冬猫1
昔からそうなのだが電話がひどく苦手で、だから小学生の頃など電話が鳴るたび体をびくつかせ、目を丸くし、親機を凝視したりした。べつだん会話が苦手というわけではないのだが、受話器を通して聞こえるあのくぐもった声が子供心になんだか不気味で、地獄の底から響いてくるうめき声のように思てしまいいけなかった。そのうえ電話というヤツは突然かかってきて、一言で人の平穏を壊していく。知りたくない事実を時間も距離も無視して押し付けてくる。それが嫌だった。
俺は今年で高校二年生、さすがにもう電話にたいして恐怖心を抱いてる訳じゃないが、それでも進んで受話器を握ろうとは思わない。なのでもっぱら連絡は相手がしてくることになる。俺が用件を伝えるときは口頭かメールのどちらかだ。
さて、電話が鳴っている。
高く冷たい、澄んだ青空が窓外に広がっている。冬特有の透明な空だ。俺は炬燵に入っている。蜜柑の皮をむき、実を舌の上で遊ばせながら寝返りをうつ。冬空は美しいが、炬燵に入って眺めているから良いのであって、寒風に実を晒してまで見るようなものじゃない。冬休みは部屋の中で倦怠と怠惰を育むものだ、と俺は思う。青春から遠い生活だ
電話がなっている。玄関先に置いてある親機がやかましい音を立てている。
起き上がり数秒の逡巡、俺は無視をする事に決めた。冬休みの午前中にかかってくる電話などろくなものがない。勧誘か勧誘か、さもなくば勧誘、どうしようもないくらい勧誘なのだ。塾、家庭教師、果ては睡眠学習法・・・幸い独り暮らしの俺は、電話をほったらかしていて誰かに咎められたりはしない。気ままに、自由に、電話を無視していられる。
そう言えば、両親の訃報を聞いたのも電話越しだ。中学三年間を経て高校に入学するまでの春休み、俺は家で惰眠を、両親は海外旅行を、それぞれ楽しんでいた。今もそうだが俺はのらりくらりぐだぐだ生活するのが好きで、だから座右の銘は酔生無死であり、暇があれば寝転がりながらインドアな趣味に走る毎日だった。ひどい出不精も手伝って、両親の旅行に付いていくこともしなかった。その日は朝から羊たちの沈黙を見ていて、若かかりし頃のジョディー・フォスターに初々しさとときめきを感じていた。物語も終盤、フォスター演じるクラリスがバッファロー・ビルの家を訪れた折り、俺の家の電話が鳴った。警察からだった。ご両親が亡くなりました、警察はそう言った。俺は生返事を返し電話を切ると、映画を最後まで見て、次に見るDVDをセットするため手に取った。その時になってようやく、ご両親が亡くなりましたという言葉が明確な輪郭を持ち始め、俺の意識を画面から引き剥がした。
唐突に電話の音が途切れ、静寂が部屋に立ち込めた。電話先の人間が諦めたのだろう。あくびを噛み殺しながら時計に目を向けて見ると午後二時を過ぎている。そろそろ出掛けなければならない。炬燵から這い出て、もう一度大きなあくびをし「めんどうくさい」・・・呟き唸りながら立ち上がり上着を羽織った。財布と携帯電話を掴み玄関に向かう。寒い。くしゃみが出た。鍵をかけ、俺はアパートを後にした。