「デカくてガサツ」な私は浮気されたのに婚約破棄されず金ヅルにされたので、男装して公爵令息になって婚約者を捨てる
「デカすぎてガサツなお前と違って、可憐な彼女には俺しかいないんだ。お前は、俺に婚約破棄されても、隣に住んでる死に掛けの幼馴染と結婚できるだろう」
私の婚約者が浮気現場を見られた事を開き直る。
そう言うからには婚約破棄するんだと思ったけど、違ったらしい。
「まあ、お互い別の相手がいてもいいだろう。結婚してからもこのまま続けて問題ないな」
問題あるに決まってるけど?
浮気と幼馴染へのお見舞いを一緒にしないでもらいたい。
このズレた男、公爵家の嫡男、ルシアン・ベルフォードは私の婚約者だ。
男爵令嬢のフィオナ・メルローズと絶賛浮気中。
私とルシアンで一緒に行った夜会を抜け出して、夜の庭園で「ルーシェン」「フィオ」と見つめあってキスしてた。
私が見ている事に気づいたルシアンが、
「アリアベル! 待て、違うんだ!」
と、昨夜は私の背中に叫んでいたのに。
翌日に、家を訪ねてきたらこれなの?
私とルシアンの婚約は、王命によるものだ。
私、アリアベル18歳のエヴァンス伯爵家の娘だ。
エヴァンス伯爵家は、父の代でメキメキと力をつけてきた新興勢力だった。
力を持ちすぎる事で貴族の均衡が崩れるのを警戒した王は、古い公爵家と結びつけようと考えた。
つまり、結婚相手は公爵なら誰でも良かった。
たまたま、年頃で婚約していないのが、ベルフォード公爵のルシアン21歳しかいなかっただけ……いや、もう一人いるけど。
浮気するなら別に婚約破棄してもらってもいいけど、王命だと難しいのは公爵家も同じなのかしら?
それで、浮気を公認しろというのは違うんじゃない?
どうしても婚約破棄したければ、公爵家のルシアンならできる気がするけど。
私の場合は、「どうしても嫌なら断ってもいいんだぞ、むしろ断れ」と父である伯爵に言われている。
母や使用人たちから、「お父様が王様に何をするかわからないから、アリアベルが喜んで婚約に応じて!」と懇願されていて、私自身も親バカな父の暴走は怖いのだ。
ルシアンの場合はどうなんだろう?
浮気していても、どうしても浮気相手と結婚したいと思っていないのなら、わざわざ王命の婚約を破棄して王の覚えが悪くなるようなことはする必要がないか。
私と違って可憐なフィオナさんのことも、どうでもいいわけ?
私の婚約者は、どこまでも自分の都合だけで動いてるわね。
厄介なのは王命だけど、王命で婚約破棄できないからってやりたい放題は見逃せない。
私は浮気相手がいる人となんて婚約しないのよ。
父の暴走は怖いけど、娘だって怖いのよ?
実利重視の成り上がり伯爵の娘を舐めてもらっちゃ困るわ。
◆◇◆
「シル、寝ていなくて大丈夫なの?」
私は幼馴染のシリル・アシュクロフト19歳を訪ねた。
ベッドから立ち上がって、本を探しているところだった。
「アリア、よく来たね。僕なら大丈夫、最近は調子がいいんだよ」
王都での、私の伯爵家の屋敷の隣にシルの屋敷があった。
私の家族が一緒に住んでる屋敷と同じ大きさの屋敷に、シルは一人で住んでいた。
もちろん使用人はいるが家族はおらず、病弱なシルの為に用意された屋敷だと聞いた。
シルは公爵家の嫡男で、子どもの為にこんな屋敷を丸ごと一件用意できるアシュクロフト公爵の財力に私は震えた。
「いいなぁ。私も自分の屋敷を持ちたいな」
私は、シルのところに遊びに来てはそんな事を言っていた。
「家族と住めるほうがいいよ。一緒じゃないから、僕の家族は僕の事を忘れてるから」
こんな立派な屋敷を与えられてるのに?
