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10分だけ異世界転生 ~タイムセール中のチートはいかがですか?~

掲載日:2025/12/08

 朝七時半の山手線は、今日も人間を詰め込みすぎだと思う。


 吊り革はすでに埋まり、私の両肩には左右から違うスーツの生地が押しつけられている。前にはリュック、後ろには誰かのカバンの角。息をするたび、知らない柔軟剤の匂いが肺に入ってくる。


(今日も残業コースだな……)


 昨夜の退社時刻は二十三時半。睡眠時間は四時間。にもかかわらず、始業前に届いていたチャットのアイコンには、すでに赤い数字がついている。


 考えるだけで頭が痛くなり、私は現実から目をそらすようにスマホを取り出した。


 電波は不安定だが、ニュースアプリくらいは開ける。指が勝手にタイムラインをスクロールしていく。どこかの炎上、どこかの値上げ、どこかの成功者インタビュー。


(どこも忙しいんだな……)


 他人の不幸と自慢話で軽く胃を痛めていると、不意に画面の下からポップアップ広告がせり上がってきた。


『【期間限定】10分だけ異世界転生体験 ~タイムセール中のチートはいかがですか?~』


「……は?」


 あまりにベタな文言に、思わず小さく声が漏れる。


 そこには、やたらとキラキラした女神のイラストと、怪しげなキャッチコピーが並んでいた。


『今だけ無料!』『スマホ一つでカンタン転生!』『あなたの10分、異世界で有効活用しませんか?』


 明らかにラノベ広告だ。どうせタップした先はサイト登録やら課金やらが待っているのだろう。


(とはいえ……)


 今日は朝から会議、昼はトラブル対応、夜は仕様変更。そんな一日の予定を思い出すだけで、心が少しだけ折れる。


(せめて、広告くらい夢を見させてくれてもいいだろ)


 私は半ばヤケになって、その広告をタップした。


 画面が一瞬、白く光る。


(あ、やっぱり変なサイトに――)


 そう思ったところで、足元の感覚がふっと消えた。


 満員電車の重さが、総合的に消える。


 代わりに、足の裏に冷たい石の感触が戻ってくる。


 視界が、真っ白に開けた。


「ようこそ、期間限定キャンペーン窓口へ!」


 澄んだ声が、正面から飛んできた。


 白一色の空間の中央に、受付カウンターが一つ。その向こう側に、ひとりの人影が立っている。


 年齢不詳の若い男――いや、よく見ると、胡散臭い安っぽい魔法使いコスプレをした人物だった。


 サイズの合っていないとんがり帽子。星柄のマント。杖には、これでもかという大きさで「MAGIC」と刺繍されている。


(安っぽ……)


