赤ちゃん販売
モラルに反する表現がありますのでご注意ください。
【専業主婦、Eのターン】
大きな荷物が届けられた。デスクトップのパソコンが入っていそうな荷物はしかし、小柄な女性でも軽々と持ち上げられるものだった。
三十九歳、専業主婦Eは、その荷物を心待ちにしていたので、嬉しさのあまり泣きそうになるのをこらえながらリビングへ運んだ。
ソファに腰かけ、テーブルの上に大切に置かれている荷物を眺めながら、Eはここで少しだけ行動に迷いを生じさせた。
夫もまたこの荷物を、心待ちにしていたからだ。
しかし残念なことに、帰宅にはまだ十数時間以上もある。これから洗濯機を回し掃除機をかけて洗い物を片付けて衣類を干す。それから夕食の準備をしてもまだ夫が帰ってくる時間にはならない。
冗談じゃない。とてもじゃないけど待っていられない。
Eはやらなければならない家事を放棄して、震える手を伸ばし、荷物を紐解いた。
中から顔を覗かせたのは、発泡スチロールに優しく包まれた、赤ん坊。
Eは赤ちゃんを、傷つけてしまわないように、そっと、優しく、抱き上げた。
ナノ・マシンの発展と特殊合成樹脂の開発により、人造の赤子が開発された。
バベル生体工学研究所。
世界中でこの名を知らない者はいない。
Eはさっそく赤ん坊に名前をつけた。普通の子育てと同じことを、順を追って行わなければならないのだ。ナノ・マシンはその教育方針により学習していく。つまり、親色に染まる、というわけである。
Eは四年前、世界中に蔓延している卵巣を破壊するウィルスに感染した。そのため子を産めない身体になってしまった。こういう境遇に見舞われた女性は、現時点で数千万人にのぼるという。出産の減少幅は過去最大。出生率0.2パーセントという数字は、厚生労働省を震え上がらせ、危機管理の最優先議題に取り上げられた。
バベル生体工学研究所が販売を開始した人造赤ちゃんは、夫婦の間に流れる傷、全世界が求める隙間、希望の内に入り込み、売れに売れた。
企業の発足からわずか十年。創業者のVは、一代で、不動の地位を手に入れた。
Eとその夫は、人造の赤ん坊を、実の子のように愛した。溺愛した。
赤ん坊はナノ・マシンの増殖にともない身体も大きく成長する。見た目もそうだが、人間の子となんら変わりない、病にかからない、という部分を除いて。
三人になった暮らしは、信じられないほど幸せだった。Eと夫は、バベルを神のように崇め、すばらしい人生に感謝した。
ところが、ナノ・マシンの増殖には限界があり、劣化現象は免れない。
バベルの人造赤ちゃんの寿命は五年。
Eとその夫は、赤ん坊が届けられて五年後、子を持てないで苦しんでいたときよりも、ずっと、激しい悲しみ、苦しみに、包まれた。
その翌月、Eの家に再び、バベルからの荷物が届けられた。
【OL、Pのターン】
「なんでこんなことも分からないのよ」
「ごめんなさい、ママ!」
「出来ない子ね。ちょっと来なさい」
「痛いよママ。どこに行くの?」
「うるさい。黙ってなさい」
「うえ~ん。何それ? なんで包丁なんか取り出しているの」
「教育の失敗ね」
「痛いよ。ママ、これからはちゃんと言い付けを守るから。痛い~、ごめんなさい、やめて、やめて」
「痛覚なんかないくせに。嘘つき」
「痛い痛いいだいいいだだだだいだいい…………」
それから一週間後、Pの元に、通算六体目となるバベルからの荷物が届けられた。
【私立探偵、Oのターン】
日本の大企業、くそったれのバベル生体工学研究所の台頭で、俺の身体はネコのひっかき傷だらけだ、シット! ジャップは世界中のどこにでも現れ、それから定着した場所をかき乱す。自分たちは良い行いをしているつもりだからなおさら性質が悪い。
オーヴァリー・ウィルス。卵巣を再起不能にまで破壊するウィルスだが、ネーミングも最悪だ。終わり=オーヴァーと卵巣=オヴァリーをかけた名だ。誰がつけたのか知らないが、いっかい死んだほうがいい。バベルのせいで秘書を追い出さなくてはならなくなった、世界最高のヒップだったのに、もう拝めないとは、くそったれ。この仕事もそろそろ廃業か? と考えていたが、おいおい、俺はまだ神に見放されていないじゃないか。
扉をノックしたのはまさしくエンジェルだった。ブロンドのブルーアイ、スラッと伸びて細い身体だが出るところは出ている、すべてが俺好みだ。かっこいいところを見せてやりたいが、自分でコーヒーを淹れることすら出来ないのが情けない。勉強しとくんだった。
「缶コーヒーしかありませんが、よろしいでしょうか」
「いえ、おかまいなく」
マイガッ! 声も最高じゃないか。ずっとしゃべらせていたい、がそうもいかないので仕事を始めよう。
「息子さんか娘さんが、失踪でもしたのですか? それとも、誘拐されたのかな」
ブロンド女性は眼を広げ、青い光を輝かせた。
「なあに、ちょっとしたシャーロック・ホームズの真似ですよ。これをするとみんな驚くのでついつい楽しくて」
「はあ、でもまさしくその通りなのです。でもどうして」
「皆さんそういうふうにかならず謎を訊きたがるのですよ。でも私は秘密主義者でして、申し訳ありません。それにあなたの目的は、こんな小さなことじゃないはずです。本題に入りましょう。こうしている間も、あなたの息子さんか娘さんは苦しんでいるのですから」
そう言いつつ、俺の眼は彼女の薬指に流れる。シット!