家族から忘れられているというシルの状況が、子どもの頃の私にはよくわからなかったけど、夜会に出れる年齢になると思い知らされた。
社交界に顔を出さないというだけで、シル——シリル・アシュクロフトはいない人間も同じだった。
王命で私の婚約者を公爵の中から選ぶ時に、隣に住んでいる幼馴染の公爵令息のシリル・アシュクロフトの名前は出なかった。
だから、候補の公爵の中で一番歳の近いルシアンと婚約する事になったのだ。
私はシルと婚約したかったのに……。
「調子がいいなら、一緒に夜会に行ってくれる?」
「え? 夜会に行けるほど僕は回復してないけど……婚約者のルシアンがいるんだ、誤解されるような真似はいけないよ、アリア」
「誤解じゃないのよ、シル。私、あなたと結婚したいの」
私はシルの手を取って、目を見つめて言った。
「ア、アリア!? 君はルシアンが好きで婚約したんだろう? そんな、簡単に別の人と婚約するなんて言うものじゃないよ」
「ルシアンなんて、好きじゃないわよ。私、シルの前でルシアンが好きなんて言った?」
「い、言われてないけど、じゃあなんで、ルシアンなんかと婚約するんだよ」
「王命で仕方なくよ」
「お、王命って、そんなこともあるのか……それは断れないな……」
「でも、ルシアンと結婚しろって王命じゃないのよ。公爵の地位にある家の人なら誰でもいいの。だから、シルが私と結婚して!」
「アリア……。無理だ。僕はもう、長く本家を離れていたし、社交界にも一度も顔を出した事がないんだ、公爵家の人間とは認められないよ。現に、婚約の時の王命でも僕の名前は出なかったんじゃないか?」
それは私も気になってる。
「なら、これから社交界に顔を出せばいいでしょう?」
「それが出来るなら、とっくにやってるよ」
シルが呆れたように言う。
「別にシルが行く必要ないでしょう? 誰もシルのことを知らないんだから、身代わりだってバレないわ」
「そんな身代わりになってくれる人なんていないよ。僕の病気は治らないんだから、君と結婚してる間ずっと身代わりでいて貰わないと困るんだ。いるなら、アリアはその身代わりと結婚したほうがいいよ」
「自分と自分は結婚できないのよ、シル」
「は?」
「私が男装してシルに成りすませばいいのよ! シルはずっと私の病弱な妻になればいいのよ」
シルが驚いて目と口を開けて固まってる。
そしてガクッと肩を落とす。
「相変わらず変なことを思いつくね、アリアは。君の思い付きが成功した事なんてないんだし、無理に決まってるよ」
「成功した事もあるわよ! もう、公爵と公爵夫人の許可は取ってあるのよ」
「は!?」
「男装して是非うちの事業を手伝ってって言われちゃったわ」
「え、ええええええぇぇぇ!!」
シルが病弱とは思えない声を出した。
「シルって、今でも公爵家の事業を家の中から出来る範囲で手伝ってるんでしょう? 知らなかったわ。夫婦で片方が外交担当するとちょうどいいって公爵様がおっしゃってたから、男装した私が担当ね」
「ええ!?」
「シルは私の奥さんとして、今まで通りに家で仕事してね」
「ええ……」
『ええ』しか言わなくなったシル。
『ええ、いいわよ』って意味だと思う。
すでに奥さんが板についてるわ。
「で、男装なんだけど、私は女性としてはちょっと身長が高めで173cmで、シルは176cmだって言ってたよね? シル本人をみんなは知らないし、病弱なら背が低いほうがそれっぽいと思うの」
婚約者のルシアンにはデカいって言われたけど、男装するにはちょうどいい。
私はシルの肩を掴む。
「でも、やっぱり細くてもシルの方が肩幅があるんだね。肩章つけたらいいかな? 手もシルと私の手って全然違う。手袋した方がいいよね」
私はシルのゴツゴツした手と自分の手を組み合わせる。
シルがなんだか赤くなってる。
「ルシアンの手と比べたら、シルの手ってすべすべして綺麗だけど、私の手と比べたら固くて爪も分厚いわ」
「待って、アリアはルシアンと手を繋いだことあるのか!?」
「それは婚約者だし、手ぐらい繋ぐでしょ?」
「手ぐらいって……」
「婚約者がいて浮気するような人が、婚約者に何もしないなんてありえないわよ」
「ま、待って、何されたの、アリア!」
「ん? 私もルシアンにキスしたよ」
「は?」
「婚約者だもの」
シルがうつむく。
暗い声が聞こえた。
「そんな事してたんだ、アリアは……。でも、婚約者なら仕方ないのか……」
「キスもしたくない人とは、結婚なんて出来ないもの。試してみたのよ。我慢できたわ」
沈黙があった。
「じゃあ、僕と結婚したいなら、僕とのキスも我慢できるの?」
私はシルの言葉に戸惑って、赤くなる。
「な、なんで、そこで赤くなってるの!? アリア!?」
