さまーないと!
どうも投稿期間を素面でぶっちぎった優ちゃんです。ごめんなさい……
どうしてこうなったんでしょう(-_-;)
慣れない恋愛話ですが、とにかくやりきりましたのでどうぞお楽しみください。
虫の奏でる音色が美しい、ある夏の夕方。
ひび割れたアスファルトが田んぼに挟まれたような田舎町は、時の流れを肌で感じることができる。交通量もまばらな国道沿いからも、さわさわと水面のようになびく青田が見えた。
そんな街にあるさびれた商店街のはずれ。人通りなど数えるほどもない国道沿いにはチェーン展開しているわりに小さなホームセンターが忽然と佇んでいる。
近所のご老人がよく利用する落ち着いた店舗は、今日も平和だった。
ウィーンと自動ドアが静かにしまっていく。
「ありがとうございましたー」
気だるそうなエプロン姿の少年の声が老人の背中を追いかける。すっかり日も暮れて、店内からは聞き飽きた宣伝ビデオの声だけが聞こえてきた。
ぐるりとあたりを見回してもいるのは少年のみ。鉢植えに紛れたアマガエルが話しかけてくることもなく、少年は退屈そうにガリガリと頭を掻く。
レジカウンターの脇にはすでに仕分けされた大量のPOP用カバーがサイズごとに輪ゴムでまとめられている。
すぐに取り掛かれるゴミ集めなどはすでにやってしまっている。少年はちょっとだけ重くなったカゴを腕に下げて、すぐ後ろの事務カウンターに入った。
ぱっと見ただけではどこに何があるかもわからない惨状のカウンター裏で、少年は難なくPOP用カバーを所定の位置に戻していく。
壁にかかった時計の長針と短針は、ⅦとⅡのところを指す。閉店まであと二十分という、微妙な時間だった。
少年は空になったカゴをぶら下げて、力なく溜め息をつく。それを聞きつけたのか、奥にある控室のドアがバンッ!と勢いよく開けられた。
「ひゃっほー! キョドくんキョドくん、ため息なんかついちゃってどうしちゃったの? お姉さんに話してみよう!」
出てくるのは藍染めの浴衣姿の小柄で童顔の女性。キャピキャピ笑うたびにボブカットの茶髪がわさわさと揺れる。不審者にも見えたが、胸元には『店長 南雲沙希』と書かれた名札があった。
キョドくんと呼ばれた少年は黒縁のメガネをカチャリと押し上げる。呆れた顔からは再びため息が漏れた。
「ミーさん、もう二十六歳じゃないですか。年相応の落ち着きを持って仕事してください。もう清掃に入っていいですか?」
「青春男子のキョドくんに言われるまでもないよ! これでも私はクールでエレガントな女性なんだから、レディとして扱ってよね!」
キョドのため息は終わりを知らない。憂鬱そうに耳裏を掻く仕草はとても大人びて見える。
ムフフと満足げに笑うミーさんと呼ばれた女性店長からぷいっと顔をそむけて、キョドくんは足早にカウンターから出て行く。つっこみどころをいくつもスルーして、キョドくんは慌てるミーさんを肩越しに一瞥した。
「それじゃあお客さんもいませんし、勝手に始めちゃいますね。レジチェックだけでもしといてください」
「言うまでもないよ! キョドくんも早く終わらせちゃって!」
「早く早く!」とミーは忙しそうに両手を振る。ゆらゆらと揺れる浴衣の袖に、キョドは面倒そうな顔で頭を掻く。
閉店二十分前からしか流れないアナウンスがふと耳に入る。キョドは小走りでモップを取りに行く羽目になった。
小型チェーン店という肩書きながら、店内の広さはコンビニや個人営業の店舗とはわけが違う。キョドはモップを一本握りしめ、この一日でたまった砂埃を駆逐しにかかった。
いつもより早い閉店作業とはいえ、鼻歌混じりで作業をできるだけの時間は残されていない。やや小走りで通路を往復すれば、人類の敵はたちまちオレンジ色の布地で飲み込まれる。
ただときに、ただモップに食われていくことを拒むモノが現れるのだ。