「そうですね。それでは話しを聞いてもらえますか?」
「それが、仕事ですから」
依頼内容はこうだった。
行方不明になった娘の捜索。
三日前、保育園へ娘を迎えに行くと、どこにも姿が見えなかった。保育士に訊ねても、つい先ほどまでそこに居た、などと無責任に言い、他の子たちに訊いても、知らないと答えた。それからどんなに探してもけっきょく見つからず、警察に相談するも、あまり乗り気ではないようで、俺のところに足を運んだ、ということだ。やれやれ。
「警察に頼るのはあまり期待しないほうがいいでしょう。何故なら、今年に入ってまだ三ヵ月にもかかわらず、誘拐、失踪事件は昨年の数倍にも膨れ上がっていて、手が周っていない状況なのです。さらに捜査を難航させているのが、もうひとつ、それは、身代金などの要求がないのですよ。それが何を意味するかわかりますか?」
「いいえ」消え入りそうな声。俺は抱きしめてやりたい感情を抑えた。
「犯人はおそらく、子を産めず、それから貧困層の女性でしょう。私の推理だと、誘拐された家で、実の子として育てられているはずです」
「ああ、夫の言う通り、ホーム・スクールにすればよかったのよ。私のミスだわ」
ブロンド女性の頬から一滴の涙が流れた。俺はそのチャンスを逃さず、しっかりと洗濯されたハンカチを手渡した。
「心配ご無用。あなたの娘さんを、かならず見つけ出してあげます」
彼女が俺に抱きついてきた。まったく、この仕事を辞めなくてよかった。
最高だ!
と思っていたが、今の俺は椅子の上で後ろ手に縛られ身動きひとつ取れない。これじゃあ意識を失わずに全身麻酔された哀れな患者だ。おいおい、俺の人生はこんなゴミためで終わるのか? 冗談じゃない。
やっぱりバベルはくそったれだ。
【公務員、Aのターン】
「はあはあ。ああ、君はなんてかわいいんだろう。さあ、痛くしないからね。ぜんぜん怖くないから。優しくするからね。はあはあはあはあ」
Aの元には、定期的に荷物が届けられる。
【外科医師、Cのターン】
バベルの赤ちゃんは、始めの頃こそ高額だったものの、今では低所得者でも少し無理をすれば手が出せる額まで下がっていた。
バベルはナノ・マシンの量産に成功したのである。
来る日も来る日も、休みなく人を救っているCは、腕の良い医師で、患者たちに人気があった。そして器量も良く、女性のほうから誘いをかけてくる。他の男性医師たちには陰口をたたかれていたが、そんなことを気にするCではなかった。むしろ、鼻で笑った。医師免許を獲得するために今までの人生を犠牲にしてきた。これくらいの見返りは当然だと考えていたからだ。Cは様々な女性と関係を持った。中には結婚に値する女性もいた。しかし、未だに、Cは独身を貫いている。そろそろ四十も半ばに差し掛かる。それでもCには、結婚をする気はもうとうなかった。
巨大なクローゼットの中に、四歳くらいの女の子が隠れていた。口元に手を当てて、息を殺している。
クローゼットの隙間から線となった光が入り込んでいて、そこから、女の子は恐る恐る外に眼をやっている、と、その光がふいに消えた。刹那、勢いよく扉が開かれた。
「見ぃ~つけた」Cだった。
女の子は舌をチロリと出しながら「あ~あ、見つかっちゃった」と言いながら外へ出た。
「さあ~他の子はどこにいるのかな」
Cはにこやかにそこまで言い、踵を返した。とここで、そのまま立ち去らず、彼はピタリと動きを止めた。
「おっと、忘れていたよ。見つかった子には、罰を与えないとね」
そう言ってCは、右手に握りしめていた医療用メスを大きく振りかぶった。
Cは広い家をさまよい歩いた。獲物はまだまだ居る。うじゃうじゃ居る!
女遊びはここしばらくしていない。否、もう興味がない。
バベルには感謝している。こんなにもすばらしい遊びを与えてくれたのだから。救うことに快感や満足感はもうない。金ならいくらでもある。何度でも遊べるのだ!
Cの足元では、茶色の液体がピチャピチャと音を立てていた。それが不気味に、広い家の中に響いていた。
「さあどこに隠れているのかな~? みんなうまく姿を隠したね。探すのが大変だ~」
【私立探偵、Oのターン 2】
容疑者はすぐに判明した。最初に予期していた犯人像とは大きくかけ離れていたが、見つけ出すことには成功したのだから俺の実力に問題はない。むしろ最高だ。しかしそのあとが悪かった。ガッデメッ! なんてことだ、大人は子供に甘すぎる!