 深夜テンションの通販番組で見かけるパーティーグッズを、全力で神々しくしました、という感じだ。


「……夢、だよな?」


「夢であり、夢ではありません。詳しい説明は後ほど――と言いたいところですが、後ほどはありません」


 男はにこやかに微笑みながら、右手をひらりと振る。


 空中に、赤い数字が浮かび上がった。


『残り時間 09:48』


「現在時刻をもって、あなたの異世界転生体験キャンペーン、開始されました。説明している余裕はありません。残り時間、九分四十八秒です」


「ちょっと待ってくれ」


 私は思わず手を上げた。


「いや、いやいやいや。さっきまで電車にいたんだが?」


「はい、山手線ですね。大丈夫です。あなたの肉体はここにあり、向こう側では時間停止状態です」


「大丈夫の基準が神目線すぎる」


「ご安心ください。戻したあとに重篤な支障が出たケースは、統計上、千件に三件程度しか確認されておりません」


「高いよ! その数字で安心しろって言う営業トークある?」


 男は「あっ」と口元に手を当てた。


「すみません、統計情報の出し方を誤りました。成功率九十九・七パーセント、とお伝えすべきでした」


「パチンコの大当たりかよ」


 突っ込んでいる間にも、カウントダウンは進んでいる。


 数字はすでに九分を切っていた。


「さて、中村悠斗さん」


 男は、いつの間にか私の名前を呼んだ。


「あなたは、弊局が管轄する異世界に十分間だけ転生体験をする権利を得ました。本キャンペーンの特典として、一度だけ『何でも叶うチート』を使用できます」


「……何でも?」


「はい。原則として何でも。ただし、世界全体の構造を破壊するような改変や、期間終了後も重大な影響を与え続ける恒久チートは、予算と規約の都合上、対象外となります」


「予算って言ったな、今」


「わたしも上司に怒られたくはありませんので」


 男はさらりと言って、カウンター越しに乗り出してきた。


「自己紹介がまだでしたね。わたしは転生神ツクヨ。転生管理局・中間界窓口担当です。本日はキャンペーン案件につき、営業モードでお送りしております」


「転生神、ツクヨ……」


 名前だけは、どこかで聞いたことがある気がした。深夜テンションで読み漁ったなろう系小説のどこかに、そんな名前が出てきたような、出てこなかったような。


「その格好は、えーと……」


 私は、おそるおそる「MAGIC」と書かれた杖を指さした。


「上層部セレクトの『いかにも神様らしいデザイン』です。私の趣味ではありません」


 ツクヨは即答した。


「ただ、こういう分かりやすいコスプレをしていた方が、初対面の方には説明が早い、という統計がありまして」


「統計に頼る社畜神って新しいな」


「ノルマに追われると、エビデンスが欲しくなるんです」


 ツクヨは肩をすくめた。


「ちなみに、本キャンペーンは『社畜系現代人の皆さま限定・タイムセール企画』となっております。あなたのような方が、十分で何を選ぶのか――我々としても非常に興味深いデータでして」


「実験台って言った方が早いんじゃないか、それ」


「言い方を選ばないと、アンケートの回答率が落ちるので」


 ツクヨは、やっぱり肩をすくめた。


「ともあれ、時間がありません。世界観の詳細やステータス画面の有無については、今回は割愛させていただきます。現地で直接ご体験ください」


「サービス悪くないか、異世界転生のくせに」


「タイムセールですので。前よりマシ、逃げ道は用意、くらいが本キャンペーンの現実的な落としどころでして」


 ツクヨが片目をつぶると、足元に光の魔法陣が浮かんだ。


「では、転送開始します。チートの使用回数は一回。使用可能時間は到着から十分。ご利用は計画的に」


「おい、まだ心の準備が――」


 言い終わる前に、視界がまたしても白く弾け飛んだ。



 次に目を開けたとき、私は土の匂いを吸い込んでいた。


 足元には硬い土の地面。周囲には石造りの家々。遠くには緑の丘と、小さな森。


 頭上には、見慣れない星の並び方をした青空が広がっている。


(……マジか)


 思わず口からこぼれた。


 ここまで来ると、さすがに夢だと片づけるのは難しい。風も匂いも、遠くから聞こえる牛の鳴き声も、妙にリアルだ。


「おじちゃん、だれ?」


 背後から、幼い声がした。


 振り向くと、小さな子どもが三人、こちらを見上げていた。ボロボロではないが、質素な服。靴は薄く、膝小僧には小さな傷。


 その後ろには、同じくらいの年齢の子どもたちがわらわらと集まってくる。ざっと見て十人以上はいる。


(村の広場、ってところか)


 見回すと、周囲の家の窓からも、大人たちがこちらを窺っている。警戒というより、戸惑いに近い目だ。


 そのとき、頭の中に、ツクヨの声が響いた。


『お疲れさまです。異世界への着地、正常に完了しました』


「ナビ付きかよ」


 思わず小声で突っ込む。


『こちらの世界では、あなたは「異国から来た旅人」として認識されています。言語は自動変換済みですので、ご安心ください』


「いや、安心できる情報が少ないんだが」


 とはいえ、子どもたちの目がまっすぐにこちらを見ている以上、立ち尽くしているわけにもいかない。


「ええと……私は、ちょっとした用事でこの村に来た旅人だ」


 自分でも何とも説明になっていない自己紹介だと思う。


 だが、子どもたちは目を輝かせた。


「旅人!」「すごい!」「どこから来たの?」


 口々に質問が飛んでくる。


(世界設定、知らないんだけど……)


