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高校生の私へ

作者: 土月 十日

 高校生の私へ


 届くことのないこの手紙を書いているのは、小さな理由からです。

 昨日の夜に読んでいたSF小説で、未来から手紙を受け取るシーンがあったからです。

 気持ちの整理になればいいと思っています。

 私は今、とても不安定です。自覚していることが幸いような気もするし、不幸なことでもある気もします。

 あなたはヒステリックな母親にうんざりしていますよね。安心してください、高校卒業をして少しで、あの人は自殺をします。賠償金の発生する自殺だったので、遺産は残りません。どうあがいても自己破産をするしかないので、早めに諦めた方がいいです。

 父親は不明ですから、母方の親戚に頼りたくなるのは分かります。けれど、誰もあの人の娘であるあなたに関わろうとする人はいません。これも、早めに諦めてください。

 一生懸命勉強をしていたかいがあって、就職はできます。初めて朗報ですね。

 高校生のあなたは、ずっと、ずっと勉強していると思います。

 母親は精神的に不安定で、ひょんなことで暴力をふるって辛いでしょう。

 学校も、女性グループから嫌われてしまって辛い目にあっているでしょう。

 その辛さから逃げることは、少なくとも向こう十年はできません。

 私は、そしてあなたはどうしても変わることはできません。できませんでした。

 その一番根っこの部分にあるのは僻みなのだと、今の私は思っています。

 家庭的にも経済的にも恵まれていませんよね。虐待と過保護を織り交ぜたような育児を受けて、アトピーが酷かったせいで、小学校も中学校も汚いもの扱いされていましたよね。

 テレビを見ても、ドラマを見ても楽しくないのは、自分がそのきらびやかな世界に遠いことを僻んでいるからです。

 あなたの周りの女子達も、そのことを知っているからあなたと仲良くできないのです。攻撃してくることは明確に向こうが悪いと思いますが、あなたが嫌われるのはあなたに、私に原因であるのだと思います。

 テレビやドラマはくだらないと、今でも思います。

 たくさんの女子達が喜ぶような話題の大半も、やはりくだらないと今の私も思っています。

 しかし、私が逃げ込んでいた、あなたが逃げ込んでいる勉強や読書も、同じようにくだらないものです。

 どれもこれも、何もかも等しくくだらないのです。

 くだらないゴミが集まって、私達の世界は作られています。

 テレビをつけてみてください。私達とは比べるのも失礼なほど綺麗な人達が、楽しげに喋っています。

 その人達と、私達とに大差はありません。

 空き缶と、吸い殻と、弁当の空き容器が道に落ちていて、あなたは区別しますか?

 その程度の違いでしかないのです。

 私はそのことに気づいて、生きることがとても楽になりました。

 価値があるように見えるものに嫉妬していて、せめて価値があるようにと誠実であろうとして、賢くあろうとして、優しくあろうとして。そういうふうに努力しなくてもよいのだと気づいたからです。

 遠い理想を追い求めれば、その遠さに傷ついていきます。

 理想に向かって努力することができる人はいます。それは、本心からその理想に憧れているからです。理想に向かって歩み、近づいた距離の分だけ喜べる人だからです。

 しかし、あなたが優れた人間であろうとするのは、優れていない人間であることからの逃避です。どんなに理想に近づく方向へ歩いても、あなたは自分が優れていないことを自覚するだけです。

 人は等しくくだらないものです。

 動物のように生まれて、動物のように死んでいくだけです。その過程に差異があるだけです。

 自分と比べて、他人は価値があるように見えるのは、ただの錯覚です。

 だから、心が苦しくないように生きてみましょう。

 テレビもドラマも、流行りの話題に興味がないのは、気にする必要がありません。まるで全員が興味を持っているように見えるのは、そういう風に作られて、宣伝されているだけです。全ての人に興味を持たれるようなコンテンツはありえません。少しも面白くないのは、あなたが悪いわけではないのです。