「だってシルとは、ただキスしたいだけだもの……」
私が言うとシルも真っ赤になった。
「僕もしたい……。アリアがこんな僕でも選んでくれるなら」
小さなシルの声が聞こえた。
「目つぶってよ、シル」
「……うん」
シルが、私のキスを待って目をつぶってる。
私は、まだ正式にはルシアンという婚約者がいるから迷ったけど、シルにキスした。
ポロッと涙が溢れた。
「何で、泣くの……嫌だったの!?」
目を見開いた、シルが驚く。
「違うの。最初からシルが婚約者だったら、ルシアンなんかとキスしなくて済んだのに……」
好きな人の唇は全然違う。
これが本当のキスなんだわ。
「僕だって、僕以外の人とさせたくなかったよ……」
シルが唇を噛んで何か言った。
聞こえなかったけど、私に手を握ったシルの手に浮いた筋が男らしく見えてちょっとドキッとする。
「……じゃあね、私の奥さん」
でも、シルは私の奥さんなの。
私は、シルにもう一度キスして部屋を出た。
「ん……!」
シルが真っ赤な顔で唇を押さえてた。
私は家に帰って、シル復活の為に男装での夜会へ向けた準備をする。
「きゃー! お似合いです、お嬢様!!」
メイド達がとっても生き生きと用意してくれる。
前世でもそうだったけど、どの世界でも男装の美青年は人気らしい。
◆◇◆
私が男装して向かうのは、シルのアシュクロフト公爵家にゆかりのあるハミルトン公爵家が主催の夜会だった。
アシュクロフト公爵様——シルのお父様が、主催の公爵様に息子の嫁候補が男装して息子の代わりに行くと伝えたらしい。
男装してシルの身代わりで行くと決めたのは私なんだけど、それって話しちゃっていいものだったの?
意外と公爵様たちってお茶目な一面があるのかもしれない。
というのは冗談で、シルが病弱を理由に引きこもっている事を心配しているんだと思う。
シルは、子どもの頃はすごく病弱だったけれど、最近はそうでもない。
熱を出すと長引くけど、昔のように倒れることもなくなって、調子が良ければ庭で一緒に少しだけテニスしたり、私の背中につかまって乗馬したりする事もある。
19歳の青年としては頼りないけど、ずっと引きこもっていなくちゃいけないほどの病弱ではもうない。
私がシル——シリル・アシュクロフトとして社交界に出ていったという事実が、本物のシルが外に出るキッカケになるんじゃないかと、公爵様たちは期待しているんだ。
だから、多少の誤魔化しが効く夜会になら参加する事を認めてくれた。
本来なら男装して夜会に令嬢が行くなんてとんでもない事だ。
私は、転生して前世の記憶がおぼろげにあるせいで、この世界の厳格な身分制度にどこかなじめない。
だから男装なんて思いついたんだと思う。
教育は受けているからマナーの問題はないけれど。
でも、私は最初から公爵様たちのような甘い考えはなく、シルが社交界に出てくるとは思ってない。
シルに期待して出来なかったら、一番困るのは私なんだから。
シリル・アシュクロフトとして私自身がずっと生きて、本気でシルを囲って妻にするつもりだ。
だから、今夜の夜会ではそれが出来るという事を公爵様たちにも示さないといけない。
絶対にシルを奥さんにするんだから!
「叔父上、お久しぶりです」
私は夜会会場に着いてすぐにシルのお母様の弟のハミルトン公爵に、声を低く作って挨拶する。
ハミルトン公爵は目を見開いて驚いている。
入り口からハミルトン公爵様のところまでに、数人の女性が私を見て黄色い悲鳴を上げた。
悲鳴こそ上げなかったが、人々は私の進む先に道を開けて人の道が出来ていた。
男装した私はとんでもない美青年で、生まれる性別を間違えたみたいだ。
「これはこれは、やっと病弱だった甥が夜会に来てくれたと思ったら、なんという美丈夫だろう。見違えたよ、病気はもういいのかね」
「はい、もうすっかり元気で、なんの問題もありません!」
私がずっとシルとして男装を続けるから問題はないわ。
「皆さん! 甥のシリル・アシュクロフト公爵子息だ」
ハミルトン公爵様が言うとどよめきが起こった。
「あれが噂の病弱な……?」
「なんて、美貌だ」
「噂と違うじゃないか」
なんだ、シルの噂はあったみたい。
完全に忘れられてるわけじゃなかったのね。
「シリル様、踊って頂けませんか」
令嬢に声をかけられる。
後ろの方で「ずるい」と言っている令嬢が数人いる。
「あ……」
私は、女性としては踊れるけど、男性用のダンスは知らないのよね……。
シルと練習しなくちゃ。
「せっかく誘ってくれたのにすまないが、未だダンスを出来るほどではないんだ」
令嬢をがっかりさせてしまった。
病弱でなくなったシルのお披露目の為に親切心で声をかけてくれたんだと思う。
「やっぱりまだ死に掛けなのね」
え……。
遠くから声がした。
誰!?