 私は内心でツクヨに助けを求めた。


『細かい地理情報は今回は割愛させていただいております』


「割愛すんな!」


 子どもたちは、そんな私の狼狽などお構いなしに、きゃあきゃあと騒いでいる。


 そのうちのひとり、小さな女の子が、お腹を押さえて困ったように笑った。


「ねえ、旅人のおじちゃん。なにか、楽しいこと、知ってる?」


 その言葉で、私はようやく理解した。


 この村には、遊びや娯楽がほとんどないのだろう。おやつも、特別な日は別として、そうそう食べられない。


 だからこそ、見知らぬ旅人に「楽しいこと」を期待する。


(なるほどな……)


 私は息を吐き、空を見上げた。


『残り時間 07:32』


 空中に、赤い数字が浮かんでいる。


 十分快速の旅は、もう三分近く消費されていた。


『そろそろ、特典チートのご利用を検討いただくタイミングかと』


 ツクヨの声が、営業トークじみたトーンで続ける。


『弊局のデータによれば、このタイミングで「俺TUEEE系」の成り上がりチートを選ばれる方が、全体の六割を占めておりまして――』


「六割ね……」


 たしかに、一度だけ何でも叶うチートがあるなら、成り上がりも世界征服もやろうと思えばできるのだろう。


 現代日本で冴えない社畜をやっている私にとって、それは一瞬、甘い誘惑に見えた。


(でも、十分だぞ)


 成り上がったところで、十分後には元の満員電車に戻る。


 宰相にまで登り詰めても、十年後の話だ。十分でなれるのは、せいぜい村の噂の人止まりだろう。


 世界征服に至っては、初手で終わる。


「十分快速の世界征服とか、笑えないギャグだな」


 私は苦笑してから、小さな女の子の顔を見た。


 彼女の上着は、ところどころ継ぎ当てだらけだ。靴底は薄くすり減り、靴の先から小さな指がのぞきそうになっている。


(十分快速で、私にできること)


 思考が、自然とそこに向かう。


 この世界の歴史を変えることはできない。貴族を倒したり、魔王を討伐したりする時間はない。


 ならば。


(今ここにいる、この子たちの十分を、変える)


 それなら、できるかもしれない。


「ツクヨさん」


 私は心の中で呼びかける。


『はい、転生神ツクヨです。本日はキャンペーン案件につき、ご相談は無料です』


「『この世界の美味しいもの』って、どのくらい用意できる?」


 ツクヨが少しだけ沈黙する。


『定義にもよりますが……世界全土の高級食材を集めるのは、さすがに予算オーバーです。ただし、「この地域」とか「この季節」といった条件をつければ、かなりのバリエーションを出せます』


「じゃあ、こういうのはどうだ」


 私は具体的にイメージを固めながら、言葉を続ける。


「この世界の美味しいものを、今ここにある分ぜんぶ。村の子どもたちに、無料で、安全に振る舞えるようにしてほしい」


『……今ここにある分、というのは?』


「この村と、周辺で今日中に用意できる範囲。誰かが明日食べるはずだったご飯を奪ったりはしたくない。代わりに、足りなくならないように、ちゃんと元は補充してやってくれ」


 ツクヨは「ふむ」とうなった。


『なるほど。地域限定・時間限定・対象限定。しかも、元の世界のバランスも崩さないように配慮……』


「そういうの、予算的にはどうなんだ?」


『非常に助かります』


 ツクヨの声色が、心なしか明るくなる。


『では、条件を整理します。「この村とその近辺で、本来今日か明日に消費される予定だった食材・おやつの類」を、追加コストなしで拡張し、「同等以上の品質かつ量を、子どもたちに振る舞えるようにする」。消費後、元々の予定分も自然な形で補充される』