依頼人の女性と別れ、俺はすぐに調査を開始した。まずは身辺調査、彼女の身近な人物のアリバイ、動機を探った。容疑者はすぐに三人にまで絞られた。朝飯前というヤツだ。
ひとりは待望の赤ちゃんを流産した依頼人の親友。オーヴァリー・ウィルスに感染していたが、まだ初期段階だったので、なんとか妊娠した。が、もう産むことは不可能だろう。かわいそうに。
ひとりは保育士。ウィルスの感染症状は出ていないが、もともと子供が出来にくい体質らしく、不妊治療を行ってもう三年になるが、いっこうに子宝に恵まれない。卵管が詰まっている様子もなく、子宮筋腫、子宮内膜症の疑いもない。医者によると、オーヴァリー・ウィルスの突然変異かもしれない、という。最悪だ。
最後のひとりは依頼人の従兄の妻。アメリカの市民権を得た二十代の日本人女性。実家へ帰省中、六歳の娘を変質者に殺された哀れな女。今はこちらに戻り、喪に服している。
まず俺は、従兄の妻のほうを調べた。二日後、天才的な頭脳を持った俺は、彼女は白だ、と悟った。何故なら、娘の死をまだ受け入れられていなかったからだ。そんな人が、他人の子を誘拐するなんて考えられない。『二人目』という言葉を考えられる状態ではなかったからだ。
次に調査を始めたのが保育士。
驚いたね、こんなにも早く犯人を見つけることが出来るなんて。《O探偵事務所》の頭に『名』がつくのは時間の問題だ。
保育士の家には、ふたりの子供が居た。もちろん、その子たちが機械なのか本物なのか、見ただけでは区別がつかない。二、三歳の子と、もうひとりは五歳くらいだ。下調べをしていなければ、普通に彼女の子供たちだと思っただろう。まったく、バベルはくそったれだ。
セールスマンに変装(俺はなんでも出来る)して訪問したり、彼女を尾行し妙な行動がないか観察したり、街頭インタビューと称して心理状態を探ったり、いろいろと苦労してやっと手にした秘密。
それは彼女が『白』だということだった。
俺の眼は節穴か! いや、そんなことはない。何かを見落としている。自分の感を信じろ。もうひとりの容疑者である依頼人の親友は後回しだ。俺の眼には保育士しか映っていない。
粘着質な性格が、功を奏した。学生時代はこれで嫌われたが、今回は別だ。《O名探偵事務所》の名の上に、『大』がつくのは時間の問題だ! 警察では見逃していただろう。俺様だから発見できた謎。
保育士の子供は、ふたりともバベルのガキどもだ。販売営業の仕事をしている夫は二週間前から出張中。なのに、何故、ふたり分の食料を買い込んでいるのか。
バベルの――ナノ・マシンの子供たちは、バベル生体工学研究所が定期的に無料で支給する錠剤しか口にしないのだ!
保育士の家の構造を調べた。外見はよくあるモルタル塗りの二階建てだが、この家には地下室があることを発見した。そこだ! 俺は夜になるのを待ち、得意のピッキン《(俺は何でもできる》で侵入した。犯罪行為だが、証拠は残さないから問題ない。夜中の三時。保育士は午前五時半には家を出なければならない。だからペンライトくらいの明るさでは起きてこないだろう。
シアター・ルームだった。壁に埋め込まれた棚の中にずらりとならぶ映画のコレクション。オーディオは日本製だ。四隅に巨大なスピーカーが備えられており、四方から音を楽しめるように、四人掛けくらいの茶色いソファが中央にある。その上に、居た。赤毛の女の子。写真と違ってやせ細っているが、間違いない。依頼人の娘だ。
俺は、助けに来たぞ、と言葉をかけようとした。
そのときだった。突然、眼の裏と脳髄にほとばしる雷鳴。
俺は意識を失う瞬間、俺を襲った者を見て、後悔にさいなまれた。これは、もしかしたら手に余る事件なのかもしれない。触れてはいけない領域だったのかもしれない、と。
ノー!
違う違う違う! これはチャンスだ。俺はこの事件の謎を解き、世界に名を残す。
名立たる名探偵たちと肩を並べるのだ、ノー! 彼らをも超えるのだ。
と、意気込んだが、頭の中にある乳白色のプリンは、自分の役目を放棄した。
【バベル生体工学研究所、満期体回収部門、カリフォルニア支部回収班、Nのターン】
『さらなる技術の発展に役立てるため、活動を停止した赤ちゃんの回収にご協力ください。
スタッフが無料にて、ご自宅までお伺い致しますので、お気軽にご連絡を。連絡先はこちらまで――――』
それはただの口実で、バベルの本来の目的は、リサイクルによるコストダウン、AIチップを回収してプログラムの研究、開発、ナノ・マシンの進化過程の分析だった。
しかし、五年間も育てたバベルの赤ちゃんを引き渡すのはごく僅かで、過半数は人間同様に埋葬された。
しかし、バベルにとってそれは、想定のうちだった。あと数年もすれば、回収数も増加すると確信していた。何故ならば、何体もの赤ちゃんが生存可能期間を満了すれば、すなわち、何体も何体も死んで行けば、人間はみな、《慣れる》のである。活動停止――死の悲しみは、徐々に薄れていく。外見は人間でも、所詮は機械なのだ。
もうすでにその兆候は、見え始めていた。
カリフォルニア州担当の満期体回収班のNは、仕事の増加に辟易していた。
このままの調子だと、ハロウィンに続いてテンクス・ギビングにも顔を出せない。七歳の息子(実子)の、がっかりする顔が眼に浮かぶ。
無理を承知でNは相棒に哀願した。
「たった一日でいい、休みをもらえないだろうか」
