冬猫3
日が傾きかけてきたが、いまだ黒猫は発見できていない。公園、神社、ごみ捨てば、路地裏・・・この町で猫を見かける場所を片っ端から回ってみたのだが、死んだ黒猫はおろか野良猫一匹見つからない。アパートを出て二時間は過ぎている。俺は猫に嫌われているのか。
ふらふら歩いていると、駅前に出た。騒音と雑踏が視界の端からあぶれてくる。人々の隙間から光の点滅が漏れ、残像をかく。クリスマスイルミネーション。今日は十二月二十三日。皆クリスマスの気配に浮き足立っている。人混みにまぎれ、周囲を見渡す。人人人、あとは冴えないクリスマスソング。俺はうんざりしながら横道に入った。
「木豆じゃない」
聞きなれた声が背後なら投げかけられ、恐る恐る振り返ると案の定、岬春宮が立っていた。口の端しを吊り上げ笑顔を作ったが「その嫌そうな顔はなに?」と睨まれる。気づかぬ内に俺の顔は憂鬱で歪んでいたらしい。春宮は俺を眺め回し「相変わらず貧相ね」と、のたまう。こいつの言葉は研ぎ澄まされている。よく刺さる。
「クリスマスを間近に控えてるのにこんな所を一人で歩いてるなんて、孤独が好きなのね」
「あいにく皮肉は間に合ってるよ」
面白くなさそうに春宮は鼻をならした。昔から変わっていない。
「昔からお前は口が悪すぎる」
「それこそが私の美徳なの」
「とんだ美徳だ。歪んでる」
「あんたに言われたくないわよ。無気力出不精の引きこもりみたいな生活してるじゃない。お互い様よ」
そういわれてしまうと反論のしようがない。俺自身、自分が健全だとは思わない。頬を冷たい風が撫でた。黄昏と共に熱の削がれた冷気が漂い始める。吐く息が白い。冬の底に俺はいる。春は桃色、夏は青色、秋は赤色、しかし冬に色はない。磨かれたガラスのような空気越しに見る景色は、ただただ透き通っている。
「猫を見なかったか?」
「猫?家にペルシャとシャムが何匹かいるけど・・・そういえば最近、母がバーマンとヒマラヤンを買ってきていたわ」
名前を言われても姿形がまったく想像できない。そもそもシャムだペルシャだいかにも格調高い猫にはまったく縁がない。やはり俺にとっての猫は薄汚れ痩せた野良猫、あるいはタマだミケだいかにも猫らしい名前をつけられた日本猫、素朴で特徴の無い平凡な猫、それが猫。
「猫がどうかしたの?」
「いや、今朝猫を探して欲しいって頼まれてな」
「人が来てたの?」
「まあ」
「それで」春宮は納得したような顔を作ったが、すぐに崩し「でも、もともと嫌いだものね」
「なんの話だよ」聞くと「電話」と一言。
「電話よ電話。あんた昔から嫌いじゃない。電話してもなかなか出ないでしょ。あれ結構迷惑なのよ。すぐ出なさいよ」
「そういや午前中電話かかってきてたが、なんだ、あれはお前か春宮」
「違うわよ。あれは私たちクラスの担任。みんなに連絡してるのにあんただけ電話に出ないって、泣きつかれたの。携帯電話も通じない。しかたないから今あんたのアパートに向かうところだったんじゃない」
携帯電話を取り出してみると、電源が入っていなかった。
「迷惑かけたな」謝ると「感謝の気持ちに欠けてるわ」冷めた声で言われ、俺は苦笑いで場を濁し、数秒黙りこくり「今度なにか奢るよ」ため息をつく。
当然ね、と春宮。
「それで、なんで猫なんか探してるの」
「そりゃ言わなくてもわかるだろ、お前が俺の霊感のことを冬」そこまで言って、俺の耳の奥底を猫の鳴き声が掠めた。奇妙な感覚だった。みゃあ。脳内に直接響く。奇怪なものに遭遇する直前、たまに厚ぼったい耳鳴りがする。それがやって来た。両耳を一本の線で繋がれたような感覚。いる。確信し、周囲に目を向けた。電柱、民間、標識、自転車、夕焼け、黒猫。俺の前方に黒猫がいる。夕焼けのなかにいて光を弾くほどの真っ黒な黒猫。目が合う。あの猫は死んでいる。確信する。直感が俺を貫いた。瞬間、黒猫は駆け出す。
「霊感?それは」春宮の声を最後まで聞かずに、俺は駆け出した。背中越しに春宮の困惑、ついで怒りの声が聞こえてきたが大きく手を振り「また後で」と叫んだ。大きな夕焼けに黒い斑点が見える。俺は黒猫を追った。