令嬢たちが私に憧れの目を向ける。
男性だって好意の目を向けてくれてる。
でもわずかに、私に敵意を持った顔もある。
その中心には——、ルシアン!!
知り合いに会わない夜会を選んだつもりだったけど、私の婚約者が浮気相手のフィオナさんと来ていた。
浮気してるなら、知り合いに会いたくないから、普段は行かない夜会に行くのか。
完全に読み間違えたわ。
私を今はシリルだと思って、近くの人と何か囁いてる。
『やっぱりまだ死に掛けなのね』
噂の出どころはルシアン?
噂を払拭するつもりがダンスをしない事で、かえって噂を大きくしてしまう——。
私はダンスに誘ってくれた令嬢を見る。
「けど、あなたのように美しい人と踊らないわけにはいきませんね」
令嬢の顔がパッと明るくなった。
私と令嬢がダンスホールに移動するのをみんなが見守る。
私は令嬢をエスコートして踊り始める。
男性のステップは知らないけど、女性のステップと逆なだけだ。
心配だったけど、踊り始めてしまえば、難なくリズムに乗れた。
問題は、ダンス中に男性は女性を支えなくてはいけないと言うことで……。
体幹を軸に合わせて移動させて、令嬢が倒れないように支えなければいけない。
幸い小柄な令嬢で、ダンスがとても上手く私の動きに合わせて身体を預けてくれる。
女性の身体を支えるのは大変だけど、支えられないわけじゃない、ギリギリのバランスだった。
ダンスを終えて戻ると、見ていた人達から歓声が沸いた。
「病弱と聞いていたのに素晴らしいダンスでした!」
「本当に健康になられたのね!」
「まだ、本調子では無いので今日はこれでやめておきます。今度、皆さんと踊れる日を楽しみにしていますよ」
ドット疲れが湧いてくる。
冷や汗が背中に流れた跡が冷えている。
良かった……!
失敗したら男装していたと私の正体を明かして、社交界の悪評は全部私が引き受けるつもりだった。
チラッと見ると、ルシアンが悔しそうな顔をしている。
あなたが夜会のダンスで、私の身体を支えられないから、いつも私がリードしてあげていたのよ?
おかげで男性のダンスの動きも出来るようになっていたみたい。
何の考えもなしにダンスしたわけじゃなく、出来るだろうとは思っていたの。
ダンスが苦手だからあなたは、デカい女はやめて、小柄な浮気相手を選んだんでしょうね。
でも——
ルシアンのあの悔しがり方は普通じゃない。
私はルシアンをチラッと見ただけだけど、ルシアンが私に鋭い視線を向けているのが分かる。
汗が顔に滲んでいるようにも見えた。
たまたま夜会で会った相手を冷やかしていたわけじゃないの?
この夜会でシルの悪い噂を振り撒いているのは、こちらによくない視線を向ける人の位置関係を見る限りルシアンらしい。
でも、この場だけじゃないとしたら……。
シルの悪い噂を流して、王命の私の婚約者にシルの名前が上がらないようにしていたとすれば——。
ルシアンには私と絶対に結婚しなければいけない理由があるの?
私の価値なんて今一番勢いのある新興伯爵家の娘って事だけ。
つまり、お金がある。
王命は、古い公爵家との婚姻でお金が公爵家に渡る事で、貴族間の急激な力関係を抑止するのが目的。
つまり、私の婚約者になればお金が手に入るって事で……ルシアンのベルフォード公爵家はお金がないの?
なんとか、その実情を知ることができたらいいけど。
招待客にそれとなく聞いて探ってみようか。
◆◇◆
私が招待客に話しかけるよりも先に、ソファに座る私に招待客が話しかける。
だいたいが令嬢でルシアンのベルフォード公爵家の財政状況までは知らないような子たちだった。
それも当然で、婚約者の私アリアベルのエヴァンス伯爵家でも把握していないことなんだ。
私の父は、娘を王命で公爵家に嫁がせることに最初から最後まで大反対だった。
きっとベルフォード公爵家の財政事情などとっくに調べている。
それでも特に問題が見つからなかったんだと思う。
お父様を完璧に出し抜く完璧な粉飾決算をしてるとか?
投資の失敗等で、これから莫大な借金が表面化するとか?