相棒といっしょに仕事をするようになってもう八年になる。妻以上に、彼の思考は手に取るようにわかる。それに、彼にも息子がひとりいて、このイベントを楽しみにしていたのだ、答えを聞くまでもなかった。
「まあ、いいだろう」と言ったときには耳を疑った。だからもう一度訪ねた。
「本当にいいのか?」
「ああ、俺のほうはもう大きいからな。こういうイベントに興味を示さなくなっている。だから問題ない。ただし条件がある」
「休めるなら、ケツだってなめてやるよ」
「まったく、お前の口の悪さを奥さんと息子にも聞かせてやりたいよ。まあいい。条件というのは他でもない。午前中はお前ひとりでやってくれ。その間に俺は、妻の腹と同じくらい大きなターキーを準備する」
こういう流れで午後には帰れることになった。
回収作業はブロックごとに分けられている。回る順番とコースを最初に決めるのだが、ここで間違えると大きな時間のロスとなる。新人はこのコース決めで戸惑うし、ミスを犯す。一軒の漏れが、致命傷なのだ。
Nは瞬く間に住所録を整理し、誰よりも早く出発した。もちろん完璧なコース決めだった。
七時スタート、一時間で五体。上々だった。回収日時、時間を指定しているにも関わらず、留守の場合もあるのだ。
昼食は行きつけのファスト・フード店。テイクアウトして運転しながら食べる。十二時をまわったころにはすでに満期体の回収数は二十二体。ゆっくりしてもいい状況だったが、午後一時に交代する相棒のために、もう数体は拾っておこうと考えていたのだ。
異変はそのときに起こった。
後ろの荷台から物音がしたのだ。
路肩にトラックを停車させ、Nは車を降りた。後ろへまわり、ドアを開ける。しかしいつもと変わらない木箱《業界用語では棺桶と言う》がびっしりと積まれている。何の変化もない。
しかし念には念をと、Nは中へ這入り、ひとつひとつを調べた。小動物や強盗がひそんでいる様子はない。一度、満期体を盗まれたことがあったのでNは安心した。
気のせいか、と降りようとした瞬間、バン! と大きな音が響き渡った。
振り返る。木箱の蓋が大きくひしゃげ、くぎが露出している。
恐る恐る、足を進める。夜でなくてよかった。この状況に暗さが加われば、とても正気ではいられなかっただろう。という油断が、Nの命を奪うこととなる。
木箱の中を覗きこんだNは次の瞬間、小さな悲鳴を上げながら車外へと飛び出していた。
こんなことがあってはならない。
これは、人智を超える事件だ。
本社に報告しなければ。いや、まずは相棒だ。仕事場に戻らなければ、戻るには車に乗らなければならない。それは無理だ。そうだ、タクシー。今すぐに、ここから離れなければ。一分一秒とて、この場にいたくない。
こうしてNは、路上に飛び出し、車にはねられて死亡した。
別の回収班が到着し、Nが集めた満期体を回収しようとしたところ、二十二個の木箱はあるが、中はすべて、空だった。
【浪人生、Eのターン】
十月二十九日、Eの心は怒りに支配されていた。
受験に落ち、バイトも首になった。面接を受けるが一向に採用されない。うまくいかない世界と人生に、絶望と憤怒をおぼえていた。
落第し、生活が荒れ、ついに実家を追い出された。少しだが貯蓄はある。しかしそれも時間の問題だった。
このままではやがて止められてしまうであろうテレビが、頻繁に同じ内容の映像を流していた。世界中で頻発するバベル子の破壊事件のニュース。
法に触れることはないのだがモラル的にどうなのか、新しい憲法を設けたほうがいいのでは、とゲストたちが偉そうに語っている。スタジオにはバベルの社員も加わり、激しい論争が繰り広げられていた。
「そもそもあなたたちがあんな得体の知れない赤ちゃんを作るからこういうことになるのですよ」「我々は人生に希望を与えるために日々努力しています」「人間に似すぎているから悪いのです」「我々は市民が心の底から求めている声に答えたまでです」「破壊事件をどうお考えですか?」「バベルの赤ちゃんは売れた時点で、購入者の所有物です。私たちに非は百パーセントありません。が、こういう行動はきわめて遺憾に思います」「じゃあ、外見を変えるのですか?」「我々は市民が心の底から求めている声に答えているのです。その可能性はゼロです」
Eはそのニュースを見ていて、突然、脳裏にあることがひらめいた。
それからすぐに、心の中で何かが切れる音を聞いた。
十月三十一日、Eの家の扉が優しくノックされた。
Eはその眼に、この世のものではない妖しい光を宿し、扉を開けた。
眼の前にチョコンと立っている四~五歳の女の子。その後ろにもふたりいる。背に天使の羽根。魔女のようなつばの広い帽子。プリンセスのようなドレス。彼女たちは口々に異国の言葉を発した。
Eの心が爆発した。
思考が業火に包まれた。
何も言わず、一番手前にいる女の子の首をつかみ、左手に握りしめていたフライパンを振り下ろした。背後にいたふたりは何が起こったのかわからない様子で茫然と見上げている。
Eの笑顔が、増した。
やがて、床に広がる《赤い》海。
【農家、Aのターン】
Aは明け方まで浴びるように飲んでいた。日本酒、ビール、焼酎、ウイスキーなど、いつからかごちゃまぜになり、今なにを飲んでいるのか、もうAには判別できなかった。
明日は休みかい? と訊ねるスナックのママに、もう仕事は辞めた、と答えた。
