その9
「ま、参った」
相手の戦士がそう口にすると、俺は剣を下げる。その瞬間、観客席からわっと声があがり大きな拍手が聞こえ始める。
「(ふぃ~、なんとか勝った。これでトイレに行けるな!)」
今の俺には勝った事に対する喜びよりも、トイレに行ける事に対する喜びが大きかった。だからこそ、試合が終わったならすぐにでもトイレに行こうと考えていたのだが…
「イサミ~!カッコよかったよ~!!」
エルミアちゃんが俺に向かって大きく手を振って天使の笑顔を見せてくれたので、その場に留まって手を振り返す。あぁ!その笑顔だけで俺は生きていけます!
しばらく手を振り返していると、後ろからバムタールが苦虫を噛み潰したかのような顔をしてやってきた。そして本当に仕方ないと言った感じに俺に賞賛の声を送る。
「勝利、おめでとう。どうやら、お前はそれなりの実力があるようだな」
「いやぁ、バムタールはんが弱い奴を選んでくれたおかげやなぁ!」
バムタールの言葉に返事をしようと文字を書き始める前に、いつどこからやってきたのかマロクが俺の横にヒョイッと現れて、良い笑顔を浮かべて俺の代わりに言葉を返した。
「しかし、見事やったでぇ?あれで一番弱い戦士なんやなぁ!ともすれば、さぞバムタールはんの部隊の精鋭達は更に強力なんやろな!こりゃ、エルフの国も安泰や!」
「…ック!」
「おんやぁ?どうされたんかなぁ?バムタールはん、顔色悪いでぇ?大丈夫ぅ?」
マロクは相手を馬鹿にするかのような口調でバムタールに話し続ける。…おい、流石にやりすぎじゃないか?
「…失礼する」
「はいなぁ、お元気でぇ~!」
どこから取り出したのか、白いハンカチを振りながらバムタールを見送るマロク。そんなマロクの頭を一発殴ると、「あいたッ!なにすんの、イサミはん!」と叫んでいたが気にしない。
「イサミ殿、見事な勝利でした」
そこで、リリアーナ女王陛下の綺麗な声が決闘場に響き渡る。途端に、鳴り響いていた拍手の音も鳴り止み、その場にいる者全てが静かに女王陛下の言葉に耳を傾けるようになった。
流石に立ったままでは不味いと思い、その場に膝をつき頭を下げるが…
『お、おい?大丈夫か、イサミ?』
「(やばいです!トイレ行きたい!マジで!)」
先程から我慢している尿意が限界に近づいていた。ヤシロが心配してくれるが、無常にも女王陛下の言葉は更に続いていく。
「その健闘を称え、何か褒美を遣わそうと思うが…何か求める物は有りますか?可能ならば叶えましょう」
トイレに行きたいです!と答えたいが、残念ながらそれは流石に不敬だろう。なので、今の俺にとれる行動は
「“欲しい物は特にありません。勝負に勝利する事、それだけが私の望みでしたので”」
すぐさま、文字を書いて見せると「おぉっ!」と誰もが驚いたような声を上げる。だが、今の俺はそれどころではない。そろそろ本気で限界がやばくなってきた。
「(これでもう用は無いよな?無いよな!?だったら、これで失礼します!)」
俺は一度女王陛下に向かって頭を下げると、その場から立ち去る事にした。すると、鳴り止んでいたはずの拍手が再び鳴り響きだす。だが残念な事にその拍手の音も、背後で「えぇ!?本当に何も貰わんでもええの!?もったいなぁ!?」と叫んでいるマロクの声も、俺には聞こえない。ただ、今の俺にはトイレまでの道筋しか見えていなかった。
そんなイサミの後ろ姿を静かに睨む2つの視線があった。
「(…一体、あいつは何者だ?)」
視線の1つは眼鏡の位置を正しながら見つめる男のもの。そしてもう1つは…
「(あの男は一体?エルミア様の信頼を得ていて、あの実力…。正体を見極めねばならないな。もし、エルミア様を害する者ならば排除せねば!)」
褐色肌の女エルフは、腰の剣の柄をギュッと握り締めるとその場を後にした。
---10分後---
「ふぅ~…。」
俺はかなりの満足感を得ながらトイレからでてきた。今回はかなり危なかった。本当に漏れるかと思ったもん。
未だに「もったいない!」と叫んでいるマロクを横に、エルミアの屋敷に向かって歩き始めようとすると、