「そう、それだ」


『チート名称:「本日限定おやつフェスティバル」。よろしければ、今ここで発動します』


 どこかで聞いたような名前だが、今はツッコんでいる時間がない。


「頼む」


『承りました』


 ツクヨの声と同時に、広場の空気が変わった。


 村の家々の窓から、甘い匂いが漂ってくる。焼きたてのパン、蜂蜜を煮詰めたような香り、果物を切ったばかりの瑞々しい香り。


 地面の上に、次々と木のテーブルが現れ、その上に色とりどりのお菓子やパンが並んでいく。


「わあっ!」


 子どもたちの歓声が上がった。


「パンだ!」「ケーキみたいなのもある!」「この赤いの、なに!?」


 素朴だが、美味しそうなものばかりだ。


 丸い焼き菓子にジャムがのったもの。蜂蜜を染み込ませた厚切りパン。季節の果物を山盛りにした皿。


 村の大人たちも、驚いて外へ出てくる。


「な、なんだこれは……」「祭りの日でも、こんなに並ばんぞ」


 私はテーブルの前に立ち、深呼吸した。


「これは、今日だけの特別なおやつだ」


 自分の声が、思っていたよりもしっかりと響いた。


「お金はいらない。ここにいる子どもたち全員が、お腹いっぱいになるまで食べていい。大人たちには、あとでちゃんと説明する。これは、私の……」


 一瞬、言葉が詰まる。


 仕事でプレゼンするときとは違う緊張が、喉を締めつける。


「……私からの、ごほうびだ」


 子どもたちは一瞬きょとんとした顔をしたが、すぐに笑顔になった。


「やったー!」「おやつ!」「いっぱい食べていいって!」


 我先にとテーブルに駆け寄る。


 大人たちはまだ戸惑っていたが、やがて誰かが「子どもたちだけだぞ」と念を押し、見守りに回った。


『残り時間 04:15』


 数字が、空の端で静かに減っていく。


(四分か)


 食べているだけで十分快速は終わってしまう。


 せっかくなら――。


「なあ、みんな」


 私はテーブルの脇で、手を叩いた。


「おやつを食べたら、少し遊ばないか?」


「遊ぶ?」


「うん。みんなで一緒にできる遊びを、いくつか知ってる」


 現代日本の公園で、子どもたちがよくやっていた遊びだ。


 だるまさんがころんだ。鬼ごっこ。しっぽ取り。


 ルールは簡単で、道具もいらない。覚えるのに時間もかからない。


「よし、まずは――」


 私は広場の端に立ち、背中を子どもたちに向ける。


「『だるまさんがころんだ』って遊びをしよう」


 説明しながら、実演する。子どもたちは、最初こそ戸惑っていたが、すぐにルールを理解した。


 転んで笑い、走って笑い、鬼になった子が「だるまさんがころんだ!」と叫ぶたびに、広場中に笑い声が響く。


 私は、気づけば息を切らしながら走り回っていた。


 日頃の運動不足が祟り、足はすぐに重くなる。それでも、子どもたちの笑顔を見ていると、不思議と疲れが軽く感じられた。


『残り時間 01:02』


 数字が、いよいよ一分を切る。


 息を整えながら、私は空を見上げた。


(十分快速で、世界は変えられない)