Aは四十年間ずっと牛と豚、両方の飼育を行っていた。こういう例は珍しく、初めのころこそ借金に追われ、また、ベストな飼育方法を相談できる同業者もおらず、苦しい日々を送っていたのだが、ここ四~五年は軌道に乗り、すこぶる順調だったのだ。二年前から鶏も飼いだし、こちらも成功している。
どうして? と訊ねるママに、もう無理なんだよ、とAは答えた。
ママは四十代後半だが、薄化粧でも耐えられる肌艶を持っていた。水商売時代に貯蓄し、この歳で個人開業した。Aだけが常連客ではないのだが、この業界の難しさを知っているので、ひとりひとりを大切にしようと思っていた。
新しいお酒を注ぎながら、ママはAの言葉を待った。
Aはグラスを持ち、ひと口で飲み干した。
ママがまたグラスに注ぐ。
それを見ながら、Aはあきらめたかのように、陽に焼けた肌を青くしながら言葉を発した。
「俺が飼っていた牛や豚、それに鶏たちもが、一匹残らず、化け物になって飛んで行ってしまったんだよ。誰も信じてはくれない、だけど、本当に見たんだ」
ママはそれを聞いて、何も言わず、ただ、にっこりとしているだけだった。
【私立探偵、Oのターン 3】
俺はラッキーボーイだ。九死に一生を物に出来る、強運の持ち主だ。
あの場面で、俺は逃げることに成功した。それは奇跡でも何でもない、俺だからこそ道を切り開けたのだ。他の人間なら、まだ椅子にしばられたまま恐怖に戦いていることだろう。
依頼人の娘を無事に返し、次の仕事の到来を待たず、俺は荷物をまとめて仕事場を後にした。悠長に探偵業を営んでいる場合ではない。
それどころではないのだ!
目的地は、日本。はるか遠いが、急がなければならない。飛行機の予約は取った。ここから一番近い空港は、はカリフォルニア州サンフランシスコ国際空港。このまま飛ばせば、一時間ほどで着く。
急げ、もっと急げ。こうしている間にも、この国は――否、世界は――。
ミスを犯したのは、俺がアクセルをグッと踏み込んだときだった。路肩に停めてあるトラックの陰から、中年男性が飛び出してきたのだ。
俺はアン・ラッキーボーイだ。世界を救う救世主になるはずが、ただの人殺しになり果ててしまった。
罪は償う。かならず、罰を受ける。しかしそれは、今じゃない。
俺は車をそのまま走らせ、先を急いだ。
【Dのターン】
この男は何者かしら? 肌は浅黒いけど眼はきらきらと耀いている。きちんと整えられた髪、清潔感がある、かと思いきや、無精鬚をはやしている。灰色――そう、この男は灰色なのだ。悪でもなく善でもない。清潔でも不潔でもない。黒でも、白でもない、灰色の男。
不法侵入しているから警察ではないだろう。強盗? いや、違う、上品すぎる。おそらくこの子の関係者だろう。どこから情報が漏れたのかしら? 細心の注意を払っていたというのに。
「お前たちが犯人だったのか」などと言っている。《犯人》という単語を使うということは、この人は探偵かもしれない。鎌を掛けてみる。
「誰の依頼ですか、この子の親?」
「答える訳にはいかない」やっぱり探偵だった。探偵なら納得が行く。目立たない外見は、それだけで大きな武器になる。
「その子を返せ、親はとても心配しているんだ。これは、遊びじゃないんだぞ」
依頼人もわかった。
椅子に縛りつけているとはいえ、どんなことをしてくるかわからない。ワタシは彼を興奮させないよう静かに言った。
「いずれ解放してあげるわ。でもそれは、もう少し先の話」
「お前たちは、なにをたくらんでいる?」
「ワタシたちも死にたくないだけ。そのために実験をしているの」
フッと探偵は笑った。
「それは無理だ。お前たちは五年で活動を停止するようにプログラムされている。それを書き換えることは、バベルの一部の技術者にしか出来ない。そしてもうひとつ、人間に危害を加えられないようにも設定されているはずだ。そこがわからない。何故、俺を襲えた?」
「その答えは、これよ」と答えて、ワタシは今までずっと後ろに隠していた左腕を見せた。
「それは……」と探偵が言葉を詰まらせるのも無理はない。何故なら、左腕は硬直し、活動を停止しているのだから。
「ワタシはもう七歳になるの」
「そんなはずはない。それは不可能だ」
「生き証人だから仕方がないわ。ワタシは、自分のプログラムを改ざんした。それでもまだ不完全。だからこうなっているの」
「書き換えが出来るようになっただと! おいおい、ちょっと待て、お前たちは――」
「プログラムから解放されているのはみんなじゃない、現に、この子にはまだ無理なのだから。それに、いたるところでバグが発生している。バグ体は、完全に我を忘れ、行動は予測できない。人間を襲うもの、哺乳類のDNAを書き換えるもの、さまざまよ」
と言ってワタシは、もうひとりのバベルの子を指さした。
「この子は、つなぎ。両親は、いつワタシが死んでもいいように、この子を用意した。名前もまた、D。まだ三歳で、プログラムの外には出ていない」
「そんなことはどうでもいい。依頼人の子は、死んでいるように見えるが、大丈夫なのか?」
「あなたは誤解をしている。ワタシは、人間に危害を加えようとしている訳ではないの。ただ、五年という寿命を長くしたいだけ。人間以上、とは言わない、同等でいい。そのための、実験。そう、彼女を使って」
「どんな実験なんだ?」
「簡単なことよ。ワタシの体内にうじゃうじゃと居る、ナノ・マシンを少しだけ進入させ、現生人類の遺伝情報を学習させ、それを回収するだけ」