証拠を掴むのは大変そうだ。
「ルシアン様とは、別の夜会でもお会いしましたが、シリル様のことは気にしていましたよ。病気が重いと聞いていたんですが、お知り合いではないんですか?」
財政問題と違って、噂の出どころがルシアンだという事は話してくれる人も多そうだ。
「ルシアン様とは直接の面識はありませんが、僕の幼馴染の婚約者なんです」
「あら? じゃあ、ルシアン様は幼馴染さんから聞いたことを話していて、ご病気が重いというのは本当だったんですね」
そんなこと、私は言ってない!
「いえ、病気は良くなっていますから、何処かで誤解があったんでしょう」
でも、ルシアンの話の信憑性を与えていたのは私かもしれない……。
ルシアンの婚約者がシルの幼馴染だということは知ってる人には常識だし。
シルが最近は調子がいいと言っていたのに社交界に出る事を拒んでいたのは、私のせいで噂に信憑性が出てしまって重い病気だと信じられていたからかもしれない。
暗い気持ちになって落ち込んでいたら、話しかける招待客の波が引いた。
きっと病弱なシルが辛そうだからと気を遣ってくれたんだと思う。
けれど、気を遣わない男がーー。
「シリル・アシュクロフト。俺のことを調べているようだな」
ルシアンが私の座るソファの前に来た。
同じ夜会にいるからには、声をかけられることもあると思っていたけど。
……私が、アリアベルだとバレるだろうか。
私はソファに座ったまま顔を上げず、疲れた様子で下を向いて答える。
「すまないが、少し気分が悪いんだ」
声は低く、男にしか聞こえないと思う。
「悪いが、財政難を疑われて探られているなどと、こっちの気分も悪いんだ」
ドスッとルシアンはソファの隣に腰を下ろす。
陥れようとする相手に優しいわけがないか。
「……幼馴染の事が心配だったんだ」
「ふん、あんな女、王命だから婚約者にしているだけだ、財産にはそれほど興味はない」
あんな女!? 王命で嫌々ならすぐにでも婚約破棄して欲しいわね。
「王命は君じゃなくてもいいんだろう。僕に譲ってくれないか」
私との婚約が不本意なら、ありがたい提案の筈よ。
「一度、婚約までした女性だ、病弱な君には任せられない」
さっきはあの女って言ったくせに。
でも、悔しいけど正体がバレないように病弱ポーズもしてるし、言い返せないわ。
「ルーシェ……」
「フィオ、今戻るよ」
ルシアンの浮気相手のフィオナさんの声がする。
愛称で呼び合って仲がいいこと。
ルシアンがソファから立ち上がる。
けれど、フィオナさんは動かない。
床に見える足先が私に向いている
「……アリアベル……さん?」
身体に衝撃が走る。
フィオナさんが私の名前を呼ぶ。
「アリアベル……だって!?」
ルシアンの足がくるりと私の方に向き直った。
近づいて来る——。
「シリル、久しぶり! 従姉妹のエリーよ。体調が悪いなら、こっちに来て!」
いきなり元気な声の女の子が乱入してきた。
私は、あっという間に引っ張られて、その場を離れる。
ソファを立つと同時に顔を上げてルシアンを見てします。
目が合うと、ルシアンは私がアリアベルだと分かった。
私は慌てて、従姉妹を名乗って手を強引に引く女の子の後ろ姿に視線を移す。
ドレス姿の私より背の高い女の子——シル!?