 それは、とても自然なことです。

 少数派ではあるかもしれませんが、少数派が生まれることが自然なのです。

 そのことを受け入れて、自分が楽しいと思える生き方を探してみてください。

 生きる意味とは、などと大げさなことは言えません。

 けれど、楽しくない人生を生きることは辛いだけです。

 誰がくだらないとか、誰が素晴らしいとか、そういうことは無いのです。

 良い人間である必要も、方法も無いのです。そんなものは存在しないからです。良い人間という言葉があるとすれば、それは、誰かにとって都合が良いというだけです。

 だから、あなたはあなたのままでいいのです。それを受け入れて、楽しく生きようとしてください。

 自堕落になりすぎることはありません。あなたは、あなたに合った程度の自律心と向上心が備わっています。

 自分は自分でいいんだと受け入れて、それから、自分の形に目を凝らして、自分の音に耳をすませてみてください。

 人付き合いが楽しくないことに罪悪感を持つ必要はありません。

 みんなと何かをやり遂げることがつまらないと思っても、何も悪くはありません。

 あなたはあなたの形があって、それを矯正する必要はありません。

 大事なのは思い込まないこと。

 こだわらないこと。

 決めつけないことです。

 何か選択肢があれば、その度に自分の心に耳をすませてください。

 自分が思い込んでいるものとは、違う意見を持っているかもしれません。

 意識しなければ、自分の心の声は聞き取れません。今の時代は、他人の声がうるさいですから。

 疲れたら休んでください。辛かったら逃げてください。

 本当に立ち向かわなければいけない時は、人生にそんなに多くはありません。

 私は、大きな決断をひとつしました。

 子供を産むのです。

 相手の男には知らせていません。

 知らせるつもりもありません。

 生活のあてはあります。貯金はずいぶんありますし、母子家庭への援助が充実した自治体に住んでもいます。

 生まれる子供には、いくらかの迷惑をかけてしまうことが申し訳ないというのは、誤魔化せないです。母子家庭の辛さは、私も知っています。私には、親戚の助けもありません。

 けれど、産みたいと思いました。一時の、気の迷いと言われて否定できる言葉はありませんが、産みたいと思いました。

 相手の男の人は、私に多くの安らぎをくれました。

 産まれる子供には、できるだけ幸せになってほしいのです。

 それが私の幸せになるからで、それは私のエゴです。

 けれど、生きることはエゴを通すことなのだとも思います。

 子供を産むかの決断を迫られて、多くのことを調べて、考えました。

 そして、気づきました。

 一人の人間を産んで、育てるというのは本当に大変なことなのです。

 中絶されずに産まれた時点で、あなたは母親に愛されていたのだと思います。

 良い母親ではなかったことは事実です。

 けれど、そこに愛情が無かったわけではありませんでした。

 良い母親であることを求めるのは、良い子供であることを求められるのと同じくらいには苦しいことです。

 私は、母親の態度に辛い思いをしたことを覚えています。

 そのことを繰り返さないようにするつもりですが、決して良い母親にはなれないと思います。

 けれど、愛情だけは忘れないようにします。

 苦しい事が多いと思います。

 多くを調べてみましたが、実際に母親にならないと分からないことも多いでしょう。

 だから、高校生の頃の私には、どうか応援して欲しいのです。

 今のあなたが、一番苦しい時期だったと思います。

 周囲との差が苦しくて、わけもわからないまま、もがいていたはずです。

 感情がぐちゃぐちゃになって、泣きながら勉強していたあなたは、とても苦しんでいたはずです。

 あの苦しみを味わっているから、私は頑張れると思います。

 周囲との差を埋めるためではなく、私が私の形でいるための苦しさですから、きっと頑張れると思います。

 きっと、幸せになるための道なのだと思います。

 そう思える道に、今のあなたが歩いている道は続いています。

 だから、どうか応援してくれませんか。

 私は、あなたを応援しています。


 28歳の私より



  * *



 それは、母がしたためた手紙だった。

 娘の私に宛てたものではない。

 しかし、私の心には、何らかの意味を作った。

 マンションの一室。母が買った部屋だ。

 その部屋のたくさんの物を処分して、最後に、母の私物を整理して、よかった。

 しばらく動けなかった。

 ずっと床を睨んでいた。

 じっと、耳をすませた。

 高校は退学しよう。

 しばらく休んで、元気が出たら働こう。

 マンションを売って、地元から離れてもいい。

 母は、確かに良い母親ではなかったかもしれない。

 よその母娘のように、どこかにでかけたりといったことは無かった。

 けれど、母は私のことをよく見ていた。

 それがどんなに嬉しかっただろうか。

 何故、言葉にして伝えられなかったのだろうか。

 母は、良い母親ではなかったが、始めからそんなものはいないのだろう。

 私のことを見てくれた、数少ない人だった。

 私にとっては、良い母だった。

 都合が、ではなく。

 私が私のまま生きてこられたのは、母のお陰だ。

 何度も救われて、また、こうして救われた。

 きっと、これからも救われるのだろう。

 もう少しは生きていきたい。

 楽になった心から、そんな気力が湧いてくる音がしていた。


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