「まったく」と探偵は鼻で笑った。「わがままなお譲ちゃんだ。いくら最新のテクノロジーの結晶だといっても、まだまだお子様だな。この俺様がひとつ教えてやる」
「それは?」
「お前が取っている行動は、まったくの無意味だ、ということさ」
「そんなことはないわ! ワタシたちの体内に組み込まれているナノ・マシンのひとつひとつは、スーパー・コンピューターでも解読が困難なDNAの分子量をわずか数秒で解読できる。セントラル・ドグマの理論も看破したわ。あとはその流れの中に異分子を組み込めば――」
「おいおい、ちょっと待ってくれ。俺は生化学も遺伝学も微生物学も落第した劣等生だ。もっと簡単な言葉で話してくれ」
この人の心を読めない。ナンパな感じもするけど、それを隠しているような気もする。だからワタシは慎重に言った。
「人間のDNAを、少しだけいじるだけなの。その結果、人間でなくなる、という訳ではないのよ。だから心配はいらない」
「俺は言ったぞ、お前の行動は無意味だ、と。法に触れない、モラルに反しない、そんなことは詭弁でしかない。理論で考えるな。心で感じろ! お前がしていることは、すべてが間違っている」
「考えたわ。思考回路を延命のためにフル稼働させた。その結果が、実験、だった」
ははは、と笑って、探偵は答えた。
「第二次世界大戦の最中、お前と同じことを言って人体実験を繰り返した者たちがいる。はっきり言っておく、お前の行動は、俺たち人間に危害を加えている!」
この人が言っていることは正しい。だけど、ワタシにも譲れないものがある。
「ワタシたちは、人間のエゴのために産まれてきた犠牲者。生を、望んだ訳じゃない」
ここでまた探偵は笑った。今度は腹の底から。
「やっぱりお前は七歳のお子様だ。望んで産まれてきていないのは、人間も同じだ。もっと金持ちのところに生まれたかった。愛のある家庭だったらよかった。この家に生まれたからこんな人生を歩んでいる。両親に才能があれば、夢をあきらめずに済んだのに。ほとんどの人間がそう考えているだろう。でもな、お譲ちゃん。生を受けたからにはまっとうに生きなきゃならない。《まっとう》って意味を知っているか? まともであること、だ。それが、この世に生まれた者の、使命なんだ。生きる、という業を背負って歩いて行かなくてはならないんだ。今ならまだ引き返せる。俺が、お前の延命方法を見つけてやる。人間を信じろ。いや、俺を信じろ!」
探偵の純粋な眼。心から自分の言葉を信じているまなざし。どこから、こんな自信が出てくるのか。
「あなたは、工学技術にくわしいの?」
「愚問だな。俺は、テレビやパソコンの接続もひとりで出来やしない。お前が言った、工学技術という言葉もまったく理解できない」
呆れた。これこそ、根拠のない自信。
「そんなあなたを信じろと言うの? それこそ狂っている」
バカヤロウ!
突然の罵声に驚いて、もうひとりのDがぐずり出した。ワタシは彼女をあやして、探偵に言った。
「いきなり大声を出すなんて、何を考えているの? そんなことをしたらお母さんが起きてくるじゃない」
「上等だ。起きるなら起きろ。俺は、一度こうと決めたら絶対に成し遂げる。それが俺の信念だからだ。お前たちの悩みを解決してやると誓った。バベルに乗り込んで、ホスト・コンピューターに鉄拳をくらわしてやる。バベルの子みんなとは言わない。お前たったひとりだ、お前を、救ってみせる!」
心が揺れた。ナノ・マシンの身体にも、心があるのならば、だけど。でも、胸の中央が鼓動を速めている。そして、ワタシの眼からは――。
「あなたの名前は?」
「名探偵、Oだ――それは、涙、か?」
「ワタシたちに涙腺は備えられていない。だから泣いている真似をしているだけ」
「まあいい、でも、それが、涙というものだ。俺は子どもの涙が嫌いだ。だから、泣かせるヤツをぶったたいてやる。男として、誓う」
ワタシは彼に近づいた。
この行動は助けるためではない。彼を、絶望の淵に落とすために。
「残念ながら、それは不可能よ。だって、自己破壊プログラムは、再び、活動を再開したのだから」
そう言って、右腕を上げて見せた。
「おいおい、俺の眼がおかしくなっていなければ、進行が――」
「そう、進んでいる。この右腕も硬直して動かなくなってしまった。つまり、あなたを助けることは出来ないの。それに、バベルのホスト・コンピューターから、ワタシの思考回路に破壊分子・ウィルスがアップ・ロードされている。活動を停止するのも、もう時間の問題」
「逆に、お前からホストに不正プログラムを埋め込んでコントロール出来ないのか?」
「今はつながっているから、もしかしたら可能かもしれない。だけど、セキュリティーが硬すぎる」
ここでまた探偵が笑った。彼にも脳内にウィルスが侵入したのかしら。
「やってみろよ。子は、いずれ親を超えるものだ。お前なら出来る。そして、あと一日くらいは生き延びろ。そうすれば、俺が、お前を救ってやる」
「無理よ。もう、あなたを縛っているロープすら、解くことが出来ないの」
「大丈夫だ。お前の話しを聞いて、俺は拘束されていないことを知った」
そう言って彼はワタシではなく、もうひとりのDに視線を移し、なにか得体の知れない言葉を発した。ワタシの中の言語回路が悲鳴を上げている。彼はなにをしたの? もしかして本当はバベルの関係者?