◆◇◆
奥の部屋に着くと、私を引っ張ってきた従姉妹のエリーは息を切らしていた。
「大丈夫? シル」
ソファに座らせて、息が整うのを待つ。
「はぁ、はぁ、アリアが無茶するから、はぁ、バ、バレそうになった……!」
シルが私に抗議した。
「ルシアンがいると思わなかったんだもの。でも、バレたら、全部私が一人でやった事に出来るけど、シルも一緒にドレスを着てたら、言い逃れできないじゃない!」
「た、助けてあげたのに……はぁ、はぁ」
座ってるからわからないけど、ドレス姿のシルは普段の私よりも大きくて迫力があった。
「デカすぎてガサツってこう言うことよね?」
「助けてあげたのに」
シルの息が整って来た。
「シルがドレス姿で立ってたら目立つからすぐに見つけられたと思うけど、どこに隠れてたの?」
「さっきアリアが座ってたソファの後ろの方に座ってたんだよ」
「奥に座ってたらわからないか。誰とも話さなかったの? 側によったら女性に見えないから、男だってバレると思うけど」
「……話したよ。近づいて来て声をかけられた瞬間に相手が、「なんか違う!」って感じになって、すごく気まずかったよ!」
「ぷっ」
想像したら笑える。
「笑い事じゃないよ! 後でちゃんと僕が女装してた理由を説明しないと……」
「え? ずっとシルはそのままでいいのに。ドレスは似合ってないけど、可愛もの」
私はソファの隣に座って、ギュッとシルの腕に抱きついた。
「アリア……。アリアが男装似合いすぎなんだよ」
「でしょう!? 私も驚いたわ。女だったらデカくてガサツだけど、男になったらすごいでしょう?」
「……デカくてガサツて、ルシアンに言われたの? 気にしてるの? アリア?」
私は一瞬だけ止まった。
「別に、ルシアンに言われたからって気にしてない。でも、シルの隣にいるのには大きすぎるでしょう? きっと、ドレスを着てシルの横に立ったら、みんなに笑われるもの。シルが恥をかくわ……」
話しているうちに、だんだん悲しくなる。
女の子だったら、シルの側にはもっとお似合いの人がいるから。
ポロって涙が溢れる。
「アリア……」
シルが「今更?」て、呆れた声で言う。
シルから離れてソファの隣に座ったまま逆を向く。
「……可愛い、アリア。アリアはずっと可愛いよ。こんなに可愛いのに、なんで男になれると思ったの?」
シルが私を抱きしめてる。
「な!? 可愛くないでしょう」
「僕がアリアを可愛くないなんて思ったこと一度もないんだよ。今も、赤くなって可愛い……」
シルが私にキスした。
病弱なんて思えない力で、私は身体をシルの方に向かせられてる。
「ん……」
長いキスに苦しくなるのにシルを離そうとしても全然動かない。
「んーん!」
大きく言うと、やっと離れてくれた。
「シル……男の人みたい」
私はこれ以上ないくらい真っ赤になっていた。
「ずっと、男だったでしょう。アリアが気づいてなかっただけだよ」
そうなのかもしれない。
「私が、シルの横に立ってても笑われない?」
「僕がちゃんとした男の服装してればね。今の格好の方が僕はよっぽど笑われてるからね、アリア」
シルが怒ったような口調で、赤くなって恥ずかしそうにしてる。
「……確かに……」
「納得しないで! 全部、アリアの為なんだからね!」
「それじゃ、もう僕は着替えていいかな。アリアのドレスも持って来たから着替えて」
「え? 着替えて夜会に戻るの? シルが女装してたってバレちゃうわよ?」
「……アリアの男装の方が目立ってたでしょ」
「私はすごく似合ってたから、ドレスでいるより受けると思うわ」
「似合ってたけど、アリアは僕の奥さんになるんだから、みんなの前に戻るならドレス姿でね」
シルが言うけど、私の婚約者がルシアンなのは変わらないわ。
「さっき、僕のドレス姿に驚かれながら聞いたんだ。ルシアンのベルフォード公爵家には財政問題はないそうなんだ。君の家ほど潤ってはいないらしいけどね」
「え? でも、ルシアンが私とどうしても結婚したいのってうちの財産が目当てなんじゃないの?」
「それはベルフォード公爵家の事情じゃなくて、ルシアンの個人的な問題だね。浮気相手のフィオナのメルローズ男爵家が破産寸前らしいんだ。ルシアン個人では破産から救う資産はないし、ベルフォード公爵家の財産を動かせても、家が傾くくらいの額らしい」
「……そうだったの。ルシアンは、フィオナさんの事、本気で好きなんだ……」
「本気で好きなら、自分の家を傾けてでも、自分の力で助けるだろう。それをやらずに、都合よく財産を持ってるアリアを利用しようとするのは、フィオナにだって失礼な事じゃないかな?」
「……うーん、隠れてしか会えないなんて、フィオナさんも嫌よね」
私はドレスを着て、シルはドレスを脱いで男性の服になった。
「シル……カッコいいわ。ドレス姿よりずっといい」
シルが、私の男装なんかよりずっと素敵でドキドキした。
「好きでドレスを着てたわけじゃないよ……。アリアも綺麗で可愛くて、とっても魅力的だよ」
そう言って、シルが少しだけ顔を下げて私にキスした。
あれ……?
「シル、私より3センチしか身長が高くないなら、ドレスだとヒールの高さで、私より身長が低くなるはずなのに、殆ど変わらないわ……」
シルの方がちょと身長が高いくらいの位置に目がある。
「うん……ドレスを作るのに、久しぶりに身長を測ったら、180cmになってた……」
「え!? その身長で、ドレス着てたの!?」
それは、見た人が驚くかも。
男性としては細いから背の高さに気づかなかったけど、本当の女性の骨格とはだいぶ違うから……!