 けれど、この十分で、少なくとも、この村の子どもたちの今日の記憶は変えられた。


 それで十分だと、今は思える。


「なあ、最後に一つだけ、いいか?」


 私はポケットからスマホを取り出した。


 画面は、こちらの世界でも問題なく点いている。


「これで、みんなで一緒に、絵を描ける」


「絵?」


「うん。今のこの時間を、あとで思い出せるようにする絵だ」


 集合写真、と言っても通じないだろう。


 私は近くの大人に頼んで、スマホのカメラの構え方を簡単に教えた。


「ここを押すと、光が出て、この箱の中にみんなの姿が残る」


「魔具か?」


「まあ、そんなところだ」


 子どもたちを広場の真ん中に集める。おやつの皿を両手に持った子、口の周りを甘いものでべたべたにした子、恥ずかしそうに後ろに隠れる子。


 私は、その真ん中で膝をつき、子どもたちと同じ目線の高さにしゃがんだ。


「いいか、みんな。十秒だけ、全力で笑ってくれ」


「じゅうびょう?」


「すぐ終わる。十秒だけ、仕事も心配も忘れて、思いっきり笑う」


 仕事、という言葉に、大人たちの顔がわずかに強張る。


 この世界にも、きっと重い現実があるのだろう。


 だからこそ、せめて今だけは。


「さん、にー、いち――」


 私は指折り数え、最後に大きな声で叫んだ。


「はい、ナッサ!」


 世界が、一瞬だけ光に包まれる。


 シャッター音が、確かに聞こえた。


『残り時間 00:00』


 赤い数字が、そこでゼロになった。


 足元が、ふっと軽くなる。


 子どもたちの笑い声が、遠ざかっていく。


(ああ、終わりか)


 名残惜しさと、不思議な満足感が胸に広がる。


「またな」


 誰に向けてともなく、小さくそうつぶやいた。



 気がつくと、私は再び満員電車の中に立っていた。


 肩に押しつけられていたスーツの感触も、柔軟剤の匂いも、そのままだ。


 スマホの画面には、さっきの広告が消え、ニュースアプリのタイムラインが戻っている。


(……夢、だったのか?)


 あまりにも生々しい夢。


 そういう解釈も、たぶん可能だろう。


 だが、胸の鼓動の速さと、体のだるさは、十分間全力で走り回った直後のそれだった。


「おかしいな」


 私は小さく首をかしげ、ポケットに手を入れた。


 何かが指先に触れる。


 薄い紙の感触。


 取り出してみると、それは一枚の写真だった。


 色は少しだけセピアがかっているが、そこに写っているのは、紛れもなくさっきの村の広場だ。


 おやつを両手に持って笑う子どもたち。口の周りを甘いもので汚した子。後ろで見守る大人たち。


 そして真ん中で、スーツ姿で中腰になっている、冴えない顔の男。


「……私だな」


 思わず苦笑が漏れる。


 写真の中の私は、信じられないくらい楽しそうに笑っていた。


 その笑顔を見ていると、胸の奥がじわりと温かくなる。


(十分快速の異世界転生ね)


 さっきまで、十分快速で世界征服だの成り上がりだのと考えていた自分が、急に滑稽に思えてきた。


 十分快速で変えられるものなんて、たかが知れている。


 でも、たかが知れているからといって、何もしないままでいい理由にはならない。


 私は写真をそっとスーツの内ポケットに戻し、スマホを操作した。


 検索窓に、ゆっくりと文字を打ち込む。


『子ども食堂 ボランティア募集』


 検索結果には、いくつもの団体名が並んだ。


 どのページも、「一日から参加できます」「短時間でも歓迎」といった文言が並んでいる。


 その中のひとつ、「平日夜に一時間だけでも」という募集ページを開いた。


 画面の中央に、「説明会のお申し込みはこちら」というボタンがある。


(一時間、か)


 十分快速の異世界転生よりも、だいぶ長い。


 でも、私の生活からすれば、決して出せない時間ではない。


 私は、小さく息を吸い込んだ。


「……とりあえず、説明会だけなら」


 自分にそう言い訳しながら、親指で画面をタップする。


 申し込みフォームが表示され、「希望参加時間」という項目が目に入った。


 プルダウンメニューから、私はとりあえず一番短い枠を選ぶ。


『一〇分だけ』


 スマホの画面の隅に、小さなバナー広告が再び現れた。


『現実世界の十分、異世界級に変えてみませんか?』


 さっきと同じツクヨのイラストが、こちらにウインクしている。


「営業熱心だな、お前」


 思わず笑ってしまう。


 満員電車の揺れの中で、私は小さく写真の存在を確かめるように胸元を押さえた。


 十分快速で変えられるのは、世界じゃない。


 せいぜい、自分と、目の前の誰かの、今日の十分だけだ。


 それでも――。


(まあ、悪くない)


 そんなふうに思いながら、私は「送信」ボタンを押した。


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