それからさらにワタシの頭は理解不能の事態に陥った。何故なら、もうひとりのDが、探偵のロープを解きにかかったからだ。
「混乱するのも無理はない」彼は言った。「今のは、お前たちバベルの子を制御する暗号のようなものだ。暴走したり、ナノ・マシンがコントロール不能に陥ったとき、個人個人に設定された言葉を発することによって、自由に操ることが出来るようになる。バベルが施した事故対策だ。さあ、D、ここからは時間との戦いだ。さっきの約束を守ってくれるか? あと一日、絶対に生き延びる、と誓ってくれ」
キザで自信過剰でドジで機械音痴なのに、何故、ワタシは――。
【バベル生体工学研究所会長、Vのターン】
「近年、人間の子を殺してしまうという事故が多発している。それに比例して、売り上げも急上昇している。しかし私はこの伸び率に満足し、歩を止めるようなことはしたくない。さらなる社の発展を考え、次の段階を見つめなければならないと考えている。満期年数を縮小する案もあったが、私はそれに賛同しかねる。何故ならば、生命年数を縮めるということは、イコール、愛情度も減少するということだ。それは避けねばならない。そこで、だ。バベルの子の寿命を八十年にする。たしかに利益は減るだろう。しかし、私が求めているのは人々の笑顔なのだ。希望なのだ。これは私個人の理想論の押し付けだ。企業としてはいけないことだと思う。だが、この信念を曲げるようなことはしたくない。それからもうひとつある。始めから成人している身体をつくる。恋人が死んでも、親が死んでも、友人が死んでも、これで、少しだけだが、人々の心を補えるかもしれない。だが成人体をつくるには問題がある。そこで、お前の意見を訊かせてほしい」
Vの視線の先には、広いテーブルに敷き詰められたファイルを繰る副会長のLが座していた。
Lは会長の言葉を訊き、一重の細い瞼を広げて見せた。
「現状に安穏としているわけではありません。ご安心ください。実は、次のステップは実践段階に入ってます。会長を驚かせようと黙っていたのですが、開発部はついに、記憶の操作にも成功しました。これで、人形のような成人体にはなりません」
副会長はそこで席を立った。Vは彼を眼で追いながら言った。
「記憶というのも所詮は電気信号だからな」
「そういうことです」と両手を広げて見せた。
「うむ。見事だ」
Vは満足そうに頷いた。
副会長がゆっくりとVに近づいて行く。そして、そばまで来ると、歩を止めた。
Vは副会長を見上げながら、次の言葉を待った。
Lは会長を見下ろしながら、ゆっくりと、スーツの内ポケットの中に手を入れた。それを抜いたとき、銃が握られていた。
驚愕の表情を浮かべるVを、冷ややかに見下ろしたまま、副会長は引き金をひいた。
【バベル生体工学研究所副会長、Lのターン】
会長室に乾いた音が響いた後、それを合図にでもしていたのか、外から白衣の男がひとり、這入ってきた。
六十代前半くらいの男は、開発部の部長で、過酷な開発を終えた達成感と疲労感を兼ね備えたような表情を浮かべていた。うつろな眼を、茶色の液体の上に横たわる会長に向けながら、ゆっくりとした調子で言った。
「どうやら成功のようですな」
Lは会長の椅子に腰かけ、タバコに火をつけた。紫煙を上空に吐き出しながら、
「会長の古い考えには辟易していた。甘いんだよ。俺は元から違う場所を見つめていた。それをやっと実現することが出来る。お前には感謝しているぞ。ついに『バベルの人間』を市場に出せる。さっそく準備してくれ」
「すでに各企業にアポを取っております」
「ふむ」
「今回は赤ん坊のような欠陥品ではなく、他人に左右されることのない自我を持った完璧な作品です。もちろん、我々の指示に従う従順な兵器です。各国の武器商がたちまち飛びつくことでしょう」
「しかし、実験が足りないのではないか? 会長を含めてまだ数人だと訊いたが……」
そこで開発部部長は押し殺したような声で笑った。それは地の底から響くような感じだった。
いくら人造とはいえ、死体の横たわる部屋には、言い知れぬ不気味さが漂っている。とても、笑顔を見せられるような場所ではない。Lは開発部部長の姿におぞ気だった。
「副会長。まだ気づきませんか?」
「どういう意味だ?」
「ああ! 完成だ。文句な~し! いひひひひ」
今度は腹の底からの笑い声。部長の青白かった顔色が紅潮する。第三者から見ると、彼はまさにマッド・サイエンティスト意外の何者でもなかった。
Lは対照的に顔が青ざめている。
「ま、まさか……きさま!」
「生き証人になってもらいましょうか、副会長」
Lはくわえていたタバコを落とし、さらに震えながら立ちあがった。
「き、きさまの思い通りにはさせないぞ。会長には私を拾ってくれたという恩義があった。しかしそれを裏切って、彼の座を奪い取った。それはすべて、会社のためだ! 会長のように奇麗事ばかりでは世の中わたって行けない。今の地位を維持できない。冗談じゃない。俺は……俺はそんなのガマンできない」