「イサミ~!」
声が聞こえたかと思った瞬間、横から軽い衝突があった。何事かと見れば腰元に抱きついているエルミアがいた。そして、顔を上げると目をキラキラと光らせていた。
「イサミ!勝利おめでとう!あ、負けるなんて思ってなかったけどね!でもでも!イサミがこんなに強いなんて知らなかったよ!それから――」
凄く元気な声で喋るエルミアの姿に癒されながら、俺はエルミアと一緒に屋敷に帰路についた。
---サーシャ---
イサミとエルフの戦士との決闘があったその日の夜、私はルドルフおじい様の部屋を訪ねていた。
扉をノックすると「はい」と返事があったので扉を開く。
「失礼します」
「サーシャですか?どうしたのです?」
部屋に入ると机で書類を眺めていたルドルフおじい様がいた。
「ルドルフおじい様、お聞きしたい事があるのです。」
「聞きたいこと?それは?」
「イサミ…殿についてです」
ピタリとルドルフおじい様の動きが止まる。どうやら予想通りイサミの正体について何か知っているようだ。
「イサミ殿について…何を知りたいのですか?」
「お分かりでしょう?彼の正体についてです。彼は一体何者ですか?」
「彼は…エルミア様の奴隷です。それだけで十分でしょう?」
おじい様の言葉の後に、ダンッ!と私は強く机を叩く。だが、その事にルドルフおじい様は眉一つ動かさず私を見つめている。
「とぼけないでください!バムタール家の部隊隊長を倒すほどの実力を有しながら、奴隷の身に甘んじている愚か者がどこにいるのですか!?」
「…奴隷とて、高い戦闘力を有する者はいるでしょう?」
「それは戦争に負けた戦士や、犯罪奴隷等である場合です!そして、大半は犯罪奴隷だ!」
思わず大きな声を出してしまった。荒くなっていた呼吸を少し間を置いて整える。
「それでイサミ殿が犯罪奴隷で無いかと疑っていると…そういう事ですか?」
「はい。だから彼の素性について知っておきたいのです。全てはエルミア様の為に!」
「エルミア様の為に…ですか」
ルドルフおじい様は、フゥと一息つくと椅子に背をあずけた。エルミア様の為にと言うのは間違いなく私の本心だが、今はこの言葉を利用して情報を聞き出す事にしたのだ。
しばらくの間、無言の時間が過ぎていく。その間、ルドルフおじい様は目を瞑って何かを考えていたようだ。そしてゆっくりと目を開くと、ようやく話をし始めた。
「…まず、イサミ殿は犯罪奴隷ではありません」
「では、彼はどこの何者なのですか?幻獣ディアリームの角を手に入れる事ができ、剣の実力も有る。更には我らが世界樹を救う方法を、彼が持っているとエルミア様は仰っていた。只の奴隷という言葉では納得できません!」
「お答えください!」と強く問いかけても、すぐには答えが返ってこない。またしてもしばらくの間、ルドルフおじい様は黙ったままだったがようやく口を開いてくれた。
「…私の口からは…答える事が出来ません」
「なッ!?それはどう言う事ですか!?」
「時が来ればエルミア様が教えてくれるはずです。ですが、今はまだ答えるときではありません」
「馬鹿なッ!それでは万が一、エルミア様に危険が及んだらどうするのです!」
「イサミ殿ならば、信用できます。その点は心配要りません」
私はあまりの答えに苛立ちを我慢できなくなった。
「ふざけないでください!そんな言葉で私が納得する訳が――」
「サーシャ、貴女のエルミア様を想う気持ちが本物である事は理解しています。ですが、今はエルミア様と…イサミ殿を信じて下さい」
「…失礼します!」
私はルドルフおじい様に背を向けると足早に扉へと向かった。
「サーシャ、早まった真似は――」
ルドルフおじい様の言葉は閉めた扉の音により、最後まで聞こえる事が無かった。
部屋から退出した後、私はとある一室に向けて足を進めていた。
「(ルドルフおじい様はあいつを信じろと言っていたけど、私は信じる事なんて出来ない。何よりも…エルミア様の信用を得るなんて羨ましい事、認めるわけにはいかない!)」
目的の部屋の前にたどり着くと、扉をノックした。