金属棚のわずかなひさしの下から、ガサリと固い手ごたえが帰ってくる。キュルキュルとリノリウムの床をこすって、キョドくんはふと足を止めた。
「……これはどこのだ?」
出てきたのはどこかに張ってあったらしい小さなカバー入りPOP。混合燃料の値段の高さに驚くキョドは、POPをエプロンのポケットに収める。
ポケットの中にはさっき拾った、第二ボタンかもしれない市販のボタンも一緒に放り込まれていた。
大きくなるポケットもPOP裏に潜んだカエルも気にせず、キョドくんは引き続き小走りで店内を巡る。
腕時計をちらりと確認すると、長針と短針はⅦとⅥを指す。あと五分もすれば閉店時間を迎えることになる。
そろそろ切り上げなければと足を速めたとき、再びガサリと違う手ごたえがした。
拾ってみると埃の中から木製の細長い棒が出てくる。全体を指の腹で撫でてみると両端がスプーンのようになっていて、一般的な耳かきだと分かった。
キョドは一人首を傾げる。ホームセンターとは思えないほどのドリンクや洗剤を取りそろえる店舗でも、耳かきは扱っていない。
不思議に思うキョドだが、感慨にふけっている暇などなかった。
「あとでミーさんにでも聞こう」
そう結論付けると端の方でモップを払う。手早く砂埃を集めてしまってから、LEDライト片手に外回りの作業に走る。
すべての作業が終わるのは、それから五分ほど経ってのことだった。
「作業完了しましたー」
キョドはけだるそうに首を回しながら控室のドアを開ける。拾ったPOPやボタンは事務カウンターの一部分と化した。翌日にならないと処理する時間がないのをキョドはよく知っている。
完全に投げやりな対応をこなしたキョドはふぅと一息ついて、するりとエプロンのポケットをひっくり返すように七つ道具を取り出した。
「ムフフ、待っていたのだよキョドくん! さあお姉さんのもとにおいでなさい!」
キョドは無言無反応を貫いて、何事もなかったかのようにエプロンを脱いで畳む。リノリウムの床に直接腰を下ろしたミーなど眼中にない。
固まるミーは放置され、キョドは何事もなかったかのように個人のロッカーから私物をすべて取り出す。水筒から冷えた麦茶を飲み始めたキョドに、ミーは涙目で詰め寄った。
「キョドくんキョドくんキョドくん! キョドくんはなんて非情なんだい! 美人でグラマラスでお肌もピッチピチなお姉さんが膝を開けて待っていたって言うのにその仕打ちは無いよ!」
「嘘をつく前に姿見の前に立った方がいいですよ」
目を潤ませた小動物的なミーを目の前にしても、キョドはどこまでもつれない。今すぐ帰ることができる状態になってから、キョドはくるりとミーの方へ振り向いた。
「突然どうしたんですか? もう仕事は無いはずですが」
「仕事は無いけどご褒美はあるの! いいからお姉さんにその身を任せて、サービスで耳掃除もやってあげる」
ミーは改めてリノリウムに腰を下ろしてから、ポンポンと膝のあたりを叩く。その手にはついさっきみたような耳かきが見えて、キョドの表情は一層曇る。
ぐちゃぐちゃになって端に追いやられた折り鶴らしき折り紙の残骸を見れば、キョドの心情もある程度は察しがついた。
「……痛いのは嫌ですから、遠慮します」
「失礼しちゃうな、これでも私は包容力あふれる年上のお姉さんなんだから」
ぷくっとむくれるミーに、キョドは思わず片耳を掌で塞ぐ。
広くない部屋の中でなんとも言えない時間が流れる。うずうずと落ち着かないミーはバッとキョドの手を強引につかんで引っ張った。
「もう! いいから寝転がる!」
「うわ! ちょっと!」
キョドは思わずよろけて、ドっ!とリノリウムで両膝を打つ。ジーンと衝撃が骨を伝って、キョドは涙目でひざを抱えた。
加害者はどさくさに紛れて被害者の頭を自分の膝の上に乗せる。すっかりご機嫌なミーに、キョドは微妙な顔をした。
