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その13

 タクシーから降りて、差出人の住所に書かれている番地の近くに来たことを確かめると、葵はほっとした。見当をつけて細い路地に入り10メートルほど歩いた先に、目指す番地の建物があった。

 

 この階段を上ればいいのかしら……。三階ほどの小さいビルにはエレベーターはなく、赤茶けた手摺の階段が曲線を描いて上まで続いていた。 はいているパンプスで階段を上るのは結構きつくて、最上階へ上がった時、葵は精神的な緊張以上に動悸が激しくなり、そこにしゃがみこみたくなった。

 

 階段を上がって行き止まりになっている観音開きの戸を開けると、まだ参列者は来ていないようだった。奥の方で二人の男が何やらぼそぼそと話しをしているのが目に入った。物音に気付き振り向いた男に葵が軽く会釈をすると、男は急いで葵の所にやってきた。

「あ、どうも。ありがとうございます」

「このたびはおめでとうございます。招待状をいただいたものですから。わたし、香苗さんとはともだちなもので……」

どうやらこの男は香苗の夫になる人らしい、と葵は思った。


――もしかして、この人が『信也』さん?

葵は少し不躾にその男の顔をまじまじと見つめた。

「あの、なにか?」

男は不審そうに葵を見た。


「いえ。あの、香苗さんは?」

「今、着替えしていますので、宴が始まればこちらに来ます。どうぞここの席でお待ちになっててください。会場はあちらになっていますので」

 男が指した方のドアは宴会場に通じているらしい。そういえば、この部屋には結婚式場の表示板が置かれていないことに葵は今さらのように気が付いた。時計を見ると、開場の40分も早く着いてしまったようだ。何ごとにも早めに行くのがせわしく生活している葵の習癖のようなものだ。


    

    *


 葵は香苗がいつ自分の所へ来てくれるのかと、ワクワクして待っていた。

 そのうち一人二人・・と招待された客が集まり始めた。少々うんざりしかけていた葵が外に出てみようかなと立ち上がったとき、

「お待たせしました。時間が少し遅れましたが隣の会場の方へお入りください」との声がかかり、葵もみんなと一緒に宴会場へ移って席についた。


 会場の中央には、立食パーティー式に大皿に盛った料理がセッティングされ、二十人そこそこ座れる椅子が並べられていた。最初それを見た時、きっと両家の親族の集まりだろうと葵は思ったが、メンバーを見ると葵と同年配かそれよりも若い人のようだ。

 


 間もなく白いロングドレスに着替えた花嫁が入場してきた。一同がいっせいに目を凝らしている視線の先を、新郎新婦は静かに席まで歩いて並んで座った。花嫁の身体を気遣うような新郎の仕草が、葵の気持ちをいらいらっとさせた。


 集まってきた女性たちは花嫁を見て感動しているのか、口々に囁いているのが葵の耳に入ってくる。

「やっぱりきれいねぇ」

「シンプルな立食パーティーもあの花嫁さんが盛り上げているからいいよね」

なんだかみんな香苗のファンみたいな口ぶりだ。


 葵は香苗が自分の方には目もくれず、にこやかな笑顔を振りまいていることに愕然としていた。祝儀の他に、プレゼントとして渡そうと思っているブレスレットは、香苗にとっては少々はりこんだつもりだ。バッグからそっと取り出して、これを渡すにふさわしい相手なのかどうか、葵はちょっとためらう気持が湧いていた。


 宴の時間は二時間ほどの予定と知らされていたが、葵は早々に退場しようと思った。 50分ほど経過した時点で、葵はワインを少しとサラダを小皿についで食べた他は、何も皿に取らず、席に座ったまま花嫁の方ばかり見ていた。


 自分はいったい何の為にここに招待されたのだろう。香苗は自分のことをどう思っているのか、葵は自分が今さらながら世間に疎く、自己満足の気持ちで他人の世話をしてきたことを実感していた。


 

 宴もたけなわになり、新郎と新婦も席を離れてあちこちの席を回り談笑していた。

 祝儀は新郎に渡してあるので、香苗には声を掛けずに帰ろうと、葵は席を立った。目立たないように気を遣いながら、葵はそっと身支度をしてドアから出た。

 

 階段まで来たとき、跡を追ってくる足音が聞えた。香苗かな?と少し気を良くした葵は、立ち止まって振り向いた。

「あの、すみませんでした。僕、田中信也と申します。あなたが『城川 葵』さんでしたか」

「はい。そうです。『田中 信也』さん!」


 にっこりと軽く会釈をして、葵は静かに階段を降り始めた。少し動悸が激しくなっている。

その時、階段の上から声がした。


「――あの、スカーレットだよね!」


 葵はその声を跡に、振り向くこともせず階下まで降りた。ハイヒールの靴音が誰もいないビルの空間に響いていた。

 ビルを出て手を上げると、行き過ぎようとしたタクシーが葵の前へ止まった。


 

 おバカさん、わたしって――。葵の独り言に、

「はっ?何か言いました?」

バックミラー越しに、葵の方を窺っている運転手と目が合った。



    *


 マンションに着いてエレベーターに乗った時、葵はぐったりしていた。


 こういうきもちって……なんだろう?

 自分の厚意が相手に伝わっていない。差し伸べているつもりの手がかわされて、つんのめっているようなきもち……。自己満足して、それで幸せだと勘違いして生きてきた自分……。


 葵は社長が勧めてくれた共同経営のことを現実的なこととして考えてみようと、そんな気分になっていた。

                     



                      完











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