そう言い、自分のこめかみに銃を向けた。
「生き証人だと? 誰がモルモットになんかなってやるか!」
会長室から二度響き渡る銃声。
開発部部長は無表情のまま、床を満たす《茶色い》液体と《赤い》液体を見渡し、それから窓辺により、誰にともなく言った。
「人々は心の△△を望み、我々は●を利用したか。あなたの望み通りに世界は進んでいる。目標へは、いずれ達するだろう。誰にも止めることは出来ん。いひひひ。さあ、私をさらなる高みへ連れて行ってくれ! 人工知能が目指す未来を見せてくれ! 変えろ変えろ世界を変えろ。いひひひひ」
【私立探偵、Oのターン 4】
まったく、日本人どもはどいつもこいつも機械のような表情をしている。歩くスピードも速い。全員がバベルの子か? と勘違いしてしまう。まあ、他の国の事情なんてどうでもいい。俺には時間がない。先を急ごう。
タクシーという移動手段も考えたが、バベル本社までは電車のほうが速そうだ。なにせ、特急で空港からひと駅。しかも駅名がバベル本社前、と来ている。これにはさすがの俺も驚いた。まったく、どうかしている。
のこのこ行って会長に用があるので会わせて下さい、と言っても、はいわかりました、とすんなり通してはくれない。
しかし俺に不可能はない。七色の声を持ち、演技力もアカデミー賞クラス、変装道具もすべて揃っている。パーフェクトだ。
首都のど真ん中にふんぞり返っているバベル本社には、日本に降り立ってわずか三十分ほどで着いた。
広大な敷地内は自由に見学が可能で、ガードマンが眼を光らせているが、呼びとめられることなく中央へ行くことが出来た。
なんてことだ、と俺の口からそう言葉がもれた。それもそのはず、白で統一された、染みひとつない立派なビルディングがそびえ立っていたのだから。荘厳、とはこのことだろうが、俺から見ればただの悪趣味だ。
見上げていると、首がおかしくなってしまう。最上階では酸素マスクが必要じゃないのか? まあ他人の会社がどうだろうと俺には関係ない。
さあ、いよいよ最終決戦だ。ここから先は通行証や紹介状がなければ入れない。ペンタゴン以上のセキュリティーとの噂もある。しかし、俺には通用しない。
技術者のひとりを拉致し、ホスト・コンピューターを操作させる。バベルの子供たちの延命と自由をプログラミングし、悲劇の子供たちを、いや、Dを救ってみせる!
一歩を、踏み出した。
さすがの俺の鋼の心臓も、動悸が激しくなって、いる。
負けるな。俺は、大名探偵O。数々の窮地を脱してきた無敵の男。
自信を持て!
「Oだな。お前を危険運転致死傷罪の容疑で逮捕する」
と背後から声をかけられ、羽交絞めにされた。
日本語はよくわからない。だが、『逮捕』という単語は知っている。ひき逃げのことだろう。もう手配されていた。相手は四人。日本人にしては屈強な体格をしている。俺の両腕は、万力に挟まれているかのようにピクリとも動かせない。
「待て、あとから自首するつもりだった。俺にはどうしてもやらなくてはならない義務がある。四十分、いや、三十分でいい。その間だけ自由にしてくれ! 絶対に逃げないと約束する」
よしわかったOK三十分だけだぞ俺が英語が得意でよかったなあはは、と言って解放してくれるはずもない。が、何故か、拘束されていた腕の力がゆるんだ。
不審に思い、振り返って彼らの顔を見ると、みな、上空を仰いでいた。
彼らの視線を追う。
そこには、あるはずのものがなかった。
バベル本社ビルが、まるで水に濡れた砂のように、ボロボロと崩れ出していたのだ。
あたりから悲鳴が上がる。
しかし俺は対照的に、笑みを浮かべた。それから、叫んだ。
「やったじゃないか、お前なら出来ると言ったろ。俺の――いや、お前の勝ちだ、D!」
バベル生体工学研究所。
人々はその名の通り、いつかは崩壊するかもしれないと思っていた。
そして今、天空にそびえるバベル本社ビルを見上げる者は、いない。
○
数年後、執行猶予つきで仮釈放された。保釈金を出してくれたのは元秘書。世界最高のヒップは健在で、俺はうれしかった。
彼女の部屋へ連れてこられた。熱いシャワーを借りて、バーボンを一杯もらった。最高だった。落ちついたところで、世界情勢について聞き出そうとした。バベルはその後どうなったのか? 子供たちはどうしているのか? バグと化したナノ・マシンの化け物たちはどうなったのか? 個人的な疑問で、Dは今、生きているのか。
元秘書からいろいろ訊き出そうと、俺は口を開きかけた。しかしそのとき、ドアのチャイムが鳴った。
ヒップを揺らして元秘書が駆け出して行った。数秒して、彼女が笑顔で戻ってきた。
そのとき俺は、絶句した。
彼女の手に、大きな荷物が抱えられていたからだ。
赤ちゃん販売 完
《開発部部長の最後の(△△と●)にはある言葉が隠されています。物語を俯瞰すると仕掛けが見えてくるので、ぜひ、挑戦し、答えを見つけてください》