ミーは何の躊躇もなく振袖の中から耳かきを取り出す。それは先ほど拾った耳かきとど同一のものに見える。女性らしい細く滑らかな指先で耳元にかかった髪をそっと触られて、キョドは恥ずかしそうに押し黙った。
「ムフフ、素直でよろしい」
「ほっといてください」
嬉しそうに笑うミーに、むすっと不機嫌そうなキョド。
凸と凹が見事に合致していた。
ミーは掌でくるくると耳かきを回して、楽しげにキョドの頭を撫でる。キョドはすっかりおとなしくなった。
ミーはキョドのこめかみあたりに手を置いて、優しく耳掃除を始める。不器用ながらも体を屈めるミーの薄い胸は、キョドのすぐ目の前に来た。
ふわりと女性特有の甘い体臭が鼻孔をくすぐる。人肌の温かみが直接伝わってきて、キョドは背中がむず痒い。かすかな息づかいがなんとも言えないくすぐったさを大きくした。
「キョドくん、とっても頑張ってるね。物覚えが早くて助かっちゃう」
「……だからってシフト増やさないでください」
「その分給料アップじゃない」
ミーの口元からくすっと慎ましげな笑みがこぼれる。キョドはその顔を隠すようにリノリウムを見つめた。足元に転がったくしゃくしゃの書類が目に焼き付く。
そっと優しく髪を撫でられて、キョドの胸はほっと温かくなった。
「ムフフ」と頭上から嬉しそうな笑みが落ちてくる。耳かきはこそこそと慎重に動いて、くすぐったくてもどかしい。
キョドがもそりと身をよじると、ミーがあっ、と声をあげた。
「もう、動いちゃダメだよ。そんなにお姉さんの膝は居心地がいい?」
「……痛くないですね」
「当たり前だよ、お姉さんを見くびってたの」
むすっと頬を膨らませるミーに、キョドは床を見つめ直す。顔の片側がミーの膝にぺったりとついて、ミーの表情は好転した。
キョドは犬か猫のように撫で回される。笑顔を溢れさせるミーに、キョドはされるがままになった。
ふと腕時計の文字盤を見れば、長針と短針は?あたりと?を指す。退勤時間をわずかに過ぎていた。
「……もうカード切ってもいいですか」
「え、もうそんな時間? もうちょっと付き合ってよ」
「嫌です、おなか空きました」
「えー!」と子供のような声を上げるミー。キョドは何事にも構わず体を起こそうとする。
直後、ぐいっと顔を寄せてきたミーと顔を上げたキョドの額は出会い頭にぶつかった。
ゴッ!と人体から起こったとは思えない鈍い音がする。ミーとキョド、二人そろって自分の頭を抱えた。
「――ど、どう? お姉さんの膝のおかげで痛くないでしょ」
「どういう理屈ですか! めちゃくちゃ痛いですよ!」
キョドの頭はミーの膝の上で左右に転がる。おでこのあたりはすっかり赤くなっていたが、涙目のキョドを見たミーの顔は満足げに緩んだ。
キョドはよしよしと再び頭を撫でられてようやく解放される。その口からは小さくため息が漏れて、疲労感を引きずりながらレジ近くまで退勤報告に歩いた。
ミーもよろよろと立ち上がって自分のカードも切りに行く。制限時間ギリギリのところに滑り込むことになり、キョドとミーはほっと胸を撫で下ろす。
ショーウィンドウから見える外には街灯が一つぽつんと目立つだけで、店内もほとんどのブレーカーが落とされて月明かりしかない。キョドはどことなく感じた寂しさを置いて、自分の荷物を取りに戻る。
まだ蛍光灯で明るい控室の中では、ミーが慌ただしく事務机を漁っていた。
「キョドくんごめん! もうちょっと待ってて!」
「わかりました」と適当に返事をするキョド。忙しそうなミーの荷物を見つけると、自分の荷物と一緒にひょいっと腕に下げた。
「ついでに持っていきますね、落ち着いて探してください」
キョドはくるりと踵を返してヒラヒラと手を振る。ガサゴソと書類を漁る手がふと止まった気がした。
ミーの荷物は思った以上にどっしりと重い。キョドはしっかりと肩に下げて、中からロックした自動ドアの前に立つ。いつもの通り、ガラスの向こう側にはアマガエルが一匹張り付いていた。
