今日もわたしは
タグを付けましたが、もう一度書きます。
これは擬人化小説です。それでもよろしければどうぞ。
今日もわたしは、目が覚める。当然で、仕方のないこと。でも、それは憂鬱の始まりでもあって。
「……」
無言のまま、お兄ちゃんと入れ違う様に外に出る。そこは、誰もわたしを見てくれない世界。
「……」
時折、わたしを見る人はいる。でも、すぐに目を逸らして歩いていってしまうから。
「……」
誰もが、急ぎ足で去っていく。それが、わたしが生まれてからの当たり前。
「……」
外に出て、数時間。もう、いない。人も、鳥も、猫も、犬も。誰も、いない。
「……つまんない」
ぽつり、と呟いたそれは、空しく消えた。返事がないなんて、そんなの当たり前なのに。だって、誰もいないのだから。
いつの間にか落ちていた視線と、心をじわじわと染めていく、何か。
「……そっか」
これはなんだろうと考えて、すとん、と座り込んだ。つまらないんじゃなくて、
「さみしい、んだ」
立てた膝の間に顔を埋めて、大きく息を吐き出す。仕方ない、そんなこと解ってる。でも、寂しいよ。
「お兄ちゃん……」
ぱたり、ぱたり、と落ちる涙が膝を濡らす。ぎゅう、と腕の力を強くして、もうやだ、と首を振った。
「独りは嫌だよ……!」
誰もわたしを見てくれない世界になんて、いたくない。もう起きたくない、ずっと眠っていたい。無音の世界に、わたしの嗚咽だけが響いた。
しばらくして、帰る時間になる。よろよろと立ち上がって家に入ると、入れ替わるようにお兄ちゃんが外に出ていった。
「――っ」
途端にざわめく喧騒から逃げるように、しゃがみ込んで強く耳を塞ぐ。なんでよ、わたしのことは見てくれないのに、どうしてお兄ちゃんだけ。皆には、お兄ちゃんがいればいいってこと? なら、わたしは、
「いらない、よね」
もう、起きたくないの。悲しい想いはしたくないの――おやすみなさい
「……」
すやすやと眠る妹の髪を撫でる。この子が眠りについて、どれほどの時が経ったのだろうか。
今日も、外が騒がしい。妹が外に出なくなってからずっとだ。原因は解っているけれど、どうにかしようとは思わない。俺にとって、何よりも大切なのは妹だから。人間よりも、ずっと。役目を放棄しようとまでは思わないけど。
「ゆっくり休んでいいよ」
もう一度、自分から外に出たいと思えるまで。
妹の金色の髪を梳いてから外に出る。一気に活気づく世界に、嗚呼、と溜息を吐いた。俺と妹は、同じ役目を持ちながら、決して同じ時を過ごすことはできない双子だった。陽の俺と、陰の妹。
だけど妹は、知っているのだろうか。
「俺は、誰にも見てもらえないんだよ」
俺を直接見てしまえば、その瞳は潰れてしまうから。それを悲しいと思ったことはないけれど。
「……? なんだ、あれ?」
いつも通りに外をぶらついて、帰ろうかと思った時。ふと気づいた、ぺちゃ、と落ちている玉みたいなもの。そっと歩み寄ると、俺の髪くらいに真っ赤な毛が見えて、傍に膝を着いた。
「よく、頑張ったね」
下に手を差し入れて、優しく抱き上げる。手も服も赤く汚れてしまったけど、全く気にならなかった。
潰してしまわないように抱きしめて、微かな心臓を感じる。今にも止まってしまいそうなそれに耳を傾けていた俺は、無意識に呟いていた。
「家に来る?」
言ってから、それもいいな、と思う。こっちの理に引き込んでしまえば妹の傍に居られるし、あの子の孤独を紛らわせてくれそうだ。どう、と垂れている長い耳を撫でると、ふるり、と毛玉が震えた。
それを肯定ととって、立ち上がる。そろそろ時間だし、戻らないと。もう音の聞こえない毛玉を撫でながら、妹の眠る家に向かった。
自分しか見えない、闇のような水の中。上を見上げて口を開くと、こぽっ、と白い泡が上っていく。
「……」
苦しくはない。でも、
「……、」
上を見上げたまま、一歩踏み出す。足元があるか、わからないのに。足跡のように流れる泡だけが、前に進んでいることを証明していた。
「……」
歩いて、歩いて――立ち止る。疲れちゃった。
一度止まった足は、動かない。先の見えない空に昇っていく白を視線だけで追う。追う、だけ。だって、どれほど歩いても、わたしは此処から昇ることができないから。いけるのは、水平だけ。