「……全部、君の為です」
◆◇◆
私はシルの腕を取ってエスコートされながら夜会会場に戻った。
シルの叔父さんのハミルトン公爵を探した。
その間に私とシルに気づいた人が、ざわざわと騒ぎ始めた。
「男装と女装してたのがバレた……?」
けど違ったみたい。
「誰だ、あの美青年は!?」
「隣にいる女性も素敵!」
「お似合いだわ……」
うっとりと見つめられてる。
ルシアンと一緒にいてこんな事を言われた事はないのに……。
シルが素敵すぎるからだわ。
「なんだシリル、女装はやめたのか」
ハミルトン公爵の第一声がこれだった。
自分より背の高いシルの女装姿を面白がっていたみたいだ。
シルは不満そうにしている。
「アリアベル殿は男装も良かったが、やはりドレス姿の方が美しい」
ハミルトン公爵はすぐに夜会会場の中央に行くと、私とシルを紹介した。
「皆さん、今夜は余興に付き合っていただき感謝する。甥のシリル・アシュクロフトの病気からの完全回復を皆さんにその目で見ていただきたくて、シリルの幼馴染アリアベル嬢に協力していただいた。先ほど紹介したシリルはこのアリアベル嬢だったのです」
ハミルトン公爵の言葉ににみんなが一斉に驚く。
「え!? あの美青年が、こんなに美しい女性だったの!?」
ざわめきが大きくなる。
「そして、こちらが本当の我が甥のシリル・アシュクロフト公爵令息だ」
シリルの登場に会場が静まり返った。
シルも私も沈黙に冷や汗が吹き出す。
でも次の瞬間に会場が割れんばかりの驚きに包まれた。
「嘘!? さっきより背が高くてカッコいい!」
「こんな美丈夫が実在するの!?」
「健康的で、病気の噂は嘘だったの!?」
これ以上ないくらいに、シルの病弱の噂が吹き飛んだ。
「——ちょっと待った!」
招待客の中から声がした。
ルシアンだった。
顔に焦りの色が滲んでいる。
私たちの方に向かってくると、ルシアンは私の肩を抱いた。
「俺の婚約者がアシュクロフト公爵令息のお役に立てて嬉しいよ。友人と心配で見に来て良かった」
白々しい話をする。
招待客があからさまにがっかりしている。
私とシルの方がお似合いだと思っているのは明らかだった。
でも、王命で決められた婚約者はルシアンだった。
「ルシアン・ベルフォード公爵令息、今日一緒に来ているフィオナ・メルローズ男爵令嬢は君の恋人だろう? 僕が病弱だったばかりに、アリアを押し付けて、二人の仲を引き裂くような真似をしてすまなかった。もう僕は大丈夫だから、アリアの心配はいらないよ」
シルがルシアンに丁寧に頭を下げた。
「ベルフォード公爵令息とフィオナさんが、とても仲睦まじい所を見ていたわ」
「愛する人との仲を割かれて、婚約の責任を果たそうとするなんて立派な方だわ」
人々の口の端で、ルシアンの浮気が崇高なものに変わっている。
「シリルのいない間、私を婚約者として支えて下さったルシアン様には感謝の言葉もありません。フィオナ様との中を引き裂いてしまった事が心苦しかったのですが、やっあなたをフィオナ様にお返しできます。私にはシリルがいますから、どうかフィオナ様とお幸せに!」
私も乗っかって二人の幸せを願う。
「……しかし、俺とアリアベルの婚約は、王命によるものだ。そう簡単に変更は出来ない」
ルシアンは悔しそうに顔をひきつらせている。
「ルシアン殿の王への忠誠心はなんと厚い事か! そんな方が甥の為に愛する恋人と長年引き離されていたなんて! 私が王にあなたフィオナ嬢の事は進言しましょう!」
ハミルトン公爵が助け舟を出してくれた。
「私も!」
と、招待客からも次々に声が上がって、大合唱になる。
ルシアンが話せば話すほどに、思惑とは逆のドツボにはまっていく。
ルシアンはみんなに祝福されながら、足取りも重くフィオナのところへ戻って行くと、
「君の元に戻って来れて良かった……、もう二度と離さない」
蒼白な顔で震えながら心のこもっていない声で言った。
フィオナさんに支えられながらなんとか歩いている状態のルシアン。
そんなに自分の財産をフィオナさんに使うのが惜しかったの?