「ホント、お前はジャッ〇ー・チェンかよ」
ふと自分が思ったことにキョドはくすっと笑みを漏らす。厚いガラス越しに指でつつくと、アマガエルはぷいっとそっぽを向いた。
ほどなくしてミーが目的の書類を抱えてやってくる。キョドは先に中から自動ドアのロックを外して手動で開けた。
「ふう、キョドくんお待たせー。本当に惚れ惚れしちゃうよ」
「からかってないでちゃんと戸締りしてください」
キョドはそういってミーを先に通す。ミーがインターホンっぽい警備システム端末を操作している間に、自動ドアを元のようにピッタリと閉めた。
ミーが外から全部のカギをかけてようやくその日の仕事はすべて終わる。キョドは親に迎えに来てもらおうとケータイをカバンから取り出す。手帳型のケースを開いたとき、ミーがキョドの顔を覗き込んできた。
「キョドくんは今日もお迎え? 今から?」
「まあ、そうですけど……」
「ふーん、そうかぁ――」
ミーはなんだか煮え切らない反応をする。キョドは一瞬だけ迷ったが、すぐに家に電話を掛けた。
呼び出し音の向こうで「そうだ!」なんて声が聞こえてくる。キョドは不思議に思いつつも、ようやくつながった電話に声を返した。
「あ、もしもし――」
「ちょっと貸して!」
そしてすぐに電話を奪われる。ミーはすぐに電話口で社交辞令を垂れ流す。電話の向こうから漏れてくる声を聴く限り、第一印象はかなり良くなってしまったようだ。
少しだけ踏み込んだ会話が時より笑みも混じって続く。五分もしない間に電話は勝手に切られた。
「よし! うまくいったよ」
「何が『よし!』ですか。いったい何話したんです」
キョドはミーの手から半ば強引にケータイをもぎ取る。ムフフ、と随分とご機嫌なミーは、突然キョドの手を握った。
「今日のキョドくんは私の家にお泊りね!」
「……はい?」
キョドの体はピキッと固まる。にんまりと笑うミーの顔を何度も見つめては、ガリガリと頭を掻く。
「はぁ……」とため息をつくキョドの手を、ミーはぐいっと引っ張った。
「親御さんからOK出たんだからお言葉に甘えなさい! うちには処理待ちの煮物が大量にあるんだから!」
「ち、ちょっと! 突然何なんですか!」
ミーは強引に手を引いて暗い足元を歩く。キョドも少しつんのめりながら、慌ててその後ろに続いた。ミーの顔には底抜けの笑顔が咲く。
ひょこひょこと振袖を揺らすミーを見るとキョドも観念して、ミーと二人並んで歩いた。
「あぁ……月9が待ってるってのに……」
「それくらいお姉さんが見させてあげるから」
一人頭を掻くキョドに、これ以上なくご機嫌なミー。今回もまた、凸と凹が見事に合致していた。
気づけば、暗い夜道なのにもかかわらず浴衣姿の通行人がちらほらと見られる。ふと顎に手を添えたキョドはあることを思い出した。
「そういえば、今日花火大会でしたね。もうすぐおしまいですけど」
「そういえばそうだったね、今から行く?」
「死ぬほどおなかすいたので嫌です」
「そうかそうか」とミーは笑って、キョドと強引に腕を組む。キョドはさりげなく振りほどこうとするが、ミーはぎゅっと力を込めて離そうとしない。
後ろから走り抜けた車が引きずったそよ風に、ミーの茶髪がふわりと揺れる。キョドはなんだか気恥ずかしくなってぷいっとそっぽを向く。
ミーはそれを見逃さず、頬をぽっと赤く染めた。
「ムフフフ、キョドくんったら初心なんだから」
「ほっといてください」
背中からはポンポンと花火の声が聞こえてくる。そちらへ向かう車の走行音はなんだかくすぐったい。
腕から伝わってくる人肌の温もりに、キョドはまるで夢を見ているようだった。
「ねえ、キョドくん。あの、そのね……」
「な、なんですか改まって」
「……やっぱりいいや」
なんとなく煮え切らない空気の中、キョドとミーは暗い夜道をゆっくりと歩いた。