そう思ったのが、いけなかったのかもしれない。
「――っ、」
がくん、と。足元が抜ける。咄嗟に伸ばした手は、どこにも届かない。そのまま、沈むのか、落ちるのか。元々、地面なんてないけれど。
ああ、なんて、なんてお似合いだ。まるで、役目から逃げたわたしみたい。
「……」
水の中に放り込まれたようにゆっくりと、でも確実に落ちていく――ここは、
「やっぱり、いつもと同じね」
誰も、いない。いつもの世界が嫌で逃げたのに、その先にも、誰もいない。だれも、いないんだ。
「あは、あははっ」
結局、わたしは独り。誰もいない世界が、わたしの世界。わたしはお兄ちゃんには、なれない。
その時、上からふわり、と何かが落ちてきた。
「……?」
真っ白な、雪みたいな光。冷たそうなのに、暖かく見えた。
ふわふわと揺れるそれに、両手を伸ばす。光は、わたしの両手を避けて首元にすり寄った。
「温かい……」
光なのに、もこもことした感覚。少し驚いたけれど、すごく、気持ちいい。光に手をあてて、頬をすり寄せる。すると光は、一度だけ点滅してするりと離れていった。
「っ、まって、」
咄嗟に手を伸ばす。けれど、それはぎりぎりで届かなかった。でも、もうちょっとで――
「……起きろって、こと?」
躱されること、五回。その全てがぎりぎりで。少しずつ上に上がっていく光の行動にそうこぼすと、肯定するようにふわんと揺れる。
躊躇ったのは、一瞬だった。だって、
「一緒に、いてくれる?」
恐る恐る問いかけたそれに、光は一も二もなく頷いたから。それを理解した瞬間、心の底から上がってきた感情のままに笑っていた。
「うん、起きるよ」
ゆっくり降りてきた光を胸に抱く。勝手に上昇を始めた身体をそのままに、わたしは目を閉じた。
だって、この子がいれば、誰もいない世界はもうこないってことでしょう?
ゆっくりと目を開いたそこは、見慣れた場所だった。ぱちり、ぱちり、瞬きをする。その時、腕の中で何かが身動ぎした。
見下ろしたそれは、もこもことした、白い塊。
「……」
抱きしめている腕を緩めると、それはひょこんと顔を出した。真っ白な身体に、真っ赤な目。
「うさぎ、さん」
おとなしいその子の頭を撫でると、気持ちよさそうに目が閉じられる。その首に真っ赤なリボン。お兄ちゃんの、色。
「〝お前の友達に〟……ありがと、お兄ちゃん」
リボンの文字をなぞり、思わず頬が緩んだ。直後に、ひくひくと動く鼻が押し付けられて、ふふっ、と笑う。
うさぎさんとの一頻り戯れて、起き上った。そろそろ、時間だ。
「……だいじょうぶ、だよ」
腕の中にいるうさぎさんの、心配そうな赤を見返した。
「だって、傍に居てくれるんでしょう?」
それなら、もう寂しくないから。
柔らかい身体に頬をすり寄せて、足を踏み出す。うさぎさんがいるんだもの、わたしは独りじゃない。
「……でも、それだけじゃすこしつまらないかもね」
傍に居てくれるだけで嬉しいけど、せっかくなら他のことをしてもいいかも。その方がずっと、ずっと楽しいよ。
歩きながらうさぎさんを撫でで、その柔らかい身体にそうだ、と声をあげた。
「今度、一緒にお餅をつこう」
真っ白な、うさぎさんみたいなおもちを作って、並んで食べるんだ。お兄ちゃんには内緒だよ。
そんな未来を思い描いて、柔らかく笑む。他にもたくさん、やりたいことはある。だから、もう憂鬱なんて感じないんだ。
「よく眠れた?」
「うん。ありがと」
帰ってきたお兄ちゃんがよかった、とわたしの頭を掻き回す。それに笑みを返して、入れ違うように外に向かった。
何も見えない世界で、唯一の大きな光。それが、陰を司るわたしの役目だから。わたしが与えるのは、安息。
誰もが寝静まる世界に満ちる静寂は今も、そしてこれからも、慣れることはないと思う。でも、もう逃げたりしないよ。だって、この子が傍に居てくれるから。それだけで、嫌いな毎日が好きになれるんだ。
「少し休んでしまったけど、許してね」
腕の中の温もりを抱きしめて、言い訳のように告げながら、
今日もわたしは、夜空に昇る
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。