐き出す、銃よりヤバい兵器でしょ」
何言ってんだ。この娘は。
委員長は困り顔で、レイレイさんに歩み寄る。
「レイレイちゃん。向こうの学校で魔法について学ばなかったんですか? 魔法は簡単に炎や雷を出せるものではないですよ。そんな危険な杖は銃刀杖違反で捕まってしまいます」
「え? だって私たちだって杖を持ってるでしょ」
そう言って、レイレイはホルスターに収まる杖とナイフに視線を落とす。
「一般人でもナイフは刃渡20センチ、杖は30センチ以下まで所持が認められいるんだよ」
「ちなみにレイレイさんが言う、炎や雷を放てる杖となると、全長1メートル以上になるよ。僕たちが今装備している杖は風の塊をぶつける『エア・ハン』しかつかえないよ」
俺の説明に、星が補足を加えてくれる。
「ちょっと待って。あなた達日本人は、不思議な呪文を唱えて、バンバン魔法を雨霰とらせると聞いたけど」
「んなわけあるか。俺たちは超能力者じゃないんだぞ。レイレイさんはスマホを使わずに遠くの相手と話をしたり、メールを送ったり出来るのか? 魔法も同じで、杖がないと使えないし、性能も杖に依存する。逆に杖さえあれば、誰だって魔法を使える。杖なしで魔法を撃つなんて、目からレーザーが出るくらいありえない」
さらに言うと、無から有は基本的に作り出せない。火を起こす魔法は火種が必要だし、雷だって電池なりバッテリーなりが必要だ。
日本国が何故『エア・ハン』、空気の魔法を採用しているのかといえば、何処にでもあるからだ。弾切れの心配もないし、殺傷力も低い。まさに、緊急冒険者セットとしてうってつけなのだ。
「レイレイちゃん、杖の練習しましょう。もしもの時に使えなかったら大変ですし」
「そうだな。おい、レイレイさん。ポーチから魔丸を取り出して杖にセットしてみろ」
「セット? 魔丸? どれのこと言っているの?」
ああ、まじかよ。そこから教えないといけないのか。
緊急冒険者セットに採用されている杖は、タクト型だ。全長30センチ。鉄製のシンプルな細長い棒である。使い方は簡単。杖を2つに折り、筒状の空洞に魔丸と呼ばれる鉄球をセットする。最大装填数は3つ。キーワード、この場合は『エア・ハン』と叫ぶと安全装置が外れるので、後はトリガーを引くだけだ。
「な、簡単だろ?」
「言うだけなら簡単そうだけど、危険じゃないの?」
「知らない方が、よっぽど危険だ」
俺は嫌がるレイレイさんに、杖を握らせ魔丸をセットさせる。
「ええと、それで杖を振ればいいのね」
「ああ、廊下の先に向かってうってみろ」
レイレイさんは、緊張した面持ちで杖を構え、何もない廊下の先を睨みつける。深く息を吐き、杖を構えてキーワードを叫ぶ。
「『エア・ハン!!』」
このバカ、目を瞑ってトリガーを引きやがった。
杖から放たれた風圧は、狙いを大きく外して、轟音を轟かせて教室のドアを吹き飛ばした。
「あ、あれ?」
「何やってんだよ!」
「だって、私は言われた通りにやっただけよ!」
「誰が目を瞑れと言ったよ!?」
はぁ、もういい。それに、『エア・ハン』の使い方としてはあながち間違いではないのだ。
もともとは障害物の撤去や、開かなくなった扉を破壊することが目的だ。魔物に向けることは稀な例である。殺傷力が低いので、撃退できないばかりか、逆上させてしまう可能性すらある。
「てか、俺らのクラス遅くね? なにしてるんだよ」
俺は廊下を見渡して、なかなか教室から出てこないクラスメイトに気づく。廊下に出てきて整列しているのは半分程度。あまりにも少なすぎる。
俺はレイレイさんがぶち破ったドアから、教室を覗き見る。
「小石いいぃぃ! しっかりしろ、小石いいぃぃ!」
「おい、こいつ白目むいてるぜ。マジウケる」
クラスメイトの小石くんが、吹き飛ばされたドアの下敷きになっていた。
どうやら俺たちの出発は、小石くんが目覚めてからになりそうだ。