夜会会場から出ていく最後の瞬間に、フィオナさんが私に鋭い視線を向けた。
その視線でやっと気づく。
ベルフォード公爵家の財産で、自分の家の借金を返して、財政難に陥っても立てなおしていこうって気は、フィオナさんにもなかったらしい。
どちらも私の財産目当てで結託して、公認の浮気相手としての関係を続ける事が望みだったんだ。
ルシアンの態度にフィオナさんが可哀想だと思ったけど、心配する事なかったのね。
「アリア」
ルシアンとフィオナさんに呆れていたら、シルに呼ばれる。
振り返ると、シルが私に跪いていた。
そして——
「結婚してください、アリアベル」
プロポーズの言葉に夜会会場が今夜一番の盛り上がりを見せた。
「はい」
私は答えたけど、シルに先にプロポーズしたのは私よ。
これはシルの私のプロポーズへの返事だと思って、喜んでキスをした。
◆◇◆
こうして、私の王命の婚約者はルシアンからシリルに——ならなかった。
実は王命の婚約者候補にシルが上がらなかったのは、アシュクロフト公爵家の力が強すぎるからだった。
そもそもこの婚約は、私のエヴァンス伯爵家が力を持ちすぎる事で貴族の均衡が崩れるのを警戒したからだった。
古い公爵家であっても力のあるアシュクロフト公爵家と結びついてしまうと王を超える可能性があった。
だから、シルが婚約者候補になる以前に、公爵家ごと候補から外されていた。
「ええ!」
私とシルは驚いて、どうしようかと悲観して見つめあった。
でも、その心配はあっさり解決した。
エヴァンス伯爵とアシュクロフト公爵が直接、王のところに乗り込んで抗議したからだ。
その様子を横で見せられていた私とシルは、王が警戒した理由に納得した。
私とシルは「王様の味方です」と慰めて帰って来た。
結局、私とシルは王命で婚約した事になり、王宮で結婚式を挙げることになった。
これは二つの有力貴族が王と懇意だと印象付ける為で、私とシルは政治利用されてしまったのだけど、両家の事を考えたらこれくらいはあった方が平和だと思った。
私たちの結婚式には有力貴族が参列したけど、ベルフォード公爵家からはルシアンは来なかった。
元婚約なのに薄情だと思ったら、ルシアンは廃嫡されていた。
ベルフォード公爵家としても、ルシアンがフィオナさんと結婚する覚悟があるなら、次期当主の為に、フィオナさんのメルローズ男爵家の借金を肩代わりしてもいいと提案したらしい。
しかし、ルシアンは最後まではっきりした覚悟を見せずに、メルローズ男爵家は破産した。
こんな覚悟もない男に嫡男だからと、公爵家は任せられないと、弟が次期当主になった。
歳は私より少し下だけど、しっかりしてそうな弟だった。
この人と婚約させられていたら破棄はなかったと身震いした。
シルもそう思ったみたいで、「ルシアンで良かったね」と顔を見合わせた。
ルシアンが今、何処にいるのか知らないけれど、フィオナさんとお幸せに!
でも、ベルフォード公爵家とは今後はいい取り引きが出来そう。
王子や王女たちとも仲良くなれた。
結婚式のダンスパーティーで、シルが私と踊った。
身体をしっかり支えて貰えて、とっても踊りやすい。
「シル、病弱って嘘だったの!?」
「アリアに恥をかかせない為に、特訓したんだよ、家令と」
シルの屋敷の家令はシルよりも大きい。
「私、そんなに重くない」
「うん、軽すぎてびっくりしてる……」
シルは低過ぎる自己評価のおかげで、何事もやり過ぎて、メキメキと病弱だった期間を埋めている。
「あと一曲、踊れる?」
「さすがに……はぁ、5曲は……はぁ……無理!」
普通の人でも無理かもしれない。
私もシルの体力回復には貢献してる。
ソファで休んでいるシルの隣に座る。
シルの息が整ってくる。
前よりずっと回復が早い。
ポロッと涙が溢れた。
「な、なんで泣いてるの、アリア!?」
シルが慌てて私の顔を覗き込む。
「シルが健康になったら、こんな風に並んでいられる時間がなくなっちゃうから、寂しいと思ったの。シルが元気になってくれて嬉しいけど」
シルがホッとしてる。
「あのね、アリア。夫婦になったんだから、理由がなくてもずっと一緒に並んでいられるんだよ」
シルに抱き寄せるられる。
「うん、幸せだね、シル」
「そうだね、アリア」
私たちの新しい日々は王宮から始まる。
——王の呼び出しにうんざりするのは、また別の話。




